波の狭間のエゴイスト
「早いな、もう夏が終わる」 そして3度目の秋をむかえるのね---心の中で答えたみちるは、何も言わず。 遠く月が輝く海をながめながら、夜の浜辺を歩き続けた。 みちるの華奢でしなやかな身体を包むワンピースの裾が風にはためいては、おさまり、またはためく。 生まれては消える泡のようだと、はるかは思った。夜の人魚姫。王子様はキスを待ってる。 真実の愛を得るとともに、ふたりは永遠につづく夢を見るのだ。それはハッピーエンディング、望めば叶う物語。 ミュールを車に置き去りにした素足を幻想のように見つめながら、はるかは3歩ほど後れてゆっくりと歩いていた。 心に思うは秋のこと。 最初の秋は、くすぐったくて照れくさい。 ふたり出会って間もない頃。互いの名前すら呼べなくて。いつかしら愛しい呪文のように、求めるように名前を呼んだ、それは。 初めてウラヌスへ変身を果たしたあと。みちるが戦士ネプチューンとして覚醒した悲話を知ったとき。 2度目の秋を思うのは、いまでも辛く苦しくて。 汚れた手を清めるように遊ぶ君の細い手。待ち望んだはずのタリスマン出現。散る花のように犠牲にした生命。 スローモーションでよみがえる哀しいシーン。 あのとき誰のために世界を救うのか...使命を見失った僕たち。 そして迎える3度目の秋--- 「見て、はるか。大きな…波がくるわ」 「ああ。いままでにない強いうねりだ」 戦士の感覚が告げていた。想像を絶する戦いを迎えること。 それは抗えない強大な力をもって星の戦士を駆り立てるのだ、運命の聖戦へと。 ふりかえると車を停めてある灯台の明かりがおぼろげで。 その光は確かなものであったのに、いまはもう遠く霞んで消えかかっている。 希望の光? そんなもの、あるのだろうか。平和に近付いているのか、遠ざかっているのか。 終わらない戦いの答えは、いつになっても出やしない。 『それでもいいさ。君と一緒にいられるなら…』 そう言ったのは太陽が赤く大きく沈む夕方。怖いほど美しい海を見ながらの告白。 風に誘われて、波に呼ばれて。 ふたたび訪れた夜の海は表情を一転させ、静かすぎるほど静かに寄せては返す波を作り出している。 終わらない戦い、出せない答え。 答えを持たずにいるのは自分だけだろうか。みちるは、どうなんだろう---? 暗く乾いた砂に気をとられて、みちると距離が離れているのに気づかなかった。 あわてて手を伸ばし。夜風に冷えた愛しい身体を抱き締めた。 「寒いの、はるか?震えてるわ」 「…一分でも」 「え?」 「一分でも、一秒でも長く運命の相手に生きてほしいっていうじゃないか」 おもいがけないセリフにみちるは返答せず、鎖骨の下、胸のふくらみを押さえるように組まれた冷たい腕をやさしくさする。 「僕は、僕よりも1分でも1秒でも長く生きてほしいだなんて、思わないな。みちるのこと」 「あら、問題発言ね。わたしは、いつだってあなたに生きてほしいと願ってるわ。ほんの一瞬でもかまわない、少しでも長く輝いてほしいって」 腕に込める力を強くして、きつくみちるを抱いた。白いうなじに唇を寄せ、つぶやいた言葉は。 「知ってる。でも、認めない」 認めない。そう、いつだってそうだ。みちるは明確な答えをもっている。けれど決して正確じゃない。 美しい生命を惜しまずに、大切な人を守るために投げ出す。 残された者の気持ちなんか考えないで。死に逝くもののエゴじゃないか、そんなこと。 『わたしが死んでも、あなたは生きて』 生きていてほしいなら死ななければいい。生きながら死んでる人間に光も希望も夢もない。あるのは死んでるみたいに生きる日々。 マリンカテドラルで…ひとり残された時間に悟ったことだから。みちるのいない世界に生きるすべを持たない自分だから。だから。 「1分なんて1秒なんて、どうにもならないさ。僕は、大切な人ほどコンマ0秒も変わらない時間で、一緒にいけたらいいと思う」 うなじから首筋を、そして耳もとに唇をそえてつぶやいた。 「もちろん、僕とみちるのふたりでね。いかがでしょうか、お嬢さん?」 「そんなプロポーズ、聞いたことがないけど…」 「プロポーズの言葉なら別に用意してあるさ、もっとロマンティックなとびっきりのやつを。答えてくれたら18歳のバースデープレゼントを繰り越してコッソリ教える」 「なぁに、そんなのずるいわ、はるかったら。結婚は16がよかったんだもの」 くすくすとみちるは笑ったが、すぐに笑いをおさめたのは、やわらかなふくらみと締まった腹部をやさしく攻める両手のせいで。 「こたえて…みちる」 指先のいたずらに、甘い刺激が波打つのを感じずにはいられない。 「エゴイスト。わたしがあなたに生きてほしいと知ってるのに、答えが欲しいだなんて」 「とびっきりのエゴイストなのさ僕は。でも、みちるだって…そうだろ?」 愛しい人との言葉遊びにはきりがない。けど身体なら、ここでは困る。 みちるは、あやうく胸元のリボンがほどかれるまえに答えることができた。 「---いいわ。そのときが来たら、ふたりで。一緒にいきましょう」 「本当に?」 「ええ、もちろん。天国でも地獄でも。あなたと一緒なら楽しいわ。でも。 わたしたちは最期まであきらめたりはしないわ。そうでしょう、はるか」 束縛をほどいて交わした視線。優雅さに隠された、揺るぎない強さにきらめく瞳が、はるかは好きだ。 「必ず、最期までベストを尽くす。外部太陽系戦士だからね。ところで…まずは今ここで一緒にいく?」 「意味が違うでしょ、バカね。さっさと帰るわよ。月が---見てるから」 ![]() いつのまにか波の狭間から白く強く輝く月がのぞき、砂浜を照らしていた。 はるかとみちるは手をつなぎ、神秘の白い球体を見つめ立ち尽くす。 切ない思いを胸に秘めて。 まぶしい光り。遠くシルバーミレニアムの輝きは孤独を癒すもの。 けれど、いまは違う。 あの真珠が銀河に輝くときが、愛しくつないだ手を離すとき。 人魚姫と王子様の、ハッピーエンディングの続きを語るとき。 いつかは来るのだ、そのときが。 星の守護をもつ戦士はそれぞれの惑星へ赴くのが使命だから。 やりきれなくて、月がぼやける。 泣きそうになるのを気づかれたくなくて、あえて月を臨もうとした、そのとき。 いたずらな一陣の風が吹き、楽しげに髪を騒がせるから、思わず目をつむった。 気持ちよさげに秋風を受けていたはるかが、珍しく困ったみちるの様子に気がついて、のどの奥で笑う。 「こうしたら、大丈夫」 不意に風が止んで、瞳を開けたみちるが見たのは、やさしく微笑む大切な人。 波の狭間に揺れる月も、はるかが隠してくれたから。 『ああ、どうしても好きなの、あなたが。言葉に出さないでも伝わるかしら?』 「月も、風も。君にはかなわない」 近づく真剣なまなざしを脳裏に焼きつけるように、みちるはゆっくり瞳を閉じた。 「海は大きく広く美しいから。月に照らされても、風にそよいでも、海は変わらない」 頬に温かいてのひら。 『ひとりじゃ生きられない。君だけが占める心で生きる僕は、ひとりでは---』 唇にやわらかな愛がともる。言葉などなくても伝わる言葉が乗せられた、甘いキス。 深く入り込むはるかの熱を受け入れながら、やさしく闇に溶けるまで抱き締め合う。 確かにあったのに、もう不確かな平和。 けれど確かに感じる唇のぬくもり。 この瞬間。 世界が終わってもいいと思ったふたりは、戦士の狭間のエゴイスト。 |
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(2001 September)
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