旅行記・北海道(1988年3月)


あれは青函トンネルが開通して最初の春。北海道への旅に出た。 時刻表をお持ちの方は、一緒に広げて頂くと、分かりやすいかもしれない。

夕方19時台(だったと思う)の新快速に乗り、京都を出発。 大垣夜行に乗るためである。各停のくせに(一部区間快速)大垣〜東京間を結ぶ無茶なやつである。車内泊は過去にも経験があるのだが、寝れるものではない。 だいたい私は神経質な方なので、こういった所で寝るのは不得意である。 結局寝ることができたのは浜松〜静岡間程度で、後は起きていたように思う。 垂直座席で進行方向と逆だったのが敗因である。

朝の4時台に東京に着く。ホームの水道で顔を洗った記憶がある。 ここから上野に出て、6時発の常磐線経由の快速に乗り、茨城県に向かう。 途中、列車の切り放しで追い出されたり、駅そばを車内に持ち込んで食べる学生や東北っぽい鈍りのある全然恐く感じない不良なんかが現われたりする。

昨晩から列車に揺られっぱなしで、ようやく仙台に到着。 自分の気分は夕方だったのだが、待合室のテレビに映った「いいとも」を見て がっくりきた覚えがある。まだ半日しか経っていなかったのだから。 そこからは、赤い電気機関車に小豆色の客車という何とも田舎っぽい列車が、 田圃の中をえっちらおっちら北上する。

北海道ワイド周遊券を使ったため、道内までは特急は使えない。 まあ、金が無いんだからしょうがない。 丸一日以上各停に乗っていたため、「尻から根が生える」状態になってしまっていた。 そんなこんなで、夜22時ぐらいに青森駅に到着。既に精魂付き果てていた。

急行「はまなす」に乗り北海道へ。 肝心の青函トンネルは、夜中だったということもあり、いつ入ったのか分からなかった。 やっと憧れの北海道へ・・・

目が覚めると、車窓からは北海道の大地。 今まで自分が見たことのあるものとは全く異なる景色。まだ原野とも言えそうな平原。
北海道だった。

その日は苫小牧からえりも岬に向かって日高本線を南下する計画だった。 苫小牧〜様似間が各停で4時間。それしか走っていないから仕方が無いのだが。 この日高本線から見える景色はとても良かった。 入り組んだ河川、原野、牧場の馬・・・ さすがに往復8時間も見ていると飽きてきてしまいうが。 えりも岬は本当に何もなかった。昼飯さえ食べる場所が無かった。

が、岬での日高山脈がそのまま海に潜っていく様は圧巻だ。 岬のバス停(停留所は小屋の様)は旅人の足跡を記す場所だった。 ライダーやチャリダーの書き残しや、切符・定期券等の記念物が壁いっぱいだった。

その日は、また4時間かけて苫小牧まで戻り、札幌に着いたのはもう21時頃だった。 稚内行きの夜行急行「利尻」に駅弁を抱えて乗り込み、その日は眠りにつくのであった。 と、ここまでは北海道の寒さは殆ど感じなかった。 地元での真冬の寒さ程度であったのと、北海道にいることの嬉しさで肌を刺す風も心地よい物になっていたからだ。さすがに雪は殆ど無かったが。 しかし、甘くなかった。 内陸を走る急行「利尻」車内は暖かいことは暖かいのだが、 壁から寒さが伝わって来るのである。それは想像以上であった。 私は一晩中寒さに震えていた。通路側に座れば良かったと後悔しながら。

寒さに震えながらも、眠りについた私が次に目を覚ましたのは、 夜が明けた頃であった。

雪だ

元々雪の無い地方で育った私は、雪を見ただけでも嬉しくなってしまう。 車窓から見える山の向こうには、朝日に照らされた利尻島が見える。

朝6時、稚内に到着。当然だが駅前の温度計は氷点下を指していた。 歩いてノシャップ岬に向かう。極寒。風が痛い。痛い。

地図上では僅かな距離のように思えたのだが、歩くと30分程かかった。 岬には日本で二番目に高い燈台があった。 それだけだった。樺太も見えなかったし・・・

その後、稚内公園という丘の上にある公園に向かった。 雪が積もっていたため、道が全く分からず、丘の周りをぐるっと周りながら登る。 気分は203高地。ロープウェイの存在など知るよしも無い。 スキー場やら交換器操作女史(?)の碑なんかがたっていた。 それより北は自衛隊基地。

稚内から天北線経由の急行「天北」に乗る。 この天北線というのは山の中を走っている。今は廃線となってしまったが。 線路の周りは山と雪。太陽が照っていたので反射光で目が開けられないくらいの眩しさだ。

途中の駅には「ここからが駅舎」といった標識が建っているのだが、 雪で埋まってしまって全く分からない。 いつまでも床下の発電機がうるさく感じた。
旭川で特急と乗り換え。意味の無い乗り換え。 で、やっと札幌。そのころの札幌駅はまだ地上ホームであった。 ラーメン横町に行こうと町を彷徨えば、すすきのの怪しげな地区に行ってしまった。 結局、駅の近くのラーメン屋でサッポロラーメンを食べた。

次の目的地・根室に向けて、夜行急行「まりも」に乗り込む。 この列車でもそれほど眠れなかった。しかし、少しずつましにはなってきている。 目を覚ましたのは、夜が明けてから。 薄明かりの中の根釧台地も、テレビの中で見る外国の原野の様。 釧路から根室までも各停。2時間。

根室から納沙布岬まではバス。 何にもないけど、穏やかな日差しと枯れた牧草が印象に残る。 岬からは、北方領土が見える。肉眼でも。 一番近い貝殻島には、燈台が建っている。燈台以外に建てるものが無いくらい島は小さい。

北方領土記念館(?)の所にある望遠鏡からでは、水晶島にいるソ連兵が動いているのも見えた。すぐそこなのに、行けない世界。
岬からの帰り、タクシーの運ちゃんが面白い話を持ち掛けてきた。 バス代より安く根室駅まで送ってやろうと言うのだ。 が、それには四人必要らしい。 タクシー代を四人で割った方がバスより安くなるという訳だ。 まあ、そこには運ちゃんの+α儲けが入っているのだが。 しかし、安い方が当然いいわけで、結局そっちになってしまった。 同乗者は私達二人と全く知らない二人。 運ちゃんになんだかわからない燻製をもらい、また白鳥だかタンチョウヅルだかを見れるところへ連れて行ってもらったり、流氷の解説までしてくれた。 しかし、メーターは倒したままだった。 「ここは、料金のいらない高速道路だ」 調子のいい運ちゃんはこんなことも言ってた。

根室からまた各停で釧路に戻る。2時間。ずっと立っていた。 釧路ではバスの待ち時間に待合室で高校野球を見ていた。 隣で一緒に見ていたおじさんと、野球の話なんかをしながら。 ちょうど奈良県の高校が出ていたからというのもあるけど。 釧路から阿寒湖までバスだ。釧路を出てまもなく日が暮れる。

阿寒湖に着いたのは夜の8時ぐらいだった。 その晩は、阿寒エンジェルYHに泊まる予定だった。 が、真っ暗でバス停から周りが見えない。 ということで、ユースのホストに迎えに来て頂いた。 その日の泊客、総勢8人。 アルバイトして溜めたお金で一ヶ月の予定で旅する大学生や外国人の方もいた。 やっと、動かない地面で眠ることができる。あぁ。 入口を入って右側の手前の二段ベッドの上で、私はそう感じた。 しかし、目をつぶっても頭の中は揺れていた。

YHでの朝食はみんなで一緒に食べる。 で、その後片付けは、泊客の中から二名選抜(じゃんけん)でやるのだが、 案の定、私は負けてしまった。 会員でもないのに会員料金で泊めていただいたホストに感謝しつつ出発。

阿寒湖は凍っていた。 最初、道を歩いていたのだがいつのまにか、湖上を歩いていたのである。 湖が凍ってしまうという、別世界現象に遭遇した私は、嬉しくてたまらなかった。 その湖の上には、自動車まで乗っかっていた。

阿寒湖からは定期観光観光バスで移動。 摩周湖〜屈斜路湖〜網走へと向かう観光バスで、適当に解説テープも流れる。 バスは雪道を摩周湖に向けて走る。 途中、オンネトー・パンケトーなる小さな湖を道の上から見物する。 凍って白くなった湖が見える。

摩周湖も凍っていた。 運よく霧はかかっていなかったので、湖面まではっきり見えた。 不思議な雰囲気を醸し出している湖。 湖面に近づくこともできない。流れ出る川も無い。 人間が触れることができず遠くから眺めている状況が良いのかもしれない。

摩周湖を出ると次は硫黄山と呼ばれる蒸気を吹き上げる山に着く。 山自体は小さい。あちらこちらから蒸気を上げている。 何故かヨーデルを流しながらアイスクリームを売る人がいた。

川湯温泉でバスを降りた私は、屈斜路湖を一目見ようと徒歩で湖まで歩いた。 今から考えると結構馬鹿だったのかもしれない。 考えていた以上に距離はあった。それも荷物を担いで歩くのは辛かった。 屈斜路湖も一応凍っていたが、岸側は溶けていた。 というのも、辺りは温泉が湧くそうで、岸の方から溶けていくようだ。

そんなこんなで歩いていると、道をキタキツネが横断していく。

餌を漁りに降りて来ていたのかどうかは知らないが、その辺の人にしてみれば 気分は野良犬の様なものかもしれない。
ちょっとラッキー

屈斜路湖から川湯駅まで歩いて戻り、列車に乗る。 列車はオホーツク海の側を走る。 その列車内で、流氷にテントを張って寝ている間に流されてしまった先輩を持つ 高校生と出会う。 途中、行き違いの列車のため停車している間に、オホーツク海まで走っていき、 流氷の上に乗って遊んでいた記憶がある。 駅から海まではかなり近い。隣の駅が一番近いそうだが。

すっかり日が落ちたころ、網走に到着。 初めて家族に電話を入れる。 何を伝えたかは覚えてないが、たぶん寒いということを連呼していたように思う。 その夜の夜行急行「大雪」に乗るまでの時間つぶしに、駅前の土産物屋に寄り 色々と店の親父と喋りながら土産を買った覚えがある。

何故か「大雪」では、よく眠れた記憶がある。 遠軽で方向転換したあたりから眠ってしまったようだ。 よっぽど昼間の歩きがこたえたのだろう。

通勤客が増え始めた札幌のホームで電車を待つ。 ドアが無いところで列を作ってしまい(我々が先頭)、後ろの人達に迷惑をかけてしまった。少し恥ずかしいものもあった。

目的地は支笏湖。千歳駅からバスで移動する。 この千歳駅〜支笏湖間のバスは普通の乗り合いバスのため、千歳駅前バス停が実は駅前に無く、あちらこちら探し回り発車寸前のバスに飛び乗ることになった。

支笏湖。普通の湖だった。 それまでに見て来た湖が、あまりにも魅力的だったために、普通の湖に 見えてしまったのだろう。

そこに滞在したのは僅か30分。 そこからはバスで苫小牧に出る。千歳〜支笏湖〜苫小牧のバス代が1050円。 道内の観光地のバスは非常に高く、これでもかなり安く感じた。 かなり余談になるのだが、この苫小牧の駅舎にある本屋で、それまで5年近く 探し求めていた本を発見してしまった(しかし買ったのは札幌駅の本屋)。 荷物になるにもかかわらず、つい買ってしまった。

苫小牧からは特急「北斗」で洞爺まで行く。この特急はディーゼルカーなのだが いかにも走っているというエンジン音が心地よく響いている。 この183系(?)のディーゼルカーは車内の扉も自動で、以前乗った82系のまつかぜより豪華であった。

洞爺湖。これも普通の湖であった。 真ん中に島があるのがポイントらしいのだが、岸から見ている分には後ろの風景と同化してしまい、島の感じがつかめなかった。 遊覧船に乗っている暇も無かった。 最後の観光地ということで、最後の土産を買う。シーズンオフということで 土産屋も閉まったものが多かった。

函館到着。これで北海道ともお別れ。 快速「海峡」に乗り込む。 と、うまそうな匂いが車内に充満している。 函館駅の駅蕎麦は、簡易器によって車内に持ち込むことができるのだった。 切り詰めた旅行をしているため、いつでもどこでも腹を空かしている我々は、 その誘惑につい負けてしまった。

快速「海峡」では、青函トンネルに入る時、ちゃんとアナウンスがあった。 また、トンネル内での現在位置を示す掲示板もあった。

帰りは青森から上野まで夜行急行「八甲田」。これについては何も覚えていない。ただ目を覚ましたころ、ちょうど埼玉県ぐらいだったとおもうのだが、 雪が降っていた。北海道で見納めたはずの・・・

東京から静岡までは急行「東海」。東京駅名物チキン弁当を買い込み乗り込む。 静岡からは各停・快速で京都まで帰って来た。 さんざん国鉄に乗ってきた私は、近鉄の遅さと線路の幅の広さに違和感を感じていた。

帰って来た私を待ち受けていたのは、偶然出会ってしまった中学時代の同級生に おやつを奪われるという、悲惨な現実であった。



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