ざわめきと歓声が吹き上げる風に乗って届く。
湿った雪はコンディションを最悪にしているが、滑りやすいというのならふたりにとっては好都合だった。
「too eazy!」
「終わってから言え」
ボードを軽く浮かせてシャドウはスタート位置に入る。
最短を狙うコース取りでの接触は避けられない。
予選タイムでは上位をキープできたが、乱戦を抜ける術はソニックの方が巧みだ。
深い傾斜、最初のジャンプで可能な限り前へ出たい。
「いい顔してるぜ?」
レース直前に余裕を見せているが、そういうソニックの笑みの下にも鋭い刃が見える。
僕はその顔が嫌いじゃない。
「レースを楽しもう、などというつもりじゃないだろうな」
「まさか。俺の後ろをついてきな」
「抜けるものなら」
On your mark
…
雪煙りが舞う3秒前 − スノーボードクロス
2010.02.16
家、という場所は、個人の時を蓄積するところだった。
なのに、帰ってその場所が荒らされているのを期待している。
今日は、出かけた時のままきれいに片付いたままだ。
「ソニック」
大きめの声で呼ぶ。
気配はどこにもない。悪戯でもなく、家の中のどこにもいない。
酷くがっかりしてしまう。
また、物語の世界に行っているのだろうか。
それともこの世界のどこかを走っているのか。
僕はテーブルに置いたばかりの、部屋の鍵をもう一度取る。
ひとつ、カオスエメラルドを握って、遠い意識で風を探す。
彼のいない時間が耐えられない、など、どうかしている。
弾丸のように飛び込んでくる彼に、いつの間に撃ち殺されたのだろう。
2010.02.28
ふたりで映画をみていた。
映画館よろしく照明を落とした部屋。
ソニックはテレビ画面の一番前で、シャドウは後ろのソファに座って。
物語はソニックが選んだアクションものだ。
超人がその能力を発揮して、悪の組織と戦う、ありふれた話。
ありえないラッキーに笑ったり、ピンチの連続に食い入るように身を乗り出すソニックを見ている方が、シャドウには面白かった。
やがて、物語は終盤。
おもしろ可笑しさは、切ない別れになる。死に別れの物語。
シャドウはぎりりと唇を噛み、ソニックの背中を睨みつけた。
前に一度みたことのある話だと言っていた。
謀られたと思った。心の揺れが許せなかった。
「こんな話を見て、どうするつもりだ」
そう呟いて、シャドウはリモコンを使ってテレビの電源を切った。
ぴくりと肩を震わせて、ソニックは大きく息を吐く。
そして、ソファに座るシャドウに、困った笑みを見せる。
「続きを知りたかったんだ」
ソニックは、薄暗い部屋の床をのそのそと這い、ソファの空きに座ると、いつもより重そうな青いトゲをシャドウの肩にこつんと乗せた。
震える指で、テレビのリモコンを握る。
「俺も、前に見たとき、あの場面でテレビを消しちまったのさ」
再び、部屋に映画の鮮やかな光が溢れる。
そこからスタッフロールまで、ふたりは手をつないでいた。
その手は、とても…。
2010.03.01
走ってくる!
そう言って出て行ったソニックを、シャドウは追わない。
淡々と日常をこなす。GUNからの呼び出しが無ければ、静かに本を読むか、得られた知識で手遊び程度にプログラミングをしてみたり。
開け放った窓、カーテンを揺らす風。
耳を澄ませばソニックの息遣いが聞こえてくる、そんな時がある。
シャドウは部屋を出て、ソニックが気に入りそうなまっすぐな道で待つ。
すると、帰ってくるのだ。
「Hey, Shadow! ただいま!」
そう叫んで、シャドウの胸に飛び込んでくる。
強い勢いにたたらを踏んで立ち止まるが、ソニックはお構いなしにしがみついてくる。
「今回はどこまで行ってたんだ」
「北へ!繋がった氷の上を走ってたんだ」
声はどこまでも元気なのに、身体は重たげに沈んでゆく。
楽しいときには何もかも忘れて楽しんでしまうのは、時に悪い癖だ。
仕方がない。
シャドウはソニックを抱きかかえ上げる。たいした抵抗は無い。
「ずっと休憩していないだろう。こんな状態になる前に休んでいれば、もっと長い距離を走れるはずだ」
「そうだな。でも、休みたくなかったんだ」
なぜなら…、と、言いかけたまま。
シャドウはソニックを強く抱きしめた。
本当に仕方がない。
疲れて疲れて、倒れる時には、互いの腕の中だけなのだから。
2010.03.06
アディオス…シャドウ…
透明な壁の向こう側で唇を動かしたのは、マリアではなかった。
千切れた片腕を捨て、レバーに残った腕をかける。背伸びをする足はがくがくと震え、それでもぶら下がるようにしてレバーを下げようとしている。
青い針鼠は、もう赤いと言ってもいいほど、血に染まっている。
「やめろソニック! これは僕の問題だ! こんなところで逃げても何も変わらない!」
シャドウを追いまわす連中の事情というのは本当に身勝手で、歪んだ情報から全世界が敵になり、もう止める術もない。
封印されるのは構わない。
今、目覚める前にも、60年間眠っていたのだ。この先100年でも200年でもそう差はない。
運命なら受け入れよう。
なのに、
お前は、生きて、
コンコンと連続する鈍い音。銃弾がシャドウの前の壁に当たる。
ドアを破壊し入ってきた兵士たちが何かを叫んで、銃口がシャドウからそれてゆく。
また、血煙りが上がった。
「嫌だ! もう、誰も… キミを失いたくないのに!」
銃弾を受けた反動で、ソニックの身体が揺らぎ、レバーがゆっくり下がってゆく。
足元が星の重力に従って落ちる、その直前。
エメラルドの瞳は凪いでいた。
2010.03.07
雨降りだから、と、持ち込まれた家庭用プラネタリウム。
明りを消して、カーテンもブラインドもぴったりと締め切った部屋の真ん中へ、部屋の主のように置かれた。
家庭用の割に精度が高く、かなり暗い星まで正確な位置に再現されている。
ただ、四角い部屋なので、像は歪む。
「あれがオレの星。あっちがシャドウの星」
「リゲルとベテルギウスか」
「あれがオレの星。隣がシャドウの星」
「ポルックスとカストル」
ソニックが笑う。
彼には星の名前などどうでもよくて、対照的に輝くもの、と例えたいのだろう。
くるくると天球儀をまわし、光点が部屋中を流れてゆく。
「シャドウは?どれがお前とオレの星だと思う?」
「ミザール」
「どこだよ?」
指さそうとして、やめた。
その星を知られてしまうのが、恥ずかしかったからだ。
二重星だなんて。
大熊座、北斗七星の中にある有名な二重星ですお。
2010.03.12
とても不思議なことがある。
僕は、時折、涙が止まらなくなる。
ぽろぽろ、溢れて次々落ちる。
GUNの任務で誰かの血を流した時、感情に任せてキミを傷つけてしまった時。
決まって、マリアの夢を見るのだ。
悪い夢ばかりではなく、穏やかに、たった一人同士の、ともだちだった頃のことを思い出す。
そうだ、
僕が訓練で怪我をしたときに、マリアは声を上げて泣いたのだ。
とても幸せだった。
「…シャドウ、オレは平気だぜ?」
「キミなど、本気で殺そうとしても死なないクセに」
「それは、最後の最後でお前が手加減するからだろ?」
「怪我を…させてしまった」
マリアが僕の為に泣いてくれたように、声を上げて泣けたら胸のつかえがとれるかもしれない。
閉じた瞼の隙間から零れる水滴を、温かな舌がすくいあげるように舐める。
「キミは、何故、泣かない?」
「オレ!? さあ、何故だろうな」
クスクス笑いながら、僕を優しく抱きしめてくれる。
キミは、
泣き方を知らないのかもしれない。
2010.03.14