遠野家のコン・ゲーム


「いい天気ですねー」
 のどかな呟きと共に、琥珀さんはプラスチックのコ
ップに入ったお茶を啜った。
「本当に。昼食を外で、というのもたまにはいいわ
ね」
 重箱の中はほぼ空になっていて、秋葉も魔法瓶を傾
け、自身のコップにお茶を注いでいる。
「翡翠、リンゴ食べる?」
「いえ・・・」
 俺は重箱に残っているウサギの形に切られたリンゴ
を指差したが、翡翠は恥ずかしそうに顔を俯けてしま
った。
 土曜日の昼下がり。
 朝からの約束で早く学校から帰ってきた俺は、秋葉
達と共に庭で昼食を取っていた。
 普段は翡翠達は俺や秋葉とは別々にご飯を食べてい
るのだが、提案したのは琥珀さんだし、そもそもこう
いう昼食はみんなで食べるもんだという俺の意見が通
って、俺、秋葉、翡翠、琥珀さんの四人は重箱を囲む
事となったのだった。
「そういえば・・・」
 俺は不意に、昔の事を思い出した。
「何ですか、兄さん?」
「いや、懐かしいなと思って。遊び疲れた俺達、よく
ここでおにぎり食ってただろ」
「よく・・・って、主に食べてたのは兄さんじゃない
ですか。わたしや翡翠はせいぜい一人一個がせいぜい
だったと思います」
「そうだったかな。まあ、一番動いてたんだから、腹
が減るのは当然だろ?」
「それはまあ、わたし達は兄さん達に引っ張られ回さ
れていただけですもの」
「今、追いかけっこをしたら、一瞬で追い付かれそう
だけどな」
 ボソリと呟いた俺の一言に、秋葉の髪が瞬時に赤に
変色する。
「・・・何か言いましたか、兄さん?」
「・・・いえ、何も」
 俺は慌てて翡翠の方に話を逸らせた。
「あ、あの頃は翡翠も活発だったよな」
「あれは・・・わたしも志貴さまにあわせようとして
いただけです。わたしも本来は、動き回るのは苦手で
・・・」
「言い訳はいいわよ、翡翠。あなただって兄さんの味
方だったもの」
「そんな、秋葉さま・・・」
 翡翠が哀れそうな顔をする。
「鬼ごっこをしても、真っ先に鬼にタッチされてたの
はしっかりと憶えています。ええ、兄さんにも翡翠に
も、すぐに追い付かれてしまっていましたね、確か」
「秋葉・・・まだ根に持っているのか?」
「まさか。ただ、今勝負したらどうなるか、考えただ
けで口元が綻んでしまうのは仕方のない事ですけど」
 ・・・また、髪が赤くなってるし。
「翡翠・・・こりゃ、相当恨んでるな」
 俺が翡翠に囁くと、翡翠は小さく頷いた。
「はい。確かに一番足が遅かったのは秋葉さまでした
けど」
「鬼ごっこってのは、足の遅いのを狙うのは鉄則だよ
なぁ」
「わ、わたしからは、その辺は何とも」
「そこ! 二人で何ごちゃごちゃ話してるの! ほら
、琥珀からも何かいってあげなさい!」
「と申されましても。わたしは参加してませんでした
から」
 あっさりした琥珀の言葉に、その場の空気が固まっ
た。
 そうだった。
 俺や秋葉達が庭を駆け回っていた時、琥珀さんはず
っと屋敷に軟禁されていたんだった。忘れていた訳じ
ゃないけど、思わぬ方向に話が弾んで琥珀さんをない
がしろにしてしまう形になってしまった。
「ごめん、琥珀さん・・・つい、うっかり」
「いえ、謝る事はありませんよー。わたしもお話聞く
のは楽しいですから」
「いや、でも・・・」
 言葉を探すが、思い付く台詞が見つからない。この
会話を続ける事自体が、泥沼くさかった。しかし、こ
の気まずい雰囲気には何かフォローを入れとかないと
・・・。
 その時、俺の頭に閃くものがあった。
「そうだ・・・」
 俺はそのアイデアに即座に飛び付いた。
「せっかくだから、琥珀さん、鬼ごっこしない?」
「はい?」
 琥珀さんは、困ったような笑みを浮かべた。
「兄さん、一体何を?」
「だから鬼ごっこだよ。八年前、確かに俺は琥珀さん
を外に連れ出して遊ぶ事が出来なかった。それについ
てはもう、どうしようもない。時間を巻き戻す訳にも
いかないからな」
 俺は一呼吸ついて、言葉を続ける。
「けど、それなら今から共通の話題になるような事を
作ればいいじゃないか。そしてまた、こうやって四人
で集まって笑いながら話せるようになればいいと思う
んだけど・・・琥珀さん、どう思う?」
「え、ええと・・・わたしは」
 琥珀さんは困惑していた。
 ・・・まあ、いきなりこんな提案されたんじゃ当然
か。
 俺は翡翠に視線を移した。
「じゃあ、翡翠はどう思う?」
「わたしは志貴さまの提案に賛成です」
 翡翠の言葉に、琥珀さんは驚いて翡翠の顔を見た。
「ひ、翡翠ちゃん・・・」
「よし、翡翠は賛成、と。それじゃ秋葉は?」
「わたしとしては、賛成すると言うよりもむしろ反対
する理由が見つからないというべきかしら。当然、賛
成です」
 秋葉はにっこりと微笑んだ。
「琥珀に鬼ごっこの参加を命じます。多数決と課長命
令、どちらにしてもあなたに選択権はないわよ、琥珀
」
「・・・・・・」
 琥珀さんはしばらく考え込んでいたが、やがて、
「分かりました。それじゃ、わたしも参加させてもら
いますね」
「よし、決まった。それじゃ、さっそく・・・」
 俺が立ち上がろうとした時、翡翠が口を挟んだ。
「ですが、秋葉さま」
「何? 翡翠、何か問題でもあるの?」
「提案自体には何の問題もございません。ただ、人数
が少々不足しているかのように思われます」
「それもそうね・・・」
「確かに。もうちょっと人数を増やしたいところだな
」
 俺は座り直した。
「秋葉、このゲームは昔のローカルルールを採用する
のか?」
「当然でしょう」
「あの、ローカルルールって何ですか?」
「ああ、琥珀はしらないのね。うちの鬼ごっこは他と
はちょっと違うのよ。タッチされた方は当然として、
本来の鬼もそのまま鬼を続行っていうルールなの」
「え・・・? それじゃ、鬼はいつまでもそのままな
んですか?」
「ええ。時間まで生き残れば人間側の勝ち。全員鬼に
なれば、最初の鬼が勝ちになるのよ」
「なあ、秋葉。このルールって誰が考えたんだっけ?
」
「わたしは、遠野家に代々伝わる伝統ある鬼ごっこと
聞いていますけど?」
「そうか。でも、これって・・・」
「どうかしましたか、兄さん?」
「いや・・・」
 俺は軽く頭を振った。昔は全然そんな事、考えもし
なかったけど、どうもこのルールはある種族を連想さ
せられて仕方がない。
「という事は、賞品ルールも・・・?」
 翡翠の言葉に俺は頷いた。
「当然だろうな。ちなみに琥珀の為に説明すると。そ
れぞれの持っている宝物を持ち寄ってそれを賞品にす
るんだ。だから、みんな必死になる」
「それって面白いですけど、ちょっと怖いですね」
「勝負にはリスクがつきものって事だよ。さて、人数
の問題は、知り合いを何人かよぶつもりだけど・・・
秋葉、構わないよな。」
「ええ、それは全然問題ありませんけど。兄さん、以
外と顔が広いみたいですし。それでしたらいっそのこ
と、明日は日曜日ですし、明日丸一日を使ってしまう
というのはどうです?」
「そうだな。人を集めるのにも時間がかかることだし
」
 俺は頷きながら、頭の中で人数を数え始めた。
 翌日。
 午後九時の天気は、ほぼ太陽の隠れた曇り空だった
。
「・・・それで兄さん」
 秋葉は頭痛を堪えるような表情で俺に尋ねた。
「この面子は一体なんですか、一体?」
「この面子ってのはあんまりじゃないか、秋葉ちゃん
」
「そうですね、乾君」
「そうそう。呼んでおいて、それは無いんじゃないの
、妹?」
「あたしが呼んだんじゃありません! 兄さんが呼ん
だんです! それとその妹って呼び方はやめてくれま
せんか、アルクェイドさん!」
 そして、秋葉はギロリと俺を睨み付けた。
「説明してもらいましょうか、兄さん?」
「あ、ああ。それなんだけど・・・」
 俺は指を折りながら、あれからの昨日の行動を思い
起こした。
「まず有彦に連絡を取ったんだよ。そしたら、たまた
ま居合わせたシエル先輩も参加したいって言い出して
・・・そうなると、アルクェイドも呼ばない訳にはい
かないだろう?」
「そりゃそうよ。シエルだけ呼んどいて私を呼ばない
なんて真似したら、末代まで祟ってやるんだから」
「お前なら、本気で遠野の一族が滅びるまで恨みかね
ないもんな」
 俺はため息をついた。
「あと、うちのクラスから弓塚さんも参戦。唯一まと
もな子かも」
「あ、お邪魔してます。遠野君のクラスメイトの弓塚
さつきです。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします、先輩」
 表向き礼儀正しく挨拶してから、秋葉は再び俺を睨
んだ。
「兄さん、ちょっといいですか?」
 秋葉が引きつった顔で手招きする。
「な、何?」
 俺が近づくと、秋葉は俺の耳元に口を近づけた。声
を潜め、話し合う。
「どこが唯一まともなんですか! あれ、目が赤い方
・・・つまり、吸血鬼バージョンじゃないですか!
 何だって、あんなのが昼間から活動しているんです
か!?」
 俺は窓の外をチラッと見た。
 多分、曇り空だからなんだろうなーとは思ったが、
確証は持てないし、聞く訳にもいかないだろう。本人
はとぼけているつもりなのかも知れないし。
「でも、他の面々に比べればマシだろ! 空想具現化
を使うアルクェイドやお前の紅赤朱バージョンに比べ
ればずっと! そんな事を言うなら、お前だって他の
友達とか呼べば良かったんだよ。以前言ってたルーム
メイトとか、晶ちゃんはどうしたんだよ!?」
「そ、それはそうですけど・・・仕方ないじゃないで
すか。うちは全寮制ですし、隣の県から呼ぶには遠す
ぎるんです!」
「なるほど。それは納得行った。しかしだ、それより
も、俺はお前に聞きたい事がある」
「偶然ですね。わたしもです」
 俺と秋葉は同時に口を開き、同じ方向に視線を向け
た。
「あれは秋葉が呼んだのか?」
「あれは兄さんが呼んだのですか?」
 俺と秋葉の視線の先には、やたらと筋肉質なおっさ
んと、着物姿の少年の姿があった。
「人を呼びつけておいてあれ呼ばわりとは失礼な奴だ
な、小僧」
「呼んでない呼んでない。少なくとも俺は呼んでない
」
「実の兄に向かってあれ呼ばわりはあにだろう、秋葉
! さあ、遠慮なく四季兄さんと呼んでいいんだぞ!
」
「アルクェイド、犯人はお前かっ!?」
「じょ、冗談でしょ? なんで私がネロなんて呼ばな
きゃなんないのよ!?」
「じゃあ、シエルせん・・・ぱ・・・あ、あの、黒鍵
突きつけるのは止めて欲しいんですけど、先輩?」
「いくら遠野君でも言っていい事と悪い事があります
よ? どうしてわたしが死徒をわざわざ招き入れるん
です? 罠に掛けて滅ぼすのならまだしも」
「そ、そ、そうですよね? でも先輩、制服姿で黒鍵
は似合わないからやめようね?」
 すると、先輩はあっさりと黒鍵を引っ込めてくれた
。た、助かった・・・。
「そうですね。それにしても、一体誰が彼らを呼んだ
のでしょう。よりによって遠野四季まで・・・」
「あ、それならわたしです」
「こ、琥珀さん?」
「はい。せっかくですし、縁の深い人を呼ぼうと思い
まして。招待状を送らせて頂きました」
「縁というより因縁と言うべきなんでしょうね、彼ら
の場合」
「言うな、秋葉。もう一人の方が出て来て三人に増え
てないだけマシだと思え」
「そうします」
 駄目だ。俺までメタな事を口走りつつある。
「あと、もう一人招待状を送ったんですけど返送され
てしまいましたし」
 残念そうに言う琥珀さんの手には、白い封筒があっ
た。
 名前を確かめると、『蒼崎 青子 様』と書かれて
いる。
「・・・ブルーなんか呼んだら、屋敷が崩壊するわよ
、志貴?」
「だから、俺は呼んでないってば!」
「まあ、いいですわ」
 秋葉は溜め息をつくと、居間のみんなを一瞥した。
「みなさん、それぞれわだかまりはあるでしょうけど
、ここは遠野家の屋敷です。血なまぐさい真似だけは
お控え願いますね」
 お前もな、と敢えて口に出しては言うまい。わざわ
ざ死期を早める必要もないだろうし。

「それでは、全員揃ったようですね。それではわたし
、遠野秋葉からルールの説明をさせて頂きます。今回
の鬼ごっこは遠野家ローカルルールを採用させて頂き
ます。最初にジャンケンで決めた鬼は、相手にタッチ
してもそのまま鬼の役を継続します。つまり、鬼が二
人に増える訳ですね」
「はーい、妹質問―」
「だから、妹と言うのを・・・!」
 コホンと咳払いをして、秋葉はアルクェイドに尋ね
た。
「話が進みませんからこの点については後でゆっくり
話し合いましょう。それで、何ですか、アルクェイド
さん?」
「じゃあ、どんどん鬼が増えて行く訳だよね。それで
、最後の人間が鬼になっちゃったらどうなるの?」
「今回のゲームには制限時間を設けます。現在九時半
ですがゲームの開始時間は午前十時、終了時間は午後
四時の全六時間となります。それまで生き残っていら
れたら、その人が勝者となります。皆さん、参加条件
の賞品はお持ちですね?」
「えーと、わたしの場合は持ってるって言うのとはち
ょっと違うんだけど、話を先に進めてもらえるかな」
「? まあ、いいです。仮に生き残った人が複数だっ
た場合、賞品は山分けとなります。全員が鬼となった
場合は、最初の鬼が勝者となります」
「なるほどね。つまり、最初の鬼が吸血鬼で、どんど
ん死徒を増やして行くって訳だ」
 アルクェイドの言葉に、シエル先輩の頬がヒクッと
引きつった。
 そう。それは俺も同じ事を考えていた。つまり、こ
れって伝染する鬼・・・鬼ごっこと言うよりも吸血鬼
ごっこと言うのが正確じゃないんだろうか。
「じゃあ、シエルは絶対に捕まる訳にはいかないわね
。まさか、埋葬者が吸血鬼の役なんて、シャレになん
ないもの」
「なお、私を含めてやや特殊な能力をお持ちの皆さん
を対象にしての話ですが、出来る限り非常識な能力は
お控え下さい。せめて、人間レベルでの非常識程度に
留めて頂けると幸いです」
「ちょっと待ってくれ秋葉。なんだ、そりゃ?」
「つまり、兄さんの直死の魔眼やネロさんの使い魔は
ともかく、私の略奪やアルクェイドさんの空想具現化
は反則、という訳です」
 分かったような分からんような。
「ねえ、妹。それってずいぶんと曖昧みたいに思える
んだけど、例えば二階の窓から飛び降りるとかはあり
なの?」
「ありです。つまるところ、これは能力者達の良識に
任せるしかない訳です。皆さん、能力を使用する前に
、一応一般人も参加している、という事をお忘れなく
」
 俺は思わず有彦を見た。
「まあ、お前なら二階から飛び降りるぐらいの事はし
かねないな」
「どういう意味だ、そりゃ」
 言葉通りの意味だよ。
「なるほど、納得行ったぞ女」
 よりにもよって、一番最初に理解を示したのはネロ
だった。さすがは学者先生だけの事はある。
 目をぎょろりと見開き秋葉を睥睨しているのは、ひ
ょっとすると多分、肯定の意味なんだろうか、あれは
?
「つまり私の場合は“創世の土”が反則に当たるとい
う訳だな。先に確認しておくが、もし万が一私が鬼だ
った場合、使い魔による対象への接触は有効になるの
かね」
「なりません。これを認めてしまった場合、一瞬にし
てゲームが終結してしまう恐れがありますから」
「了解した」
「さて、必要なルールの説明は終わりました。それで
は、残るは皆さんの『宝物』をご提出願います。一応
、これが参加資格となります」
「昔はビー玉とかだったんだけどなぁ」
 俺は呟きながら、自分の短刀を取り出した。
「俺の場合はこれ、『七夜の短刀』だけど一応ゲーム
中は持っててもいいよな。必要になりそうだし」
「結構です。それでは次は?」
 秋葉の言葉に、ネロが一歩進み出てコートの胸元を
開いた。黒い影が飛び出たかと思うと、一匹の黒犬が
姿を現した。
「では、私はこの愛犬クールトーを差し出そう。宝と
しての価値は充分あるだろう」
「ク、クールトーですって・・・?」
 シエル先輩の顔が引きつった。
「知ってるの、先輩?」
「十五世紀、英仏百年戦争時代に三百匹近い群れを率
いてパリ周辺を横行していた伝説の狼王です。でも、
あれは犬だから多分、違うと思いますけど」
「不満ならば、ベートとロボも差し出そうか? 私は
一向に構わないが」
 ベートはともかく、俺だってシートン動物記の有名
なタイトルぐらいは知っていた。あくまで、それにち
なんだ名前、と信じたい。でもこのおっさん、一応千
年単位で生きてるんだよなぁ。
「一匹で結構です。まあ、本人がどうしても、という
のなら承りますが」
「それじゃ、次はわたしね。原田知世のアルバムだけ
どいい? 他にめぼしいのがうちにはないんだけど」
「問題ありません。本人が大事にしている、というの
でしたらそれで宝物ですから」
「よかった。それじゃ、わたしも無事参戦出来るって
訳ね」
「でも、カレーパンじゃ・・・駄目なんでしょうね、
きっと」
 俺の隣でシエル先輩が呟いたが、俺は敢えて無視し
てあげる事に決めた。
 秋葉が弓塚さんからCDを受け取りテーブルの上に
置いたのを見計らい、シエル先輩が進み出た。
「それではわたしはこの、第七聖典を掛けます」
 ドスン、とどこから取り出したのか巨大な重火器が
秋葉の目の前に置かれた。
「こ、これは・・・いいんですか?」
「もう一つの宝物は駄目そうですし。他の人達もそれ
なりの対価を支払っていますから、わたしだけって訳
にも行きそうにありませんからね」
 とはいえ、吸血種の皆さんならともかく、こんなも
ん一般人が貰っても使い道に困るぞ?
「ええと、まだの人は・・・」
「はーい。わたしまだ出してないよー」
 大きく手を上げて振り回しているのはアルクェイド
だった。
「はい、アルクェイドさん。ですけど、何も持ってな
いみたいですけど」
「へへー」
 アルクェイドは笑みを浮かべながら、俺を見た。
 悪寒。
 それもとてつもなく嫌な悪寒。
「ごめん。俺ちょっとトイレ」
 ・・・俺は素早く踵を返し、居間を出て行こうとし
た。が、遅かった。
 ガシッとアルクェイドに襟首を掴まれた俺は、その
まま秋葉の前に突き出された。
「わたしの宝物はこれ! ネロの件もあるし、別に人
間が賞品でもいいんでしょ?」
「いっ!?」
「なっ!?」
 声を上げたのは秋葉とシエル先輩。いや、他のみん
なも声こそ出さないものの、口をあんぐり開けたり動
揺を隠せない様子だった。
「ふむ、一理あるな、姫君」
 ・・・何事にも例外は存在するみたいだけど。
「我が混沌が認められるのならば、人間を賞品にして
認められるのもまた道理」
「でしょ? 本当は千年城とか黄金一トンとかも考え
たんだけど、あんまり俗っぽいしつまらないもの。そ
れに、今一番大事なのが志貴なのは確かだし――」
「だぁっ! 認められるかぁっ! 勝手に人をモノ扱
いするんじゃないっ!」
「あ、大丈夫だって、志貴。鬼になろうが逃げようが
、どーせ私が勝つんだもん。心配いらないわよ」
 大いに心配だった。
「じょ、冗談じゃありません! 誰がそんな無体な真
似を認めるものですか!」
「そうですっ! よ、よ、よりにもよって遠野くんを
賞品にするだなんて、そんな――」
 案の定、反対派筆頭の二人がアルクェイドに食って
掛かった。
 見ると、翡翠も困ったような顔をしているし。
 ・・・何故に、そんな楽しそうな顔をしているかな
、琥珀さん?
「でもよー」
 一触即発の三人の間に割り込みこそ掛けなかったも
のの、声を出したのは有彦だった。この自称俺の親友
に、怖いものはないのだろうか。
「何ですか、先輩。私達は今、忙しいんですけれど」
 髪まで真っ赤に染めて爆発寸前の秋葉が、ムッとし
た表情で有彦に尋ねた。
「オレはどうでもいいんだけど、もう一度確認するぜ
? 遠野が賞品になるって事は、勝った人間は遠野を
手に入れられるって事だよな? いや、オレはこんな
奴貰ってもしょうがないんだけど」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 二人は有彦の言葉に虚を衝かれた様子だった。
 秋葉がコホンと小さく咳払いをした。
「ま、まあ、生き物も賞品として認められるわけです
し。私情を挟むのもこの際大人気無かったと認めるべ
きなんでしょうね」
 おい、秋葉。
「そうですね。確かに問題があったかもしれません。
いいでしょう。私もここはアルクェイドの言い分を認
めて、遠野くんを賞品にするのも是とすべきかと思い
ます」
 おいおい、シエル先輩。
「お、俺の意見は?」
「ないよ?」
「ありません」
「民主主義と家長命令と司会進行役、どの権限で反対
されたいですか、兄さん?」
「・・・・・・」
 俺は絶望的な気分で天を仰いだ。
「それではアルクェイドさんの宝物は兄さん、と。ま
さかテーブルの上に置く訳にもいきませんから、受け
渡しはゲーム後という事になります」
「いやぁ、よかったな親友。丸く収まって」
「・・・そうだな、有彦。賞品にしてくれた上に、こ
んな奴扱いしてくれてありがとうよ」
「はっはっは。心配するな、遠野。オレが勝ってもせ
いぜい一週間パシリ程度で釈放してやるから」
 驚くべき事に、有彦は自分の勝利を確信しているら
しい。
 この面子を相手に、どうしてこう勝つ気満々でいら
れるのだろうか、この男は。
 相変わらず、よほどの大物のなのか、単なる馬鹿な
のか掴み所のない奴だった。
「おい、秋葉!」
 叫んだのは四季だった。
「ああ、そういえば貴方もまだでしたね。賞品はなん
ですか?」
「お前だ」
 四季はズビシッと秋葉を指差した。
「は?」
「だからお前だ、秋葉。何て言っても、オレにとって
一番大切なのはお前だからな」
 なんだか、だんだん人身売買じみてきたような気が
するのは俺だけだろうか?
「ちょっ・・・に、兄さん! 何とか言ってやって下
さい!」
「いや、確かに何とか言ってやりたいところなんだけ
ど、俺も賞品だし」
 口に出しては言えないけど、この件に限って言わせ
てもらうと、どちらかというと四季の味方なんだよな
ぁ、俺。
「し、仕方ありません。兄さんも自身を賞品と認めた
のですから、私も認めなければ不公平ですよね・・・
」
「認めてない認めてない。勝手に決められただけだ」
「それでもです! さあ、他にまだ提出していない人
は誰ですか?」
「秋葉、お前は?」
「ああ、私でしたら一日遠野家当主の座です。形ある
ものではありませんが、構わないでしょう?」
 サラリと恐ろしい事を口にする秋葉。しかし、それ
でも他の人間の『宝物』よりまともに聞こえるのは何
故だろう?
「それでは、わたしはこのリボンで」
 琥珀さんが、白いリボンをテーブルの上に置く。
「翡翠は?」
「残念ですが、わたしは今回は参加しません。秋葉さ
まから、無線中継で捕まった人とその場所をお知らせ
する役を仰せつかりました」
「あ・・・そうなんだ。ちょっと残念だな。久しぶり
に、翡翠と追い掛けっこ出来ると思ったのに」
「申し訳ありません・・・」
「次の機会には、翡翠ちゃんも一緒にしようね」
「はい、姉さん。志貴さまも姉さんも、これをどうぞ
」
 俺は翡翠からトランシーバーを受け取った。
「何しろ、この屋敷の敷地内は広大ですので、どこで
誰が捕まったのか分かりません。提案の一つとして、
鬼になった人が黙って鬼になっていない人に接近する
、というアイデアもありましたが、公平ではありませ
ん。ですので今回は、鬼が相手を捕まえた時に、報告
するルールが用いられます」
 翡翠はペコリと頭を下げた。
「わたしはこの居間で待機しています。御用の際には
いつでもお声をお掛け下さい」
「なるほど、分かった。じゃあ、これで全員『宝物』
を出し終えたところで――」
「待て待て待て、遠野! 誰か忘れちゃいないか!?
」
「・・・いや、突っ込む前にさっさと出せばいいだろ
、有彦? それでお前の宝ってなんだ? 極秘のエロ
本十冊セットとか言ったら殴るぞ?」
「はっ! オレがそんな平凡な物を出すと思ってるの
か? 俺のブツは・・・これだ!」
 有彦は、バンッ!と大きな音を立てながらテーブル
の上に分厚いアルバムを置いた。
「ま、厳密にはオレの宝って訳じゃないんだが、こっ
ちの方がよりエキサイトすると思ってだな。わざわざ
本棚の奥を漁って持ってきたんだぜ?」
「あのなぁ、有彦。そりゃ自分の過去の思い出っての
は確かに大切なモノかも知れないけど、お前の写真集
なんかもらって、どこの誰が喜ぶって言うんだよ?」
 俺はアルバムを開いた。小学校から中学にかけての
学校風景や家での有彦の姿が撮影されている。さすが
に行動を共にする事が多かっただけあって、俺の姿も
写真のほとんど・・・ほとんどどころじゃなかった。
「おい、有彦。これ、ひょっとしてまさか・・・」
 俺はアルバムを指差すと、有彦はニヤリと笑った。
「そう、お察しの通り。乾有彦編集により、遠野志貴
少年時代アルバム集だ。さあ、秋葉ちゃん! こいつ
がオレの賞品だ! 当然、認めるよな!」
 しまった・・・。
 こんなネタがあるなら、俺も短刀なんかじゃなくて
有間の家からアルバムを取り寄せるべきだった。
 しかし、もはや手遅れ。既に賽は投げられていた。
「へー、志貴の子供時代ね。どれどれ・・・」
「アルクェイド、駄目です! これは勝利者に与えら
れる賞品なんですから、ゲームが始まる前に見ちゃっ
たら意味ないでしょうが」
「またまた、そんな事言って。シエルだって、本当は
見たいくせにー」
「あ、う・・・そ、それとこれとは別です! わたし
は正々堂々と戦ってこれを手にいれるつもりでいるん
ですから」
「・・・正々堂々?」
「な、何ですか」
「ううん、別にー。普段から闇討ち不意打ち夜討ち朝
駆け当たり前の人から、正々堂々なんて言葉が出たか
ら、ちょっと驚いただけよ」
「喧嘩売ってるんですか、貴方は・・・」
 二人の間の空間が、殺気でグニャリと歪み始める。
 俺は慌てて二人の間に割り込んだ。他に止めてくれ
そうな人がいないんだから仕方がない。
「そ、そこ! 戦闘モードに入るな! 今日は殺し合
いはなしだってば!」
 すると、アルクェイドとシエル先輩は、俺が拍子抜
けするほどあっさりと緊張を解いた。
「分かってるわよ。これは挨拶みたいなものだもの」
「そうですよ、遠野くん。今日が無礼講だって事ぐら
い、わたし達だって承知してますから。ねえ、アルク
ェイド」
「うんうん。まあ、ゲームの時は容赦しないけど」
「それはわたしもですよ。ふふふふふ」
 そして、再び二人の間に緊張感が生まれる。まるで
冷戦だ。
 俺はため息をついた。
 そういう寿命の縮む挨拶はやめて欲しい。

 ジャンケンの結果、よりにもよって琥珀が鬼になっ
た。
「ついてないね、琥珀さん」
「いえ。要は全員を鬼にしてしまえばいいんですよね
。逃げ回るのより気楽ですよ」
「琥珀。目を瞑って百を数え終えたら、動いて構いま
せん」
「分かりました。それじゃ、数え始めますね」
 言って、琥珀さんは目を瞑った。
 それじゃ、俺も動くとするか。
「行ってらっしゃいませ、皆さん。御武運をお祈りし
ております」
「うん、翡翠も中継係頑張って」
「いーち・・・にー・・・」
 背後に琥珀さんの声を聞きながら、俺は居間を出た
。
 さて。
 俺はホールを歩きながら考えた。
 通常の鬼ごっこの必勝法は一つ、鬼のいる位置を把
握できなおかつ相手に気付かれないように監視する事
。さらに贅沢を言うなら、万が一気付かれても逃げら
れるだけの距離が開いていればベストだ。
 が、今回はこの手は使えない。
 何故ならこのゲームのルールでは鬼は入れ替わらず
どんどん増えて行くのだから、監視する対象に自分一
人ではとても追いつかない。
 いや、それよりも・・・。
 俺は振り返った。
「だぁっ! どうしてみんな、俺について来るんだよ
!?」
「えー? だって、志貴と一緒の方が楽しそうだもん
。それに、いざという時二手に分かれて鬼を撒けるで
しょ?」
「アルクェイドの前の言葉はともかく、後ろの言葉に
関してはわたしも同意見ですね」
「でも、それじゃ鬼ごっこの意味が無いんですよ!大
体、この団体の一人でもタッチされたら、一瞬で『鬼
』が全員に伝播しちゃうじゃないですか!?」
「で、そっちの二人は!? 四季と秋葉!」
「知るか。オレの行こうと思ってる方向に、お前が向
かってるだけだろうが。大体、それに関しては昔から
、ずっと同じ指摘をしてたはずだぞ、志貴!」
「そう言われてみればそうだったかもしれないけど・
・・秋葉は?」
「困った事に、兄さんの背中を見ていると追い掛けた
くなるんです。三つ子の魂百まで、と言うべきなんで
しょうか?」
 そりゃ確かに、お前はいつも俺の後ろを追い掛けて
たけどさ・・・。
 三つ子云々というより、これはもうパブロフの犬状
態だな。
「・・・弓塚さんは?」
「あ? え、ええと・・・一人だと、ちょっと心細い
かなーとか思ってるんだけど・・・駄目かな?」
「駄目だよ。さっき、アルクェイドや先輩にも言った
通り、それじゃゲームにならないから。とりあえず、
一旦は全員散らないと・・・念の為聞くけど、あんた
は何でついて来てたんだ?
「私は実戦ならともかく、この手の遊戯は不慣れなの
でな。慣れ親しんでいる面々の動きを観察してどう動
くかを考察していたのだが、大体分かった。早い話が
、いつも通りにすればいいのだな」
「・・・そうして下さい。さあ! みんな散った散っ
た!」
俺は手をパンパンと叩いて、みんなをけしかけた。
「それじゃ志貴、また後でねー」
「遠野くん、お気をつけて」
「ふははははっ。この屋敷の事なら隅々まで知ってい
る。見てろよ、志貴! オレは最後まで生き残って見
せるからな!」
「兄さん。私はとりあえず、自分の部屋で考えます。
いざとなれば、窓から逃げ出す事も出来ますしね」
「ピンチの時は助けてね、遠野くん」
「さらばだ、人間。今度会う時は敵同士かもしれんな
」
 外に飛び出す者、階段を駆け上がる者、一階の廊下
に向かう者、みんな思い思いの方向に向かっていく。
 それを見計らって俺も考える。
 そろそろ、琥珀さんが動き始める頃だろう。俺も移
動を開始しないと。
 と、外に出ようとした時だった。
 あれ?
 ふと気がついて、俺は足を止めた。
 さっき、誰か抜けてなかったか?
 庭を抜け離れの前に到着する。
 後ろを振り返るが、誰もいない。
「はぁ・・・はぁ・・・」
 どうやら、まだ誰も捕まっていないようだ。少しホ
ッとした。
 その時だった。
 ザッ・・・。
 耳につけていたイヤホンから小さなノイズが発生し
た。
『二人目の鬼が生まれました――』
 翡翠の声だった。二匹目の鬼が生まれた、という事
はつまり琥珀さんが誰かを捕まえる事に成功したとい
う訳だ。
 しかし、誰が?
『――現在の鬼は、姉さん、琥珀とネロさまとなりま
す』
「ネロだって・・・!?」
 俺は思わず耳を疑った。そんな。あれは、琥珀さん
の手に負えるような相手じゃないはず・・・。
『――それでは、その時の様子を報告させていただき
ます』
「きゅうじゅうきゅう・・・ひゃーくっ!」
「姉さん、それじゃ行ってらっしゃい。気をつけて」
「あ、翡翠ちゃん。賞品はそこのテーブル?」
「うん、そうだけど。姉さん、机の下で一体何を探し
てるの?」
「うん、ちょっとね。あ、いたいた」
「・・・」
「ねえ、翡翠ちゃん。この子、大人しい?」
「さっき、厨房にあった生ハムを与えたから大丈夫だ
と思うけど。どうするの?」
「ちょっと触れるだけ」
「? 背中を撫でると喜びます」
「おー、よしよし。さて、これで」
「姉さん、今のは一体?」
「ネロさん、タッチしました。これでネロさんは鬼側
となります。翡翠ちゃん、放送でネロさんを呼んでも
らえるかな?」
「どういう事だ、娘」
「ええと、つまりネロさんは混沌なんですよね」
「うむ。私の体内に六百六十六の獣の因子を持つ混沌
の群れ。そして、混沌そのものだが、それがどうかし
たのかね」
「ここにいるクールトー君も混沌ですよね。つまりネ
ロさんそのものではないのでしょうか?」
「しかし、その解釈には一つ大きな欠落が見られるぞ
。腕の一部をもぎ取り、捨てたとする。それに触れた
からといって、ルール上の『タッチ』というものには
ならないのではないか?」
「腕の一部は動きません。もちろん、それが足だろう
と指だろうと一緒です」
「む・・・」
「例えばネロさんが二つに分裂したなら、そのどちら
にタッチしても鬼、という事になりませんか? つま
りクールトー君はネロさんそのものですから、このタ
ッチは有効ではないでしょうか? 理屈の上では、ネ
ロさんイコール混沌イコール黒犬のクールトー君な訳
です」
「うむ・・・なるほど。つまり三段論法で言うならば
、君は私という混沌に触れなければならない。そして
我が使い魔であるクールトーも同じ混沌。その混沌に
触れたならば、私もまた鬼で然るべきということか」
「そういう事です。残念ながら」
「・・・」
 俺はその場で首を捻った。あれで納得したのか?
 学者の考える事はよく分からない。
 それはさておき。ネロが鬼側についた証拠に、俺の
目の前にネロの使い魔である鹿が出現していた。
襲う気はなさそうだが、恐らく監視が目的なのだろう
。俺から目を離そうとしない。
 離れの中に隠れるという手は没だ。
 どこの世界に監視されている目の前で隠れる馬鹿が
いる。
 仕方がない。
 まだ琥珀さんとネロが屋敷にいるというのなら、今
のところは森の中にでも隠れるしかない。
 俺は踵を返して、歩き始めた。
 問題はどうやって、この使い魔を撒くかだな。
 そう思って、離れの方を振り返る。
「・・・?」
 鹿は、離れの前から動いていなかった。何だ、つい
て来ないのか。
 そう思っていると、目の前に黒豹が出現していた。
「うわっ!」
 そ、そうか・・・ネロの使い魔は全部で六百六十六
匹。わざわざ、一人に一匹つけるなんて真似をしなく
ても、各所に設置するだけで充分なんだ。
 ・・・確かに秋葉の言う通りだ。
 手でタッチする、ってルールが無ければ速攻アウト
だったな、これは。
「ふぅ・・・」
 ったく参ったな。一番厄介そうなのが、真っ先に鬼
になるなんて。
 俺は駆け出した。
 それから三十分ほどして。
 俺は使い魔たちの眼を忍んで、木の陰に身を潜めて
いた。
 不意に俺の腹が、くぅ・・・と鳴った。
 時計を確認すると十一時半。
 そうか、そろそろお昼の時間なんだよな。
 ・・・とはいえ、今動くのも得策じゃないだろうし
。
 俺は少しでもエネルギーの消費を防ぐ為に、木の幹
に背中を預けて力を抜いた。
 その時だった。
 ザッ・・・。
 俺はそのノイズ音に危うく慌てて立ち上がりかけた
。
 ・・・三人目か?
『三人目の鬼が生まれました――』
 さっきと同じ調子の翡翠の声。
 今度は・・・誰だ?

「そろそろお昼ご飯の時間だね、翡翠ちゃん」
「でも今日は秋葉さまも志貴さまもいらっしゃらない
でしょうし・・・姉さん、どうする気?」
「運動した後はお腹が空くものだから、簡単な物を作
っておこうと思うの。今日はお客さまも多いし――」
「鍋?」
「惜しい、翡翠ちゃん! 今日のお昼はカレーだよ!
」
「ところで、ネロさまはどこに向かわれたのでしょう
?」
「あ、ネロさんならさっき、一人隠れている人を発見
したからって外に向かったみたい。戻って来るまでに
カレー完成させとこ、翡翠ちゃん」

 俺はトランシーバーのイヤホンを自分の耳から引っ
張り抜いた。
 誰が捕まったかは聞くまでもなかったからだ。
 それよりも、木の上から感じる視線が気になって仕
方がなかった。
 琥珀さんのいう『一人隠れている人』――理屈では
なく直感で、俺の事だとわかった時点で俺は動き出し
ていた。
 木の間を縫うように走っているのに、一向に頭上か
らの視線が離れる気配がない。何匹いるのか知らない
が、ネロの使い魔はどうやらかなりの数のようだ。
 前方、行く手を黒犬が塞ごうとする。
「邪魔っ!」
 一振りで両前足を『殺した』。いくら単なる混沌と
はいえ、遊びの最中の殺しは何となく気が引ける。足
程度なら動けなくなるだけで済むし、ネロの中に戻れ
ば問題ない・・・と思う。偽善だろうか。
 それも一瞬の思考。
 俺は黒犬の頭上を飛び越え、そのまま足を休めず、
素早く屋敷の中に忍び込んだ。
 出会い頭に誰かと遭遇するような事もなく、俺は階
段を駆け上がった。
 ザッ・・・。
 既に馴染みとなった、鬼出現のノイズ。
『四人目の鬼が生まれました――』
「ったく、シエル先輩の次は一体誰だよ・・・」
 俺は自分の部屋の扉を閉めると、扉に持たれかかる
ようにへたり込んだ。
 時計を確認する。
 現在、十二時半。

「ふふふ、やっと追い詰めましたよ、志貴さん」
『な、何?』
「まずはこのロープで捕縛させて頂きます。それから
、ネロさんの混沌で足を固めてからゆっくりとタッチ
させてもらいますねー」
『ちょっと待ってくれ。なんだ、そりゃ?』
「だって、志貴さんはいざとなったら床を殺して真下
に逃れたり、運動神経いいですからそちらの窓から逃
れる可能性もありますし。だから、まずは足止めをす
る必要があるんですよー」
『まあ、二階から飛び降りるぐらいの事はしかねない
な』
「ですよねー? だからここは大人しく捕まってくだ
さい。ネロさん、志貴さんも混沌の使用を認めてくれ
ましたよ」
『だぁっ! 認められるかぁっ!』
「そうか。では遠慮なく、外で監視を続けているモノ
ども以外を呼び出すとしよう。小僧、“創世の土”と
まではいかんが、三百匹近い獣による阿鼻叫喚地獄を
心行くまで味わうが良い。何ならば、我が混沌の仲間
内になるかね? ふむ、魔眼使いの使い魔というのも
悪くないな」
『勝手に人をモノ扱いするんじゃないっ!』
「それじゃ、志貴さん、大人しくしていてくださいね
ー。大丈夫、痛くありませんから」
『お、俺の意思は?』
「そんなモノはどぶにでも捨ててください。さあ、ネ
ロさんやっちゃってください」
「うむ――」
「人の部屋の前で、あんた達は一体何をしてるのよっ
!」
「ふむ、本当に出てくるとは思わなかったぞ、娘。こ
れぞ正に思う壺、という奴だな」
「え・・・? あ、あぁっ!?」
「残念でした。はい、秋葉さまタッチです。これで、
秋葉さまも鬼の仲間入りですねー」
「に、兄さんは・・・さっきの声は一体どうやったの
?」
「奇術の種はこれだ。私も永き時を過ごしてきたが、
ここまでしたたかな娘も稀だ。まったく恐れ入る」
「テ、テープレコーダー・・・!? 琥珀、あんた、
い、一体いつも間に」
「皆さんが居間で集まる前に、ちょこっとテーブルの
裏にテープで張って録音していたんです。ちょうど志
貴さんの台詞が使いやすそうだったんで、編集させて
頂きました。古典的な手ですけど、だからこそ結構効
果的ですよね?」
「やってくれたわね・・・琥珀」
「えへっ、すみません」
「それにしても、あんた達って・・・」
「はい?」
「む?」

「どうも翡翠からの中継を聞いてる限り、以外に息が
合ってるんじゃないの?」
「参った。よりにもよって、秋葉まで鬼になっちまっ
たか」
 俺の目の前で四季が天を仰いだ。
「これでオレは絶対に捕まる訳にはいかなくなったな
。他の奴に秋葉をやる訳にはいかねーし」
「・・・と言うか、一ついいか?」
「ん? どうした志貴。腹でも減ったのか? オレは
減ってるけどな」
 はっはっは、と意味もなく笑う四季。
 いや、そんな事はどうでもいい。とにかく俺はまず
こいつに聞かなきゃならない事があった。
「どうしてお前が、俺の部屋にいるんだ?」
「ああん? お前何言ってるんだ。ここは元々オレの
部屋だろーが。お前がこの部屋の主になったのはつい
最近! ったく、離れで生活してたときの記憶がねー
のかお前は」
「あ、そうか」
「『あ、そうか』じゃねーよ。ああ、そうだ。とりあ
えず腹が減っちゃ戦は出来ないって言うしな。これで
も食うか?」
 四季が袖から取り出したのはウインナーの詰まった
袋だった。
「・・・お前、いつの間にこんなもん取ってきたんだ
?」
「あー、秋葉がゲームの説明する前にちょっとな。時
間的に悠長に昼飯食う訳にもいかなそうだったし、簡
単に持ち運び出来そうなもんがこれしかなかったんだ
」
「さすが、勝手知ったる自分の家」
「出来れば飲み物に輸血用パックでも欲しいところな
んだがな」
 何だか暗黙の了解で休戦状態にあるらしい。俺は四
季に尋ねてみる事にした。
「俺はそんなものいらない・・・ところで四季、気付
いてたか?」
「あん? 何を?」
 四季は赤いウインナーをひょいと口に放り込んだ。
「このゲーム、純粋な運動神経だの体力だのの勝負じ
ゃない」
「あー、何せあの策士・琥珀だからな。頭脳戦になる
のはしょうがねーんじゃないか? 最初の鬼がオレや
秋葉あたりだったらパワープレイになってたんだろう
がよ。それに二人目もまずかった。よりによってネロ
学者先生と来たもんだ、と。ほれ」
「ああ、悪い」
 四季が差し出した袋から三つほどウインナーを取り
出し、口に運ぶ。
 時計を確認すると、もう二時過ぎだった。道理で腹
が減ってる訳だ。
「つまりこのゲームは純粋な鬼ごっこと言うよりもコ
ン・ゲーム、つまり騙し合いなんだよ。今回の鬼は罠
を張ったり相手を陥れる事に長けているんだ」
「次はどんな手で来ると思う?」
「さあな。ただ、どうも・・・」
 四季は視線を妙な方向に向けた。左斜め下の床。
「どうした?」
「いや、連中どうやら部屋をしらみつぶしに調べ始め
たらしい。こりゃまずいな。近い内に、この部屋も調
べに来る」
「透視できるのか?」
「いや、気配が分かる程度だ。だが、足音や声で誰が
動いているかぐらいは分かるぜ」
 俺達は立ち上がった。
 廊下はどう考えても鬼門だ。となると・・・。
「はぁ・・・まさか、アルクェイドの真似をする事に
なるとは思わなかったよ」
 俺が窓枠に足を掛けたその時、屋敷の中に甲高い声
が響き渡った。
「きゃあーっ! ゴ、ゴキブリーッ!」
 メチャクチャ棒読みの上に嘘臭いぞ、秋葉!
「何ぃっ!? 秋葉、待ってろ! 今、オレが退治し
てやるからなっ!」
 俺は思いっきりつんのめり、頭をフロアに打ちつけ
た。
 慌てて起き上がる!
「ば、馬鹿! 四季、行くんじゃないっ!」
「どっちが馬鹿だ! 秋葉が危ないってのに見捨てら
れるっていうのか、お前はっ! この薄情モノ!」
「いや、薄情モノとか、そういう問題じゃないだろ!
 分かってるのか? 秋葉は今、鬼なんだぞ?」
「だからどうした! オレは秋葉を救いに行く! た
とえ相手が誰であろうとも、俺は秋葉を守り抜いてみ
せる!」
 それはある種、感動的なシチュエーションと台詞だ
ったのかもしれない。相手があからさまに罠を掛けて
いるのと、よりにもよってその相手がゴキブリ(しか
も明らかに狂言)だと言う事を除けば。
 俺は四季の両肩に手を置いた。
「分かった。俺はもう何も言わない。俺の代わりに立
派に秋葉を守ってくれ、四季」
「ああ! それじゃあな、志貴。さっきの会話・・・
わりと楽しかったぜ」
「俺もだ」
 ニヤリと笑って俺は窓から木に飛び移った。
 三本目の木に手を伸ばした時、もはや馴染みとなっ
た翡翠の『報告』が届き、俺はため息をついた。
「さすが血の繋がった兄妹。似たような罠で鬼になる
か・・・」
 離れの前に、既にネロの使い魔はいなくなっていた
。おそらく、鬼の数が増えたので自身の強化の為に引
き戻したのだろう。あるいは単に面倒くさくなったか
。
 俺は離れに飛び込むと、畳の床にへたり込んだ。
「はぁ・・・はぁ・・・」
 時計の針は三時を指していた。
 残り一時間。
 まったく、何だってこんな事に俺は必死になってる
んだか、と思わないでもない。これはあれだ。枕投げ
と同じで見てる分には冷静でも、プレイしている人間
はとにかくムキになってしまうっていう心理。あれに
近い。
 と、どうでもいい分析をしてしまうほど、どうやら
俺は疲れているようだ。
 連中だって、大人しく屋敷内の探索に務めて続ける
とは思えない。あと一時間と言っても、この離れも決
して安心出来る場所じゃない。
 ええと、今生き残ってるのは、何人だっけ。
 アルクェイドはまだ中継で鬼になったなんて聞いて
ない。
 他は弓塚さん・・・。
 ザッ・・・。
 聞き慣れたノイズに、俺の方がビクッと跳ねた。
『六人目の鬼が生まれました―――』
 ・・・誰だ?
「ふぅっ・・・昼間とは言っても、さすがは吸血鬼ボ
ディよね。生身の人間とは基本能力からして違うわ。
後は一時間逃げ切って、遠野くんと賞品山分け♪ うん
、大丈夫。きっと逃げ切って見せるわ。なんたって、
あの先輩からだって逃げ切れた事があるんだもん」
「ふん・・・いざとなれば、そこの窓から飛び降りれ
ばいい、と考えているのか?」
「だ、誰?」
「無駄無駄。オレに魅了の魔眼なんて効かないさ。何
てったって・・・」
「ひっ・・・あ、あなたは・・・」
「そう。お前さんの血を吸った張本人、言わば親に当
たる人間、遠野四季さまなんだからな。いやはや、今
回初めて吸血鬼らしい展開になったみたいだ・・・っ
と、逃げるんじゃねーよ。動くな」
「ぅ・・・う、動けない! ど、どうして?」
「だからさっきも言ったろ? オレはお前の親に当た
る人間なんだから、命令には絶対服従。支配からは逃
げられないんだよ。さ、て、お前に生き延びられると
オレとしては大変困った事になる。生憎、お前ごとき
に遠野家の当主の座を渡す訳にはいかないんでね。オ
レと秋葉がアウトになった時点で、オレがするべき事
は一つ。全員を鬼にする事さ。負けっぱなしってのは
性に合わないんでね」
 これで弓塚さんもアウト、と。
 って事は残ってるのは俺とアルクェイド・・・。
 ・・・。
 ・・・・・・。
 ・・・・・・・・・。
 ちょ、ちょっと待て!? 誰か忘れてないか?
 不意に頭に、ある男のビジョンが浮かび上がり、俺
は顔を上げた。
 ――有彦。
 そういえば、あいつもまだ名前を呼ばれていない。
 って言うか・・・あいつ、いつからいなくなってた
?
 居間では確かにいた。しかし、その後・・・。

 俺は手をパンパンと叩いて、みんなをけしかけた。
「それじゃ志貴、また後でねー」
「遠野くん、お気をつけて」
「ふははははっ。この屋敷の事なら隅々まで知ってい
る。見てろよ、志貴! オレは最後まで生き残って見
せるからな!」
「兄さん。私はとりあえず、自分の部屋で考えます。
いざとなれば、窓から逃げ出す事も出来ますしね」
「ピンチの時は助けてね、遠野くん」
「さらばだ、人間。今度会う時は敵同士かもしれんな
」
 外に飛び出す者、階段を駆け上がる者、一階の廊下
に向かう者、みんな思い思いの方向に向かっていく。
 それを見計らって俺も考える。
 そろそろ、琥珀さんが動き始める頃だろう。俺も移
動を開始しないと。
 と、外に出ようとした時だった。
 あれ?
 ふと気がついて、俺は足を止めた。
 さっき、誰か抜けてなかったか?
 ――既にあの時、有彦は姿を消していた。
 いや、でもだとすると、あいつは一体どこにいるん
だ? 単にすれ違いの連続で会ってないだけなのか?
 それとも、あいつの事だから、どこかに潜んでいる
とか?
 その時、外に人の気配がした。
 俺はとっさに障子を突き破り、気配と反対方向から
外に脱出した。
 木々の間を駆け抜ける。
「遅いな、志貴。まあ、どんだけ頑張っても所詮人間
だって事か?」
「四季、逃がしてくれる気はないよな?」
「逃がす理由も無いしな。なに、今日は殺し合いじゃ
ないんだ。大人しくしてればすぐに・・・」

 ゴンッ!

『ゴンッ!』・・・?
 四季は笑みを浮かべたまま、ゆっくりとうつ伏せに
倒れた。
 その背後から現れたのは秋葉だった。
「危ないところでしたね、兄さん」
「秋葉・・・どうして・・・?」
「だって、私が鬼になってしまったんじゃ、後は兄さ
んに生き残ってもらうしか手がないじゃないですか。
兄さんでしたら遠野家家長の座も安心して託せますし
、それに・・・その・・・私という賞品も・・・」
「ん? どうした、秋葉? なんで顔を赤らめてるん
だ?」
「もうっ! 分からなければ別にいいです! とにか
く私は兄さんの味方ですから早く逃げて下さい! す
ぐに追っ手が来ますよ!」
「あ、ああ。分かった。サンキュな、秋葉」
「いえ、どういたしまして」
 これって、ゲームとしてフェアなのかなぁとかちょ
っと思ったけど、よくよく考えてみれば吸血種相手に
鬼ごっこやってる時点で人間側は大抵の行動は許され
るという事で、自身の内心にはケリをつけた。
 そして再び駆け出した時、トランシーバーがノイズ
を奏でた。
「もう、屋敷内は徹底的に捜し終えたみたいですね」
「では残るは、外か離れという訳だな。では、手分け
をして探すとしよう。私は姫を探すつもりでいるが、
他の者は如何?」
「はーい。わたしは遠野くんを探しに行きまーす」
「秋葉さまと四季様は既に外に向かわれてますから、
わたし達もそれを追いましょう。それでは皆さん、頑
張ってアルクェイドさんと志貴さんを見つけましょう
ね」
「・・・行ったみたいです」
「ふぅっ・・・あー、苦しかった。見つからないのは
いいけど、誰も俺の事を気にかけないってのは、ちょ
っと腑に落ちないな」
「かれこれ五時間以上、ソファの陰に隠れていて、腰
の方は大丈夫ですか?」
「ふっ・・・任せてください。この乾有彦、一週間人
間椅子をやってても平気ですとも!」
「それは死んでしまうと思いますけど。ところで、何
故そんな所にずっと隠れていたんですか?」
「ああ、これか。これは鬼ごっこってよりもかくれん
ぼの必勝法なんだけどね。早い話が灯台下暗し。まさ
か、数を数えてたその場に人が隠れてるとは思わない
盲点を突いた技なのさ」
「勉強になります」
「この技の欠点は、二回は使えないのと、最初に隠れ
ている事に気付かれると真っ先に捕まっちまうって事
なんだけど、どうやら今回はうまく行ったみたいだな
。おーおー、みんな必死になって外探してるよ」
「あ・・・」
「あー、ま、いいや。とにかくみんな出て行ったみた
いだし、久しぶりに身体を伸ばせるぜ。んー」
「あの」
「ん?どうしたの翡翠ちゃん」
「みんな、ではありません」
「ああ。そうだった。翡翠ちゃんがここにいるもんな
。こりゃ失敬」
「いえ、そうではなく。厨房の方で・・・」
「ふぅっ・・・ご馳走様でしたー。あんなに一杯カレ
―を食べたのは、久しぶりです。あ、乾くん発見。は
い、タッチ。これで乾くんも、鬼ですね」
「あ・・・」
「翡翠さん、乾くんが鬼になった報告、お願いできま
すか?」
「はい。それでは、これより放送を開始します」
『――という訳で、現在残っているのはアルクェイド
さんと志貴さまの二人です。残り十分、頑張って下さ
い』
 今度こそ、本当に俺とアルクェイドの二人だけらし
い。
 そして庭でついに、アルクェイドを発見した。って
いうか、何でお前はそんな無防備に歩いていられるん
だ!
「アルクェイド!」
「やっほー、志貴。やっぱり無事だったんだね」
「お前、一体どこに隠れてた!?」
「え? わたしはただ、屋敷の屋根の上でずーっと昼
寝してただけだけど? 気をつけなきゃいけなかった
のは、ネロの使い魔だけだったし」
 何故だろう。必死こいて屋敷中を駆けずり回ってい
た自分が、まるで馬鹿みたいに思えるのは?
「それで、残り十分でこんなところにいるのは何でだ
よ。大人しく、屋根の上でボーっとしてれば良さそう
なもんを」
「だって、それじゃわたし、全然参加してないみたい
じゃない。わたしだって、みんなと追い掛けっこした
いわよ」
「ああ、そうかい。俺はうんざりするほどやったから
、出来れば替わってもらいたいぐらいだよ」
「うん。上からずっと志貴の行動見てたよ。面白かっ
た」
 ・・・今、七夜の血とはまるで無関係の所でアルク
ェイドに対して殺意が湧く自分が、どうしようもなく
愛しかった。
「でしたら、その追い掛けっこを楽しませて上げまし
ょうか、アルクェイド」
 俺とアルクェイドの間を強い突風がよぎった。
 否、それは巨大な投剣――黒鍵だった。
 刃の中ほどまでが屋敷の壁に埋まり、衝撃でまだ震
えていた。そして、これの使い手といえば、俺の知り
合いには一人しかいるはずもなく――
「シ、シエル先輩・・・」
「はい、遠野くん。これで年貢の納め時ですね」
「先輩、法衣姿でその台詞はちょっと合わないんじゃ
・・・それに、いつの間に着替えたんですか?」
「細かい事はいいんです。さあ、これで全員捕まえま
した。乾くん、遠野くんをお願いします」
「アイアイサー! 遠野、大人しく捕まりやがれ!」
「御免こうむる!」
 俺は飛び掛かってきた有彦をヒラリと避けた。
「アルクェイド!」
「どうも・・・こっちは逃がしてくれる気配は無さそ
うね。志貴、先に行って」
「いや、しかしだな・・・」
「シエルの方は心配無いわ。わたしが牽制している限
り、志貴には手を出せない」
「わ、分かった・・・でも、殺し合いはするなよ?」
「分かってるわよ。ゲームだもの。でもね――」
 アルクェイドの目が、ギンと光った。
「黒鍵は反則じゃないかしら、シエル? そっちがそ
う来るなら、わたしもちょっとだけ本気を出させても
らうわよ」
「ぜはーっ・・・」
 俺は屋敷の居間に戻って来た。
 時計は午後三時五十九分。
 誰かが戻ってくるにしても、俺に触れるまでの時間
稼ぎぐらいは出来る。
「お帰りなさいませ、志貴さま」
「ああ、ただいま、翡翠・・・ってなんだか、学校か
ら帰って来た時のやり取りみたいだな」
「そうですね。それから、ちょうど志貴さまが戻られ
ましたので、直接報告させて頂きます。アルクェイド
様が『鬼』になりました」
「さすがのアルクェイドも先輩にやられちゃったか」
「いえ、シエル様がアルクェイド様の注意を自分に引
きつけている間に、背後から秋葉さまがタッチされま
した」
「なるほど。じゃあ、最後まで残ったのは俺だけって
事か」
「いいえ。最後に残るのは、誰もいません」
「え?」
 俺が問いただすより前に、翡翠の手が俺の肩に触れ
た。
「これで、おしまいです」
 そう言って微笑む翡翠。
 その意味がゆっくりと脳に浸透する。
 翡翠が自分から俺に触れてくる事など、まずあり得
ない。
 それに第一、触れてくる動機がない。
 つまり、目の前にいるのは翡翠ではなく、翡翠の格
好をした――
「こ、琥珀かっ!?」
「はい、どうやらギリギリで間に合ったようですね。
残り五秒でした」
 翡翠――いや、琥珀が頭を下げると同時に、ゲーム
終了を告げる時計のベルが鳴り響いた。

「えーど、これは運動会の時に有間んちの面々と取っ
た写真だろ、それにこっちが徒競走の後、貧血でぶっ
倒れた遠野」
「へー、志貴にも子供の頃ってあったんだねー」
「アルクェイド、何を当たり前の事言ってるんですか
。人間なら誰にだって、子供の時はあります」
「わたしはないもん。うわ、この志貴の写真欲しい!
」
「あなたは人間じゃないでしょうがっ! それに、こ
の賞品は琥珀さんの物なんですから、勝手に写真を抜
き取っちゃ駄目です!」
「へえ・・・じゃあ、あなたもそのポケットに忍びこ
ませた五葉の写真、ちゃんと戻しとかないとね。まっ
たく、人にお説教するだけしといて自分はこれだもん
。油断も隙も無いんだから」
「弓塚も物欲しそうな顔するなよー。お前だって、中
学時代の写真は持ってるだろ?」
「で、でも、わたしは遠野くんの写真なんて、あんま
り持って無いもの」
「あと、そっちの妹は本気で真剣にアルバム見てるし。
おーい、妹。帰って来いー?」
「あ・・・はい? 何ですか、アルクェイドさん?」
「あ、戻ってきた。よくまあ、志貴の写真をずっと飽
きもせずに眺められるね。毎日顔合わせているのに」
「それとこれとはまったく別問題です。私と兄さんは
八年間離れていたんですから、その貴重な成長記録に
興味を示すのはごく当然の事じゃないですか」
「でも、よかったじゃない。妹の場合、琥珀が勝った
からいつでも見れるし」
「その度に琥珀に頼まなければならないのが、少々癪
ですけどね。まあ、それぐらいは妥協しましょう。こ
ちらは敗者ですし」
「秋葉。志貴の写真ばかりじゃなくて、オレのも見ろ
。貴重な実兄の成長記録だ」
「って、あなたの写真は全部座牢屋での撮影じゃない
ですか!」
「うわー、これはこれで怖いですね。背景はまるで変
わってないのに、写ってる本人だけは成長してます。
しかも全部同じピースサインですし、心霊写真みたい
ですし。これって、琥珀さんの撮影ですか?」
「アルバムならば、私も所有しているぞ。これまでに
取り込んだ使い魔達の記録だ。とくと見るがいい。中
には絶滅した動物や珍獣も混じっている希少本だ」
「うわっ・・・こりゃ、そっちの兄ちゃんのアルバム
に輪を掛けてすごいな。説明受けないと、単なる動物
の撮影写真だけど」
「が、がくがく動物ランド・・・? 全部で六百六十
六葉あるんですか、これ?」
「否だ。死んでしまってから補填したモノも数に入っ
ているから、実質千葉を軽く超えるだろう。それに死
徒になりたての頃は、そもそもカメラ自体が無かった
。当時は、絵画を以って記録とさせてもらっている」
「ほんとだ・・・ネロ、あんた絵も描いてたの?」
 などと言ったみんなのやり取りを尻目に、俺はソフ
ァに座って翡翠と話していた。
 あの面子に混じるのは、何だか無駄に体力がいりそ
うな気がするので離れていたと言うのが本音だったり
する。まあ、アルバムは後で見せてもらう事にしよう
。
「それにしても、翡翠にはやられたよ。古典的な双子
トリックとはね」
「申し訳ありません、志貴さま。ゲーム終了の三十分
ほど前に姉さんから話を持ち掛けられて、入れ替わっ
ていたんです」
「まあ、変装してはいけませんなんてルールは無かっ
たし、別にいいけど。それより、最後の最後で油断し
た自分の方が痛かった」
「惜しかったですね、志貴さま」
「うん。あ、そういえば、勝利者の琥珀さんは一体、
どこ行ったんだろ? 翡翠、知ってる?」
「姉さんなら、先刻中庭の方に向かわれるのを見掛け
ました。おそらく、涼みに出られたのだと思われます
」
「そっか。それじゃちょっと行って来る」
 俺はソファから立ち上がった。
 中庭に出ると、琥珀さんが椅子に座って目を瞑って
いた。どうやら翡翠の言っていた通り、本当に涼んで
いたらしい。
 外はすっかり暗くなっていて、涼しい風が吹いて来
る。
「あ、志貴さん。どうかされましたか?」
 俺が近づくと俺の気配に気が付いたのか、琥珀さん
はゆっくりと目を開いて立ち上がった。
「いや、ちょっと話でもしようかなと思って。いいか
な?」
「はい。全然構いませんよ。それで、何をお話しまし
ょう」
 とはいえ、別にこれと言った話題も無かったりする
。
「今日は久しぶりに、ずいぶんと動き回ったような気
がするよ。かなり疲れた」
「志貴さん達って、昔もあんな風だったんですか?つ
まり、敷地内をフルに使用してたって意味ですけど」
「まあ、どこかれ構わず遊びまわってたって言う意味
では当たりだけど、何せ子供だったからなー。今日み
たいに本当にあちこち動き回るって事は無かったと思
う。それに、昔のゲームはもうちょっと単純だったよ
。走り回って鬼に捕まったらアウト、だけだったから
」
「あはは。今日のは途中から、微妙に趣旨が変わって
ましたよねー」
「うん。昔は、ゲームの最中にカレーを作ったりはし
なかったと思う」
「んー、そうですね。でも、真っ当に勝負しても勝て
そうにありませんでしたから。でも、よかったと思い
ますよ。最後にはちゃんと翡翠ちゃんも参加できまし
たし」
 あれは・・・参加したって言うのか? よく分から
ないけど、まあ納得してるならいいか。
「あ、そうそう。これはお返ししておきますね」
 と、琥珀さんは袖から短刀を取り出した。柄に七つ
夜と刻まれている。俺の短刀だった。
「シエルさんの第七聖典、秋葉さまの一日当主の座も
同様にお返ししとかないといけませんね。貰っても使
い道がないですから」
「四季の賞品の秋葉は?」
「あはは。魅力的ですけど、後が怖いのでそれもやめ
ておきます。でも、志貴さんは一回ぐらいデートの権
利ぐらいいいかなとか思ってます」
「ああ、それなら全然構わないよ。そういう意味では
アルクェイドとかが勝たなくてよかったかもしれない
な。あいつの事だから、本気で千年城に連れて行かれ
かねない」
「後の賞品は有り難く受けとっておきます。志貴さん
のご幼少時の写真とかは、貴重ですからね」
 俺はちょっと困って頭を掻いた。琥珀さんの部屋に
俺のアルバム。なんだか落ち着かない気分だった。
「・・・それじゃ、そろそろ戻ろうか。主役がいない
と、みんな心配するし」
「そうですね。ずっとここだと冷えてしまいますし」
 俺と琥珀さんが並んで部屋に戻ろうとしたその時だ
った。
オーーーーーーーーーーーーン。
 遠くから、犬の鳴き声が響いて来た。俺は思わず顔
を上げた。
「ん? 野犬かな?」
「あ、ネロさんの使い魔、クールトー君です」
「は?」
「ほら、最近世の中物騒じゃないですか。だから番犬
でも飼いましょうか、とか秋葉さまと話していたこと
もあるんですよ。ちょうどよかったです」
 俺は思わず庭を振り返った。いや、確かにあれを返
す、とは琥珀さん一言も言って無かったけど。
「あ、あの黒犬・・・うちの番犬にする気?」
「はい。頼もしい限りですね。今度、餌用に生ハムと
か買ってあげとかないと駄目ですねー」
 頼もしいって・・・分かってるのか、琥珀さん? 
あれ、戦闘用の使い魔だぞ? ただでさえ、遠野の屋
敷はあまりいい評判を聞かないってのに、あんなの飼
った日には一体どんな噂が流れる事か。
「志貴さーん、いつまでもそんな所に立ってると、風
邪を引きますよー」
 琥珀さんの声に、俺ははっと我に返った。
「あ、はいはい、今戻ります!」
 踵を返し、屋敷に向かう。
オーーーーーーーーーーーーン。
 俺の背後、月夜の空にクールトー君の寂しげな咆哮
がこだました。
「楽しかった?」
「はい、それはもう。ありがとうございました」
「そりゃよかった。それじゃ琥珀さん、今回貰った物
の中で一番嬉しかった物は?」
「皆さんとの共通の思い出、ですね、やっぱり」


さらにさらに奥へ!!