中年の山登り  迷岳編

古来よりいわれている教えや教訓にはそれなりの道理があり時間というフィルターを通して洗練されているものである。 したがって、昔の人が言う事は古くさいと思われるがそれなりに当を得ていることが多い。今回は、無理を押してどんどん登山するうちにほとんど遭難寸前という悔しいながら先人の教えを痛感する山行きとなった。

平成9年12月4日、三重県飯高町にある迷岳(1309M)へと向かった。「まよいだけ」とはなんともおどろおどろしく、おぞましい名前でピークハンターとしてうぬぼれている私としてはぜひおさえておきたい山であった。

ガイドブックによると上級コースで、冬期には名前のとおり迷いやすく単独歩行はダメというしろものであった。ふもとの宿で一泊、翌日は快晴。裏手にある絶壁のようにそそり立っている岩峰があり、あんなとこ誰が登れるかいなと思っていた岩山が登山ルートであった。 しかし、天気は上々、岩登りを繰り返し飯盛山ピーク(930M)を通過して11時頃に迷岳頂上(1309M)に到達した。 あまり、登山者も入っていないようである。 付近は一面の雪景色と原生林で下のほうのスギの植林地帯とは比べようもないほど美しい。まったく無駄のない美しさである。

話はそれるが、人手不足で放置されたままのスギ林が最近増加しているが、はんとに困ったものである。なんともうす気味悪く、夏ともなれば虫だらけでスギの美林とは名ばかり、まさに木の墓場、美しいブナ林をこわしてしまってまさに植林という公害である。

まあそれはともかく、雪の上に座ってポカボカ日差しのなかでのんびり昼食、当然これよりまっすぐもときた道を戻るべきであった。 ところがここが初心者のあつかましい所、同じ道をもどるのは芸がない。 そこで、地図上にある布引谷に沿った下山道で帰ることにした(これがえらいことになるのである)。

途中よりヤセ尾根を西へ踏み跡を求めて下っていくのだが、この間、道標や目印などは皆無、飯場跡から布引滝へとたどりついたが、ここから通がぶっり無くなっている。どうやら崖崩れで地形が変わっているらしい。

ここで、先人の教えその1、「道に迷ったときは来た道を引き返せ」なのである。 しかしながら、ということは分かっているが、もうかなり下っているので引き返すのはもったいない、人情としてそのまま谷へおりていってしまった。ところがたいしたことはないと思っていた谷筋も滝の連続、いくつかは流れを右に左に渡って下っていったがますます垂れは急峻になってくる。とても、登り返す事は不可能に思われる。 えらいこっちゃ、ついにこのままでは「遭難」の二文字のパターンになってしまう。

さて、ここで先人の教えその2、「迷ったときはとりあえず、一服しろ」。 その通り、心を落ち着けお茶で一服、よく地図をみると下山道は川の右岸のはるか上方、尾根筋にあるらしい。 ふと見ると前方に大きな崖崩れのあとがある。もしかするとこれをよじ登れば道にでくわすのではないかと思い付いた。ここからは必死のバッチ、崩れる石に足を取られながら死にものぐるいで登ること20分、なななんと赤いテープがあった。

やはり、登山道も崖崩れでズタズタになっていたのだ。ここで先人の教えその3、「迷った時は尾根筋に登れ」を痛感したのであった。これでもう安心、早く帰って温泉につかりこんな縁起の悪い、名前も不気味な山とははやくおさらばしようと足を速めて歩きだした。

ところがである。 さらに困難がまちかまえていたのであった。もうすこしでふもとというところで蓮川にぶちあたるのであるが、なんとここにあるべき「平瀬橋」という吊橋がない。どういうわけか道が変わっていて、一尾根東側にでているらしい。付近をさがしたがこの川を濡れずに渡れそうなところはない。仕方がないので冷たいヌルヌルの川をドポドポと渡りやっとの思いで対岸へ。 腰までずぶぬれになり疲れた体にはさらそれからの凍った4キロの道のりの長こと長いこと、やっとの思いで駐車場で帰りついた。 時折通る村の人の「この寒いのに川に落ちたんかのお−」という問いかけに「その通りなのです」ともいえないのであった。

ここで思うことは、やはり昔の人のいうことは当たっている。これは我々の医療の分野でもいえること、最新の薬や検査よりも実証の重みのる先輩の医術に教えられる事も多い。先人の経験から編み出された忠告は大切なのであると痛感したのであった。

いずれにしても、迷岳とはその名のとおり疲労困焦、困難きわまる要注意の山なのであった。


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