中年の山登り (妙高山編)
もう、山登りを始めて、何年になるだろうか。 近畿地方の山は結構登ったし、次なる目標は 日本百名山ということになっている。
いろんな山に登ったが、印象深かったりおもしろかった山は「名山」といわれるよりむしろ、里山であったり、藪山であったりしたことが多い。 これは、登山道が整備されておらず苦労したとか、思いもかけず美しい山だったり、地元の人にいい印象をもったことなどが原因であろうか。また、日本百名山に登るとなると気合い十分で、装備も完璧に整えていくので予定通りの山行きで終わってしまい印象が少ないのかもしれない。 ところが、平成13年8月に行った 火打山、妙高山登山(これは日本百名山である)は「水」に関してなかなかおもしろい経験をした山行きであった。
平成13年8月17日、上信越自動車道をぶっ飛ばし、妙高高原は笹ヶ峰登山口の駐車場に着いた。 ここより、火打山中腹の高谷池(こうやいけ)ヒュッテに泊まり、その日のうちに火打山へ、翌日は妙高山に縦走して元の駐車場に戻るという、安全かつ、効率的な登山を計画したのであった。
笹ヶ峰一帯は、美しい放牧地帯で黒沢渓谷沿いに登る登山道はまさに快適。飲み水はふんだんにあり、水筒など無くてもいくらでもおいしい水が手に入るという状態であった。(これが、後々、大きな誤算になるのであった。)
ここ高谷池ヒュッテは、尾瀬沼のミニチュア版みたいなところで、点在する池の縁にとんがり屋根が目印で、なんとも美しいロケーションである。ゆっくり登って富士見平分岐から高谷池ヒュッテに到着。午後2時半であったので、一服してから美しい池塘の中の木道を歩いて後ろにそびえる火打山(2462メートル)へ登頂。 空がごろごろいいだしたので一目散にヒュッテに逃げ帰ったのであった。
ところで、高谷池ヒュッテは一泊三食つきで、6350円という恐るべき低料金どうり、簡素な夕食(レトルトカレー、おかわり無し)の後は、寝るしかないのであるが、さっきから小屋で飲んでいる水がなにかまずい。小屋のおじさんが歯磨きは外の水場でやってくれというのでぼそぼそあらってみるが、なんともネバーとして、生ぬるい水である。 翌朝、もう一度歯磨きをして驚いた。 なんと、コップの水には、無数の赤黒い「ミミズ」状の虫がいるではないか。なるほど、池の水は、夏ともなるといかにもプランクトンが発生しやすいところである。小屋の水はそれを「ガーゼ」で濾して使っているようである。
とにかく、「こんな水飲めるかー。」といっている場合ではなく、むしろ、虫がいる方が「だし」がでておいしいし、栄養満点というべきである。しかも、本日は妙高山への縦走、登頂の日なので、ありがたく2リットルの「池の水」をもらい午前6時30分元気に出発したのであった。
しかしながら天気は上々、茶臼岳を経由して宇宙船みたいな黒沢池ヒュッテを経由して、妙高山への急登は気温も上がり汗だらだらの状態。 それでも、ようやく登りつめた妙高山(2454メートル)は天上の楽園みたいなところで、ここで一服。 さて、この後はまっすぐ引き返して、おいしい水もたっぷりある黒沢渓谷で水遊びでもしてから笹ヶ峰へ戻り車で麓の温泉へと行くはずであった。
ところがである。ここで、いつもの病気がでたのであった。 まだ、午前も早いしこのまま引き返してもおもしろくない。やはり、このまま縦走を続け赤倉温泉に降りるのもおもしろいのではないか、などという考えが夏の入道雲のようにムクムクと湧いてきてしまったのである。
地図では燕温泉への下山道もあるが、降りてからバスがあるか不明。赤倉温泉ならそのまま歩いてJRの駅に行けそうに判断した(はずであった)。そうと決まれば、急いでいった方がいい。 一時間ほどで天狗平という燕温泉と赤倉温泉への分岐点に到着、ここから先は足跡からしてほとんどの人が燕温泉に降りているらしい。しかし、例の飲み水も残り少なくなってきたし地図上では200メートルほど赤倉へ降りたところに大谷ヒュッテがある。 もしかするとここでビールの一本でも飲めるかもしれない。 しかも、水場らしき印もあるので、ここで水補給して、ゆっくり赤倉温泉へ降りようとカンカン照りの中を急降下したのであった。
ところがである、大谷ヒュッテは見つけたもののまったく人の気配が無い。なんと、ヒュッテとは名ばかりで無人の避難小屋であったのだ。(事前に、確認していなかったためであるが、相変わらずの予定急変のためこんなことは日常茶飯事である。) ましてや売店などあるはずもなく、どうやら、水場というのは小屋の横の谷底にある小川の水であることが判明した。
ここら辺は南地獄谷という恐ろしげな名前のところですぐ上の山の中腹にはシューシュー不気味な音を立てている温泉が噴きだしており、谷全体が草木もない黄色い硫黄だらけの死の世界のようなところである。 なんとか、谷底まで降りて川の水を採取したが、確かに透明な水であるが味をみて驚いた。 臭いばかりではなくおそろしくすっぱい味の水なのである。これはとても飲める代物ではない。水場とあるが、いったい誰が飲むのであろうか。
とにかく、のんびりしている場合ではないので再び崖をよじ登り赤倉温泉へと急いだ。しかし、さら困難が待ちかまえていたのであった。地図上にあるはずの下降点がはっきっりしない。それらしき所は夏草ぼうぼうの状態でほとんど人の歩いていない状態であった。もし、この先道がなかったら日干しになってしまう。ここは、思い切って退却を選んだのであった。
長い登り返しから再び燕温泉分岐へ。 そこから、燕温泉へは北地獄谷という渓谷沿いの道で、いかにもおいしそうな水が流れているのであるが試しに飲んでみるとやはりその味はこの世のものとは思えない代物である。 高谷池のプランクトン入りの水がいかにおいしいものであったか痛感したのであった。 2時間ばかりの道のりのはずであるが、からからの体には長いこと長いこと、ようやく、燕温泉の屋根が見えてきた時はほっとした。
この付近には、露天風呂が点在し、サンダル履きの観光客がぶらぶら歩いたりしている。が、そのようなものには目もくれずようやくたどり着いた売店のポカリスエットの美味しかったこと。 まさに、この世の極楽であった。運良く、一時間ほどでバスがあるとのことなので隣の旅館のお風呂に入れてもらい待望の生ビールを飲んで,ルンルン気分でJR関山駅へと生還したのであった。
人間は、水がなくては生きていけない。日本の国はこれほど清流があるのに、ガソリンよりも高い水が売られている国である。水は大切にしなくてはならない。どんな水でも時と場合によっては甘露水なのである。 今回の山行きは、「水」に関して、貴重な体験をした山行きであった。