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(1) A True Story (真実の話)
 


最近、やけに目につくエコロジーというセリフ。
新聞紙上でもエコと名の付く広告や新製品の多いこと。環境に配慮した企業活動の標準としてISO14001がもてはやされ、これを取得していない企業は時代遅れでもあるかのように見られる世の中。
天文と自然を愛する「悠久のしらべ」としては、これはこれで結構なことだとは思うのですが、やや流行のような気がしないでもありません。

ところで、皆が本当に、心の底から地球のことを案じて行動しているのでしょうか。
環境に配慮したハイブリッドカーが売上げを伸ばし、消費電力の少ない液晶テレビがもてはやされている一方で、安易に捨てられる残飯やポイ捨てされたペットボトルを見る時、本当に地球環境のことを考えてエコが浸透しているとは思えないのです。
エコの名の下に偽善者になっていませんか、エコを商売の道具にしていませんか、...

CO2が増えているのなら、空気中のCO2を地中に埋め込む技術を開発すればよいではないか、という話も聞いたことがあります。
確かに、CO2は減るでしょう。
でも、それって根本解決になっていますか?
このような地球環境にしてしまったのは、これまでの私たちの生き様が問題なのであって、二酸化炭素を無理やりねじ伏せる技術を開発するという発想自体が、これまでの科学技術一辺倒の路線から何も変わっていないのではありませんか?
「科学の進歩で自然でさえも意のままにできる」というおごりが今の状況をもたらしたのではありませんか?


私は思うのです。
本当に国民のみんなが地球のことを案じているならば、格好の良い流行の商品などではなく、自分がすぐにできる身近な行動に出るべきではないでしょうか。

エコの押し売りは要りません。
本来の私たちは、生きていくために最低限の生活必需品があれば幸せになれるはずです。
モノが豊富にあれば幸せと勘違いするのは、隣人と自分とを比較するからなのです。
それはエコではなく、エゴと言います。
テクニックに走りすぎる前に、まず私たちのモノに対する欲求を正すこと、ひいては私たちの生き様を正していくことの方が大切なのではないですか。


先日、また通り魔事件がありました。

エコに傾注するばかりではなく、もっと他にも心を注いでいくべきことがあるのではないでしょうか。
慢性的に心を病んだ現代人が癒されるためにはどうすべきなのでしょうか、
正面を見ることのできなくなった子供たちに前を向く勇気を奮い立たせるにはどうすべきなのでしょうか、
行き過ぎた勝ち負け社会を改善するにはどうすべきなのでしょうか、
そして、大人も子供も天真爛漫に伸び伸びと生きられる社会はどうしたら実現するのでしょうか。

流行のエコをもてはやすばかりでなく、この国を、この地球を本来の姿に戻していくにはどうすべきなのかを真剣に考えるべき時期にきているのではないでしょうか。

その過程で、環境問題も解決するような気がするのです。
全ての問題の根っこは同じだと思うのです。

(2008年6月10日 記)