中年の山歩き(愛宕山編

 日頃、いろんな場面でタイミングの良い時とさっぱりうまくいかない時がある。
山登りで電車、バスを利用する時もバスの時刻が(勝手に?)変更になっていたり、本日は年末年始のためダイヤが変わりますなど、予定どうり事が運ばない事も多い。

例えば、交通の便のよいはずの神戸の菊水山に登ったときも新開地から神戸電鉄に乗ると、驚くべき事に「菊水山」という駅には各駅停車の普通電車ですら止まらず、一時間に一本ぐらいの電車のみ止まるということが判明、やっと着いたと思ったら今度は道を間違え新神戸についたのがとっぷりと夜も暮れた夜7時であったこともあった。

一方、駅に着くなり臨時快速電車が滑り込み、駅に着くとバスが待っていてさらにバス停からヒッチハイクするとすーっと優しい運ちゃんのトラックが止まってくれて、頼みもしないのに林道終点の登山口までスイスイで運んでくれる、ということもある。
 
この話は後者のスイスイ編なのだが、ところがどっこい難行苦行の山行きとなったお話である。 時は平成11年末、今となっては懐かしい2000年問題ということで目を血走らせながら12月30日中にすべてのレセプトの印刷も終わり大掃除の残りを済ませた翌日、すなわち、12月31日の大晦日にのんびりと京都北山を歩こうと愛宕山(あたごやま、924M)を選んだのであった。

それだけではつまらないので愛宕山から地蔵山(じぞうやま)、三頭山(みつずこやま)と縦走して星峠からドンドン橋という変てこな名前のバス停にでるというルートを作った。ガイドブックによると愛宕山は京都の人々にとっては誰でも一度は登るというしろもので、「愛宕さんへは月参り」というぐらいポピュラーな山なのである。ということは、大阪でいえば石切さんのようなもので門前市をなすごとく茶店が軒をならべており、食料などは持たずとも楽しいほのぼのハイキングができるはずなのであった。
 
さて、朝7時にJR放出駅に行くと待ってましたとばかりに快速列車が到着、尼崎ですぐに臨時快速列車にのりかえて京都まで40分で着いてしまった。いつもなら、コンビニでおにぎりを仕入れたり、バスのでる間にトーストやコーヒーでエネルギー補給するのであるが、バスの案内所で聞くと次の清滝行きはなんと5分後に出発、あそこに見えているバスがそうですとの事。それでは、と乗客は私一人のバスはあれよあれよという間に大晦日、がら空きの市内を走り抜け30分で清滝に到着した。

ところで、清滝というところは「柚の里」というぐらいで、美しい山あいの静かな村なのであるが、たしかに季節が季節ならば紅葉狩りの後、湯豆腐で一杯やれそうなお店が軒を並べている。ところが大晦日の朝もやの中、すべてのお店は静かな眠りの中であり、ネコの子一匹通らぬ田舎の村なのであった。 私といえば、水筒もないので自動販売機でお茶を2本買い、それではと愛宕山への表参道へとむかった。

ガイドブックによるとこの道は「誰でも登るので」という理由で省略するくらいのしろもので、のんびり歩いているうちに愛宕山神社にたどりつくはずであった。ところが表参道は道幅こそ車道ほど広いが九十九折りの長いこと長いこと、時折、軽装のおじさんやおばさんが駆け足で追い抜いていく。 いわゆるランニング登山というやつである。よく考えれば900メートルという高さは登山口の標高が約200メートルぐらいだったので実は700メートルの直登ということになる。これは楽でも何でもない立派な登山なのである。

元気なおじさん達に負けながらたどり着いたのが12時頃、有名な愛宕山神社の鳥居をくぐるとだだぴろい境内のなかに社務所やお堂があるだけである。 そこにはあるべきはずの重要なおでんと熱燗で一杯できるはずの茶店のたぐいが無い。本堂横の休憩所にはいると数人のおじさんがストーブにあたりながらお弁当をたべているではないか。神社の人に聞くとこの神社境内には食べ物を売るところは無いとのお達し。なるほどさすが、地元の人はそれを知っていて食糧持参で参るのであると感心している場合ではない。幸い、非常食として持っている干しぶどうと自販機のコーンスープで何とか腹をみたし、縦走に移った。

しかし、天気は上々、はるか下の亀岡盆地には濃い霧が雲海のようにたまり、まるで墨絵のような美しさである。愛宕山とは違って人気のない雑木林や一面のささ原の道を上り下りして地蔵山頂上(948M)に到達。一服といっても紅茶と干しぶどうだけなのだがまあ、人間一回ぐらい飯抜きでも死ぬことは無いと言い聞かせてさらにつぎの山へ。
 
思い起こせば、3年くらい前に天理市の大国見山に登ったときも前の晩に作った弁当のうちお米をつめたタッパーだけをもってきてしまいみかんをおかずにご飯を食べたという以来のはらぺこ登山である。

いったん、芦見峠に下り、三頭山(728M)へは展望の利かない植林地の中をひたすら登り三角点にタッチしてから走るようにして星峠に下る。 星峠とは何ともきれいな名前であるが、別になんということもないところで、薄暗くなった山道をいくとドンドン橋というこれがまた寂しいところである。 ほんとにバスが来るのかと思っているとまさに時刻表どうりにやってきたのである。バスの運転手さんに聞くとこのバスはJR八木駅に着くという。よく分からんが、なにがしかのめし屋ぐらいはあるだろう、そうすればおでんと熱燗で一杯ありつける。 

ところが、とっぷりと日も暮れた大晦日、午後6時についた八木駅というのがまた寂しい駅前で、少し離れたところに町らしきところがあったが駅周辺にはなにもなかったのである。しかも、例によって30分に一本という列車がまもなく到着、もうこうなると列車の旅もなにもなく、ただ自宅に着くというのが目的のただのおじさんになってしまった。

家に着いたのが午後8時、「空腹は最高のソースである」というが気が狂ったようにありついたうどんすきがこの世の極楽であったのはいうまでもない。
 
いずれにしても、物事がうまく運びすぎるのも良し悪しである程度の程度の時間の余裕も必要なのであった。というわけで愛宕山でも場合によっては疲労困憊、大変な山なのであった。


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