**Very White White**






「誕生日、おめでとう」

なんて。言う間もなかったわね...

みちるは舞い踊る粉雪をぼんやりと見つめながら、運転席でハンドルを握らんとする人物、表情をうまく読み取れないほどの仏頂面、
にばれないように小さく溜め息をついた。

吐息はかすかに白い。
困惑してる心みたいに、霞む白さが印象的だった。




年明けはヨーロッパで過ごした、ひとりで。

ふたり出会ってから、コンサートがあってもレースがあっても、お互いのスケジュールを調整しては一緒にいるのが当たり前だったから。
非常に珍しい選択をしたとは思っている。
ただ今回に限っては、年明けに日本で大事なレースを控えているはるかを。
一ヶ月に渡って、めまぐるしく変わっては続く、ホテル暮らしとコンサート会場移動に、打ち上げと称した盛大なパーティとの日々に付き合わすわけにはいかなかったのだ。

生活にしろも言語にしろ、海外での滞在に一切の不自由は感じはしない。
が、はるかがいることで最高のコンディションで至上の音を奏でることができる自分を知っていたので、正直、最初は躊躇した。

「一緒に来て」

と囁けば、やさしく願いが叶えられることも分かっていた。
けれども、敢えてわがままを言わなかったのは、たぶん---自分への挑戦。

ヨーロッパ各国のホールでコンサートツアーを成功させる。
あこがれのウィーン公演も含まれているのが、なにより嬉しくて。
数年前からオファーがかかっているホールもある、音楽界の天才と呼ばれるミュージシャンとのセッションもある。
一時はあきらめていたヴァイオリニストの道は、実績と成功と感動によって広がるからこそ、望まれれば応えて酔いしれたかった。

そして、なによりも。
ヨーロッパツアー成功の快挙をこの年齢で果たすことが出来たなら---。
輝かしい未来の先に、戦士の孤独があると知っているからこそ、音楽の歴史に揺るぎない名を刻みたいと思ったのも確かだった。

それは、はるかにも同じことがいえて---

次のレースに挑み勝つことで、前人未到の連続優勝記録をさらに更新できる。
と同時に、最年少ながら世界のトップレーサーとして、誰もが認めざるを得ない存在になるだろう。

羨望と期待のまなざしが、力強い拍手がサーキットを飾る。
それは、いつまでも駆け抜けてほしいウイニング・ロード。
チェッカーフラッグがはためきを止める。

そうしてヘルメットを脱いだときに見られる満面の笑みが、みちるを抱き締めた瞬間、自信に変わる。
興奮に包まれる会場で、身体に巻き付く腕を、たくましいと、愛しいと思う、だから。

「優勝して、わたしを抱き締めてね、はるか。離ればなれで寂しいけど…あなたは日本に残って練習よ」
「………かしこまりました、お嬢様。じゃあ最高のシャンパンを100本でも用意しといて、君のために」

そんな冗談と出発のキスを交わして、日本を発ったのは正月のにぎわいが続く頃。
今日と同じように街を真っ白に染めては降り続く雪の日だった---




平和な間にクラシックの本場で音楽の世界を満喫すべきだと。

晴れた青空のように澄んだ笑顔で送りだしてくれたはずのはるかは、約一ヶ月振りの再会に言葉もなく。
空港から愛車まで、舞い落ちる粉雪など気にもせず手首をキツイくらいに掴んで大股で歩くものだから、幾度となくバランスを崩して転けそうになった。
おかまいなしに車に押し込まれ、当の本人はさっさとアクセルを踏んで雪を蹴散らし車を走らすものだから。
何を話すでもなく楽しい、いつものおしゃべりもない。
ましてこの雰囲気でヨーロッパの楽しく充実した日々の土産話など持ち出す気も起こらず、流れ去る景色は消え行くのも早すぎて。

窓から忍び寄る寒さに抗議のくしゃみ、小さくひとつ。

そうこうするうちに、車内の空調が春の温度を運んでくれたから---旅の疲れを思い出して瞳を閉じると、身体ごと感じる車の振動が、はるかの鼓動のように思えた、だから。

言葉に出して言えないだけで、怒ってるわけじゃないと分かる。
再会の喜びをどう表現し、ふたりで紡げなかった一ヶ月という時間をどうやって埋めればいいのか、ハンドルを巧みにさばきながら考えてるだけだと分かったから...

罪悪感少し、みちるは眠りに身を委ねることにした。コートのポケットに、小さなプレゼントを握りしめて...




リズミカルな振動が止み、みちるは覚醒した。

目覚めたときの癖になって久しい、恋人を確認するしぐさ。
この癖だけはヨーロッパでひとり目を覚ましたときにも抜けなくて...望んだはずの滞在を色褪せて感じたりもした。

髪の波をもてあそぶ悪戯な指と、頬をなでる知った掌の感触。
真剣な眼差しのはるかと目が合い、それだけで心踊る自分を自覚せずにいられない。

「ああ、あなたを求めてるのは、いつも私なのね...ズルイ人。」

リクライニングが倒されたのと同時に、覆いかぶさる懐かしい重さを感じた。
触れあう身体を熱く感じるのは、たぶん。うるむ瞳を覗き込むまっすぐな蒼のせい。

「...ただいま、はるか」

だいぶ遅れたセリフ。

「おかえり、みちる...」

強くもなく、弱くもなく抱き締めあい、甘く、優しく見つめ合い、そして。
どちらからともなく重ねた口唇に、上気する頬。

もうすぐ恋人は気づくだろう。
カシミアのコートを乱したとき、ポケットの中で密やかに待っている小さな箱に。
遅れた誕生日プレゼントに目を細め、リボンを取って、箱を開け。
世界屈指の最高級シャンパンメーカーのリザーブチケットを手にして不敵に微笑むのだ。

「優勝よりも、いまは君を手に入れなきゃ。待ち望んでた瞬間は、これからだ」と。

紡げなかったふたりの1ヶ月を取り戻すように温かく...愛しあう姿で窓が白く曇っても。
雪は静かに舞い落ちて、街を車を白く染めては埋めていくのだった。

あなたを白く染めて、君を白く染めて。
あなたを私色に染めて、君を僕色に染めて---

雪の白よりまぶしい世界で、恋人たちは舞い踊る。

sweet kiss on 0127
Very White White~White Winter
(2002MARCH)
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