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聖書の言葉 いまの思いに合った聖書の言葉
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いまの思いに合った聖書の言葉
左下の「今の気持ち」のメニューをクリックして下されば、聖書箇所へジャブします。

今の気持ち
以下をクリックしてくださると各項へジャンプします。

1.疲れた時の休息

2.試練に会った時

3.悲みで心ふさぐ時

4.孤独な時

5.病気、苦痛の時

6.平安を必要とする時

7.失望した時

8.心がせめられる時

9.神の癒しが必要な時

10.決断の指針が必要な時

11.神の守りが必要な時

12.困難な状況の時

13.愛するものが亡くなった時

14.ののしられた時

15.生活の指針が必要な時

16.戒めが必要な時

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 ここで使用している聖書は、日本聖書協会(東京都中央区銀座4-5-1 phone.03-3567-1987) 発行の 「新共同訳」 聖書です。聖書をお読みになりたい方は、お近くの書店で取り扱っておりますのでお尋ねください。

疲れた時の休息
マタイによる福音書 11章 28〜30節
疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

 
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試練に会った時
マタイによる福音書 26章 41節
誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えていても,肉体は弱い。   
  
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悲しみで心ふさぐ時
ローマの信徒への手紙 8章 26〜28節
同様に、"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます.わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
人の心を見抜く方は、"霊"の思いが何であるかを知っておられます。"霊"は神の御心に従がって、聖なる者たちのために執り成して下さるからです.
神を愛する者たち、つまり、ご計画にしたがって召されたものたちは、万事が益となるように共に働くということを、わたちたちは、知っています.
      
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孤独な時
ヘブライ人への手紙 13章 5〜6節
神御自身、「わたしは決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。
だから、わたしたちは、ばからずに次のように言うとが出来ます。
「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何が出来るだろう。」
  
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病気または苦痛の時
ローマの信徒への手紙 5章 3〜5節
わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、
忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
希望はわたしたちをあざむくことはありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。 
      
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平安を必要とする時
ヨハネによる福音書 14章 1〜4節
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そしてわたしをも信じなさい。
わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻ってきて、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 
わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」 
  
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失望した時
コリント信徒への手紙 2章 16〜18節
だからわたしは落胆しません。たとえわたしたちの{外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人は」日々新たにされていきます。
わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。
わたしたちは、見えるものでなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。 
  
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心がせめられる時
ヨハネの手紙1 1章 5〜10節
わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇がまったくないということです。
わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、心理を行っていません
しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
自分に罪がないというのなら自を欺いており、心理はわたしたちの内にありません。
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を許し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。  
罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り物とすることであり、神の言葉は、わたしたちの内にはありません。

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神の癒しが必要な時
イザヤ書 43章 1〜4節
ヤコブよ、あなたを創造された主は、イスラエルよ、あなたを造られた主は、今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。
水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
わたしは主、あなたの神、イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。私はエジプトをあなたの身代金とし、クレシュとセパをあなたの代償とする。
わたしの目にはあなたは価高く貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の代わりとする。
       
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決断の指針が必要な時
ヤコブの手紙 1章 5〜6節
あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば与えられます。
いささかも疑わず、信仰を持って願いなさい。
    
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神の守りが必要な時
フィリピの信徒への手紙 4章 19節
わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたの必要なものをすべてみたしてくださいます。
        
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困難な状況の時
へブライ人への手紙 7章 25節
この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、ご自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。
        
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愛するものが亡くなった時
マタイによる福音書 5章 3〜4節
心の貧しい人は幸いである、天国はその人たちのものである。
悲しむ人は幸いである、その人たちは慰められる。
  
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のしられた時
マタイによる福音書 10章 28節
わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。
また、強い人を縛り上げなければ、どうしてその家に押し入って家財道具を奪い取ることが出来るだろうか。
わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。
だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜はどんなものでも許されるが、”霊”に対する冒涜は許されない。
人の子に言い逆らうものは許される。しかし、霊に言い逆らうものは、この世でも、後の世でも許されることがない。
      
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生活の指針が必要な時
ローマの信徒への手紙 12章 1〜3節
こういうわけで、兄弟たち、神の哀れみによってあなたに勧めます。時分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとしてささげなさい。これこそあなたのなすべき礼拝です。
あなたがたは、この世に倣ってはなりません。むしろ、心を新にして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大評価してはなりません。むしろ、各自に分け与えた下さった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。
        
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戒めが必要な時
テサロニケの信徒への手紙1 5章 14〜18節
兄弟たち、あなた方に勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱いものたちを助けなさい。すべての人たちに対して忍耐強く接しなさい。
だれも、悪を持って悪に報いることがないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うように努めなさい。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。 これこそ、イエス・キリストにおいて、神があなたがたに望んでおられことです。
       

もう少し聖書について知りたい方は、
キリスト教ワンポイントレッスン
私が学んだ、聖書の言葉 もどうぞ

 
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私が学んだ、聖書の言葉

 担当者が聖書を読んで感じたり思ったりしたことを、少し書かせていただきます。引用聖書は"新共同約"です。
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「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。」  (マタイ7章13節)

 イエス様は、「私は門です。だれでも私を通って入るなら 救われる。」と仰いました。イエス様のお話を聞いて、イ エス様を自分自信の創り主・救い主だと言うことを信じることは、とても狭い門なのでしょう。でも、イエス様の恵みに出会い、その狭き門を見つけだした人は何と幸いな人でしょう。日々の生活の中で、流されて過していることがあります。多くのことに心をとらわれます。でも、大切なことは多くはありません。否、ひとつしかないようです。神様の御国への狭い門をくぐるることができれば、そには、神様の恵みといつくしみが、いつも、 いつまでもあります。平安な日々が待っています。
 あなたが、神様の恵みといつくしみで満たされますように・・・。
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「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えてくださる。主は従うものを支え、とこしえに動揺しないように計ってくださる。」  (詩篇55篇23節)

 日々の生活で疲れ・悩み・苦しみに押しつぶされそうになることがあります。これらがなくなれば、どんなに楽になれるだろうと思われたことはありませんか。私たちの心の中にある苦悩、重荷を神様に委ねるということは、神様に預ける、投げ捨てるということです。その預けた重荷の責任は全て神様がおってくださいます。神様は私たちの強い味方で良き神様ですから、私たちが神様に従おうとしている限り、必ず私たちの苦悩も重荷も取り除いてくださり、平安へと導いてくださいます。なぜなら、神様はわたしたちの創り主で、ご自分の作品に対して、とても大きな愛と責任を持って大切にして下さるからです。 そして神様は重荷をおってくださるだけでなく、私たち自身をも背負って、私たちの変わりに歩んでくださいます。
 今、あなたの重荷を神様に委ねることができますように・・・。
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「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の労苦は、その日だけで十分である。」 (マタイ6章34節)

 明日の仕事はうまく行くだろうか、うまく話せるだろうか、明日何を食べようか、何を着ようか、心配はいつも明日の事、未来の事です。でも未来の事は神様しかご存知ありません。すべてのことを委ねてみませんか。いくら心配しても良い事はひとつもありません。それよりも今日、今なすべき事に一生懸命に取り組むことが大切なようです。きっと神様が私たちに祝福をもたらして下さいます。
 あなたも神様の平安の中で過ごせますように・・・。

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「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。あなたはわたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民につがせるものである。ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法を全て忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすればあなたはどこへ行っても成功する。」  (ヨシュア記1章5〜7節)

 一生の間に誰一人自分の前に立ちはだかる人がいなかったとしたら、何と楽なんでしょう。でも、そういうことはありません。立ちはだかる人がいたとしても、主なる神様の御名によって立ち上がり闘う時に勝利するということでしょう。実際にヨシュアはこれから、神様から与えられようとしている「約束の地」を得るために31人の王たちと闘わなければなりませんでした。主なる神様とわたしたちの魂の交わりを絶やさず神様に聞き共に歩もうとする限り、神様はいつでもどこでも私たちと共にいてくださり、勝利を与えてくださるのです。だから、恐れず、侮らず、主に祈りながら前へ前へと進んでいきましょう。お気づきかと思いますが、わたしの名前義也(よしや)は、このヨシュアからいただきました。わたしもこの御言葉に励まされ力づけられ続けています。
 あなたも、神様の約束に励まされることができますように・・・。

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「これらのものが備わり、ますます豊かになるならば、あなたがたは怠惰で実を結ばないものにならず、わたしたちの主イエス・キリストを知ようになるでしょう。」  (ペトロの手紙 二 1章8節)

 これらとは、5節から7節に出てくる信仰、徳、知識、自制、忍耐、信心、兄弟愛、愛のことです。これらは神様を知り、神様の恵みを体験すると自然に備わるものもあり、また努力が必要なものもあります。わたしたちが神様につながって魂の交わりをしつづける生活の中で与えられ、ますます神様を知ることができるようになります。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人のにつながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15章5節)
 あなたもイエス様につながって、こころ豊かに過ごすことができますように・・・。

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「三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、『ぶどう酒がなくなりました。』と言った。イエスは母に言われた。『婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。』」  (ヨハネの福音書 2章1〜4節)

 イエス様が初めて奇跡を現した時の記事です。結婚式の時に葡萄酒がなくなりました。これは大問題です。マリヤは今までの祈りの実績と母としての権威をもってイエス様に問いました。祈りですね。でも、イエス様に冷たく拒否されてしまいました。私達の祈りも神様に通じないと思われる時があります。これだけ祈ったから一生懸命に祈ったから、でも、神様の時ではないのです。神様は良き神様ですので、一番良い時に一番良い方法で祈りをかなえて下さるのです。すぐに祈りは聞かれなくても、この良き神様に期待し祈りつづけたいものです。
 神様に期待する一日となりますように・・・。
 

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「何事にも時があり、点の下の出来事には全て定められた時がある。 生まれる時、死ぬ時。植える時、植えたものを抜く時。 殺す時、癒す時。破壊する時、経てる時。 泣く時、笑う時。嘆く時、踊る時。 石を放つ時、石を集める時。抱擁の時、抱擁を遠ざける時。 求める時、失う時。保つ時、放つ時。 裂く時、縫う時。黙する時、語る時。 愛する時、憎む時。戦いの時、平和の時。」   (コヘレトの言葉(伝道者の書)3章1〜8節)

 自分で考え、自分で決断し、自分で実行し、自分で結果を担っていく。何でも自分でしているように思われますが、神様によって定められた時があります。そして自分の時と神様の時とは違うのです。自分で「今だ!」と思っても、神様の許し
がないと、愛する事も、憎む事も、戦う事も、和睦する事もできないのです。神様はきっと私たちに一番いい時を備えてくださっています。
 わたしたちの思いでなく、神様の時を忍耐を持つ待つことができますように・・・。

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「わたしたちがイエスから既に聞いて、あなた方に伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないと言うことです。  (ヨハネの手紙 一 1章5節)

 真夜中にいろいろ考えるとだんだん気持ちが落ち込んでいって眠れなくなってしまうことがよくあります。周りが暗いと心の中も何だか暗くなるものです。そういうときの考えは、えてして否定的になりがちです。でも、どんなに周りが暗くても自分の中に光があると暗くなることはありません。イエス様は、暖かい恵みの光で、わたしたちの心の隅々のどんな小さな暗い部分も照らし出して、暗い出来事を癒し、祝福に変えてくださいます。 イエス様こそ、真の光なのです。
 イエス様の暖かい光の中で過ごすことができますように・・・。

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「愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。」 (ヨハネの手紙 二 1章6節)

 「命令」「掟」「服従」とかいう言葉には何だか縛られるような嫌な思いを抱く人もおられるかと思います。でも、その関係が愛し合っている恋人同士とか、お互いに思いやりのある親子とか、しっかりとした信頼関係の上司と部下という関係の中では「命令」が「あたたかい言葉」に感じられるはずです。それは、愛の動機によってその言葉が語られ、愛の中でその言葉を受け取るからです。神様と私達の関係もそのような関係ならば「命令」も私達にとっては「あたたかい言葉」なのです。
 神様の愛のうちを歩み、御言葉を受け取ることができますように・・・。

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日本キリスト教団 相生教会
担当:芳賀義也