怪しげな国境の街、メーサイ


チェンライから、さらにオンボロバス(90円くらい)で、
約1時間半、ビルマとの国境の街、メーサイ。
ここは、麻薬の密売の地、ゴールデン・トライアングル
のうちの一つと呼ばれている。

行く途中、警察がバスに乗り込んで来て、
身元のあやしそうな人はバスからおろされていた。
着くと、国境の街は、グチャーという感じで、人と物の往来がおもしろい。
道路は建設中で、街は開発まっただ中。
ビルマのひすい、中国から流れてきたみたいな古い化粧品や
見た自に あやしそうな物なびっしりと店頭に並んでいた。

川の向こうはビルマで、橋を渡ったとこうで入国料を約七百円ほど、
支払わなければならない事を知り、
結局、花子と太郎は、チェンライからの日帰りで時間がないので、
橋を渡ったところで、しっかり記念写真をとり、ビルマに入るのはやめた。
橋の上では、ビルマの子供たちが 
いきなり5人くらい「お金ちようだい」と群がってくるのにも驚いた。
ビルマでは、ビールやタバコガ安く、入国料をはらっても、
メーサイで高く売れるので 仕入れに行く人が多いらしい。
川のたもとの食堂でお昼ご飯をたべていると、
太郎にタバコ売りが案の定やってきた。

しばらく歩くと高台にある、丁度ビルマとメーサイの国境が見渡せる寺院がある。
結構、階段がきつく花子と太郎は、あがってベンチで休憩していると、
そこで昼寝をしていた50代前半の日本人男性に、
花子と太郎が日本語でしゃべっていたので、話しかけられた。

このひとは大阪、大東市のヒトで、元祖「地球の歩き方」みたいな人。
若い頃に、アメリカやシベリア鉄道を横断し、
オース一ストリアには四年くらい住み、
今は白人社会に嫌気がさし アジアが居心地よいらしい。
50歳になって迷わすで、のたれ死にしてもいいと覚悟を決め、
日本でアルバイトしては、ここメーサイに来て、
いれる限りいて、街の移り変りを楽しんでおられるらしい。

人の良さそうな感じの人で、地元の市場に連れて行ってくださり、
絹こし豆腐の砂糖生姜汁かけを一緒に食べた。
この市場では、今までタイで見た市場と また違うものが売られていた。
地元の人がたくさん並んでいた、リヤカーの焼きたてのパン屋さん
(昔の日本のロバのパン屋さんを思い出させる)で菓子パンと
シュークリームを買った。タイのシュークリームは花子のお気に入り。
卵ガ安いせいか、ふんだんに使われていて、どこで買ってもおいしい!
(もちろんパンも)
このひとによると、ここからしばらく行くと中国から逃れてきた国民党の
残党のひとの村があり、そこの餃子がメチャおいしいらしい。
(次回の旅にのこしておこーっと。)


帰りのチエンライまでのバスで、人買いのようおじさんと少年が乗っていた。
(ビルマでは賃金が、タイの六分の1らしく、
タイに出稼ぎにくる人が多いらしい)。
警察がバスに検閲にきた際、このおじさんと警察は、顔馴染みみたいで、
「いつもすまないな。」みたいなふりして 見逃して貰っていた。

花子と太郎の、旅行のハイライトはメーサイ、チェンライ、チェンマイだった。
タイはお金の使いごたえはあるし、食べ物ガおいしいし、人の接し方が柔らかい。
特に、北にいくほど、ヒトがあまりすれていない気がした。
言葉は、通じないが、屋台で身振り手振りで注文したり、
誰かが助けてくれたり‥・。
この旅行で感じたのは、東南アジアの人々のバイタリティは、
日本人が忘れつつある くったくのない明るさだった。


東南アジアの旅日記

A.Yamaoka 4/2/2000