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(1) A True Story (真実の話)
 


”しらんぷり”といえば、かわいい女学生が追いかける男子生徒を軽くあしらう様子を思い浮かべるかもしれない。

しかし、この言葉は今の世相を端的に言い表す言葉ではないかと思う。


“しらんぷり”
”知らん振り”
”頬かむり”
”ほったらかし”
”見て見ぬふり”
・・・

ほら、だんだんと悪いイメージになってきました。

震災が引き金となった原発問題、日本は唯一の被爆国であり、核の怖さについては身に染みて分かっていたはず。
なのに、これまでその増殖を止められなかった。
もし、原発で事故が起こったら、もし外部に漏れ出したら・・・
核は恐ろしいということについて、日本人100人のうちおそらく99人はイエスと言うでしょう。
原発の怖さについては、少しの想像力があれば誰にでも予想できたはずです。
なのに、ここまでなくてはならない社会インフラになってしまったのには、冒頭に触れた” しらんぷり”があったのではないでしょうか。


「自分の住んでいるところから離れているから。(まぁいいや)」
「そんなことより、他の発電方法より安く電気が作れるんだから。(本当はそうじゃないんだけど)」
「温暖化の原因になるCO2を出さないから(それはいいじゃん)」


確かに地球温暖化や資源浪費の抑制が叫ばれる中、原発のメリットはあるかもしれませんが、
メリットとデメリットをトータルで考えたら、…さてどうでしょうか。
ここまで言っても、反対する人はおそらく100人中50人くらいでしょうか?
今は福島の件があったから、もう少し増えているかな?
いやしかし、先頃の東電の株主総会では反対票が数%だったとか。
いやあれは、組織票が多かったと考えられるから…、本当のところはどうなんでしょう?


それでは、先ほどの質問を次のように言い換えてみましょう。

「あなたの街に原発ができることになりました。さてどうですか?」

この質問なら、多分、100人中90人以上が反対意見に変わるでしょう。
さっきと何が違うのでしょうか?

その根底には” しらんぷり”の気持ちがあるからではありませんか?

”人の痛みにしらんぷり”
”人の辛さにしらんぷり”
”人の不幸に…しらんぷり”


玄関前の落ち葉を隣の家の前に掃き捨てて、自宅の門前はきれいにする。
この気持ちがあるからでしょう。

生き物は、たとえ愛情をかけられなくても死にはしませんが、存在を無視され続けたら死んでしまうそうです。
積極的な感情は持たないにしても、せめて相手の立場に立った判断ができていたら、結論は変わっていたのではないでしょうか。


同じような事例に沖縄の基地問題もあります。

本土から遠く離れているから、もともと米国の占領地だったから、仕方ない。
これも同じことが言えませんか?
頭の真上を轟音を響かせて飛んで行く戦闘機のことをどう思うでしょうか?
基地問題が進展しないのも、大多数の国民に自分には関係のない話だからという考えはありませんか?
いくら、沖縄県知事が頑張っても孤軍奮闘、勝ち目はありません。
「お国のために辛抱してくれ」、要はこういうことでしょう。

身近なところでは、
いじめられる人を見て、しらんぷり。
道端にゴミを捨てる人を見て、しらんぷり。
...

これって根っこは同じじゃないですか?


話は変わりますが、企業経営の世界では、10年以上前から連結経営が常識。
グループ会社全体の経営数値を合算してみなけりゃ本当の企業の姿は見えないということ。
もう一つ、全体最適というのも常識。
一つの部署(会社)のメリットを追求する個別最適ではなくて、全社(グループ全体)のメリットをどう追求していくか、ということ。
企業で働くサラリーマンにとっては常識です。


玄関の落ち葉を隣の家の前に掃き捨てるのは自宅最適、
そんなことをしたら自分はいいけど、隣の人が不利益をこうむる。
だから、落ち葉そのものを掃除してゴミ箱に捨てるのが常識。
さらに隣の人が留守をしていれば、ついでに隣の門前まで掃いてあげる。
ここまでできたら地域最適。

これからの世界はグローバル化、グローバル最適で考えないといけません。
グローバル最適とは地球最適ということ。


地球人はみんなどこかでつながっています。
“しらんぷり”などありえません。
相手の立場を考え、全体のリスクとプロフィットを考えられる想像力を養いましょう。


2011年8月6日 盛夏
第66回 原爆の日
The day, we Japanese must not forget.