甘い、甘い匂いが小さな箱庭に満ち溢れる。



 不可侵領域に入り込んできた、人間どもを虫を潰すように殺してやった。
 シャドウの獲物を傷つけて、シャドウの獲物を犯そうとして。ソニックの血の匂いは強いアルコホルのようにシャドウを酔わせ狂わせる。血を、命の水を垂れ流しつつ、ソニックの瞳には恐怖ではなく情欲がある。
 彼がここに来て一日も経たないというのに、色んなことを起こしてくれる。

「またキミか。騒々しいな」

 言ってやると、僅かに怒る。唇の端から零れる血が何か言い返したい証拠だ。

 甘い匂いがまた濃くなって、シャドウの力が強くなる。侵入者たちの首を力の空間移動だけでねじ切った。恐怖の金切り声は、今のシャドウにとっては不快以外の何でもない。
 十字架をかざして必死に神に祈るものを嘲笑する。彼らの神も、都合のいい時ばかり祈られてさぞ迷惑だろう。

「そんなもの、ボクには無意味だ」

 目障りだ。
 力を集約した赤い槍は、侵入者を一瞬で焼いて灰にする。その灰も、ひと風吹けば散り消える。
 次々に消して、最後のひとりになった。
 それは、恐怖に震えながら、たったひとつの凶器を吸血鬼に向けた。



 あの時と同じ光景だ。

 近くの町から訪れた愚者は、マリアに恋をしていた。
 流行り病で死んだはずのマリアを見て、シャドウを殺そうと銃口を向けた。吸血鬼が死ねばマリアにかかった不死の呪いが解ける。


 そうだ、ボクが死ねばそれで、マリアはしあわせになれる…。


 やめて、シャドウを殺さないで


 ボクは死を受け入れることにしたのに。



 銀色の銃弾が撃ち出された。甘い濃霧のような空気を裂いて、シャドウの心臓をめがけて飛んでくる。死の一部始終を記憶に留めようとそれをじつと見つめていた。
 なのに、銀の矢は途中で別の心臓を貫いて勢いを失くし、古びた床の上にごとり、と落ちた。
 貫かれた心臓の持ち主は、ゆるりと回転しながら地に堕ちてゆく。

 その満足そうな瞳が許せない。


 許せない。


 怒りが頂点に達して、最後の侵入者も赤い波動で塵に還った。
 シャドウを狂わせる根源、ソニックも消してしまえ。そう、痙攣だけで動いている心臓を握りつぶそうとして、できなくなった。

 砂糖菓子の香りがそれを止めたのだ。慰めるようにふたりを包んだ。

 シャドウは命が抜けてゆくソニックの身体を胸に抱いてやる。
 赤が流れ落ちる傷を塞いで、僅かでもとシャドウにつなぎとめる。

「何故、こんなことをした」

 マリアと同じことを。シャドウを愛したマリアと同じことを。
 呪いはシャドウが死ななければ解けない。

「何故ボクを庇った。あのまま死んでも構わなかったのに」
「ハハッ… 死ぬ前に、一度くらい、オメデタイことをしても、いいじゃないか」

 ひとことずつ、思いを絞るように、押し出す言葉に湿り気が混じる。歌を口ずさむような言葉の中に、今までの束縛を自分自身の力で引きちぎって、吸血鬼を、シャドウを、命をかけて守ろうとした理由が横たわっている。
 信じられない、と、無視しようと決めていたこと。
 シャドウの視界が水膜で歪んでゆく。

「シャドウ…は、きれい…だ…なぁ…って…」

 途切れてゆく呼気に紛れて、ソニックはこの上なく幸せそうに死んでゆく。

 シャドウは濡れた瞳を閉じた。
 マリアに詫びる。彼女の愛を信じてやらなかったことを。
 手の中で消える命に許しを請う。再び束縛の中に、生を与えることを。


 甘い、砂糖菓子の匂いが立ち込める。彼女は許してくれるだろう。


「うつしよに別れを告げるがいい。汝、ソニック。キミをボクのものにする。…死に損ないだが、味は良さそうだ」


 ソニックの心臓が、最期のひと打ちを終える前に、シャドウはその首筋を通る生きた血液を吸い上げる。
 吸血により与えられる極上の悦楽と交換に、彼の命は永遠の常闇を燈し続ける光になるだろう。





 悪魔の愛とは、恐ろしきもの。
 けれど。
 受け入れることができれば、それは…。












おしまい。












途中にも書きましたが、
パプリカ〔赤〕別館 ナギーさんが描かれた吸血鬼なメモがこのお話の発端です。
改めてお礼を申し上げます。書かせて頂いて、本当にありがとうございました!

そして、
ここまでお付き合いくださった、あなたに、感謝を。
ありがとうございました!!

2009.06.25


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