中年の山歩き (熊野古道 編)
山登りといってもその程度は様々でいわゆるハイキングのような平地を歩くものから岩壁をよじ登るクライミングまでいろいろである。 ところが、我々、近畿地方という身近に里山歩きから森林帯や川の中を歩いたり、さらには岩山をへつって進む道など様々な様相を持つバラエティーに富んだ登山コースが存在するのである。
それが、なにを隠そう、「熊野古道」なのである。とはいえ、実のところあまり熊野古道についての詳しいことは知らないのであるが熊野古道とは、平成17年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に認定された我が国が世界に誇る地域なのである。
とにかく、千年以上も前から存在する道で平安時代の貴族が京都から出発して淀川を大阪へ下り最終目的地である熊野速玉神社へと至る参詣道であり、和歌山の海沿いの道や高野山を経由するルート、さらに、険しい大峰山脈を修行しながら決死の覚悟で熊野を目指す道など由緒正しい道なのであるが、はっきり言ってとんでもない道なのである。
現代ならどの熊野古道でも端っこまで自動車や鉄道で行き、ちょこちょこっと歩いて疲れたらバスで元に戻るというような軟弱な歩き方も出来るが、当時というかちょっと前(おそらく昭和30年頃まで?)まではただひたすら歩くのみ。道中ほとんど民家もなく、病気や怪我でもあればそれこそ行き倒れになるというまさに決死の熊野古道であろうと想像出来る。
この熊野古道も今や車道に置き換えられたりして面影も無いところもあるが、むしろ地域の重要な生活道路として機能しているところもある。 また、和歌山や吉野方面の山を歩き回っていると知らず知らずに熊野古道を登山道として利用していることも多い。
昨今は世界文化遺産に登録されることにより観光客が激増し遺産そのものが荒廃したり、その地域に生活する人にも様々な影響を及ぼすという弊害も報告されているが今のところ熊野古道に関しては上手に運営されているようである。
熊野古道は大きく分けて、
1)紀伊路 (和歌山市から田辺市)
2)中辺路 (田辺市から山岳部を通り熊野大社)
3)大辺路 (田辺市から海沿いに熊野大社)
4)小辺路 (高野山から熊野大社)
5)伊勢路 (伊勢神宮から那智大社)
6)大峰路 (吉野から大峰山脈縦走路を行き熊野大社)
の6つのルートがある。このうち、最後の大峰路は日本における有数の山岳縦走路で全踏破には道なき道をテント泊で10日ほどかかるというむちゃくちゃな参詣道である。 このコース以外はよく整備された道であるが、はっきり言って「ハイキング道」ではなくあくまでも「よく整備された登山道」であることを肝に銘じておかなければならない。 また、所々に「王子」と呼ばれる道標のような目印があり、休憩所になっていたり中には宿泊施設もある。昔はここには神社がまつられておりコースの大事なポイントとなっていたようである。 この王子を一つ一つ辿りながら距離をかせぎ、いにしえの昔に想いをはせながら詳しい王子の説明書きなんかを読んでいくのは実に楽しい。
今回のお話は観光協会の回し者ではないが熊野古道についての報告とご紹介である。 今までは、いわゆる山登りのお話ばかりで、少々、ワイルド、悪く言えば「がさつ」な話が多かったが、今回は誠に知性と教養に満ちた上品なお話である。
初めて本格的に熊野古道なるものに挑戦したのが平成17年正月の2日であった。天王寺午前8時発のスーパーくろしお1号に乗っても紀伊勝浦に着くのは午前11時30分である。 ここからバスで那智大社にある青岸渡寺につくとすでに時刻は正午を過ぎているのである。 ここから熊野古道の一つである那智大社と熊野速玉神社を結ぶ「大雲取越え」の起点である大門坂が始まるのであるが、1000メートル級の峠を4つも越えるコースである。正月の初詣でにぎわう那智大社から少しでも離れるともう人影はなくなる。
昼過ぎに大門坂を出発するが、すぐにかちんこちんの積雪のある道となりアイゼン装着。 よく写真で見かける苔むしたきれいな熊野古道はほんのわずかでほとんどは普通の登山道である。 道自体はよく整備されていて道標も完備。「王子」という道しるべに沿って歩き標高1000メートルほどの大雲取山の峠を越えると地蔵茶屋跡に着く。 時刻はすでに夕闇迫る午後4時30分。 正月というのにここまでに出会った通行人は皆無という寂しい限りの熊野古道である。 ここからは下り坂となるが、「胴切り坂」という昔はよく追い剥ぎがでたという物騒な所を過ぎると目指す小口の宿である。 すっかり真っ暗になった午後7時、ヘッドライトを頼りに森林の中を歩くのもおつなものである。「もっと遅くなると思っていたけど結構早いねえ」という民宿のおじさんの出迎えを受け、早速、夕食をいただいているとなにやらおじさんの怒っている声が聞こえるのである。どうやら、道に迷っている人がいるらしく今からトラックで迎えに行くらしい。 とにかく、このコースは中途半端な装備や歩き方で行くと途中で時間切れになりいわゆる遭難さわぎになると思われるのだが、いったいどんな人が迷ったのであろうか。
がらり夜が明けて翌朝。 小雪がちらついている。 この日は5時間ほどの歩行時間であるが、川湯温泉で一風呂浴びてから熊野大社よりバスで田辺まで帰るとなると出来るだけ早く出発しなくてはならない。 早々に食堂で朝食を待っている時にいろいろな情報から昨夜の顛末が判明したのであった。助け出されたのはなんとフランス人の青年と日本人の女の人のカップルであった。 どういう間柄かは知る由もないが女の人の話しで事の真相が明らかになった。 なんでも今回の目的は、なんとこの青年が精神的に「ひ弱」なので、大雲取越えの熊野古道を歩きその精神を鍛え直そうとしているというのである。 昨日の行程を聞くと、彼らは私とは逆に熊野大社方向から小雲取山を越え、本日は大雲取越えで那智勝浦へ行くというのである。ところが、昨日熊野大社を出たものの予想以上の急坂と積雪にぐずぐずしてしまい宿から2キロくらいのところで寒さと空腹でダウン。 とっぷりと日が暮れた山中で偶然つながった携帯電話から助けの知らせを宿屋のご主人にしたというのである。 見ると二人とも小さなリュックと普通のスニーカー。 雪のためにスニーカーやズボンはびしょぬれの状態。この装備では凍死の恐れさえありさすがに宿のおじさんからきびしい注意を受けるのも無理からぬところである。 さらにである。 今日の行程は昨日より明らかに厳しい大雲取越えである。 積雪や凍った川底の登山道などいろいろ情報を伝えたが、わざわさフランスから「修行」のために熊野古道を訪れたという若者にここからは危険なのでやめなさいというのも忍びがたく、では出来るだけ早く宿を出立、「十分注意を払い、しっかり修験道の道を究めるのだ」と申し上げ別れたのであった。
あの後、フランスの二人ずれはどうなったのであろうか。願わくばしっかり修行の道を究め、立派なフランス人の山伏になることを祈るのみである。
さて、私といえば、最近は小辺路ルートを集中的に歩いている。 南海九度山駅から続く「町石道」を辿り高野山まで歩ききった。 残りはさらに南下して高野龍神スカイラインを沿いながら護摩壇山、伯母子峠、十津川村に入り、果無峠を乗り越えて熊野大社に至るのに4日は掛かるというのである。 なんともはや、魅惑的なコースであろうか。 中辺路は前半の紀伊田辺から近露王子まで、紀伊路は海南から御坊までを歩きつないでいる。 大峰路にいたっては山上が岳周辺と弥山周辺のみで、テントを担いで1週間という縦走は果たし可能なのであろうか? 目の黒いうちに難しいところは歩いておきたい。 別に遠くに行かなくても知らないところはいくらでもあるのである。
というわけで、晴れて世界文化遺産となった熊野古道を紹介する文章を作ってみた。 これから山登りを始めようとする方、歴史に興味をお持ちの御仁にはうってつけのコースである。 みなさんもどうであろうか。 日本アルプスもすばらしいが身近な熊野古道を少しずつ歩きつないでゆくというのも実にすばらしい。 全国、いや世界各国からも熊野古道を訪ねてこられるようであるしその人たちとの交流もまた楽しいのではないだろうか。
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