「この瞬間に息絶えたとしても。わたしは"幸せだった"と言えるわ。ありがとう、はるか」

それが、彼女の最期の言葉だった。







---unhappy birthday---







銀河をめぐる戦いの日々は終わりを告げ。

僕はただの"天王はるか"、彼女はただの"海王みちる"として。

何度かの春と夏と秋と冬を、共に過ごした。


甘く幸せな時間。夢を仕事に変えながら。
たわいない言い合いはエッセンス。
砂糖菓子のような日常。



3月6日。
彼女の10代最後の誕生日に。



僕たちは、離れた身体をひとつに戻す。
慣れた行為に夢中になり、互いに溺れて、そうして心ごと、素晴らしく愛し合った。
月が海に沈む頃、ようやく身体を離した僕に、彼女は言った。


「この瞬間に息絶えたとしても。わたしは"幸せだった"と言えるわ。ありがとう、はるか」


「僕もだよ」

と、言葉にはせずに。


触れるだけのキスをして、微笑み合って、穏やかな眠りについた。
翌朝、いつもと違ったのは。
彼女が永遠に目を覚ますことはなかったこと。


綺麗な、死体。


宇宙の果てまで行ったとしても、その美しさを語る言葉は見つからないだろう。
あまりに綺麗で、あまりに唐突で、やっぱりズルイ。


死んでも、綺麗な人。


僕は、意外に正気だった。
亡骸の一部を望むことは難しかったので、豊かに波打つ髪を一房もらう。

ヘンにカットすると怒るだろうから、棺に横たえたときに目立たない場所を選んだ。
血の気を失った、うなじに歯を立てて。
皆に会うのに跡をつけでもしたら絶対怒ると思って、止めた。

造詣に秀でた額も、影を落とした睫毛も、柔らかだった頬も、どこもかしこも愛おしいけれど。
冷たく結ばれたくちびるが、どうしようもなく恋しくて。
もう二度と僕の名前を呼ばない愛しい場所に、長いキスを落とす。


戦士としてではなく、ひとりの女性として生命を終えたこと。


死を許された彼女に、来世の祝福を願い。
ふたり、現世で離れた。

泣かない僕のかわりに、いろんな人が涙を流していたのを、ぼんやり覚えている。

星が、逝ったのだ。




それから10年の歳月が流れ。




僕は、海の見える丘に立つ。
空の蒼と海の碧。穏やかな風が吹く、常春の丘。

数年かかって、海の女神にふさわしい場所を探し出し、墓を建てた。
生前、彼女が愛用していたピアスや小物、艶やかな海色の髪の毛が。白い墓の土の下、安らかに眠っている。

また数年かかって、今度は、白い家を建てた。
主のない、急ぐこともない家を、納得のいくように建てていく。

楽譜をひろげたままの練習室や、絵筆を並べたままのアトリエや。
すべての部屋に、気配が残る、そんな家。
彼女の音が、彼女の声が、いまにも聞こえてきそうな白い家。

そうして僕は、食前によく頼まれたように。サラダを彩るハーブを取りに行く何気なさで。
彼女がそこにいるかもしれないという虚しい衝動を隠して、墓へ向かう。



10年間。



ふつうに活躍して、ふつうに恋愛して、ふつうに生活することは出来なかった。


無敵で無敗の活躍を誇りながら、世界と世間に求められながら。

僕は。

限りなく透明になっていく



自分が自分じゃないような気がして。
鏡を覗きこんでは、そこに映る自分と出会い、10年の長さと重さを知る。


彼女がいない、10年間。


この10年で知ったことなんて、世界のつまらなさくらいだ。
金も名誉も地位も名声も、なにもいらない。

みちるが欲しい。

みちるがいない。

ただ、ただ、彼女が、欲しくてたまらない。
なにも変わらない僕を、誰か笑ってほしい。馬鹿だと、忘れろと、笑ってほしいんだ。



"MICHIRU KAIOH"



そう書かれた墓標に、口づけると。ひどく幸せな気持ちになったから。
僕は、あの日、言わなかった言葉を、音にする。



「僕もだよ」

『この瞬間に息絶えたとしても。わたしは"幸せだった"と言えるわ』

「この瞬間に息絶えたとしても。僕は"幸せだった"と言える」

『ありがとう、はるか』

「ありがとう、みちる」



力をなくした指先が、冷たく丸まってきた。

ああ、僕は死ぬんだな。
もう一度、君と会えるんだね。

永遠の眠りが、誘い導くのを、静かに、穏やかに感じる。

最期の力で、彼女の眠りの上に、出来るだけ優しく横たわった。

見上げた空の蒼と、輝く一番星が、遠く、美しい。
風は凪いで、静かだ。

さあ、世界を吸い込んで、終わろう。


「心から、みちる」


僕が死を許されたのは、彼女の20代最後の誕生日だった。
誰より綺麗な君に、いま、告げに行こう。


「誕生日、おめでとう。ずっと変わらず、君だけを愛してる」


「unhappy birthday」
(20060306 on Michiru's birthday)
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