大ベストセラードキュメント「仮面ライダーという名の仮面」を書いた白井虎太郎の元へ届くファンレターの中に、ひときわ目立つヒステリックな文字。
『剣崎一真に会わせて!!』
今月はこれで5通目、先月までで12通は来てる。
本の内容は、結末が少々変えてある。ジョーカーとなった相川始と剣崎一真は相打ちのようにカードに封印された、と。
これは残ったライダー、橘朔也の提案でもあった。万一、これから天王路のような世界の覇者たらんと野望を抱く者がバトルファイトに興味を持ったりしないように、それから永遠の命を持つアンデッドを世間から隠す目的のため。
本にはライダーズは一応偽名を使ったが、カードのモチーフがトランプだったり…特徴的な部分は変えようもなくて、解かる人間が読めば誰のことだかは一目瞭然。
けど、相川始は相変わらず姉さんの所で普通にウェイターをやってる、ということは、世間的には正体はバレていないのだろう。
剣崎一真の行方は知れない。少なくとも僕は知らない。
「どーしよー。まさか羽美ちゃんが剣崎くんを見つけちゃうとは思わなかったなー」
旅行先の人ごみの中で、見つかっちゃったらしい。他人の空似だとは思えなかったと。すごい自信だ。
それで、こっちに確認の手紙がやってくるようになった。最初の方の手紙はまだ穏やかだった。剣崎が封印されたなんてウソっぽいだとか、運命に負けないとか言ってた剣崎が大切に思う人を封印したりしないだとか。
結構解かってるなぁ、と感心してたら、彼女はすごい行動力で相川始を見つけ出し、剣崎が生きていることを確信したのだという。
それからは手紙の内容もどんどん大胆になり、ホントのことバラしちゃうぞ!とまで…。それはかなりマズイ。いろんな方面でマズい。
「まあ、ここまできたら、僕のところにたどり着くのもすぐだろうけどね」
来訪者の予感がして、そういえば紅茶ってどこにしまってあったっけ?と考える。
それよりも、昔の知人に連絡しておいた方がいいだろうな。
どんどんどんどん!!!ピンポンピンポンピンポン
「白井虎太郎さーん!宅急便ですよー!」
マンションのドアの向こうから甲高い女の子の声。
ちなみにココは宅急便の荷物は全部管理人預かりなんだよね。
「はーい!ハンコ用意してますから、ちょっと待ってー」
答えながら、これからの嵐も予感する。
嫌な嵐じゃなくて、曇り空を一掃するような、そんな嵐を。
「じゃあ、剣崎は人間じゃなくなっちゃった、ってこと?」
「そういうコトになるよね」
彼女に出した紅茶はすっかり冷めてしまった。
僕は3本目の牛乳を飲み干しちゃった。
「・・・牛乳、飲みすぎじゃない?」
「カルシウム摂っとかないと、つい怒っちゃいそうになるから」
「怒りたいの?怒ってるの?」
1つのドキュメントとして仮面ライダーを世間に公表したのは、謎の怪生物ダークローチが大量発生した事件の真相を説明をしたかったから。それを知らせることができるのは僕だけだと思ったから。
結末こそ真実とは違うけれど、それくらいは許されるだろう。剣崎と相川始を守るためだから。
彼女は、最初は剣崎が生きていると聞いて満面の笑みを浮かべた。
けれど。
「僕だって怒ってるよ。剣崎くんは始のために自分を犠牲にしたんだ。そのことで幸せになる人もいるよ。でも、僕だって友達だと思ってた。僕が後からこんなに心配してるなんて考えてなかったみたいにね」
「だから、結末を変えたんだ」
「僕にできるのはこれくらいだから」
4本目の牛乳瓶に手を伸ばそうとしたら、その横から出た手に掻っ攫われた。
仏頂面の彼女がそれを一気に飲み干す。
「・・・ホントだ。すこし落ち着くね、これ」
「羽美ちゃんも怒りが収まった?」
「まだ怒ってる。でも剣崎がアンタに何にも言わなかったのは、それだけ大事な友達だったからでしょ?」
そうだと思う。別れることが辛いから。あんな別れでも許してもらえると思ってるから。
そんな風に甘えられてるのも、本当は心地良い。
寂しさはどうしようもないけれど。
「・・・ねえ、剣崎を探したいんだけど、どうすればいい?」
「方法を知らないわけじゃないけど会いたがらないんじゃないの?前に逃げられたんでしょ?大阪だっけ?」
「神戸、慰霊のイベントにいたの。急いで追いかけたんだけど、追いつかなくて。後で剣崎の周りにいた人に聞いたら、バイクで新潟に行くって言ってたとか」
人を救いたい剣崎の願いは今も健在らしい。
バイクで新潟っていうのが考え無しみたいだけど…まあ彼のことだから大丈夫だろう。
「剣崎を探す方法って何?」
「ああ、あの頃アンデッドを探すのに特定の周波数を検出する機械を使ってたんだけど、それを使えば見つかるかも」
「じゃあ早速」
「僕は持ってないんだ」
「何よそれ」
「そのシステムを良く知ってる人を紹介するから、そっち当たってみてよ」
ちょっと待ってもらって、一通の手紙をしたためる。
広瀬栞宛てに。
丸ごと振ったら後で半殺しにされるかもしれないけど。
「はい、紹介状」
「ありがとう、ございます」
「殊勝になったじゃん」
「当たり前」
「剣崎くんに会えたらいいね」
「アンタは?会いに行かないの?」
会いたいよ。すごく、ね。
「僕はいつでも、いつまでも剣崎くんの友達だから。羽美ちゃんが剣崎くんに会えたら、そう伝えて」
彼女はビシっと立ち上がって、すごい勢いで親指を突き立てた。
「まかせて!必ず伝えるから!」
全然違うのに。
彼女と彼は全然違うのに、そのときの笑顔は何故か驚くほどそっくりだった。
「ねえ、剣崎くんに会ってどうするの?」
「別に。剣崎に会いたいから会いに行くだけ」
「どうして剣崎くんが私たちの前から消えたのか、わかってる?」
「だいたい、ね」
白井くんからの手紙を持って現れた彼女は、口調とはうらはらに、以前と同じ真直ぐな瞳で私を見返している。
けど、それは痛々しいほどの幼さのような気がして。
「普通の人じゃなくなっちゃったのよ、剣崎くんは。そのことを忘れていられるんなら、私たちは会わない方がいいかもしれないってそう思わない?」
「忘れてたって、いつか思い出すんなら同じじゃない」
「私たちは必ず剣崎くんよりも先に死ぬのよ。置いていかれることが辛いって解かってるんなら、それを彼に強いることも無いと思うけど」
「そんなこと、わかってる」
剣崎くんは死なない。死ぬことが許されない。この世の終わりが来るまで。
ただひとりの「同種」、アンデッドである相川始と会うことも無い。会えば戦ってしまうから。そしてどちらかが封印されれば、この世界は終わりになる。
剣崎くんは、この世界を終わりにしようなんて絶対思わない。どんな絶望が世界を覆っても、人間の優しい気持ちを信じてるから。
たったひとりで、永遠に。
「永遠って、ずっとってことでしょ。ずっとそうして誰とも関わらずに生きていくの?剣崎は」
「傷つかない生き方もあるでしょう」
「淋しいよ。そっち方が」
最初はジョーカーだった相川始が、少しずつ人の気持ちを知っていったのは天音ちゃんがいたから。
剣崎くんがジョーカーになったのは、本当に強くて、本当に優しい人間だったから。
二人の真の敵は、孤独なのかもしれない。
「羽美ちゃん。あなたは、剣崎くんを淋しくしないの?」
「そんなのわからない。けど、私は自分が淋しいのも、今、剣崎が淋しいのもイヤなの」
今だけ救われればいいのか。
でも、私たちに永遠は無いのだから、仕方が無い。
「私は剣崎に会いたい。剣崎と一緒にいたい。それだけの理由じゃダメ?」
ダメ、じゃない。
そうよね。剣崎くんは人間を愛してる。
だから、剣崎くんを愛してる人間がいてもいいじゃない。
「わかったわ。ちょっと待って。アンデッドサーチャーを起動してあげる」
「ありがとうございます!」
パッと花が咲いたみたいに笑う彼女は、どことなく剣崎くんに似てる。
不思議な感覚を抱きながら、久々にアンデッドサーチャーを立ち上げる。
いつもの起動音がして、・・・アンデッドの反応が無い。
「・・・壊れちゃったの?」
「そうじゃないの。一定以上の周波数を越えないと反応しないのよ」
失礼ながら、ハカランダ周辺に限定してサーチャーの反応を見てみるが、すっかり闘争本能を抑えてるもうひとりのジョーカーとハートのカテゴリー2にも全く反応が無い。
「壊れてるわけじゃないけど、これじゃあ役に立たないわね」
「えー!どうすればいいの?」
「烏丸所長のところに行ってみてくれる?このシステムを作った人だから、なんとか改良してくれるかも」
そのままパソコンから烏丸所長宛てにメールを送ると、驚くような速さで、OKの返事が返って来た。
「広瀬さんは、剣崎に会いに行かないの?」
「剣崎くんは…誰かがピンチのときに助けに行っちゃうヒーローだから。また私がピンチになったら助けてくれるって信じてる。それまでは、彼が元気だったらそれでいいの」
「広瀬さんがピンチのとき、かぁ」
「なかなか無いわよね」
「そんなこと無いんじゃない?」
じゃあ、いつか私を助けに来てくれるのかしら。剣崎くん。
歳をとってヨボヨボのおばあちゃんになって横断歩道を渡れずにオロオロしてたら、背負って歩いてくれるかもしれない。
それでも、会えたら、笑って会いたかったって言おう。
ふいに、羽美ちゃんが私を抱きしめてくれた。
「剣崎も、みんなに会いたい。それは絶対だから」
「剣崎さんを探しに行くって、本気なの?」
「本気じゃなかったらこんなとこまで来ないよ」
剣崎さんのことを思えば、探さない方がいいような気もするんだけど。
そう言いたい俺の心を読んだみたいな仏頂面。
烏丸所長に頼まれて、「機密」と封をされたままの書類箱を自分の私室へ持ってきた。所長室や所内の応接室には仕掛けられている盗聴器が、自分の部屋には無いからだ。
元BOARDという組織の、看板こそ代わっても中身はあまり変わりの無い遺伝子研究施設に大学を卒業したての自分が入り込めたのは、知識よりも自分の身体にある特殊な遺伝子のせいだろう。
「私は剣崎に会いたい。それだけ!」
「恐くないの?」
「恐くなんかない」
「バケモノだよ、あの人」
あの頃、化物になってしまった俺は、望美を、橘さんや剣崎さんを遠ざけた。
大切な人を遠ざけようとしたのは、カテゴリーA、スパイダーアンデッドの意思ではなく、俺の中に残っていた俺の意思だった。
「俺は、剣崎さんが消えてしまった理由がよくわかる。醜く変わった自分を見られたくないし」
「そんなの、あんたの主観で私がどう思うかは私の勝手でしょ」
「君みたいに、受け入れられるのも怖い」
望美も、君も、そうなのか。
真直ぐで眩しい光は強い憧れで、それを持たない俺はまた自分の醜さを思い知る。
「私は、剣崎に何も期待してないよ」
「じゃあなんで会いたいなんて思うの?」
「だって、ずるいじゃない。剣崎ひとりだけがヒーローだなんてさ」
彼女は僅かに緊張を解いて、どこか遠くを見る。
「そうだよ、あいつひとりがヒーローなんて許さない。剣崎を探して見つかったら、今度こそ私があいつを守ってやるんだから」
「女の子に守られるのも、あんまり嬉しくないと思うんだけど」
「あんたは、守りたい人、いるの?」
「いるよ」
「その人に守られたことって無いの?」
「あるよ」
「おんなじじゃない」
「違うよ」
「剣崎がバケモノだから?」
「そう」
「それでも、剣崎は剣崎だよ」
あまりに穏やかな様子に、説得を諦める。
彼女は、正真正銘剣崎さんのヒーローになっちゃうだろう。
剣崎さんは嫌がるかもしれないけど、きっと最初のひと山を越えたら剣崎さんも変わるかもしれない。
「・・・解かった。アンデッドサーチャーのデータを修正するよ。ここにしか残ってない剣崎さんの生体データがいっぱいだから」
「ありがとう!やったー、これで剣崎探せるね!」
「うーん、それはどうだか…」
やってみないと解からない、少し困ったように烏丸所長が言ってたけど、本当にやってみないと解からない。
完全に気配を消してるアンデッドを捕捉するなんて、以前の技術でも無理だったし。
「反応しないなぁ」
「・・・ダメ?」
「ここでは限界」
がっくりと肩を落とした彼女に、迷いながらもうひと言。
「このデータを持って、橘さんに会ってくれる?あの人が持ってるサーチャーなら剣崎さんを探せるかもしれない」
「ホントにぃ?」
「あんまり期待できないけど。ごめんね、あんまり役に立てなくて」
「そんなこと無いよ」
データを入れたハードディスクを手渡そうとすると、彼女はデータが入ったパソコンをぴしっと指差した。
「これ、あんたを探すこともできたりする?」
「うん、一応。サンプルで俺の生体データも入ってるし」
「ふーん」
彼女はデスクに置いてあったペンを嬉しそうに取り上げて、パソコンのスミにあるロゴ、Undead-searcherの文字を半分、横線を入れて消した。
「こっちの方がそれらしいよね」
新しく書き込まれた文字は、Hero-searcher 。
「壊れちゃってるんじゃないの?」
「少し待てと、何度言えば理解する?」
「だーって、もう3時間も待ってるのに!」
陸原羽美嬢は退屈そうに俺の手元を覗き込んだり、天音嬢と遊んだり、女子高生と言うヤツはこんなに忙しないものだっただろうか。それともやはり彼女だけが特別なのだろうか。
彼女が持ってきた剣崎のデータは旧BOARD時代のもの。サンプルとして入っていた睦月のデータもかなり重要だ。アンデッドへ変身するときの融合係数の変化値にサーチのタイミングを合わせれば、かなりの高確率で剣崎を探すことができる。
ただ、問題は。
ピピピピピピ、反応音がする。
バイクの排気音が近づいてきて店の前で止まった。
やっと帰って来たか。
「直ったの!?」
「始めから壊れてたわけじゃない」
「・・・ただいま」
買い物から戻ってきたのか、ハカランダの店内をくるりと見渡した相川始が俺を見つけて露骨に嫌そうな顔をした。
遥香さんと天音嬢には笑顔で挨拶をして、トレイに水をいれて真直ぐ俺と羽美嬢のところへ来る。
「注文もしないで何をやっている」
「今水気のあるものを置かないでくれ。サーチャーは防水仕様だが、他の機材は壊れるからな」
「その警告音を止めろ」
「ああ。・・・ほら、改良完了だ」
「ありがとう!これで剣崎探せるんだね!」
嬉しそうにアンデッドサーチャーを見つめる羽美嬢を横に、パソコンやハードディスク等等を鞄に詰める。
怪訝そうに立ち尽くしてる始。
「おい、ウェイター。ホットひとつ、キミはさっきと同じラズベリージュース?」
「うん!」
「ちょっと待て。剣崎を探すというのはどういうことだ?」
「言葉どおりだろう」
「そうだよ。剣崎に会いたいから探すんだ」
納得のいかない表情の始。あんな顔もするようになったのかと思う。
「喜んでいるところに申し訳ないが、今の感じではそのサーチャーで剣崎が見つかるのは、剣崎が半径1km以内にいるときくらいだろう」
「え…えー!?随分近いところしか解からないんだね」
「元々近距離にいるアンデッドを探すための携帯用で、広範囲には向かない。それに完全にアンデッドとしての気配を消しているんだからな」
「うーん、なんだかよく解からないけど…まあ、いいや」
ウェイター始がコーヒーとジュースを置く。
その始に羽美嬢は自慢げにサーチャーを見せびらかした。
「ああそうだ、橘さん?は剣崎を探すこと、反対しないんだね」
「しない」
「でも、橘さんが剣崎を探すこともしないんだね」
「探さなくても会えるだろう」
俺が剣崎のことを考えているときは、剣崎に会っているように思う。
剣崎も俺たちのことを考えるだろう。そのときは剣崎は俺たちと会っている。
心は離れていない。
「それよりも俺は、今のあいつの方が安心だ」
「なんで?アンデッドになっちゃったんでしょ?」
そう。アンデッド、不死の肉体。
だからあいつは姿を消した。
「昔のあいつは自分自身に悩みや弱みが無かった。痛みや苦しみも全部力に変えることができる、ただ、人を愛して人を守っていた」
「ヒーローじゃん」
「普通の人間なら誰だって他人に見せたくないところがある。昔のあいつにはそれが無かった」
「今は…アンデッドになっちゃったことがいいことなの?」
「剣崎は、今も人だ」
人でなければ、消えてしまったりなどしないだろう?
あいつは、一人の、弱い人間だ。
「剣崎を頼む」
「まーかせて!絶対見つける!」
困難ばかりの捜索になるだろう。
なのに、羽美嬢はとびきりの笑顔を見せる。
根拠の無い自信は剣崎を思わせる。
「ああ、ついでに見つけたら一発殴っておいてくれ」
「…一発でいいの?」
なかなかハードなお嬢さんだ。
がんばれよ、剣崎。
「剣崎を探しに行く前に、どうしても聞いておきたいの」
大きすぎず、小さすぎずの袋の中には、彼女一人が生きてゆく最低限のものだけが詰め込まれている。
あの日、剣崎が姿を消した時と、同じ、別れの予感がする。
彼女は剣崎の傍へ行く。
そして、その傍から決して離れない。
「アンタ、今、幸せなの?」
「何故そんなことが聞きたい?」
「だって…、無理して笑ってない?」
不機嫌そうに言ってから、くるりと背を向ける。
不思議な錯覚。
「天音ちゃんも遥香さんも幸せそうだし、ハカランダにはライダーの人達も時々来るんでしょう?」
「ああ。皆、俺の様子を見に来る。きっと励まされているんだと思う」
「励まされてるって…もう、しっかりしてよ!」
しっかりしろよ、始。
振り返った彼女の瞳の光は強い。
「アンタが幸せに笑ってなかったら、剣崎も甲斐が無いよ?」
「俺は、あいつの人としての幸福を奪ってしまった」
「…剣崎らしいよね。みんなが幸せになることしか考えてないんだよね」
「あいつは、幸せなんだろうか」
ただ、それだけが気がかりで。
「大丈夫!アンタはアンタで幸せになりなよ」
「永遠に生きて、永遠に死に逝く人を見送りながら、か」
「そうそう。それでも幸せになるんだ。どうすればいいか、わかってるよね?」
幸せになること。
人を愛すること、人に愛されること。
剣崎が、俺にくれた、幸せ。
「剣崎のことは私にまかせてね」
「剣崎のことを、愛しているのか」
「やーだもう!そんなのわかんないけど、とにかく幸せにするから。絶対幸せにしてやるから!」
彼女は頬を赤く染めて、俺の背を軽く小突く。
ひらり、と鉄柵を飛び越えて、彼女は小型のオフロードバイクに軽く跨った。
背後の店の扉が開いて、天音ちゃんが俺の隣に並ぶ。
「羽美さんっ!もう行っちゃうの?また来てくれる?」
「うん!きっとまた来る!だから天音ちゃんはそれまで大好きな人の傍から離れちゃダメよ!」
びっくりしたように天音ちゃんが俺を見る。
視線が合ったのが嬉しくて笑いかけると、天音ちゃんは頬だけじゃなく耳まで赤くして、そっぽを向いてしまった。
バイクの排気音に軽い笑い声が混じる。
「じゃあ、またね!」
「ああ」
指先だけで挨拶して、彼女はここを離れてゆく。
剣崎に会うために。
彼女とあいつの幸せのために。
「始さん。あのね」
遠く、小さくなってゆくバイクを見送りながら、天音ちゃんがそっと寄り添う。
「私、ずっと始さんの傍にいてもいい?」
返事の代わりに、出逢った頃よりも少し大きく、柔らかくなった肩を抱き寄せる。
俺の、幸せを。
「羽美ちゃん!!」
林道をそれてかなり滑り落ちた急斜面に、彼女は引っかかっていた。
この道を使ってるのは自分だけだった。今日初めて自分以外の車輪跡を見つけて、不思議に思っていた。誰が?と。
数ヶ月前から隠れ処に使わせて貰ってる廃屋へ続くその林道は、通う人が無くなってから林の落ち葉にかき消されて、通いなれている自分でさえも何度かアクロバティックな走りをする。
誰かが、自分を追って?
そう考えてると、突然車輪跡が消えた。湿った落ち葉が斜面下へと続いていた。
始、睦月、橘さんなら、落ちたりはしないだろう。
じゃあ、誰が?
ブルースペイダーを操って50メートルほど降りたところで、フロントフォークが曲がって使い物にならなくなったバイクがあり、さらに下に、彼女がいた。
ヘルメットが外れて、力無く倒れている。擦過傷だらけになっている頬に触れると驚くほど冷たかった。
「嘘だろ…羽美ちゃん、なんでこんなところに…」
自分を追って着たのだろうけれど。
どうしてこの場所が解かったのか。
どうしてこんな無茶までして来たのか。
自分にそんな価値など無いのに。
少しでも温めたくてグローブを外して細い肩を抱き寄せると、身体のどこかが痛んだのか、彼女が薄く目を開けた。
「…羽美ちゃん、気が付いた?」
「け、んざき?…まじで、剣崎?」
確かめるように目を大きく見開いて。
それから、すごく嬉しそうに笑った。
誰かの、こんなに幸せそうな笑顔は久しぶりで。もう二度と会えないと思ってたのに。
俺は少し、泣きそうになってしまう。
「良かった、ちゃんと生きてて。薬とってくるから、ちょっとこのまま待っててくれる?」
「や、だ、剣崎!もうどこにも行っちゃ、やだ」
身体を離そうとすると、彼女は痛みに顔を歪ませながらも力の入らない腕を泳がせて、俺の上着を掴む。
小さな子供が迷子になってやっと母親に会えたときみたいに。
「大丈夫だよ。こんな怪我してるのに、一人ぼっちにさせたりしないから」
「そうじゃないよ、剣崎。じゃあ私の怪我が治っちゃったら、どこかに行っちゃうの?」
「羽美ちゃん、あの、さ」
「ダメだよ、そんなの。そしたら私、死ぬからね!今、ここから落っこちて死ぬからね!」
俺を引き止めるための暴言なのだと思う。でも、本気だとも思う。
「剣崎、どこにも行くな。どこにも行かないで。…バカ剣崎」
「バカで悪かったな。…どこまで俺のこと知ってんの?」
彼女は少し安心したみたいに笑った。俺の服を掴む力はほんの少し強くなった。
「白井虎太郎に会ったよ。本、読んだ?剣崎のことすごく良く書いてあったよ。
広瀬栞さんに会って、烏丸って人のところに行ったら上条睦月くんがいて、みんな剣崎のこと、すごく心配してる。
みんなに協力してもらって、橘さんに剣崎サーチャーを作ってもらったの。
ハカランダの天音ちゃんも天音ちゃんのお母さんも元気だったよ。
それから相川始さんは、幸せだって」
懐かしい人達の名前。
皆、俺のことを少し気にしながら、俺がいなくても、暮らしていける。
「剣崎は?」
「え?」
「剣崎は、皆と別れて幸せになったの?」
きっと、同じことを始にも聞いたんだろうな。
俺と同じ、アンデッドだから。ジョーカーだから。
「うーん、でも誰も不幸にはしてないよ」
「やっぱり剣崎は変わってないよね。嘘つけないんだもん」
羽美ちゃんも全然変わってない。
違う。
少し、変わった。
強くなった。
「俺、死なないんだ」
「知ってるよ」
「今、羽美ちゃんが死んじゃっても、100年後に死んじゃっても、俺はずっとひとりで生きていくんだ」
「それ、やなことなの?そりゃちょっと普通じゃないかも知れないけど、普通じゃない人なんて誰もいないよ?」
老いも病も無い、「ただそれだけ」。
それが、幸福なのか、不幸なのか、今決めてしまうのは早計なんだろうか。
「この先ずっと、永遠に見送って生きなくちゃいけないんだ」
「ねえ、剣崎。私を最初に見送るひとにして。私、剣崎に見送られたら幸せだなぁ、きっと」
「…それって俺が不幸だと思わない?」
「思わないよ。だって、私が幸せだったら、剣崎も幸せだもん。絶対」
随分前に、羽美ちゃんとヒーローの話をしてたっけ。
彼女ひとりだけのヒーローになるって。
今、傷だらけになって俺を探して、幸せ宣言してる、彼女が一番のヒーローだと思う。
「剣崎はバカだと思う。私も、自分のことバカだと思う。バカがふたりになったら、少しは賢くなれるかも」
「ただの、ふたりバカかもしれないぞ?」
「それでもいいよ」
腕の中で、気が緩んだのか羽美ちゃんの力が抜ける。
笑んだまま目を細めたので、そっとキスをした。
俺は、幸せだ。
「羽美ちゃん、血の味がする?」
「最低〜!剣崎最低!バカ!キスしといて最初に言うことがそれ!?」
叫んだと思ったら、その後ちょっと咳き込んで、後ろを向いて何かを、血を吐いた。
まさか、あの時みたいに、何かの病気で血を吐いて…ってあの時はジョークだったけど。
「また吐いた?血だろ!?大丈夫?」
「またって何?…ああもう、落っこちたときに口の中切ったみたい。喋ってたら痛んできちゃった。あーあ、お腹すいてきたのに、何にも食べられそうにないなぁ」
「え?それだけ?他に怪我は?」
「ちょっとあちこち痛いだけ。平気…だけど、バイクは死んじゃったみたいだね」
「…メットは?」
「もうちょっと下に落っこちてると思う。剣崎サーチャーが鳴ったから慌ててバイク止めて確認しようとしたらサーチャー落っことしちゃって、慌てて追いかけようとしたら落ち葉でタイヤが滑っちゃって」
「解かった解かった、口痛いんなら喋んなくていい。メット取ってきてやるからホントにちょっと待ってろ」
「剣崎のバイクに乗っけてくれんの?やったー!」
「何喜んでんだ?」
「だってー」
子供みたいに笑っている彼女。
人であることを捨てた俺に、人であったときの幸せを思い出させてくれた。
そして、人で無くなった俺に、人の幸せを教えてくれた。
「剣崎―!改めて聞くけどさぁ。幸せって何だと思う?」
「うーん、羽美ちゃんとラブラブ?」
「…バカは死んでも治らないって言うし。死なないバカ…か」
彼女の存在がある今、そして存在を無くしてしまったとしても。
俺の存在がある永遠のその先にも、想いを伝えてゆきたい。
大切な仲間たちと、大切な人の幸せを守ることが、俺の幸せだから。
2005.03.22