これでも途上国?西マレーシア 


SINからマレーシアの国境の街、ジョホーバル(JH)へバスで。
SINを去る前に、バス乗り場の近くのイスラム・タウンに寄る。
ここは、チャイナタウンと雰囲気が全く違う。
モスクは小奇麗な感じだ。
路地を入ると、窓から洗濯用の物干し竿が垂直にだされ、
シンガポールらしい。
花子が、はじめての海外旅行で15年以上前にSINに寄ったときは、
屋台が多くて、窓から物干し竿が突き出ている部屋がいくつもあったっけ。

バスはSIN市内から7分おきに出ていて、乗客も満員。
運賃は約2ドル。エアコン付きバス。
国境近くの橋(コーズウエイ)を過ぎると 
SIN側の出国手続のため、荷物をもつて下車。
小さなバイクで行き来する人も多くいる。
外では、SINから次々に来るバスが待っている。
出国手続きを終えた人から順に、バスに乗り、
次ぎの場所では、今度はマレーシアの入国手続。
手続きを終え、スタプをもらつたら、荷物の検閲。
効率よく、事が運ばれているのには驚き。
それだけ、行き来する人が多いのだろう。
この日は、旧正用の準備で行き来が多く、交通渋滞もあり、
普段は45分で到着するはずが、2時間近くかかった。
そこから、ホテルまで直接行けば良かったのだが、
また、次ぎのバズに乗ってしまい乗換えのバスターミナルに着いた。
「だんだん街から遠ざかる…」と思った時には、時すでに、おそし。

このバスターミナルには、ファースト・フード店があり、
SINや日本と比べると、のんびりしたスロー・フード店だ。
公衆トイレに行くと、入る時に20円ほど取られるが、
中は、驚くほど清潔。
ポッチョン式だが、各トイレの個室にほホース付きの水道が付いていて、
自分で流すようになつている。
元祖、ウオッシュレットというとこかな。
マレーシアやタイでは、トイレットペーパーは使わないらしい。
下水道の関係かららしいが、このほうが漬潔で、環境にも良いのかもしれない。

仕方なく、タクシーで街まで引き返す事にする。
タクシーの運転手さんによると、
「JHの人は賃金の高いSINへ毎日働きに行き、
SINの人は物価の安いJHへ買い物に来たり、
広くて安いJHで土地や家を買うんだ。」という。
午後6時頃、学絞近くを通りすきると、小学生がたくさん出てきた。
運転手さんに聞くと、
「子供の数が増え、午前と午後のクラスに別れているんだ。」という。
JHには、サンヨー、ソニー、パナソニックなど、
日本企業の工場が建ち、また "ただ今、開発中"の建物もあちこちで見られた。

JHに入ると、とたんにイスラム教徒らしくスカーフをまき、
足元まで かくれるドレスを着ている女性が多く、
中国系の顔の人が少なくなる。
JHで一泊。
ホテルの部屋の天井にも ちゃんとメッカの方向を示す矢印もあつた。

地元のニユースでほこのJHはマレーシアで一番、治安が悪いと言っていたが、
活気があり、おもしろい街だった。
両替所を探していると、
インドネシアから出稼ぎに来ているという若者が
両替所につれていってくれた。
夜は、町の中心の青空市場みたいな大きな屋台ばかりが集まるところで食べた。
土鍋みたいなのにはいった鳥の釜飯みたいなのは、おいしかった。
火鉢みたいなのを並べ、その上に土鍋をひとつづつ置いてウチワの
ようなもので、汗だくで火加減をしている学生くらいの男の子の姿は
なんとも昔なつかしい日本の夜店の風情である。
すぐ近くに、薄いピンク色を基調とし、
ゾウや人間の像を塔にかたどったヒンズー系のお寺があり、
この屋台は、いつも人が沢山集まるような所だった。

SINでも、そうだったがJHでも両替え屋が、主な通りには何件かある。
お金を換えようと両替え屋に行くと
前にいたマレーシア人が交換レートを交渉していた。
ためしに太郎も交渉するとラッキー。
少しだけいい、レートで交渉が成立。

JHからバスで歴史の街マラッカヘ。
バスは高速道路(最近できたばかりで、
後でわかった事だが、システムは日本のを真似たらしい。)を通るし、
23人乗りで快適。
スキー・バスのように 途中、休憩で食堂みたいな所に寄る。
ただ、運転が無茶無茶なのと、
運転手の趣味で、「チャイルド・プレイ」のビデオと
ロックのカラオケが、ずーっとと鳴り、趣味の違う人にはえらい迷惑だった。

マラッカのバスの駅で「地球の歩さかた」に出ていた安宿の行き方を聞くが、
タクシーに乗れと言われ、しぶしぶ、タクシーで行くが外見があまりにも汚くパス。
それに、歩いていける距離だったのに大周りされた。
タクシーの運転手に綺麗な所を紹介してくれとたのんだら、
結局、きれいなホテルを通り過ぎて、不便な所に連れていかれた。
そのホテルは外観だけ美しいが、
部屋は全然よくなく、タワシー代も高くとられたので、
花子も太郎も気分を悪くする。
気分がさえないので、隣のきれいな中華料理店で夕食をして、
結局、高くついたので、何をしているのやら…。

次の日、ちょっとましなホテルに移動しようと、またタクシーで行く。
前でおろされたが、近くで聞くと改装中で泊まれないらしい。
かなり気分を悪くした!!
その上、マレーシアに入つてからは、唯一もっいてたJCBカードが使えず、
金曜までにクアラルンプール(KL)に着かなけれぼならない。
結局 ケチのついたマラッカの観光はなしにした。

KLでは たまたま同じバスの前の座席に乗っていた
日本人の子が教えてくれたチャイナタウンのホテルに四泊。
このホテルは、どこに行くのにもバスの発着地で便利。
高級ホテル地区(アンパンという通りだったけ)、
日本資本のデパートのある若者の行くおしゃれな地区
(が少し横道にはいると、大阪の千日前みたいなとこ)、
博物舘(展示手法が古かった)、
マレーシア特有の鳥の放し釣いのバードパーク
(歩いていると、森永チョコボールの鳥のような大きな
ホーン・ビークという鳥が放し飼いで近くにいるのには驚いた。)、
蝶の放錮いのバタフライパークなど、いろいろ歩いて見て回った。
路地を少し入ると、昔の日本みたいな景色があった。
チャイナタウンでは正月用の富くじをしょうきさんが配っていて、
太郎が必死になって、ようやく貰ったけど、はずれ。
残念ながら賞品は何も当たらず。

KLガらバスでペナンヘ。
お正用休み(その年は中国とイスラムの新年がー緒)の帰省ラッシュにあう。
日本の帰省ラッシュ並の混みようで、
ニュースでも数カ所のバスターミナルで実況中継していた。
列車は時間がかかりすぎ、利用するひとは少ないらしい。
フットボールの競技場までもが、
臨時バスの発着地にかわるくらいの混み様である。
ペナン島に渡る前に新興工業都市、バタワースを通る。
ここは工業地域で ここにもたくさんの日本企業の工場がある。
帰国して、家にあるソニーのテレビが安いのでびっくりしてたら
マレーシア製と表示があり、あそこで作られたのだと思った。

ペナンで四泊。
ここは、人口の60%近くが中国系で、
寺院や町並みに、その影響が色濃く残っている。
丘の上にある極楽寺に、市バスで一時間くらい揺られて行く。
よくある日本の観光寺院のように、参道には土産物屋が軒をつらねる。
ただ、お寺は、あれが極楽浄土なのかと思うほど、色がケバケバしかった。
正用休みということもあり、バスは寿司詰め。
帰りは、満員でバスが止まってくれず、
やっと止まったと思えぼクーラー車(普通車より少し料金が高い)。
なのに満員でまるでサウナ風呂。
生まれて初めて手首から、腕から玉の汗がしたたり落ちるという状態を経験。
地元の人たちは、慣れているのか、あまり汗はかかないみたいだったが…。
満員でバスに乗れない人を相手に、
白タク行為しているのは、ほとんどが中国系の人だった。
お金もうけに関して中国系の人はすごいと思う。
大きな都市で便利の良いホテルは中国系の経営だつた。

ペナンは、リゾート地というより日本の温泉地みたい。
海は汚し、皆、ホテルのプールでで泳いでいる。
ただ、食べ物は中華系でも、いろいろ種類があり、日本人には嬉しい。
モスクにも行ったが、白い服を着せられ暑いし、汚れてるし、早く脱ぎたった。
そこの宣教師さんによると、
「イスラム教では、貧しいのも運命だから、
お金がある人ガ貧しい人を助けるのが義務なんだ。」という。
それなら、貧しい人は努力しなくても許されるみたいだから、
社会としては、あまり良くないような気がした花子だった。
トリショウという 日本の人力車みたいなのが、
ホテルの前で客を待っている。
トリショウのおじさん達、みな筋肉質で色黒のしまった体をしている。
必死で働くというよりは、
客がいない時は 仲間で賭け事したりして
適当に楽しみなガら働いているようだ。

マレーシアでは主要都市の若い子は、
ほとんど英語を喋るし、テレビは2局も英語で放送している。
この点では、日本よりよっぽど、国際的である。
花子は、勉強したことのあるインドネシア語(マレー語ににている)で質問したりしてみたが、
相手の言う事がわからないので、結局は、英語で聞く羽目になった。
年配の人は、英語がわからなければのわかる人を探してくれ、親切だった。
テレビや新聞で、おもしろいと思ったのは、
すぐ「マハティール首相によると…」と首相の言葉が、
一番の影響力があるかのように報道されていたことだ。


もくじ

A.Yamaoka 08/01/99