中国の今 トピックス  "Topics"

2005年の夏から一人で語学留学し、「大丈夫か?」と大きな不安と未知の世界に対するわくわくした期待とが交錯していました。ビジネスとか観光で海外と言うのは何度か経験していたのですが、言葉が通じない所にいざ一人でとなると、「何と自分は何も出来ないのだろう」と改めて「一人」の無力感に襲われました。そんな中、幾つか出会った人の親切は骨身にしみてうれしいものでした。政治やビジネスの世界とは違う「人情」は、特に東洋人には似たところが有るように思います。
下記に 拙い文章ですが、日誌風に書き出しました。ご笑覧下さい。
 
2005年7月14日、関西空港を飛び立って北京経由で渤海湾に面した秦皇島に入りました。18日から約1ヶ月の夏季短期語学研修を受けるべく燕山大学の外国人語学留学生として入学しました。この春以来の反日行動の激化で、家族や友人の心配や反対を受けましたが、なんとなく今こそ本当の中国を見たいと言う気持ちが強まり、昔若い頃にあこがれた外国留学を定年退職後の今やっと実現させました。その時の一般庶民との触れ合いです。

第一話 北京駅「待合室」
その日北京駅は朝の6時頃から混んでいた。私の泊まったホテルが北京駅の直ぐ前だったので時々窓からその風景を眺めていた。通勤時間が早いのか?それとも地方からの夜行列車がひっきりなしに到着するのか?その内収まるだろうと思っていたら、とんでもなかった。私の乗る秦皇島行きの汽車は午後2時出発であったがこの頃が最高に混雑していた。その間、混雑は一度も収まらなかった。やはり広い中国の首都だ。一日中通勤ラッシュみたいな感じがする。私の乗る秦皇島行きの列車は北京の友人が指定席の切符を取ってくれた。駅構内には入口にあるX線の持ち物検査を受けねば入れない。30分前に入り、友人から聞いていた有料の待合所に行った。入口のおばさんが切符をじっと見て何か言った。わからないと首を横に振ると何度か大声で「お前はあっちだ」と指をさす。腕時計を指差しもう時間が無いとの素振り。指定席だから未だ時間はあると思いながら躊躇していると、とうとう台の向うから出てきて一緒にこいと言うしぐさ。有料待合所の受付の仕事もほっぽらかして、私を奥のほうにある一般の大きな広い待合室に引っ張っていった。そこは大勢の人達でごった返していたし、入口からあふれて外にはみ出していた。入口の人を掻き分け中に入ったが、おばさんは左の奥の50m以上はある先頭を指差し「あそこに行け」という。この人混みの中を、肩から掛けたカバンにパソコンを入れ、大きなスーツケースを転がしながらどうやって行けるのかと気が遠くなりそうであった。「おばさん、有難う。もう判ったから早く受付に戻って。」と身振り手振りでお礼を言ったのだが、しかしおばさんは腕時計を指差し「早く行け」と言う。仕方なく「謝謝(シェシェ)」と言って進みだした。「おばさん、本当に有難う。」と心で叫びながら、一歩前へ、二歩前へ。スーツケースを押しているものだから皆少しづつよけてくれて半分くらいまで来た。しかしここで立ち往生。にっちもさっちも動かない。「もう改札は始まっているのだろうか?」それにしても動かない。汗びっしょりだ。途方にくれて汗を拭き拭きしゃがみこんだ。その時近くにいた高校生か大学生くらいの女の子が「何処に行くの」と英語で聞いてくれた。指定切符を取り出し見せた。その切符を見ながら女の子は「私も同じ列車に乗ります」と言った。「ああ、やれやれ、これで助かった」と思った。「地獄に仏だ」。早速「何故動かないのだ?」「もう後15分しかない」と質問すると、「間もなく改札が始まる」との事、ホッとした。又この改札が凄かった。指定でない人達の先陣争いであろうが、それならもう少し早く改札を始めてくれたらと恨めしく思った。指定席切符を持ちながら何でこんなに苦労するのか想像出来なかった。彼女はホームに下りても私の指定席列車の前まで連れて行ってくれた。

この写真は8月末に二度目に行った時の有料待合室の写真です。

第二話 「散髪」
中国で二回目の散髪に出かけた。秦皇島のあまり綺麗でない住宅街のゲタ履きアパートの一階にある若いお兄ちゃん夫婦の洗髪付きで5元、約75円の店に行った。客は私一人で直ぐに腰掛けて散髪が始まったが、暫くして奥さんが弁当風の夕食を買って帰って来た。私の顔を覗き込み「ニーハオ」と挨拶してくれる。前回の訪問を覚えていて日本人が余程印象に残っていたのだろう。確かにこんな住宅街のお店に日本人が来るはずがない。初めての日本人だったかもしれない。その後である。散髪をしてくれているお兄ちゃんが大きな声で、私の顔を覗き込みながら何か叫び出した。最初は髪の形か何かの質問かと思ったが、私が「判らない」と首を横に振っていると、今度は奥さんが横から顔を出し、指で何か四角の模様を作り同じようにしきりに何か私に話しかける。私が理解できないことが判るとあきらめて二人とも黙ってしまったが、その後奥さんは今買って帰った夕食を広げて食べ始めた。そこでハット気がついたのだが彼等は私に「食事をしないか」と勧めていたに違いない。洗髪も終わって、私がポケットからお金を出して5元を払おうとすると、また大声を出して受け取ろうとしない。何度か押し問答をしていたが二人は「朋友(ポンヨウ友達)」と言ってどうしても受け取らない。私は電子辞書を取り出して「間もなく私は日本に帰る。もう来ない。」「だからこの5元は受け取って」と言ったのだが如何しても「朋友」と言って受け取らなかった。たった5元の話だが10分くらい押し問答をして、私はその店を出た。5元の散髪代をプレゼントして貰った。何かしらうれしくて何度もその店を振り返りながら帰った。


第三話 「スーパーでの買い物」
これも秦皇島でのあるスーパーの買い物中に起こった出来事です。寮の近くなので、いつも買い物はここでするのですが、たまたまここの主人が(40歳くらい)日本語を勉強していて少し日本語がわかる人でした。こまごました日常生活用品を買って、言葉で聞いても幾らかわからないのでこの主人は計算機を持ち出して計算結果を私に見せてくれます。ある日の買い物で20元(約300円)ほど買い物をして私に代金を示してくれました。細かいお金が無かったので百元紙幣を出してお釣を貰いました。主人は私に50元紙幣と20元紙幣を2枚呉れました。目の前で20元の計算結果を見せながら90元のお釣をくれるのは明らかに間違いだと思い、貰ったお釣をびくとも動かさずこれは間違っていると指差しました。主人はじっとお釣を見て直ぐに気がつき20元紙幣1枚を10元紙幣に変えました。その時です。たぶん主人の知り合いでしょうか、隣に居た買い物客が主人に向かって何か言いました。すかさず主人の返事が「この人は日本人だから」と敬意を持ってその買い物客に言ったのです。こんな事で日本人全体の評価が表されるのなら、「もっと間違いよ起これ」と思ってしまいまた。

第四話 「北京地下鉄のホームにて」
帰りは北京観光を三日間とって、そのうち一日は観光バスに乗りましたが、あとは一人でぶらぶら歩いて廻りました。地下鉄での出来事。
建国門地下鉄乗り場に下りて行った時、切符を買う窓口(有人)が3つくらいあり、それぞれ10人前後並んでいました。その一列に並び、前のおばさんに地図を見せながらこの駅に行くのにこの切符売り場で良いのかと聞きました。OKとうなずいてくれたので料金は3元で良いか指を3本立てて聞くと「3yuan」と教えてくれました。
切符を買って、ホームに下りて行き、柱に貼り付けてある駅名一覧を眺めて降りる駅を確認しました。その後電車が未だ来ないのでぶらぶらしながら混んだホームの中をもう一方の乗り場の柱のほうに行き反対方面の駅名の名前を眺めていました。すると後ろから私の肩を突付く者が居る。はっとしながら振り向くと何と先ほど切符売り場で3元と教えてくれたおばさんが立っていて、私を指差し、又反対のホームを指差し、お前はあっちの乗り場だと合図してくれる。私は乗り場は判っていたのだが、何とこのおばさんは私が間違わないように雑踏の中を後ろに付いて来てくれていたのだ。私は何度も「謝々(シェシェ)」とお礼を言って次に来た電車に乗り込んだ。あのおばさんはどんな気持ちであのひどい混雑の中、時間を無視して私を見ていてくれたのだろうか。どうしても反日デモのニュースと結びつかない。

第五話 「構内食堂」
私が日中関係について質問を受けたことが一度だけ有ります。燕山大学の構内の職員宿舎のアパート群の中で将棋をしている老人達を見て、「写真を撮ってもいいか?」と英語で質問した時、周りで見ていた人が「日本人か?」と声を出し、本人が返事する前に「いいよ、いいよ」と返事してくれました。その近所の食堂で昼食を食べていると偶然その人が入ってきて、私のテーブルの前に座った。二人で片言の英語と中国語で身振りを入れながら話をしていると、隣に居た学生の一人が我々のテーブルに来て、一つ質問があると切り出した。「今の日中関係を如何思う?」ときつい口調であったが、私は「世界を見なくてはいけない。世界中が注目している。」と返事した。彼は更に声高に何か叫びだした。しかしその時、私と初めに話していた人が彼に向かって何か反論らしい事を叫んだ。暫くして学生は「わかった」と言って、席を離れました。残念ながら言葉の内容はわからなかったが、周りの人も一瞬何かが起こると緊張しましたが、決して私を悪意を持ってみる人は居なかった。

第六話 「バルセロナのアンナ」
帰国に際し北京のホテルから朝6時30分発の小型バスで空港に向かい、航空会社のチェックイン窓口で2個のスーツケースの重量オーバーの料金を未払いだと指摘され、別の窓口に払いに行ったり大変だった。チェックインが済んで未だ早かったが乗り場の6番待合所に向かい、途中8番待合所にスモーキングエリアがあったのでその一番奥の椅子席に座ってのんびり外を眺めながら一服していた。暫くした時、後ろから英語の声がかかり綺麗な女性が横からにゅっと顔を出した。吃驚して思わず椅子から飛び上がった。これまた驚きだったがニコニコしながら私の顔を見ている。よくよく見返すと「そうだ」あの北京観光バスで一緒だったスペイン・バルセロナから来たアベックの一人、アンナではないか。映画に出てくるような美人で一人で居る。「一体どうしたのだ?」と聞くと、彼氏のほうは「椅子の設計をしており、上海のほうにもう2-3日行った。自分は先に一人でバルセロナに帰る」とのこと。ろくにしゃべれない英語で「仕事は何をしているの?」とか「パソコン使うか?」とか、ひとしきり時間を費やした。彼女はバルセロナにあるアスレチッククラブのマネージャーをしているとのこと。彼のことをボーイフレンドと言っていたので未だ結婚はしていないのだろう。彼女の乗り場は14番で9時間かけてスペインに帰るとのこと、たまたま彼女もタバコが吸いたくてこの8番の喫煙室に来た。偶然とはいえこんな事があるのか。周りの人がこの不釣合いな二人の会話をじっと聞いている。下手な英語で脂汗が出るのを必死に耐えながら会話を続けた。最後には近くの人に頼んで写真を撮ってもらい、メールアドレスの交換をして別れた。
旅は楽しい。はらはら不安もいっぱいで、特に一人旅は緊張の連続です。それだけに人の心の温かさが身に滲みてうれしい。


彼女の勤めているクラブ:http://www.aquadiagonal.com/

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第三話
義院口の長城に一緒に上りました。:少々生々しい文章ですが、秦皇島の銀行員蒋鴻JiangHongさんからのお手紙です。この辺が一般的な普通の人の意見かも知れません。

(翻訳:姜彩蓉(JiangCairong))
 
泰功様へ
こんにちは!
 5月27日に泰功さんと三木さんは私達と一緒に義院口から拿子峪までの長城に登りました、われわれの団体に参加していただいて、私達は大変嬉しかった。特に、帰った途中で、泰功さんのかばんの上に、中国の国旗と国章二枚をつけていることは見つかって、好感と敬意を私の心中で生まれてきました。 
 現在の中日関係は厳しく無いとは言えないだろう。あなた達の首相、小泉純一郎はアジア人民の気持ちをちっとも見ずに、靖国神社を参拝しました。軍事強国政策を貫いている。それに、中国人及びアジア人民の感情を傷害することをたくさんやりました。私は一人責任感のある中国人として、歴史はよく知っています。甲午中日戦争からの中日関係及び民族性質について、大体勉強していました。中国人は近代歴史では、何度も侵略されました、特に日本の好戦分子に侵略されました。これは、数千年以来の中国鎖国政策のお陰で、国も国民も弱くなったと緊密にかかわっています。これも中国の封建歴史が長すぎて、国民の「劣根性」になったとかかわっています。それにしても、日本の大和民族はずっと「武士精神」を推進していて、性格は威張って、身の程度知らずに好戦感情になったのです、それに、日本は国土面積が狭いし、資源も少ないので、いつも隣国を飲む対象としています。これこそ日本は中国を侵略した元の原因です。特に#25112の時期、日本軍人は人間性が無く、戦争の手段も残酷の極まりでした。人間として、誰でも耐えられないです。ですから、私はずっと日本人が嫌いでした。それに絶対日本製品を買わないことにしていました。私はこのようにおもっていたのは日本人の威張りは生まれながら、変われないと思うのです。しかし、今度長城同行を通して、三木さんと飯生さんと知り合って、貴方達が中国人に対する親切さと優しさを感じさせられました。特に、飯生さんのリュックサックにつけていた中国の国旗と国章を見て、私は貴方達及び日本人に対して、見直し始めました。日本人は皆身の程度知らずに威張っているとは限らないです、友好と親切も日本の重要な一つ特徴です。ですから、私はこれから、今までの私の固有観念を変わる意を固めて、大和民族では親切と友好を中日関係理念としている日本人方々と友達になりたいことにします。
 バスの中では、飯生さんは自分が始めて長城に登ったと言った時、私は自分が撮った長城のアルバムを飯生さんにプレゼントしますと約束しました。ですから、長城から戻って、この一年間に秦皇島境内で撮った長城の写真を整理して、この「長城記事」と言うアルバムを作りました。私はこのアルバムを作った時、不十分なところもありますし、作品なんかにもならないですが、私は大変苦労をかけてからの結晶です、私の長城への愛を記録しています、長城は過去受けた災難及び現在も受けている損害に対して、私の憤慨と惜しいと言う気持ちを表しています。同時に、彼等は長城の辛抱な歴史及び現状を表しています。中国人嘗ての偉大及び智慧を代表しています、現代中国人の長城を愛している民族自尊心、民族覆審の望みを伝わっています。それに、私は全て友好な日本人への感情と敬意を表しています。飯生さんは好きになれば幸いです。
 今度の長城登りでは、私は又長城の写真を沢山撮りました。勿論飯生さんと三木さんの写真も沢山撮りました。昨日私は貴方達の写真及び自分が好きな写真を三木さんに送りましたから、できれば、三木さんの所からダゥンロードしてください。できないなら、私は飯生さんにも送ります、或いは、写真屋さんに頼んで、写真を渡します。もし必要なら私に教えて下さい。残った部分は「8837」(中国語の発音で、山に登りましょうと言う意味)「新行者」と言うネットに載せますから、興味があれば見て下さい。今後の週末、我々は長城に登ったり、他の山に行ったりしますから、もし飯生さんと三木さんは興味があれば、いつでも来てください、いつでも歓迎します。連絡方法は燕山大学の「小狗」(ネットネーム)、「猫猫」、或いは私に連絡してもいいです。貴方達も直接に「8837」を開いて、出かけ計画版を載せています、申し込んでもいいです。ご参加いつでも歓迎いたします。
 以上です。貴方達は長城を愛して、中国も好きになってほしいです、私達はいつまでもいい友達になってほしいです。中国の勉強生活は楽しく過ごせるように!

Zushan  
蒋鴻JiangHongさんの撮った写真。祖山東門の長城。   義院口の長城にて
     

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