中山道編


自然災害はいつどこで起こるか分からないものである。
まだ憶えておられる方も多いと思うが平成26年7月9日、台風8号が梅雨前線を刺激、長野県南木曽町(なぎそちょう)にある木曽川支流の梨子沢で土石流が発生、民家10軒や国道19号を走行中の車両などが巻き込まれ、中学生1人が死亡された。また、JR東海中央本線南木曽駅-十二兼(じゅうにかね)駅間にある線路の橋脚が流され、中津川駅-上松駅間で運行不能となってしまったのである。

なぜ、こんなことを書いているかと言えば、お察しの通りである。  現在、東京は江戸に向かって中山道(なかせんどう)を歩いているのであるが、約2ヶ月前にまさしくこの区間を歩いたばかりなのである。  そのときは中津川から馬籠、妻籠宿を通り、今回の南木曾(なぎそ)をかすめて倉本駅まで到達していた。 今回は7月20日の海の日の連休を利用してその続きを歩く予定であったのである。

ついこの間のことなので災害のあったところも克明に憶えている。 あのあたりは中央アルプスから木曽川へ幾筋もの川が流れており、特に南木曾駅周辺は三留野(みどの)地区といわれ古くから川の氾濫が相次ぎ、中山道自体も与川道といって大きく山側へ迂回する道もあるところである。 氾濫のあった梨子沢であるが、そのすこし上流に等覚寺という名刹があるのでそこへ寄るために梨子沢に沿って歩いていたのでよく覚えていたのであるが普段は何の変哲もない小さな流れである。

前置きが長くなってしまったが、平成26年7月20,21日に前述の倉本駅から木曽福島、さらに奈良井宿まで歩く計画を立てていたのである。  海の日の連休ということで混雑が予想され観光地では早めに宿屋の手配が重要である。  すでに5月中に木曽福島の「さらしな屋」という昔の旅籠みたいな名前の旅館の予約が完了。 例によって青春18キップを使っての旅のため綿密な時間設定をしてその日の来るのを心待ちにしていたのであった。 
そこに、今回の台風と災害である。 翌日のニュースそ見て驚いた。映像に写っていたすぐ隣のセメント工場みたいなところで自動販売機からジュースを買ったのもおぼえている。あの静かな川が土石流でむちゃくちゃである。  とにかく、JRは中津川から先は不通。  現場も不安定な状態なので少しの雨でも避難勧告を出すとのことであった。  4日後、つまり出発の1週間前の7月13日においてはJRの不通区間は坂下駅から野尻駅までとなったが、その間の移動手段がない。本来ならこの時点で今回の中山道歩きは中止となるべきところである。 ところが、なんと「さらしな屋」の女将さんから電話があり、ほんとにお越しになるのですか?という内容のお問い合わせがあった。  普通ならこの時点でキャンセルの申し出をするのが常套である。 しかしながらよく考えてみると不通区間は徒歩で歩いてもいいし、なんとか、地元のコミュニティーバスを乗り継いで野尻駅までいけないか、さらに、今回の災害で地元の方々は大きなショックを受けている、微力ではあるが自分が訪問することにより少しでも力になれるのではないかと思い、「なんとしてでも参ります」と返事してしまったのである。

あとで調べてみるとたしかに坂下からは病院前から南木曽町営バスが南木曾まで運行、南木曾から十二兼(じゅうにかね)駅までは徒歩、そこから大桑村の「くわちゃんバス」で野尻駅周辺まで繋げることが判明した。 まるでテレビ大阪で時折放映される「路線バス乗り継ぎの旅」を地でやっているようなお話である。  とにかくほとんど歩けなくてもいいからとりあえず現地へ行ってみようと決心したのである。 実のところ7月14日になってJRが坂下駅から野尻駅まで臨時代行バスを運行してくれるという情報が舞い込みその計画は杞憂に終わったのであるがちょっぴり残念な気もする。

ところがである。なんと出発の前日7月19日の夕方、南木曾周辺で再び大雨が降り避難勧告が発令されたのである。  土石流の危険があるため国道も閉鎖、よってJRの代行バスも避難勧告が解除されるまで運休という恐るべきことになってしまったのである。  ここでふたたび「さらしな屋」お女将から「やはりほんとに来られるのですか」という電話あり。またもやどんなことがあっても行くと返事してしまったのである。

はたして避難勧告の出ている区間を歩いて超えることが出来るのか不安一杯でテンションもさがっていたのであるが、翌朝、とにかく始発電車で大阪を出発、まったく見切り発車で現地へ赴いたのであった。 何しろ18キップの旅なので、特急列車は使用できない。大阪ー米原ー大垣ー名古屋ー中津川ー坂下と乗り継ぐこと6時間、午前11時頃に坂下駅へ降り立つとなんと臨時代行バスが動き出していたのである。  奇跡的な話であるが、朝10時ころに避難勧告が解除されバスの運行第1便とのことであった。 というわけで、JRさんの尽力で野尻駅まで送り届けていただきそこからまたもや列車に乗り倉本駅に到着したのである。  すでに時刻は午後2時になっており、中央アルプス空木岳(うつぎだけ)のアプローチになっているまさに山の中の秘境駅ともいえる無人の倉本駅に降り立ったのは私一人だけだった。

さて、ここから木曽福島までは約4時間の道のりである。  暗くならないうちに峠を越えなくてはならない。  この区間は中山道のなかでも木曽川の「寝覚の床」以外はとくに見どころのないところで道標も少ない道をひたすらたどるのみである。  案の定、新しい国道19号線を行くべきところを、旧の19号線に入ってしまい、まったく人気のない落石ゴロゴロの道を歩いていると、突然の雷とこれまで経験したことのないような土砂降りの雨。 まさに、土石流の可能性さえある峠道を必死で登りなんとか中間地点の上松町へ着いた。  そこからは木曽福島まではさらの6キロの国道沿いの道をひたすら歩くのであるが、ずぶ濡れの体は重く、すぐ横をはしる路線バスに飛び乗りたい衝動を抑え何とか午後6時30分、目的地の木曽福島は福島宿「さらしな屋」にたどり着いたのであった。  なんとも長い1日であった。

ここまで、本日も含めて何度も電話をかけていただき心配をおかけした「さらしな屋」に到着。 ○○でございますと申し上げると女将さんや旅館の一同さんから抱きつかんばかりの大歓迎を受けたのであった。  こちらが恐縮するばかりであるが、なんでも、今回の災害で特急列車が運休、夏のかき入れ時にもかかわらずキャンセルが相次ぎ淋しい思いをされていたとのことであった。 たしかに、福島宿も閑散としており、人影はまばらであった。 しかしながら、ここ福島宿は江戸時代の宿場町が保存、維持されておりまことに風情がありきれいなところであった。 特に、夜になって「上の段」というところがライトアップされている街並みはとても風情があって美しいところであった。

さて、翌日、お世話になった「さらしな屋」に礼を言って出発、奈良井宿まで行く予定であったが、そこには難所の鳥居峠がありしかも帰りの行程も8時間かかると思われるので一つ手前の薮原駅までとしたのである。次回はふたたびここまで舞い戻って再開である。 
というわけで、今回の山歩きは直前に様々な災難が起こった。しかし、勇気をもって難関に立ち向かうと自ずから道は開けるということを痛感したのである。また、少しでも地元の人のお役に立つこともでき、みなさんの笑顔を見ることができたのは大きな収穫であった。