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これは私の妻がある保育園で講演した記録です。
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アレルギーとの出会い
今日は、私と息子のアトピー性皮膚炎、アレルギー体質というものの出会いと、共存する生活の中から得たものをお話しようと思います。
アレルギーのお孫さんを持った方だけでなく「食事」という広い意味で関心のある方や保育園の先生方にも理解を深めていただければと思っています。
私には現在6才で公立幼稚園に通う長男と、3才になった次男の二人の息子があります。この二人が仲良くアレルギー体質です。
近頃いやでも耳にはいるようになったアレルギーという言葉ですが、このアレルギーとの出会いは、長男誕生の3カ月ほど後のことでした。
それまではアトピーだのアレルギーだのちらちらと聞いたことはあっても、実際自分が今流行のこれらにかかわりをもつとは思っていませんでした。服の流行は気になるのですが・・・・。
でも出産後発疹が絶えなかったのですが、周りの者に
「赤ちゃんは 、こんなのがよく出るのよ」
とか、
「夏生まれなのでアセモみたいなものよ」
と言われて、それを信じていました。
そんな中、友人の子どもさんの話しを聞き、一度検査だけでもと思い、小児科へ足を運びました。
その時です。
「アレルギー」と言われました。
アレルギーには、アレルゲンといって、アレルギーを引き起こす原因となるものがあります。
これは人によってさまざまですし、年齢によって変化することもあります。
長男の場合は、「3大アレルゲン」といって、「卵」「牛乳」「大豆」というもっともポピュラーなものがアレルゲンになっていました。
除去食
小児科の先生のおっしゃるには、これらの食べ物を除いた食生活をするようにと指示されました。
除去食といいます。
でも、これらのアレルゲンは本当にいろいろな食品の中にふくまれています。
卵は、フライ、コロッケ、カステラ、ケーキ、ビスケット、鶏肉、茶碗蒸し、プリン、マヨネーズ、アイスクリーム、練り製品などに使われています。
牛乳は、カステラ、ビスケット、キャラメル、牛肉、グラタン、シチュー、チーズ、ヨーグルト、ヤクルトなどに含まれています。
大豆は、きな粉、醤油、みそ、納豆、植物油、スナック菓子、あんこなどに入っています。
生後3カ月の長男が口にするものは、私の胸から出る母乳でした。ですから私がこれらの食物を断つということになったのです。
大好きなケーキ、アイスクリーム、おはぎはもちろん、醤油、みそまでも口にできなくなりました。
いったい何を食べればよいのだろうと思いました。
それと同時に、今まで何も思わないで口に入れていたいろいろな食べ物を見直す機会となりました。
一度、みなさんも食品のパッケージに表示されている表をごらん下さい。
きっとびっくりされると思います。
私は必ず、成分表に目がいきます。
生後3カ月から完全に断乳するまで、味付けは塩。副食は野菜。おやつは団子か焼き芋。幸い米アレルギーではなかったので、ご飯はとてもおいしくいただきました。
パン大好き。マクドナルドには目がなかった私です。
母乳を止めて人工乳にすれば楽になれると考えたりもしました。
栄養になってしまうので、人工乳に変えればいいと、勧める人もありました。
でも母乳の持っているすばらしさを捨てるわけにはいかず、自分ひとり楽になるにも気がとがめ、なんとか頑張ることができました。
私が除去食を始めると、日に日にきれいになっていく我が子を見ると、嬉しくてたまりませんでした。
長男が無言で励ましてくれていたのだと思っています。
でも、日に日にといっても、そう順調にいったわけではなく、突然ポツポツと発疹の出たことが何回もあります。
そんなときは、
「どうして?どうして?」
と言いながら薬をぬっていました。
家族の食事を作っているといろんな誘惑があります。
ときにはハムが食べたかったり、みそ汁が飲みたかったりして、口に入れたこともありました。
でも、どうしても、喉を通すことができず、結局出してしまったこともありました。
そんなことで、断乳の時期をやっと迎えることができました。
長男の食生活
断乳してからは、私の食生活は豊かになり、満たされました。
でも長男は限られた食品の中からの栄養で成長し発達していかなければなりません。
一口でも口に入れたものを毎日細かく記録するノートを小児科の先生から手渡されました。
記録するとはっきりと分かるのです。食品の乏しさが。毎日ほとんど変わりません。
調理法の工夫をするしかありませんでした。
そのころには、牛乳・大豆はOKが出されたのですが、新たに小麦粉、魚がアレルゲンだという検査の結果が出ました。
でも長男は乏しい食品でも、テーブルに並べたものは何でも食べてくれていましたので、すくすくと大きく育っていきました。
1才を過ぎ、行動範囲も広がるし、また広がらなくてはいけない時期になりました。そうなると少々問題というか、悩みが持ち上がってきました。
「おやつ」「おかし」です。
家の中にいる分には別に問題はないのですが、やっぱり同年齢の子どもが食べているのを見ると、同じように食べさせてやりたいと思うようになりました。
パッケージもかわいらしく、おいしそうなので、本人も食べてみたくなるのです。
また、子ども連れで知人にであったりすると、おあいそと言うのでしょうか、暑い頃だとアイスクリーム、ゼリーの冷たいもの、ビスケットなど、かわいい手に持たせたくなるものです。
私だってそう思いました。
ところが、アレルギーの子を持つ母親という立場からすると迷惑というと、言葉が悪いのですが困ってしまうのです。
もちろん相手の気持ちは理解できるので頂戴したいものの、子どもにとって食べさせるわけにはいかないのです。
でもそれをはっきり断れば、
「そんな難しいことを言って。」
とか、
「食べさせなければよけいに食べられなくなる。」
とか、あげくに、
「お宅の子どもは難しいから。」
と、レッテルまで貼られてしまい、理解してもらえない人がたくさんありました。
誘惑と戦い
私は主人の母親と同居しているのですが、最初は母にもなかなか理解してもらえませんでした。
私自身も最初はとまどいばかりだったので当然のことです。
あれもダメ、これもダメという生活に少々あきれられたこともありました。
「本当にダメなの?」
と思われたこともあり、ほんの一口だけ、食べさせてみました。
すると、本当に驚くような症状が30分のちに、現れたのです。
口唇が2倍にも腫れ上がり、目の中の白目が水膨れのようになりました。目の白目が膨れてせり出してきているのです。
普通の目ではないです。
これはまったくの初めての経験だったので、いったい何が起こったのか分からずに、タクシーを呼んで、あわてて小児科に駆け込みました。
顔色は紫になっていますし、緊急事態でした。もし何かあったら自分の責任だと思うとたまらない気持ちでした。
これは食べ物だけでなく精神面が関係していることもあるようで、1才になる目前の9カ月の頃、2.3回人に預けたことがあったのです。
2.3回といっても1回1時間程度なのですが、保育園のようなきちんとした施設ではなかったからか、不安が重なりアレルギー体質が引き金となりショック状態を起こし意識がなくなり入院までの大騒ぎになってしまったこともあります。
こうした大きな事件、日々繰り返される発疹とかゆみとの戦いは目を背けることはできません。
これらを通して義母のアレルギーに対する理解と協力を得ることができました。
それまでは長男の食生活対策が、私一人の中で実践していたのが、食生活だけでなくアレルギーの進行を少しでも少なくするために、ダニ対策として掃除の仕方も変わり、家じゅうに敷き詰めてあったカーペットが取り除かれ、棚の上にはできる限り物を置かないようにと、ともに考えてくれるようになったのです。
また、6年間スイミングスクールにアレルギーに負けない体力作りという意味で通っているのですが、これも最初に勧めてくれたのが、おばあちゃんでした。
第2子誕生
そんななかで、3年後、第2児が授かったと知り、こんどは長男のような目に合わせたくないと思うのは当然のことです。
幸い、長男が魚・卵アレルギーということで出産以降断乳後も、息子とともに頑張ろうと思い、ほどんど食べていませんでしたし、3年もアレルギー食とつきあっているうちに、卵や魚が食べられなくたってほかにいくらでも食べるものはあるし、工夫できるという自信もついてきていたので、再び始まる除去食に不安はありませんでした。
妊婦ということで多少栄養面を考慮した食事をしながらの10か月、無事出産したものの期待は裏切られました。
まず、男子だったこと。そしてアレルギーであったことです。
でも、長男での経験が教訓となり、同じアレルギーでもずいぶん軽傷でした。長男は卵と魚アレルギー、それに対して次男は卵と牛乳アレルギーでした。
長男は6歳ですので、自分の食べられるものとそうでないものの区別がはっきりついています。それだけに少し気分的なものが関係して、魚などほんの少量を口にしただけで、のどがかゆくなったり、声が出なくなることがありますが、次男3歳はまだ自分の体質のことをはっきり分かっていないし、長男のような失敗もないために、アレルギーの辛さを本当の意味で経験したこともありません。
集団生活
私のアレルギー対策の一つの方法である除去食は、家族にも負担がかかり協力も必要です。また、社会生活、保育園、幼稚園などの集団生活でも摩擦が生じます。
その上、栄養面で不安になることもあります。でもその反面、食物だけでなく生活全体の見方もかわりましたし、なによりも手作りというよさがあります。
はっきり申し上げるとじゃまくさいです。でもそうした気づかいから現在の子どもがあると思うと、とても嬉しく、自信もでてきます。希望もわいてきます。
現に卵といっても加工されたものなら食べられるようになりました。
たとえば、ビスケット、コロッケ、ウインナー、鶏肉、マクドナルドハンバーガーです。
もっと体力がつき成長すれば、もっと食生活が広がるかもしれないと思います。
でも、また逆もどりしないだろうか、喘息はでないだろうか、きれいになった皮膚が一生このままでいられるのだろうか、と不安もわいてきます。
でも今は、目の前にある不安を少しずつとり除き、現状を維持することに努めています。
自分で過保護とは思いますが、大げさかもしれませんが、命に関わることと思っています。
以前、そばアレルギーである子どもが学校給食で亡くなったことがありました。
思春期、いやそれ以前でも、アトピー性皮膚炎のためにいじめにあったり悩んだりするようなことは、命に関わることだと考えるからです。
生まれて初めての社会とかかわる場、集団生活に加わる場といえば「保育園」です。
入園する前も入園後も、どうしているだろうか、どうなるのだろうかと、心配しないお母さんお婆さんはいらっしゃらないでしょう。
もちろん私もそうでした。でも、その前にそれよりも私には「給食」というものが一番気がかりでした。
でも園長先生、担任の先生、給食の先生の理解を得て、今のところ保育園でも幼稚園でも、私の過保護を通させていただいています。
給食に関しては、月末に次の月の献立表を先生からいただき、チェックし、除いてもらったり、自宅で調理したものをランチジャーに入れて持たせたりしています。
それでも体調のよくないときは、日頃発疹のでる分量じゃなくても、かゆくならない加工品でも、発疹がひどくなり、園で冷やしてかゆみを和らげてもらったり、あまりひどい場合は迎えに行ったことが、年に2.3回ありました。
ですので、昼頃電話が鳴ると、保育園?幼稚園?と少々ひやっとします。
発疹が出てしまったときは、かき傷を作らないように冷やしてかゆみを和らげるか、さすってやるしか手はなく、子どもがかゆみと戦っている姿を見るのは本当につらいものです。かゆみとの戦いは、だいたい2、3時間続きます。
給食、食事面だけでなく、衛生面でも気を使います。
暑いときはどんな子どもでもひどいアセモで困りますが、アトピーにとっては、それらになりやすく、なるとひどくなる傾向があります。
息子たちには洗顔、手洗いなどをしつこく話し、また園でも先生に言葉がけをお願いしました。
衣服の問題として制服はどうしてもナイロン系なので皮膚によくありません。
無地に近く制服に近い色の綿の服を着用させて通園しています。
最初は誰よりも本人がみんなと違う装いをいやがるかと思っていましたが、アレルギー体質を理解している長男は、私の心配をよそに平気な顔をしています。
このようにずいぶん保育園や幼稚園に対して協力していただいているものの、それにしてもわがままな母親だと今改めて思っています。
私の主人は小学校の教員をしています。主人の話によると、小学校でもいろんな問題がありそうです。
でも精神的な過保護ではなく、命を守るための過保護として、わがままな母親に磨きをかけていこうと思います。
アレルギーとのつきあい
これからも私と息子とのアレルギーのつきあいは続きます。
でも肩に力を入れて戦おうとは思っていません。
アレルギーとうまくつきあっていこうと思っています。
幸い、現状は良好で、小児科へも忘れられない程度にときどき顔を出しているぐらいで、薬も乾燥している肌にクリームを塗るくらいです。
全然できなかった外食も、店やメニューを選びながらやっています。
でもいつまた悪化するのだろうという恐怖心はありますし、たまにアトピーのひどい子や人を目にすると他人事でないように思えてなりません。
でもこの6年間の経験から、そういうときこそうまくつきあいたいと考えています。
今日は息子とアレルギーについてお話しましたが、アレルギーは子どもだけでなく大人の中にもじわじわと広がってきています。
その例が「花粉症」です。いつも春先になると困るんだとおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
私たちの気づかぬうちに、自らの手で自らの体質が変えられているようで恐い気がします。
驚かせるつもりはありませんが、アレルギーは決して他人事ではなく、身の回りのいろんなところに原因があり、可能性があるということを知っておいていただきたいと思います。
アトピー性皮膚炎に対し、医学的にはまだはっきりしない点がたくさんあります。
また薬の副作用も問題になっています。
そんななかで、アトピーの子を持つ親はみんな誰しも、「アトピー」とか「アレルギー」という言葉に敏感になります。当然のことと思います。
私自身、本、テレビ番組、料理、新聞記事など、目に付いたものにはすべて目を通し、耳にしたことは確かめようとしました。
どれもこれも半信半疑です。でもやってみよう、すがってみようとするのです。
個人差がありますので、効果のある人、効果のないひと、さまざまです。親の受け止めかたもさまざまで、私のように除去食を試みる人、きつい薬で抑えようとする人、漢方薬を飲ませる人、体質だから大きくなれば治るという考えの人。なかにはそれこそ宗教団体に入った人もあるかもしれません。
人それぞれです。
どの方法が正しいのか分かりません。
私はお医者さんでも、評論家でもありませんので、正しい知識とはいえませんが、私なりに二人の息子を通して、この息子たちに合ったやり方、受け止め方ができるようになり、その背景となるものを見直す機会を持つことができました。
このような私の育児経験で話しをする前に比べ、少しは「アレルギー」というものに関心、理解いただけたでしょうか。
アレルギーは無関係と思っていらっしゃる人の生活にも、近いところにあります。
「アレルギー?今はやりのあれね」
と私の話を聞かれる前までは、半分以上の方が最初に感じられたことでしょう。
このアレルギーは、今のようににぎやかに言われるずっと以前からありました。
ただ、今のようににぎやかに大げさに言わなかっただけのことです。
でも本当にマスコミなので、大げさに言われているだけで、昔となんら変わっていないと言い切れるでしょうか。
昔といってもそんなに遠い昔ではなく、私の子どものころ、あるいはここにいらっしゃる方が今のみさんさんの娘さんやお嫁さんのように子育てに励んでおられた、ついこの間のことです。
衣食住
衣食住について考えてみます。
衣では、洗剤もよくないり、どの家庭にも洗濯機。ましてや日光を当てなくても大丈夫な乾燥機は当たり前。シミや汚れをきれいに落としてくれる漂白剤。そのうえソフトに仕上げる軟仕上げ剤。衣類の繊維もさまざまです。
食では、レトルト食品、ファーストフードのお店、電子レンジのチンだけておいしく食べられる冷凍食品、お惣菜屋さん、ハムなどの加工品。
住では、木造以外の建築物、クーラー、エアコン。
みんな便利でありがたいものです。楽になり快適になりました。
でもこれらが人間にとって利点ばかりを与えていないということは、あえて口にせずともお分かりだと思います。
私は田畑のある家に生まれ育ちました。
夏には毎日ナスビ、きゅうりが姿をかえ食卓に並べられていました。
冬には大根や白菜が食卓だけでなく、納屋のなかまでいっぱいでした。
春はイチゴ。夏はスイカ。空きはいちぢくと、印を押したごとく置いてありました。
アレルギーの人は無農薬のものを、と言われますが、そこまでしたことはありませんが、旬のものをと心がけています。
確かに季節はずれの珍しいものをたまに買ってくると、うれしそうに息子たちは食べています。
子どもの喜ぶ顔は、こちら側としても嬉しいものです。
でも栄養もなく、うまみも作られたものである以上に農薬がつめこまれているものなのです。
親でさえ、子どもの嬉しそうな顔は見たいもの。
ましてや、おばあちゃん、おじいちゃんともなれば、それ以上と聞いています。
でもどうか心を鬼にして、本当にその子にとってのよいものを。果物、菓子はもとより、玩具にしても本当によいものを与えてあげてください。
我が家にはおじいちゃんがありません。私の実家にもおじいちゃんがありません。
長男はお友達との話から
「ぼくにもおじいちゃんがいたらいいのになあ」
と言います。
その理由として、噂によると、おじいちゃんは強いスポンサーだそうだからです。
ほしいものが何でもいつでも手に入る時代のなかで、難しいことかもしれませんが、よいものをよいタイミングにと心がけたいものです。
本当につまらないものでも、与えるタイミングによって2倍にも3倍にも価値が生まれ、喜んだ顔を見てこちらも満足できます。
でもいくら高価なものでも、そのタイミングが悪ければ、望ましい結果は生まれないものです。
息子は千切り大根やひじきが大好きです。
私が作ったゆがんだ形のおはぎが大好物です。
私もそんな手作りのもので育ちましたが、最初はそんなものしか食べられない息子をかわいそうだと思っていました。
でも今は、そんなものをパクパク食べる息子を自慢すらしたくなります。
もちろん現代っ子。ハンバーガーも好き、スナック菓子も好きです。私もそうです。
でもそれら全てをおいしく食べることができるのですから、幸せだと思います。
食べると発疹が出るので、食べないようにしているものはありますが、偏食で食べられないものはありません。
あれ食べたい、これ食べたいと言って困らせることもありません。
食卓に出たものは何でも喜んで食べてくれます。
決して料理の腕はよいとは言えない私の手料理。家族以外の人には恥ずかしくて出せないという程度のものを、おいしいと食べてくれます。
お母さんの作ったものは絶対に大丈夫という安心からでしょうか。
味ではないのかもしれません。信頼関係からも、このおいしさを作り出すものがあるのかもしれません。
物的つながりではない、精神的つながりを大切にしたいものです。
本当に必要か。本当によいものか。自己満足になっていないか。一瞬の喜んだかわいい顔を想像する前に、長い将来のことを考えてやりたいものだと思います。
子育てのみならず、いろいろな分野での先輩方を前にして、私のような者の経験暖をお話しまして、お聞き苦しい点などあったかと思います。どうかお許しください。
園長先生から今回のお話があったとき、少々悩みました。
人前で話す自信んどまったくなく、素人もいいところだからです。
でも、このアレルギー体質の子どもを持った経験を通し、少しでも多くの方々にアレルギーというものを理解していただきたかったのと、同じ悩みを持つ方がいらっしゃったとき、少しでも励みになればと考え、勇気を出すことにしました。
未熟な話を最後まで聞いてくださって、ありがとうございました。
また改めて、息子たちとの生活を考える機会を持たせてくださった園長先生にもお礼を申し上げます。
本日はどうもありがとうございました。
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