タイの大都会バンコク


帰りは、ペナン島からフェリーで(15分くらい)バタワースヘ。
KLで予約をいれていたバンコク行きの、
一日に一本しかない寝台車に乗る為に予定より早く駅に着く。
ホテルで、駅までの行き方を聞いたとき、
「列車の発車時間を確認したほうがいいですよ。」といわれたのに、
まあ、いいっかと確認をとらずに駅についた。
それが、なんと、午後二時発の予定が五時間遅れの七時すぎ出発。
確認してくれば良かったと少々、後悔ぎみの花子。

日本人観光客がいたので、待っている間、暇つぶしに、いろいろしゃべる。
英語ができないから、「地球の歩き方」が唯一のバイブルみたい。
服装も、パンツはポケット付き、背中には大きなバックパック用リユックと
「地球の歩さ方」の絵、そのまままの子が多い。
バンコク行きは四車両までで、驚いたことに、
そのうち一両は日本人ばかりだった。
フツーの日本人の女の子の二人連れも多かったのもびっくり。
花子は、まだまだ,
きれい好きの日本女性のアジア旅行はマイナーだと思ってたから…。

でも、列車は快適。
夜中に国境の街ハジャイの駅で入国手続をした後、
寝るために乗務員さんが座席を倒し、シーツを敷きベットを作ってくれる。
昔、花子が学生の時に乗った日本の青い寝台車より、ずーっと快適だった。
が、5時間も遅れたのに、花子も太郎も、
すっかりお金をタイのバ―ツに変えるのを忘れていた。
朝、列車の中でお金がなく、ひもじい思いで、朝ご飯をして我慢してたら、
隣の席のマレーシア人の家族で旅行してる女の子が気をきかしてくれ両替をしてくれた。
おまけに、車内食堂でタイ語の通訳までしてくれた。
(国際列車なのに注文する英語も通じなかったから。)
タイに入ると、窓から見る景色が、お寺や山に変わり、
パーム油の植林ばかりのマレーシアとは、違いおもしろかった。

バンコク(BK)では鉄道の駅の近くのホテルに四泊する。
日本人観光客ばかりの泊まるような高いホテルに泊まらないので、
また、ここでもクレジットカードが使えず、銀行探しをするはめに。
日本人スタッフのいる案内所で場所を聞き、バスに乗ったはいいが、
降りる所がわからず、乗ってる人に聞いても英語が通じず、
とりあえず、ら・し・き所で降りる。
が、全然違う所で、所持金日本円に換算して50円もなく、
"どうしよう"と思っていると
目の前にJCBの看板が・・・。ホッ。よかった。
タイの銀行でJCBを唯一扱うサイアム商業銀行の前だった。
やっぱり花子の日頃の行いが良いから‥(ホントはさくら銀行を探してた。)
場所を、間違えたのが幸いして、吉野家とマクドナルドを発見。
なんと、どちらも、小奇麗なビルの中にあり、
吉野家は さながら、地元の人にはちょっとしたレストラン。
クーラーもしっかりかかっていた。

バスに乗って関心したのは、満員の社内で
しっかり料金を徴収に来る車掌さんの働きぶり。
あるバスでは、すいてたので、あいた時間で
揺れるバスの中、内職のレース編みしてた車掌さんも いたっけ。
タイのバスでは、出口のところで、外にぶら下がっている人を
よくみかける。
太郎は、ちょっとの間、バスの出口のところにぶら下がってて、
「ぶらさがってるほうが、涼しい。」と、
ぶら下がる人の気持ちがわかるという。

市内は日系のデパートがたくさんあり、
日本と変わらないし、おしゃれなタイ人も多い。
サイアムスクエアには、ベンツやセフィーロが
とまっていて、若い女性が運転してたのには驚き。
(バブルの絶頂期だったから。)
貧富の差が多いと聞いていたので、
お乞食さんが多いのかと思っていたが、言うほど気にならなかつた。
むしろ、日本に帰ってきて、大阪の地下街の隅で
タンボールに住む人が増えたのが気になった。

街角では、仏教らしく、観音さまがあり、
沢山のひとが、花とお線香を供えてお祈りしている。
また、その前では、タイ舞踊が披露されていた。
路上の花の値段も、日本人とみるとふっかけてくる所もあり、
初めに聞いたところと、2度目のところでは値段が倍くらいちがった。
また、街角で中国系のひとに日本人かと聞かれ、そうだと答えると、
「私は医者です。あっちの方が、いい買い物できるよ。」
というような事を英語で話し方けられた。
「こっちに行きますから…」と、花子がそっけなくすると、
その、おじさんは嫌な顔して去って行った。
後で会った日本人旅行者の何人かは、
「土産物屋に連れて行かれ、買わないと返してくれないから、
しょうがなく、いらないものも買った。」と言っていた。
地元の英字新聞によると、
ツアー中にも中国系ガイドが、観光客をコミッションが稼げる土産物屋に
滞在中、何度もわからないように連れて行き、
多くの外国人人観光客から苦情がでているという。

BKの観光名所、王宮に行く。
ここは、外国人観光客ばかり。
おまけに入場料は六百円位いる。
太郎は短パン姿だったので、この蒸し暑いのに長パンをはかされた。
(現在、誰も王宮には住んでいないのに、肌をだすのは失礼らしい。)
王宮は確かにきらびやかだが、キンキラすぎる。

帰りに、近くのタマサート大(タイの京大みないなもの)に寄ると、
農民の国会議事堂に陳情に行くデモが始まった。
好奇心旺盛の花子と太郎は、彼らの後をついて一時間半ほど歩いていった。
彼等は、日頃の農作業で鍛えているので、らくらくと歩いていたが、
花子と太郎には追いかけるのが精一杯。
その時、官僚街を通ったが、並木道で美しい通りだった。
とても、発展途上国とは思えない。
国会議事堂前では、大学の卒業生が卒業写真をとったりしていて、
人ごみで農民の人達を見失ってしまった。
かたや将来を約束された学士さんと、
日々の生活に追われる農民との差をまのあたりにした。
(まだまだタイで大学に行く人は少ないらしい。
日泰日本人会の雑誌によると中学進学率でさえ40%らしい。)
後で知ったが、農民の陳情は裏の旧国会議事堂にいくらしい。
新聞によると、この農民たちは 陳情が受け入れられるまで
1か月以上キャンプ生活をしているという。

BKでの夕食はホテルの前のおかまちやん三人が働く食堂。
この食堂、地元の客が多く、料理もおいしく、そこそこの値段。
気に入つて三日間毎晩通った。
ここの、おかまちやん、頭はトサカだがバッチシ化粧し、
まっ赤な口紅を塗り、しぐさも十分女性らしい。
おかまちゃんでない従業員もた<さんいて、違和感なく働いている。
タイはマレーシア、シンガポール、日本とくらべ、おかまちゃんの生きやすそうな国だ。
それに、お乞食さんも節度を持っていて、
一度もらった人には、続けて物乞いに来なかった。
そして、この国ひとは金持ちは貧乏人にふるまうのが、
あたりまえの事と思っているように見えた。

夜に、鉄道の駅に行くと(東京の上野駅みたいなもんかなあ?)、
田舎から出てきた14か15の若い子たちが、手作りのおかずを、
てんびん棒にのせて、駅前の広場で売っている。
そこで、クリおにぎりのようなもの(5バーツ:このとき、1バーツ5円くらい)を買うのに、
500バーツをだすと、つり銭に困っていたので、駅で両替え
してから、寄った。後で考えると、屋台の売上なんて知れているのだろう。
それから、警官が取締りにくると
皆、蜘蚊の子を散らすように 違う場所に移り、何事もなかったように
また違う場所で営業しているのがおもしろかった。
BKで一番、嫌だったのは、排気ガスのすごさ。日本も、いまだに都会ではすごいけと‥。


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A.Yamaoka 05/09/99