175.なくしたもの





「おばちゃん、どないしたん...?」

亡き母の代わりに結うポニーテールの、リボンの色は哀しく、重く、暗い、黒。

「泣かんといて。かずはが...、かずはが、そばにいたげるから...なぁ、泣かんといて......」

なくしたものの大きさよりも、残された者への思いやりを、ただ繰り返す、小さな女の子。



「静華さん、このまえはありがとうな。アイツも喜んでる思うわ」

どこか自嘲気味な微笑みを口元に、寂し気な光を瞳の奥に宿しながら。

「急やけどなぁ、引っ越そ思てんねん。あの家は...思い出がありすぎてな、ちょお辛いわ。いまにもアイツが"お帰り"て出迎えてくれそうでな...」

ぽつりぽつりとつぶやく姿に、丸まった背中に、普段の精彩は認められない。

「あかんなぁ、俺。ひきずってもうてんなぁ」



最愛の妻の死---世界でたったひとりの人、あまりに早く逝った人。



短すぎる寿命を知ったときから、夫として何をしてやれただろう。
妻の死後、残された愛娘に、父として何をしてやれるのだろうか。


「かずはな、ずーっと、おとうちゃんといっしょにおるよ」

なくしたものの大きさを、埋めるに必要な時間は、どれくらい?

「おりょうりも、おせんたくも、がんばんねん」

誰も答えられない。彼女を愛した皆が、同時に、なくしたもの。

「さみしないやろ?...やから、泣かんといてぇ」


いつか、この涙が乾いて。そして、ほほえみに代わるまで。


なくしたものの大きさを思い、愛しい存在を抱きしめながら。

残された者は、今日という、明日という、毎日を生きていく。



写真の中で、心の中で、鮮やかに変わらない。あの日、永遠になくしたものを忘れずに、生きていく。





175.なくしたもの/rewrite20070517
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