040.
月の慰め



午前4時。
突然鳴り出した携帯が、深い眠りから意識を引き摺り出す。

誰だろう?いたずら?
じゃなくて、この呼び出し音は睦月?
…何か、あったのかな?

「はい、…こんな時間にどうしたの?睦月」
『…あ、遅い時間にすまない。橘です』

どうして、睦月の携帯から橘さんが?
病院から…睦月が怪我をして?

『さっきご両親が来て睦月に付き添ってる。望美ちゃんに知らせると睦月が怒るかと思ったけど、知らせないと俺が望美ちゃんに怒られそうだと思って』
「正解です、橘さん。今から私も病院に行きますから」
『朝まで見舞えないよ』
「いいんです。睦月の側にいられれば」

急いで仕度をして家を飛び出し、自転車を走らせる。
夜半過ぎまで降っていた雷雨は、冷たい霧雨に変わってる。
車も人も通らないのに皓々と白い街灯に照らされた道が悪夢の続きのようで、髪に纏いつく水滴が酷薄な現実へ続いてるようで。

病院に着くと、僅かに明るい夜間専用の入り口前に黒い人影が見えた。軽く手を振ってる。
自転車を止めて、小さくせり出したその屋根の下へ向かって歩いてゆくと、その人が白いものを吐き出した。

「橘さんって、煙草吸うんですね?」
「…時々。中、入ろう」

橘さんは煙草の火を消して、小さな筒の中に吸殻を入れた。(携帯灰皿ってこんなのなんだ…)
そしてポケットの中から睦月の携帯を出して電源を切って私に預けてくれる。慌てて私も自分の携帯の電源を切った。
ドアを入ってすぐの守衛さん(?)の前を軽く会釈して通って、消灯した暗い廊下を抜けて、誰もいない広い待合室を抜けて、階段を3階まで上がる。
病棟の前にある小さな待合まで来て、橘さんは勝手知ったるという風に壁際の空調の電源を入れた。

「ここで待とう」
「ここって、外科、ですよね?あの、睦月の怪我って…」
「額をやられた。咄嗟に身を引いたみたいだが避け切れなくて」
「それ、で?」
「傷は大きい。雨のせいで出血も多く見えた。今は意識も無い。でも大丈夫だ」
「そんなっ!大丈夫って…」
「ここの医者たちは睦月の回復力に驚くだろうな」

橘さんは睦月の、怪我のことは全然心配してないみたいに苦笑してる。

「どうして橘さんがそんなこと言えるんですか?」
「俺、医師免持ってる。それにあいつはライダーだ」
「ライダーだったら、みんな怪我の治りが早いんですか?」
「…難しい話、平気?」

試すような橘さんの視線に、ちょっとムカついた。
だから頷いた。
でも、始まった話は…細胞分裂がどうとか、死なない生物と同調させる遺伝子とか〜、てろめあが〜、ゆーごーけーすーが〜、じこしゅーふくがなんとかかんとか〜
きっと橘さんにすれば解かりやすく噛み砕いて説明してくれたんだろうけど、

「すいません、わかりません」

結局謝った。
橘さんは軽く噴出して笑った。

「睦月と同じ反応だな」
「悔しいから勉強して、橘さんの歳にはわかるようになりますから!」
「うん、期待してる」
「……睦月の怪我は、大丈夫なんですね?」
「怪我は、ね」

含みのある言い方に、胸がちくりと痛む。

「睦月は悪意のある嘘に慣れてない。もちろん、幾度裏切られたって慣れることなんてできないが、あいつ、…傷ついただろう」

何があったのか、詳しいことは解からないけど。
橘さんが夜も明け切らないうちに私に電話をしてきた理由は解かった。

睦月が怪我をしたのは、心なんだってこと。

「橘さんも、ありがとうございます。睦月のこと、本当に心配してくれて」
「俺にできることなんて何も無い」
「そんなことないです」

待合の向こう、通路の奥からカシャカシャと何かを運ぶ音が聞こえる。
窓の外に目を向ければ空はもうすっかり白くなってる。
橘さんが濡れた上着を掴んで立ち上がった。

「明けた、な。睦月のこと、後は望美ちゃんに任せるよ」
「はい、解かりました。橘さんもあまりムリしないでくださいね」
「無理なんて…。俺の保護者はしなくていいよ、望美ちゃん」
「あ、酷い!お医者さんだったら、煙草吸ったりするのも止めた方がいいんじゃないですか?」
「長生きする予定じゃないから」
「た、橘さん!!本気で怒りますよ!」

珍しく声を上げて笑って、橘さんは後ろを振り返りもせずに歩いて行く。

入れ替わるように表れた明るい笑顔のナースが私をみつけた。

「お見舞いですか?もう少しだけ、ここでおまちくださいね」



end




のぞみちゃんとたちばなさんがなかよくしてんのが、わたしはホントにスキなんです。
睦月の満月と新月って感じで。

2005.01.06


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