中年の山歩き ー大峰山編ー
平成8年10月16日、水曜日の診察が終わり大峰山に向かい車を飛ばしたのが午後7時半であった。
実は、その1週間前の木曜日(休診日なのである)には雨の中を和泉の東ノ燈明岳に登り、次の日曜日には同じく大峰山系の弥山に登るという山狂いの初期症状(暇さえあれば家族も捨ててピークハントにでかける)の真只中の頃であった。
昼の間に電話で予約しておいた洞川温泉の大乃家という旅館に着いたのが午後10時半頃。「よう、こんな時分に来はったなあ。もう、山は閉まっとるき。あんたも相当の山好きやのう。」という歓迎とも皮肉ともとれる出迎えを受け、ビールを飲みながらおじさんの山の話しを拝聴、就寝したのであった。
翌朝6時、寒さで眼を覚まし、おばさんのケーキとコーヒーという朝食をとり表に出るとなんと車は氷づけ、気温は氷点下5度。再びおじさんの「もう山は閉まっとるで」という意味不明の言葉(しかし、この言葉は後で重大な意味を持っていることが判明する)を聞きながら車を五代松新道横の駐車場におき一路、稲村ヶ岳へ目指したのであった。
ところがどっこい、苦労して来た甲斐があった。お天気は全くの晴天。ルンルン気分で法力峠から稲村小屋へ。ところがガイドブックには通年営業と書いてある稲村小屋はどう見ても閉鎖の状態なのである。 しかも、まったくの無人の状態で昼食はここの食堂でうどんでもと考えていた計画は脆くも崩れ果てたのであった。 仕方ないので、小屋を横目でみて大日山へ到着。ザックをおいて岩峰をよじ登りここから落ちたらおだぶつのキレットを鑑賞、さらにくさりをつたって最近女性に人気という稲村ヶ岳頂上(1726M)へ登頂を済ました。
さて昼食を食べそびれたので非常食のビ−フジャ−キ−とデザ−トとして持ってきたリンゴを食べ、まあ山歩きにはこんなこともあるわいなと気を取り直し360度さえぎるものもない大展望もそこそこに帰途に着いたのであった。
当初は稲村小屋の先のレンゲ峠から大峰大橋に帰る予定であったが、そこが初心者のあつかましいところ。 まだ時間はだいぶあるし、せっかくここまで来たのだからやはり大本山の山上ヶ岳に登りガイドブックに書いてある宿坊とやらで休んで帰りは茶屋の塊が二、三あるとのこと、休み休み帰れると計画したのであった。
そうと決まれば、急がなくてはならない。 ところがレンゲ峠から山上ヶ岳は高低差約450M、巻道なしの直登。やっとの思いでたどりついた山上ヶ岳(1719M)はピ−カン天気でお花畑はまさに極楽。 ところがあまりにも静かすぎるのである。 人も犬も猫もハエ一匹いない。風の音以外何もなし。ここ至ってはじめて悟ったのであるが、おじさんの「山は閉まっとる」という真の意味というのは宿坊はおろか茶屋まですべての施設が無人になることなのであった。
仕方ないので残りわずかの水を飲み干しビ−フジャ−キ−をしがんで西の覗きから鐘掛岩の頂上へたどりつく。ところがその先は約30メートルはあるかと思える垂直の断崖、ただ頑丈そうなくさりが崖下までつながっていた。はたしてここは鎖をつたって降りるのだろうか。おじさんのいう「山の開いている時」なら山伏さんがいて彼らの助けをもって安全に降りられるのだがやはり「山の閉まっている時」は自分独りの力で降りなくてはならない。
さすが、女人禁制の大峰山、男一匹いっちょやったるでと泣きそうになりながら垂直の壁をくさりにしがみつきながら降下。ここで転落しては1週間は発見されないのではと思いながら根性で下の岩場に到着。 もうこんな怖いところは早く帰ろうと足を速めて歩きだした。とっ、ギャーなんと岩の上に大事なカメラを忘れてきたのを思いだした。またあの岩を登って降りてくるのかと顔面蒼白、何とかこの急場をのがれようとふっと見ると看板があり、「閉山時に単独でこの岩に登り事故急増。迂回路利用のこと」。なんと、すぐ横の巻き道で登り下りできるのであった。
ともかくカメラ回収後、無人でうす気味悪い洞辻茶屋、一本松茶屋をやリ過ごし大峰大橋へ。精も根も尽き果てた体にはその下りの長いこと長いこと。「お助け水」で咽の乾きをとりやっと大峰大橋までたどりついたのが午後3時であった。昭文社の地図によると歩行時間8時間のコースを歩いたことになる。
再び大乃屋によっておじさんに無事帰ってきたことを報告、洞川温泉で一風呂あびて帰途についた。
とにかく、「閉まっている山」とは予想以上に困難極まる要注意の山なのであった。