中年の山歩き (石鎚山 編)
「撤退を決断できる勇気を持て」 とか、「退却できるリーダーは一人前」とかのたもうている山の本は多い。 確かに、頂上を極める事も大切だが天候の変化、安全に下山できる体力のことも考えて登頂をあきらめることは少なからずあると思う。
これは、人生のいろんな局面でも遭遇することであり、なにか目標に向かって長い間計画をあたため、実行に移すが、あと一歩というところで予期せぬ事態が発生、涙をのんで中止。しかし、後になって考えると、そのまま押し進めたら実行はできたが結果ははたしてとんでもないことになり、中止は賢い選択であったということがある。
とかなんとかいうが、数ヶ月前から計画し、万難を排して登りつめ、頂上までもう後一歩というところで力つき涙ながらに下山というのは実にくやしい。 今回の山行きは、四国、石鎚山における苦節2年間、聞くも涙、話すも涙の退却編、執念のリベンジ編の豪華2本だてである。
平成12年3月17日、ついに四国の山に触手をのばすこととなった。3月下旬ともなればいくら日本百名山、石鎚山でも温暖な四国のこと。 しかも中腹までロープウエーで運んでくれるとなれば日帰り登山は十分可能であると判断した。
夜の10時、大阪南港フェリーターミナルよりオレンジフェリーに乗船、興奮のあまり船内をうろうろしている間にほとんど眠らぬまま翌朝5時に四国は愛媛県東予港に到着した。そこから、ギュウギュウ詰めの無料バスで伊予西条駅、そこで乗り換え石鎚山ロープウエー前についたのが午前9時前になっていた。
ところがである、前日からの気圧配置はよりにもよって真冬並の寒気団が日本海に南下、そこへ太平洋岸に低気圧が接近という天候悪化の様子。天気予報によると四国地方は朝から雨、愛媛県地方はなんと全国で唯一大雨注意報が発令されているという、これ以上はないというくらい悪い予報なのであった。
さすがに気象庁の予報はすばらしい、と感心している場合ではない。伊予西条をでる頃よりバラバラ雨が降り出し、ロープウエー下では本降り、へたをすると土砂降りにちかいという冷たい雨が降っている。スノーボードを担いだ若者たちに混じってたった10分たらずで終点の成就駅についた。ところが、驚くべき事に下界では大雨がこちらではそっくり大雪に変わっていたのである。それもそのはずで標高1500メートルというのは下界より12−13℃くらい低い氷点下の世界なのである。
当初、東予港から貴生川駅、二の森山のほうへ入り尾根伝いに石鎚山へ達してロープウエーで下山とも考えていたのだが、ロープウエーで往復にしたのは正解であった(後でわかったがこれはほとんど自殺行為であった)。
人気のない成就神社横の登山口からはすでに重い新雪となっておりなんともしんどい登りである。 登り初めて2時間、雪はますますひどくなり夜明峠にたどり着く頃には腰までのラッセルとなってしまった。 上から下山してきた2人組の屈強そうなパーティーも二の鎖までいって諦めたとのこと。なんじゃそら、四国まできてそらないやろ、と思いながらもますます風雪はきつくなっていく。とうとう二の鎖下の避難小屋まで続く稜線では吹雪のためほとんど前が見えない状態になった。
映画のタイトルではないがいわゆる「ホワイトアウト」というやつである。これは、ええ経験したと感心している場合ではない。なんとか屋根まで雪にうもれた二の鎖の避難小屋にたどりつきふっと後ろを見ると、なんと歩いてきた足跡がすでに消えかかっているではないか。 これは洒落にならん状態なのである。 地図上では頂上まであと少しのはずであるが下山時にルートも見えないようであればこれはすなわち「冬山遭難」である。 温暖なはずの四国でよりにもよって、大雪にみまわれたのである。ここは涙をのんで退却しかない。なんともくやしい。
がっかりした体に帰りの道の長いこと長いこと。装備も貧弱だったのでズボンや靴の中に雪がはいりびしょぬれの状態、精も根も尽き果て下山したのであった。
さて、1年後の平成13年3月17日。なにが何でも同じ日に登らなくてはならない。この1年間はいろいろ考えた。まず、冬山の装備を整え、10本爪のアイゼンもそろえた。日々、スポーツジムで筋トレもした。夏から秋にかけて北穂高ー奥穂高縦走を含めいくつかの縦走登山もした。2月中には何回か比良山系に入り、冬山の訓練もした。ロッククライミングの会に入り岩登りの初歩も学んだ。(9月に御在所岳で岩場から転落、左膝を強打、次の日から歩けなくなりY整形外科,Y先生にお世話になるということもあった。)
今回はあのしんどいフェリーはやめて鉄道で伊予西条に入り一泊、翌朝バスで入山することにした。今年もやはり雪は多いが去年ほどではない。天気もまあまあ。ゴアテックスの上下も快適で例の10本爪アイゼンもよく効いている。約2時間で前年引き返したあの怨念の場所に到達した。1年間思い続けてきた場所である。
ここからはもう一息のはずであった。ところがどっこい、ここからが地獄であった。前日からの雨で二の鎖の岩壁はとんでなく氷づけになっておりアイスクライミングのパーティーでないと登れない。仕方ないので巻き道をたどったがここも膝までのラッセルの連続、すでに氷の棒となったロープ、鎖の類をつかんでなんとか三の鎖へ、ここも氷の壁になっていたがアイゼンと岩にしがみついて登攀。午後0時30分、苦節1年やっと頂上(1972メートル)にたどりついたのである。
ここで判明したのであるが、1年前、あそこで引き返したには大正解であった。撤退した場所から頂上まではそれまでとほぼ同じぐらいの体力を要する登りが待っていたからである。 しかも、去年の悪天候では頂上までは到底不可能であった。
あーよかった。すっきりさわやか、これで1年間の胸のつかえがすーっと氷解する思いであった。 帰りも慎重にアイゼンをきかして下山、大阪に帰ったのは午後10時頃であった。
いずれにしても、四国の山は結構きびしい。撤退する勇気も大切であると悟った石鎚山であった。