中年の山歩き (箕作山 編)

「人思えば山恋し、山思えぼ人恋し」というが、忙しい都会に住むものには実感のある言葉である。私ごときの人間でもストレスのたまる昨今、山歩きは唯一の発散の場、まさに山に癒されるということである。ところが、人気のない山に一日中いると無性に人とおしゃべりしたくなるから勝手なもので、思いがけなく登ってきた人とあいさつしてほっとしたりするのである。また、地方へ旅行した際には田舎の人の人柄のよさや素朴さにびっくりすることがある。 今回の話は今までのむちゃくちゃ編とは違いのんびりほのぼの編の話しである.
 
平成11年1月2日、正月早々、滋賀県は近江八幡の箕作山(みつくりやま)へと向かった。この湖東地方はだだっ広い田んぼの中にポツリポツリと美しい形をした里山が点在し、湖西の荒々しい山々とは違ったのんびりとした山歩きができるのである。この時期はあんまり高い山は冬山の用意がいるし、海外旅行に行く甲斐性もないし、家でゴロゴロしているのもつまらないので例年正月2日はあまり人気のないところを選んで正月初登りと決めているのであった.

 大阪駅午前7時57分発の急行「たかやま」という、なぜか急行券のいる(たった570円、ところが新快速と所要時間は同じ。ちなみに、私は一度この列車にのってみたかった。)ジーゼルカーに乗り近江八幡へ。そこから2両編成の近江鉄道でトコトコ30分ぐらい行くと市辺(いちのべ)駅という無人駅で降りる。そこから岩戸山に登り箕作山、さらに太郎坊山へと縦走して八日市へ下る、というコースをいくのであるが、のっけから道がはっきりしない。 とりあえず地図を頼りに登山口のある方向へ、たんぼのあぜ道を行き、 どろんこの作業道を俳掴しているとあった、「岩戸山、十三仏」への参詣道である.ここから石段の道を登っていくと無数のお地蔵様があり、みんなきれいな服を着せてもらっている。

一時間ほどで岩戸山の頂上に達すると、大きな十三仏の磨崖仏があり、その前にお堂があり中になにやら人がいるようである。とりあえず磨崖仏にお参りしているとお堂の中から「どうぞこちらへ」との声、いったいなんじゃろうととりあえず中にはいると10人くらいのおじさんや美しい娘さんがいてどうぞどうぞと小生を上座に案内してくれるのである。

私は、信心もないしなにも悪いこともしていないのにいったいどうなるのかと思っていると、「本日はようこそお参り下さいました。」というお言葉の後、でるわでるわ、お茶にお菓子に始まっておせち料理にビールにお酒、名物のフナ寿司、食後のフルーツ。

こうなったらあとは野となれ山となれ、私も遠慮なくばくばく食べながら、こちらは大阪から来ておりそこら辺の山を歩き回っている者で決して怪しい者ではないとも申し上げる。 いろいろお話を聞くと、このお堂の中に集まっている人々はというのが、ここの地元の人で正月はいつも酒肴を用意して誰であろうとお参りしてくる人をもてなすのがしきたりであるとのこと。 まことにもってなんとありがたい風習なのであろうか。

今日の予定では昼食は藪の中で一人寂しくカップラーメンということであったがとんでもないごちそうにありついたのであった。何でも、十三仏様は地元の人が無償で管理しているとのこと。まったくいつも寂しい山歩きでおもいがけない暖かいもてなし。都会では隣の人とのつきあいも無く、しらんぷりの毎日なのにそうしてこの人たちは他人に親切にでき、うち解けあえるのであろうかと考えてしまった。
 
さて、丁重にお礼を申し上げ、お土産のミカンとお菓子までもらって隣の箕作山まで倒木の多い荒れた山道を縦走、太郎坊山の三角点にタッチして、正月というのに人気のほとんどない瓦屋寺から八日市の町のはずれに出た。 ここから、寒風吹きすさぶ中、トボトボ360度田んほの中を歩いていくと突如、超近代的な八日市の町にでた。 そして再びJR東海道線で帰宅の途へ。 ほんとうに、今日はラッキーだった.

また、来年の正月も同じようにごちそう目当てに行ったらひんしゅくを買うのであろうか、などとくだらん事を考えながら、まあ、こんな山歩きも最高であると大満足であった。 

とにかく、箕作山とは、ほのほの幸せ気分で帰れる山であった.

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