顔
私達にはそれぞれ顔があり、それがその人の印ともなっている。
犬や猫を始めとする動物にも、厳密にはそれぞれ顔があり、個性があるのだろう。
私達にはほとんど同じにしか見えなくとも、その世界では美人や美男があるのだと思う。(ホントか?)
もっと広義に言えば世の中に存在する全てのもの、例えば様々な商品や植物など有りとあらゆるものにも顔が存在するのかも知れない。
そう言った意味から顔というものは何かを代表する、そのものの目印として存在する意味があるように思う。
私達の世界でも、一個人の顔をとって、やれ不細工だとか、日本人には見えないだとか、はたまた、その一部をとって、鼻の穴がでかいだとか、おでこが広いだとか、色々と話題にしたりする。(言われる本人は非常に傷つくが・・・・)
そう言ったこととはまた別に、顔はその人本人を映し出している面もある。
「あの人はちょっと変だ」、とか、「意地悪そうな顔をしてる」とか、「冷たそうだ」、何て表現されるのは、その顔から受ける直感的な印象のようだ。
「顔は口ほどにものを言う」とはよく言ったもので、人の顔というものは如実にその個人の特徴や本性を現しているのかも知れない。
どんなに装っていても、ふとした表情からその人の真の姿をかいま見ることが出来たりする。
私は残念ながら警察で取り調べをする取調官や刑事ではないのでその様な能力は備わっていないようだが、世の中うかつに他人を信用するととんでもないことに巻き込まれたり、詐欺にあったり、高額なものをかわされたりといろいろあるものだ。
私達の顔の話はさておいて、無形のものにも顔があることをみなさんは知っているだろうか?
無形のものと言っても空気や水の事ではなく、ここでは会社や法人の事について話を進めていきたい。
法人と言うのは法律の上で一人の人として位置づけ、様々な法律の対象としたり課税の対象としたりするための処置のことである。
株式会社○○や有限会社○○等と呼ばれる会社がそうである。
また、法人ではないにせよ会社にも顔がある。
会社や法人の顔とはいったい何を指すのだろうか?
このような場合の顔はその様々な場面によって変わってくるようである。
もっぱら一般的にはその会社を代表する社長がその顔となるようであるが、我々一般人にとってはあまりお目にかかることがない顔である。
私達が接するその会社の顔というものは、たまたま電話に出てきた人であったり、たまたま接客した人、たまたま近くにいた人、なんて言うのが常ではないだろうか。
小売をしていないような会社であればその会社の顔に接する事はほとんどなく、ほんとに特殊な場合に直接その会社にクレームを言ったり、問い合わせをしたりする場合になるだろう。
と言うことは、その会社が販売したり提供しているサービスやその商品自体がその会社の顔になる。
このように考えると会社の顔というものは特定できず、その場面場面で、その会社に関わる全てのものが顔であると言っても差し障り無いようである。
顔はその会社そのものと言った方がいいのかも知れない。
このように考えると顔というものはとても大切なものである。
大きな会社で某らの商品を製造販売しているような所には必ずと言っていいほど「お客様相談室」や「サービスセンター」等という部署が存在する。
仕事内容は消費者からのクレームや問い合わせに対応するのがその主な仕事である。
この部署は非常に大切な部署でその対応如何によってその会社や商品のイメージや評判が大きく左右される。
一流の会社は万全の態勢と人員そしてマニュアルを持って対応している。(何を基準に一流というかは難しいが・・・)
この部署を会社の顔と考えているような(私達にとっては紛れもなくそうなのであるが)会社の対応は素晴らしいものである。
商品にクレームを付けて某らの名目で迷惑料をせしめようなどと考え、それを生活の糧としているような輩が存在するのも確かであるが、その様な場合でもその対応は理にかなった順序を経て行われている。
有名百貨店や一流ホテルなどの対応はその教科書となっている場合が多い。
逆にその会社の「お客様相談室」や「サービスセンター」の対応を見れば、その会社がどのような会社であるか良く分かる、と言っても過言ではない。
私達にとってはまさにその会社を代表する顔なのである。
「お客様相談室」や「サービスセンター」等という部署が無いような規模の会社の方が、法人、個人を含めたくさん存在する。
こちらの方が大多数であると言った方が正確かも知れない。
このような会社に某らのクレームや問い合わせがあって電話でもすることがあれば良く分かるのだが、このような会社ではたまたま電話を取った人間がその内容を聞き、そのことに対して返答できそうな人間に電話を回すか、管理職の人間に電話を回すのが通常であろう。
運悪く電話を回せる人間がいなければ自分が何とかその場を取り繕うしかすべがない。
全く持って不運である。
取引先であれば「担当セールスが戻り次第連絡させます」とでも言えるが、一般消費者からの電話であればそう言うわけにもいかないのである。
さて、ここでつまらぬ対応、すなわちいい加減な対応や横柄な対応をすればどのようになるか、その電話を取った人間はおそらく考えもしないであろう。
適当になんだかんだと訳の分からないことを言ったり、小学校で国語の時間は全て欠席したかのような文法の言葉を並べて、1秒でも早く電話を切りたいと思うだけである。
それが終業時間ちょうどであればなおさらである。
しかし、電話をかけた人間から見ればそれがその会社の顔、すなわちイメージとなってしまうのである。
その様な対応に腹を立てたり憤りを感じた人間は、二度とその会社の製品を購入しないだろうし、その様な対応をされたことを何人もの知り合いに話すだろう。
そんな話を聞いた人間もそれならそこの製品は買わないようにしよう、などと思うだろう。
その内にそれがネズミ講式に広がり、何時しかその会社のイメージとして定着してしまう。
ちょっと大げさかも知れないが「なきにしもあらず」である。
このように考えると、その会社に関わる全ての者がその会社の顔であると言える。
顔である以上、それなりの責任と責務を持って対応し信用を得なければならない。
そうでなければ社会において存在し続けることは不可能なのである。
自社製品に誇りを持つことは大切であるが信仰してしまってはいけない。
不良品や不具合な物は必ず存在する。
一品一品手作りでもその出来具合には差が生じる。
その差が最も少ない機械生産では必ず不良品は出来上がるのである。
その不良個所が仕入れられた小さな部品の1っの事であっても、その製品全体が不良で有り、発売した会社が不良品を出荷したことになるのである。
不良品の出荷は罪ではない、(意図して行われたのでなければ・・・)運悪く不良品を購入してしまった消費者に対して、満足いく対応をしないのが罪である。
自分が逆の立場になったときのことを想像すれば容易に理解できるはずなのだが、なかなかそうはならない。
問い合わせに対して、相手が満足する説明が出来なければ罪にも等しい場合もある。
”不明瞭な部分や確認したい事柄などを質問されて、はっきりと返答出来ないような商品”や”カタログなどに記載されているデータや効果が確認できない商品”は詐欺に限りなく近い商品である、と言いふらされても弁解の余地はない。
それを逆手にとって営業妨害や非議中傷と言うのは、まさにその様な疑いが増すばかりである。
疑いを持ったり不満に思う者から見れば、それが万が一、間違った使用方法や誤解した使用方法によって生じた事であったにしても、まさにそれが現実であり、結果に他ならないのである。
横柄な対応しかできなかったとすれば、それは「聞かれてはまずいから」か「正直に説明できない何か訳がある」、または「忙しすぎてそんなちっぽけなことに関わっていられないと判断したからその様な対応をした」と思われてしかるべきである。
誇りある自社商品であればどのような問い合わせやクレームに対してもちゃんと対応できるはずである。
自社商品に何の誇りもなく、ひょっとすれば社員自ら疑いを持っているのであれば致し方ないが、それはまた次元の違う問題であろう。
問い合わせてきた人間が満足出来る対応が、その商品に対する信用であり、その会社に対する信用となる。
信用は信用を産みその会社のイメージとなる。
信用ある会社の商品は何もしなくても信用があるから売れる。
信用の積み重ねが会社の反映につながり、利益をもたらす。
もたらされた利益が社員や社会に還元される。・・・・・(?)
正常な方向へ回りだした歯車は、よほどのことがない限り反対方向へは回らないものである。
また、悪い方向へ回りだした歯車を、正常な方向へ回るようにするためには、膨大な力が必要となる。
積み重ねによって悪い方向へと回りだしてしまったものは、それを修正するのに、積み重ねにかかった時間の何倍もの時間を必要とする。
悪いうわさが広がる前に、ささやかれる前に完璧に対処していなくてはならないのである。
それが事実無根のことであったり、誤解によるもので、本当の事でないとするならばなおさらである。
たった一人の消費者のクレームに対する対応がその始まりになるかも知れない。
それだからこそ一流の企業ではその必要性を重要視するのである。
言い替えればそれが自社商品に対する自信であり、誇りなのである。
このように大切な役目を担っている会社の顔=代表は、何十人、何百人、何千人もの社員を抱える会社の代表として、その職務を遂行するという非常に責任の重い仕事なのである。
不幸にもその様な職務を命ぜられたり、運悪くその様な立場になってしまった人間は、そのことを真摯に受け止め理解し、その責務を全うしなくてはいけない。
そうでない人間はその役目を降りるべきであり、そうすることがその他の社員の利益につながる。
それに気づくこともなく傲慢な対応をし続けることは、やがて会社の信用をなくしその他の社員の利益を剥奪し損害を与えるだろう。
また、対応にむらがあってもいけない。
いかなる問い合わせやクレームにも、気分がいいとき悪いとき、暇なとき忙しいときにでも同じでなければならないのである。
ましてや相手の口調やしゃべり方で好き嫌いがあっては話にならない。
最悪なことはその様な人間は自らそのことに気づくこともなく、誰からも指摘されないことが最大の不幸である。
人間、他人の戯言に耳を傾け、人の振り見て我が振り直す姿勢が大切だと言うことであろう。
そう言った意味からも、その様な立場となる人間の人選と教育は、会社として行わなければならない義務である。
そう言った義務をおろそかにしたり重要視していない会社が大多数であると言うことは非常に嘆かわしい現実であるが、それを黙認したり、我慢している日本の消費者も大したものである。
このような人種の国は何と金儲けが容易なところであるだろうと思う。
会社の顔を見ればその会社の経営者の顔が見え経営姿勢が見える。
会社の顔が悪い会社の経営者はいずれ失脚するだろう、そうあるべきなのである。
しかし、現実はそうとも限らないこの国は良くできていると言って良いのかも知れない・・・・。
メーカーとしての顔、ショップとしての顔、そして消費者としての顔・・・・・顔を持った以上は免れない試練なのかも知れない。
自分にも言えることであるが、様々な立場の顔に恥じないように日々努力したいものである。
人間として・・・・。