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(1) A True Story (真実の話)
 この話は、私の支持する田坂広志氏(多摩大学大学院教授、シンクタンク・ソフィアバンク代表)の講演会からの抜粋です。



人は何のために働くのか。この深遠なテーマについてお話する前に、「二人の石切り職人」という寓話を紹介しましょう。



旅人が、ある町を通りかかりました。
その町では、新しい教会が建設されているところであり、建設現場では、二人の石切り職人が働いていました。その仕事に興味を持った旅人は、一人の石切り職人に聞きました。
「あなたは、何をしているのですか」
その問いに対して、石切り職人は、不愉快そうな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに答えました。
「このいまいましい石を切るために、悪戦苦闘しているのさ。」
そこで、旅人は、もう一人の石切り職人に、同じことを聞きました。すると、その石切り職人は、表情を輝かせ、生き生きとした声で、こう答えたのです。
「ええ、いま、私は、多くの人々の心の安らぎの場となる、素晴らしい教会を造っているのです。」
どのような仕事をしているのか。それが、我々の「仕事の価値」を定めるのではありません。その仕事の彼方に、何を見つめているのか。それが、我々の「仕事の価値」を決めるのです。



私は、55歳になった今でも、この寓話が胸に響きます。日本という国に伝わる素晴らしい言葉を思い起こすからです。
「一隅を照らす、これ国の宝なり。」
最澄の言葉です。そして、この寓話は、我々が、その後姿を通じて次の世代に伝えるべき大切なことを教えてくれるからです。

それは、「仕事の報酬」とは何かということです。
仕事には、「給料や年収」「役職や地位」といった目に見える報酬だけでなく、実は、目に見えない三つの報酬があります。
第一は、「働き甲斐のある仕事」、第二は、「職業人としての能力」、第三は、「人間としての成長」です。
では、働き甲斐とは何か。
それは文字通り「傍(はた)を楽(らく)にする」ことの喜び。周りを幸せにし、世の人々を幸せにする喜びです。この二人目の石切り職人は、まさに、この「働き甲斐」という報酬を得ているのでしょう。
しかし、ただ「仕事の彼方」を見つめているだけでは「働き甲斐」は得られない。「職業人としての能力」を身につけなければ、「傍」を「楽」にすることはできません。正しく石を切る腕を持たなければ、この二人目の石切り職人は、単なる「夢想家」に過ぎない。
しかし、我々が腕を磨くならば、それに連れて、「傍」が広がっていく。最初は、「職場の仲間」を楽にすることから始まる。新人の頃、上司から「助かったよ、ありがとう」と言われた時に感じた喜び。これが最初の報酬でした。その「傍」が、腕を磨くに連れて、「多くの顧客」へ広がり、「社会全体」へと広がっていく。

このように腕を磨くと、「働き甲斐」が広がっていくのですが、実は、腕を磨くということこそそのものが、既に報酬なのです。なぜなら、、自分の中に眠る可能性が花開いていくことは、それ自身、無条件の喜びだからです。
では、自分の中に眠るその可能性は、どうすれば花開くのか。

大リーグのイチロー選手が、かつてハドソンという投手に何試合も押さえ込まれていたとき、インタビュアーから「彼は苦手のピッチャーですか」と聞かれました。それに対して、イチロー選手は、こう答えました。「いいえ、彼は、私というバッターの可能性を引き出してくれる、素晴らしいピッチャーです」
この言葉は、我々の人生と仕事における「苦労」や「困難」の本当の意味を教えてくれます。
それは、出来ることならば避けて通りたい「不運な出来事」ではない。
それは、我々の人間としての可能性を引き出してくれる「素晴らしい機会」なのです。

そして、腕を磨いていくと、必ず、第三の報酬、「人間としての成長」も得ることが出来ます。なぜなら、「腕を磨く」ことを求めて歩むと、我々は、単なる技術習得の世界を超え、心構え、心の姿勢、心の置き所、心得などを身につけなければならず、自ずと「人間を磨く」という世界に向かっていくからです。
そして、成長するにつれて、我々は、「心の世界」が見えるようになってくる。最初は、「相手の心」。部下の心や顧客の心が見えるようになってくる。次が「集団の心」。職場の空気や雰囲気を敏感に感じ取れるようになってくる。最後が、「自分の心」。いつか、己の心の奥深くのエゴの動きも見えるようになってくる。
そして、最後に、我々が為すべきことがある。
我々が「仕事の彼方」に何を見つめて歩んだか。そのことを、次の世代に伝えること。我々の「志」を伝えること。
我々の仕事は、いずれ次の世代への「礎」。そうであるならば、次の世代が、その「志」を受け継ぎ、さらに高き頂に向かって歩む姿を見るとき、我々は、そこに、最高の報酬を見るのでしょう。

田坂広志氏のサイトはこちらをご覧ください。未来からの風

(2006年11月28日 記)