213.アクシデント





その日、ひさしぶりに同じ年頃のこどもたちと遊びたいという希望をかなえるため、紫龍と貴鬼は、星矢の待つ星の子学園を訪れていた。
ひとしきり遊んだ流れで、午後からは野球をしようという話になり、大人数で腹ごしらえをし、貴鬼も楽しんでいる様子で嬉しいな、と。
さすがにメンバーに入ると洒落にならないので、内外野陣がこぼした球を拾う役を一手に引き受けた紫龍だったが、5回裏。
逆転のチャンスで打席に立ち、遠慮なく豪快に敷地外に飛ばされた星矢のホームランボールを探しに、雑木が生い茂る暗がりに入ったとき、アクシデントは起きた。

「???」

チクリと肌を刺す痛みと、なにやらイヤな予感の糸が肩口に---

「ぅ、わっ!!!」

蜘蛛の糸のような1本の細い糸に、等間隔に並んだ1cmほどの毛虫が、つぎつぎと落ちてきた。
素早くボールを掴んで、おぞましい場所から抜け出すも、チャイナ服と髪の毛に点々と張り付いた毛虫に気づいて、大慌てで払い落とす。

「痛、かゆいっ!」

突き刺すような独特の感覚にふと思い当たり、木をよく見ると、それらが椿と山茶花であることに気づく。
五老峰では気をつけていたのに、ジャミールには自生していなかったので失念していた。毒毛針をもった毛虫が好む葉っぱだ。しかも、まさに今がシーズン。

「俺って、うかつすぎ...」

一刻も早く、棘を抜くか洗い流すかの処置をしなければひどくなる一方なので、とりあえずグラウンドに戻り、理由を説明してシャワーを借りることにした。
毒針は風にも舞って刺さるので、こどもたちと距離を取って、場所だけを聞いて向かう。
心配すればするだけ気を使う紫龍の性格を知っていたので、ことさら明るく「バカだなぁ、紫龍。おっしゃ、皆、ゲームに戻ろうぜ!」と、ウインクをして試合の雰囲気に戻してくれた星矢の存在がありがたかった。

貴鬼だけは一緒についてきたが、上着を脱いだところで現れた湿疹のひどさに、泣きそうな顔をされて困ってしまう。

「大丈夫、慣れてるから。こどもの頃にも刺されたけど、見た目より平気なんだぞ」
「けど、おいら。ムウ様になんて言っていいか」
「薬つけときゃ治るって。そうだ、ごめん。かゆみ止めの薬、借りてきてもらえるか?」
「うん!」

泣きそうな顔で姿を消した貴鬼の言葉が、頭に残る。

---ムウ様になんて言っていいか---

「.........なんて言おう」

勢いよく服を脱ぎ捨て、置いてあった空の紙袋に放り込む。こすれた皮膚が、痒みを増したような気がした。










腰にバスタオル---黄色いアヒルと赤い風船の柄が印象的だ---を巻き付け、水滴を拭く間を惜しんで、鏡で姿を確認する。

「う〜〜〜ん」

膨れた皮膚と、赤く腫れた患部が、あちらこちらに点在している。
貴鬼の手前、平気と言ったが、本当のところ、痛がゆくてたまらない。
見た目も、ちょっと...いや、かなり、マズイ。
あらゆる傷を受けてきたものの、虫さされという言葉くらいでは症状に見合わず、正直、自分でも気持ちが悪い。

でも、気にしたのは自分のことではなく、この肌を愛し撫でるひと。

「ムウに怒られるかな」
「こんなことで怒りはしませんよ。しかし...これは、ひどいですねぇ」

言葉を遮るようにして、いつの間に現れたのか、鏡越しの背後にムウの姿が見えた。

「ムウ!」
「切り傷や擦り傷なら慣れてますが、皮膚炎となると治せるかどうか」

驚き振り向く紫龍を意に介さず、細かに盛り上がる赤い点を探す視線が、鎖骨、二の腕、脇腹、腹を冷静に診ていく。
ろくに拭いてもいない長い黒髪を、器用にまとめあげ手近にあったタオルで止めて、あらわれた背中とうなじ、腰にも赤い点を認めて、小さく溜め息。

「ちょっと、やっかいかな」

学園のどこかに置かれていたんだろう。
『家庭の医学』なる書物を手元にテレポートさせたムウが、皮膚の症状と該当するページを探しめくりながら、つぶやいた。

「綺麗に治せたら、ご褒美をもらわないといけませんね」

ムウとしては、愛する肌に、虫ごときに刺された跡を残したくはないので、慎重に目視し、首尾良く治す方法のみを考えていたのだが。
紫龍はといえば、少し違う感想を持ち、あろうことか、そのまま口走った。

「へ、変なことはしないって約束してください」
「変なこと?」

めずらしく虚をつかれたムウの表情に、なにかを間違えたと紫龍が気づいたときには遅く。
花が咲くように微笑まれて、その美しさの中に隠れたものを知っているがゆえ、身構えて後ずさった。

肉食獣のようにゆったりと一歩を踏み出したムウの手が閃くのと、バスタオルが床に落ちたのが同時で。
つぎの瞬間にはもう、洗面台に乗せられ開かされた脚の間に、愛しく美しい獣が詰め寄っていた。

「解釈に間違いがあるといけないので、あなたの口から具体的に『変なこと』を教えてもらえませんか?」

具体的になんて、言えるわけがない。
まして、この状況で、二の句を告げられるわけもなく。

「この口で」

上唇に一瞬だけ重ねられた妖艶な唇がもっと欲しくて、つい、追いかけてしまう。
強いかゆみがもたらす、ヒリヒリとした痛みより。湧き上がってしまった、身を焦がす、むず痒さ。
やり過ごす術は、いつも見つからない。

浅く深く、口づけを交わしたムウが、紫龍自身の変化に気づいて柔らかに包み込もうと視線を落とすと、太股の付け根にまでおよんだ、赤い点。

「あなたをもっと綺麗にしてあげる」

治療のために肌を滑る指が、赤い点を確実に消していく一方で、ムウの唇がたどった場所に新しく散らされた跡が、紫龍の肌を甘く埋め尽くしていき。



長い時間、お互いに酔って---



館や聖域ではありえない、パステルカラーが溢れた狭い脱衣所というシュチュエーション、遠く聞こえる無邪気な明るい歓声が、いつもとは違う火をつけたのだと。
手足を動かすことも億劫そうに、腕の中でとろけきった紫龍の中に、いまだ身をうずめながら。
ムウもまた、この場から立ち去るきっかけを掴めず、ぼんやり窓の外を見上げた。



西日が、眩しい。










「あれ、貴鬼。かゆみ止め、紫龍につけてやるんじゃなかったのか」
「そのつもりだったんだけど。ムウ様が治しに来てくれたから、大丈夫だと思う」

思念を飛ばした師が現れた気配を感じながら、紫龍に薬を届けに行くつもりが、ちょうど「変なこと」と言い出したセリフを聞いてしまい。
なんとなく流れが読めてしまったアッペンデックスとしては、気を利かせて脱衣所のドアノブに『使用中』の札を下げて、グラウンドに戻ってきたのだった。

「わざわざ治しに来るなんて、過保護すぎんじゃね?」

率直な言葉に、誤魔化すように笑いつつ。
抜け目のない師ではあるけれど、9回裏までに、あちらの『試合』を終えてくれるのか疑問である。

「こっちの試合、12回まで延長させれるよう、おいら頑張る!」
「おっ、気合い入ってんじゃん。よっしゃ、張り切るか!」

星矢は明快でいいなぁと思ったが、口には出さず。
ぶんぶんバットを振ってネクストバッターズサークルに入りながら、年長の子がおとなぶって教えてくれた単語を、ちょっと思った。

ふたりとも、尊敬してるし、大好きだけど。

「バカップルにつける薬って、ないのかなぁ」





213.アクシデント/20070520
All rights reserved by aho-kan!

毛虫に噛まれたウキョー!!な気分をムウしぃで発散してみました★
アホ感!ムウ紫龍につける薬はないのよ。貴鬼、苦労かけるね♪