中年の山歩き (焼岳編)
              
 
世で言う「雨男」とか「晴れ男」という表現がある。「雨男」とは、「外出の時、なぜか雨になる比率の高い人」という意味であるらしいが、これはいわゆる確率的な問題であり、ある一人の男が年がら年中山登りに行くとしても雨が降る確率は日本全国の降水確率と同じはずである。したがって、その男にとって「雨が降る確率」と「晴れる確率」はいかにStudent-t検定しようが、カイ二乗検定しようが全国の降水確率と比較しても有意差は無いはずである。
 
ところが、この私にとっては、明らかに雨というか、晴れていない状態の山登りが明らかに多いのである。例を挙げても仕方ない事であるが、(でも、どうしても挙げたいので申し上げるが)平成10年に満を持して四国遠征した石鎚山では、なんと、登頂の当日、日本全国で唯一愛媛県地方だけに「大雨注意報」が発令されていた。 

また、平成16年8月には富山県の剣岳に挑戦、前日までの晴天に油断してその日のうちに登頂してしまえばいいものを早月小屋でのんびりしてしまい、翌朝起きてみると一変して暴風雨状態、小屋のおじさんの制止を振り切りアタックするという典型的な遭難パターン。なんとか頂上を目指したがやはり案の定、頂上直下200メートルの岩だなにしがみついたまま身動きがとれなくなり1時間、情けないやら悔しいやらの敗退。 それにはめげず、その1ヶ月後、あまりの悔しさに同じルートで再度登頂を試みた。 富山県地方は晴れるという天気予報を信じていた私が「あほ」なのか、なんと、登山口から土砂降りの雨。完全に意気消沈して登山口にも行かずすごすご引き返したのであった。 また、最近の例を挙げれば、今年2月に南国南九州は鹿児島の霧島山に行ってみると今度は「風雪注意報」発令、大雪の中を一人ラッセルして視界ゼロの頂上に至る事もあった。
 
普段の山登りでもいつも雨具を着ているような気がする。 むしろ山へ行くと雨降りが普通で晴れていると気持ち悪いくらいである。 たとえば、日本百名山に限れば、今まで31座ほど登っている。このときの天気を調べてみたが31座のなかで、登頂当日雨ないし、いわゆる天気の悪いという確率は15座で 約50%である。なんと、高い確率であろうか。
 
長い前置きになってしまったが、この「雨男」が「晴れ男」と一緒に山登りをするとどうなるかといいうのが今回のお話である。
 
平成16年10月16日、H区医師会長吉班の旅行に参加した。 この旅行はいつから続いているのかは知らないが、年1回バスを仕立てて各地の名所に出かけ、夜は宴会になり普段あまり話しする機会のない先生方とたっぷりおしゃべり、次の日は観光するというパターンで、いつも楽しみにしているのである。 この旅行もまたいろいろおもしろい話しが多いのであるが、しょっちゅう迷子になる先生や、列車に置いてきぼりをされる先生、そういえば、平成14年に彦根に行った折りには宴会で酔っぱらった勢いでみんなで真夜中の彦根城へ繰り出し、隙間の開いていた大手門から忍び込み真っ黒な天守閣に至るという、世が世なら重罪に処せられる行為もあった。
 
また話しは脱線したが、今回は飛弾高山への旅行だったのである。ところが、この計画を聞いてまたもや悪い考えがもくもくと浮かんできてしまったのである。飛弾高山といえば、岐阜県である。上高地にも近い。行き帰りはバスに乗せてもらえるし前の晩は近くに宿泊しているし、いっそのことまだ登頂していない焼岳に行けぬものかと画策したのであった。 焼岳へは宿泊先の下呂温泉から国道158線を行き、新しく開通した安房トンネルを越えたすぐの所にあるという絶好のポジションなのである。
 
そこで、班の理事であるU先生に前もって相談、かくかくしかじか、誠にわがままなお願いであるが、2日目の早朝にちょこっと山へ行ってもいいかとお伺いを立てると、うれしいことに何の問題もないので、そのあとの高山市内でおち合いましょうということになった。こうなると、下調べは進むのである。 宴会の後、午前4時に下呂温泉をでれば、午前6時に登山口、往復に4時間として下山後高山市内へ12時に帰り、みなさんと昼食が一緒できるという夢のような計画である。 (もっとも、うまくいけばの話しであるが) しかも、昼食は「飛弾牛」とのこと。これを取り逃がす手はないのである。 

そうこうしているうちに旅行出発の前日、参加者の一人、M先生から電話があり、 なんと一緒に焼岳へ登りたいとの事。もちろん、一人で行くより楽しいし、M先生とは昵懇の間柄なので、それでは是非お願いしますということになったのである。 
 
さて、10月16日、13人の一行を乗せたバスは一路下呂温泉へ。バスの中からすでに一杯やりながらわいわいしゃべりまくり、午後7時過ぎ、下呂温泉の「水明館」に到着。このホテルがまた超一流で貧乏性の私などとても予約することすら出来ない立派なホテルなのである。 しかも、日本三大名湯の一つ、下呂温泉はまた格別でその後のお料理もすばらしい。 いつも私が山登りで利用する一泊二食付き7500円なりという国民宿舎とは月とすっぽんの状態であった。
 
酔いもまわり、各自の部屋に戻ってもまだ宴会は続く。 以前はH先生の軍隊時代の話しなんかをおもしろおかしく実はちゃかしながら聞いていたものだが、今はてんでばらばら。普段の憂さ晴らしかしゃべりまくる人、一人静かにお酒を飲む人、テレビを見る人、囲碁を打つ人。M先生は長吉班でも囲碁の達人なのである。 
私と言えば、明日の山登りが気になってしまい囲碁の会で盛り上がる横の部屋で12時前には寝てしまったのである。 明日は3時半起きである。 ところが、後で分かったのであるがM先生は囲碁の後もなかなか寝付けずお風呂に行ったりしてほとんど寝ていなかったのである。
 
あっという間の朝、というか深夜の4時。 物音を立てないようにといいながらガサゴソ用意をして部屋を出る。全く、迷惑な話である。 ホテルの人に特別に作ってもらったおにぎりをゲットし前日に借りておいたレンタカーをすっ飛ばして国道158号線から安房トンネルへ。登山口へ着く頃に夜があけてきたのであるが、ふと気がつくとなんと私が見たこともないような「晴天」である。 聞けば、なんとM先生は「晴れ男」なのだそうである。

焼岳への最短コースである「中ノ湯」コースであるが、登ってみるとそれなりに急登である。樹林帯を抜け、りんどう平に到着。ここからは噴煙をあげる焼岳を見ながらの道である。 結構、がれ場できつい道であるが、とにかく「史上最強の天気」なのである。くっきり青い空、褐色の焼岳、白い噴煙、緑の樹林帯。 また、暑くもなく寒くもなくいやはやパーフェクトの状態なのである。 私自身、こんないい天気の時に山登りしたことは過去に一度もないと断言出来る。 M先生の「晴れ男」の力量が私の「雨男」をうち負かしたのであろうか? 
 
とにかく、るんるん気分で午前9時には焼岳頂上(2455M)へ到着。梓川を眼下に見下ろし穂高連峰はいうまでもなく、北は槍が岳、笠が岳、薬師岳、西は乗鞍岳まですべて見渡せるという豪華絢爛、天然鳥瞰図の状態であった。本来なら、ここでゆっくりしたい所であるが我々には次の目標があるのである。それは、昼食の「飛弾牛」なのである。 昼食の場所は高山市内のホテルで12時からみんなそろって食事会とのこと。美しく完璧なスケジュールをこなすためには一刻も早く下山して高山まで戻らなくてはならない。

そこであわただしく下山にする事になったのであるが、ここで前日一睡もしていないM先生の足に疲れが見え始めたのである。だいたい、山登りでは上りより下りの方が足に負担がかかるし事故も多い。ここで、怪我でもしたら、それこそH区医師会の歴史に残る大失態なのでM先生を励ましながらあせりながらも慎重に下山、それでも午前11時に無事下山したのであった。
 
ここからは、12時の「飛弾牛」に間にあうために後1時間で高山へ戻らなくてはならない。本来は下山口にある「中ノ湯」でひと風呂という計画であったが「飛弾牛」のためにはこれはパスして一目散に車を飛ばしたのであった。
目的地のホテルが見えたのが約束の12時きっかり。 レストランにどろどろの登山服で駆け込んだのが12時15分であったが、みなさん優しく待っていて下さり、ビールで乾杯という理想的な時間に間に合ったのであった。 しかも、料理はこれまた豪華絢爛、目的の「飛弾牛」はちと小さめであったが大満足のうちに食事も終了したのであった。
その後、みなさんにわがまま勝手な振る舞いをお詫び申し上げとともに焼岳登山の報告を済ませ、一行は高山市内の観光に出かけたのであった。
 
というわけで、一泊二日の旅行でありながら、下呂温泉、宴会、焼岳登山、飛弾牛の食事、高山市内観光という中身たっぷりの体力まかせの腹一杯旅行は無事終了したのであった。
さしもの「雨男」も「晴れ男」の前ではその力量を失い、すばらしい山歩きが出来たというお話である。
 
謝辞
M先生、大急ぎの登山ご苦労様でした。 また、せっかくの班の旅行にもかかわらずわがまましほうだいの私を優しく許していただく長吉班の先生方にここで再びお礼を申し上げます。 次の旅行はおとなしくしています。
 

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