2 0 0 3 年 ・ 夏 山 紀 行


///Part 1///

7月//白馬・雪倉・朝日岳 〜百花繚乱の旅〜 (北アルプス)

(まえがき)
 山へ行った。2年ぶりだ。23歳の夏から毎年欠かさずどこかの山を登っていた私だが、2002年の夏はどこへも行かなかった。
 この年の春、体調不良のため1ヶ月近く会社を休んでしまい、周りの人々に大迷惑をかけた。なのでそれから長期の休みはなんとなく取りづらく、私は山へ行くのを断念した。
「1年くらい登らない夏があっても大したことではない」
と、思っていた。
 が・・・自分がこれほどまでに山に魅せられていたとは思わなかった。
 夏が終わり秋になった。「大したことではない」と不完全燃焼のまま迎えた私の心は相当病んでいたらしい。
 頻繁に山の夢を見た。しかも「登れない」夢なのだ。ふもとまで行っても岩壁が立ちはだかり、どうしても越せない。もしくは途中まで登っても何か重大な忘れ物や用事を思い出して引き返さざるを得ない、または歩いている途中、バンダナを落としてしまい、拾おうとすると他の登山客が「もうあなたにはこれ必要ないでしょう」と言い、バンダナを取り上げられ早足で逃げられた、等々。
「もう山に行ってはいけないのだ」。美しい山並みを目前にして膝をかかえて泣く夢を何度も見たのだった。
 ストレスはたまり続け、しまいにはタバコに手を出してしまった。私に喫煙クセがついたのは仕事によるストレスが原因だと皆様は思っているだろうが、違う。
 全ての根源は『一度くらい山に行けなくても大丈夫』だと山を甘く見たことから始まっているのだ。
 ええい、止めてくれるな、私は山へ行く、行かなければならないのだ。
 と、翌年の夏を待ちきれず、まだ雪深い4月に白馬に出向いた。白馬は私が愛してやまない山のひとつ。4月だとまだ『雪山』で登れないのでふもとから山を眺めただけだったが、それでもだいぶ癒されたような気がした。
「今年の夏は登るからねー!」
 この時、帰りのJR大糸線に揺られながら私は美しい山並みに向かってつぶやいたのだった・・・。
 長い前置きつきですまぬ。要は私がこれほどまでに山が好きだということを知っていただきたかったのである。

 そうして私はあの時の約束どおり、白馬へ登ることにした。


(7月24日木曜日・京都駅出発)
 いよいよ大好きな白馬に会いにいく。
 私は娘時代に若気のいたりで四国在住の青年と『遠距離恋愛』をしたことがあり、ふた月に1度くらいの割合で船に乗って四国に通っていたことがあった(当時は明石大橋がなかったので船で行くしかなかった)。
 船に乗り込んだときのドキドキ感。『もうすぐ彼に会えるワ』。あの感覚にそっくりなのだ。山へ行くバスや電車に乗るときの昂揚感!
 さて山の話に戻るが、今回の計画は私が立てた。なので一応私がリーダー。同行のメンバーはいつもの山仲間のみっちゃん、そしてみっちゃんの友達のあさとちゃんだ。
 7月24日の夜、私たちは京都駅に集合した。みっちゃんとは2年ぶりの再会。そしてあさとちゃんを紹介してくれた。この時、私とあさとちゃんは初対面。
 あさとちゃんはノースリーブのタンクトップに綿のチノパンを着用しており、スケッチブックを胸に抱えていた。
 ・・・・・・この子、今からどこへ行くのだ?
 あさとちゃんは山は全くの初めてだと聞いていたが、みっちゃんが教育してくれると言うので任せきりにしていた。
 大雪渓をチノパンで登れるだろうか・・・しかしここまで来て引き返せとは言えない。不安なまま夜行バスに乗り込んだ。
 翌朝、バスを下り、トイレに行った。トイレから出てきたあさとちゃんはしっかりと登山用の服に着替えていた。あーよかった。

(7月25日金曜日・猿倉〜白馬大雪渓を経て白馬山荘へ/歩行時間約6時間)
 JR白馬駅からバスに乗り、猿倉へ。ここが登山口だ。用意していた『登山届』(遭難したときに備えて、メンバーの名前・住所・連絡先・年齢・血液型・歩く予定のルートを書いたもの)を提出し、簡単に腹こしらえ。
 残念ながらどんよりした天気。林道を1時間ほど歩くと大雪渓の入口である白馬尻小屋に到着した。
 雨は本格的に降ってきた。ああ、なんてことだ。せっかくの2年ぶりの山なのに。天は味方してくれなかった。
「今年は雨が多くてねえ。晴れたことなんかめったにないよ」
と、駅の売店のおじさんが言っていたが、信じたくない話は信じないようにできている私の頭をもってしてもこの空模様にはブルーな気持ちになった。いくら山が好きでも雨の山はゴメンだ。
 日本でも有数の大雪渓である白馬大雪渓。雪渓とは簡単に言うと氷河によく似たもの、である。日本には氷河はないけれどまるで氷河のような場所なのだ。
 といくら言っても知らない人にはわかるまい。百聞は一見にしかず、というので下の写真をどうぞご覧下さい。

 


 これが大雪渓である。長さ約4キロの道を登る。全部雪だ。もちろんアイゼンなしでは登れない。白馬駅の前でアイゼンをレンタルし、頂上の小屋で返すというシステムになっている。
 雪の上には赤い粉がまいてある。それに沿って進まなければならない。やみくもに歩くとえらいことになる。


 こんな裂け目(クレバス)がいたるところにあるからだ。そして雪の上では決して休憩してはいけない。落石が多く、音も聞こえにくいからだ。
 2時間半ほど歩いたところで岩場に乗り上げた。ここで休憩。寒いし雨は降ってるしで、とっとと上がってしまいたかったが、みっちゃんが「お腹がすいた」と言うので立ち止まることにした。
 彼女はコンロを出し、スパゲティを茹で始める・・・ちょっと休憩、ではなく本格的に休んでいこうという感じだ。
 みっちゃんは、「食事の時間をもっとしっかりとってほしい」と、私の計画の不十分さを批判。そして慣れない雪道、慣れないアイゼン、そしてこの雨・・・大いに不機嫌だったが腹がふくれればちょっとは機嫌も直るだろう。
 山は楽しいがやっぱり過酷なのだ・・・体力的にも精神的にも。いくら仲のよい友達とはいえ、大自然の中で過酷な状況に置かれれば精神の余裕も少なくなりがち。
 天気のいい日ならのんびり食事も楽しいが、雨に打たれながらの食事はつらい。早く登って小屋でゆっくり食べようぜ・・・イラつく気持ちを抑えるためにタバコに火をつけた。
 あぁ、フラフラする・・・寝不足のせいか?それとも高山の影響か?
 彼女たちの優雅なランチはまだまだ終わりそうにない。私も観念してコンロを出し、コーヒーをすすった。
 1時間後、ふたたび歩き始める。雪から立ち上るもやと雨空を覆う霧で何も見えない。ひたすら足もとの赤い粉ばかりを見つめて歩いた。1時間ほど経った頃だろうか。何気に顔を上げると・・・
 青い空が!そして目指す山々が顔を出した!
 晴れている!これからどんどん晴れるはず!真っ白な雪と真っ青な空と大いなる山々が!
 これだから山はやめられんのだ!

 さらに2時間半ほど歩き、白馬山荘に着いた。今日はここに泊まる。この小屋は日本でも1,2位を争う立派な山小屋だ。なにせ、皇太子もお泊りになったとかで。何年か前に「皇太子ご宿泊の部屋」にたまたま泊まらせてもらえたことがあったが、完全個室できれいな畳、ふすま、そしてなんと無駄なことに床の間までついていた。
 今日は大部屋だけど快適。金曜日だし、こんな天気だし。同室の人たちも「今日はすいてていいねえ。ふとん、一人でふたつ使えるよ」などと談笑。
 雨に濡れた雨具を乾かしに乾燥室へ行ったあとは、夜ご飯の材料や明日の着替えを準備し、明日の行程を3人で確認する。
「あ、私も地図持ってきたで」
 と、みっちゃんが言うので見せてもらうことにした。私の地図はネコが破ってしまったので見てくれが悪いのだ。
「こ、これは・・・」
 みっちゃんが出したのは「槍・穂高」の地図だった。
 あぁ、あれほど「今回は白馬に行く」と言い、忙しいさなかに計画表を作り、郵便で送り、バスや電車の時間を調べ、切符の手配をしたというのに、彼女は全然わかってくれていない・・・
「槍は全然方向違うやろ。この地図に白馬載ってないやろ、気づかんかったん?」
「今、初めて見たから気づかんかった」
 あぁ、もぉ終わってる。計画表を郵送するときに、「地図もコピーしてつけといた方がいいかな」と、ちょいと頭をかすめたのだが、「もう何年も山に登ってるんだし、そこまでしなくてもいいだろう」と思い「地図で行程を確認してね」とメモをつけるだけにした私。
 私が悪かったのだろうか・・・どう思う?
 
 食事をすませ、しばらくすると陽が沈みだした。カメラ片手に小屋を飛び出した私たち。 

 黄色がアタシ、青はあさとちゃん、赤はみっちゃん  今朝の天気がウソみたいなのだ


 そして食後のデザートを召し上がろうということになった。
 山荘の別館はカフェテラスになっており、ケーキセットなどが食べられるのだ。
「山では不便を楽しもう」と言い、こういう小屋に泊まるのを嫌がる人もいるけれど、私は山に対してそこまでマニアックではありません。
 山でケーキが食べられるなんてステキじゃん!ねえ?

 夜は8時に寝た。夜行で来てすぐに登ったので眠りは深かった。

(7月26日土曜日・白馬山荘〜白馬岳〜雪倉岳〜白馬水平道を経て朝日小屋/歩行時間約7時間)
 翌朝、15分ほどかけて白馬の頂上に立った。実は白馬は『ハクバ』ではなく『シロウマ』と読む。駅や地名は『ハクバ』と読むが、山の正式名は『シロウマ』だ。だから白馬に登るときは『ハクバに登る』と言っては恥ずかしい。『シロウマに登る』と言うべきだ。ご存知ない方にお教えしておこう。(10へぇ〜くらいいただけるかしら?)
 写真を撮ったあと、携帯電話を取り出し、メールをチェック。山荘では電波が届かなかったが、山頂に立つと入る。
「生まれましたー」
 (ダーリンの)妹が昨日出産したようだ。朝日がさんさんと降り注ぐ山の頂きに、めでたい知らせが届いた。こうして私は「オバさん」になった。
 7月26日、本日は晴天なり。今日の行程は約7時間。白馬岳山頂から30分ほど下ると三国境(富山・新潟・長野の県境)に着く。私たちはそこから長野県を離れ、富山と新潟の県境に沿って歩いた。
 この道は「白馬連山高山植物帯」として特別天然記念物に指定されている区域。その名のとおり、花々がとっても美しい道なのだ!かなり長い距離だけど7月の末、花が最もきれいだと言われる季節に一度は行きたいところ。
 
 昨日は不機嫌だった私たちも今日は晴れ晴れ。青い空はどこまでも広がり、空気はどこまでも透明だ。
 

今年は雪が多く、残雪も多かった

***百花繚乱第1弾***
左から、キヌガサソウ、コイワカガミ、コマクサ(高山植物の女王と呼ばれている)、ウメバチソウ、チシマギキョウ

画像をクリックするとアップで見られます


 もう10年も山に通っているけれど、見たこともない花がたくさん咲いていた。今年は雪が多く、道は悪いけれど「花と残雪の白馬」と言われているだけあり、ウワサどおりのキレイな風景の連続に大感激。
 次に目指すは雪倉岳。登りの手前で小休止。山は今回初体験のあさとちゃんがきれいな声で歌いだした。空にそびえる遠い山並みに向かって。
「思い出した!留学してた頃、こんな風景見てたこと。最近すっかり忘れてたけど、思い出した!!」
 あさとちゃんはとても感性の豊かな人だ。学生時代にオーストラリアに留学したことがあって、そこは大自然に恵まれたとってもきれいな場所だったらしい。帰国して就職して、無味乾燥な日々を過ごすうちに、記憶に残っているはずの自然の美しさをすっかり忘れていた。それを今、ここに来て『思い出した』と言うのだった。
 大空を、タカだかワシだか知らないけれど、大きな鳥が羽を広げて悠々と飛んでいた。
「風が、見える!」
 
 今日は皆、超ご機嫌。360°さえぎるものがない風景。あるのは山と空だけ。そして足もとには美しく可憐な花々が。この風景の中にいて嬉しくならない人はいないだろう。
「これやから山はやめられんのよなぁ〜街で遊ぶのとは全然違うもんなぁ〜あぁ、この世界を知らずしてあの小さな街中でウロウロさまよっている人の、なんと哀れなこと!!」
 と、3人とも喜びを隠さないのであった。

 雪解け水や岩からしたたり落ちる湧き水で喉を潤しつつ、私たちは歩を進めた。雪倉への登りは結構ハード。2時間ほどかかって登りつめるも、さきほどとはうって変わって空は曇っていて何も見えず。
 次に目指すは今夜の宿泊地、朝日小屋。雪倉の山頂から約3時間45分。
 遠い・・・しかも霧で何も見えない。私たちはまた言葉少なになった。
 延々下る。あんなに登ったのにどんどん下る。やがて分岐に出た。
「朝日岳の頂上を踏んでから小屋に行く道と、まっすぐ小屋に行く道との分岐やけど。時間はそれほど変わらへんけど、どーする?」
 私はネコに破られた地図を広げ、みっちゃんに相談。近くにいた人たちは圧倒的多数で頂上への道を選んでいた。しかしその道は結構な急登らしい。
「頂上は明日でいいや。小屋へ行こう」
 地図を見ると小屋へ直通するその道には名前がついていた。

  白馬水平道

 水平という名前に惹かれ、私たちは満場一致で歩き出した。
 道は雪解けでぬかるんでおり、靴はドロドロ。でもミズバショウがきれいに咲いていた。雪解けが遅かったからか、新芽が続々と生えていた。でもこの芽が成長して咲く頃にはもう秋かも。咲かないうちに雪に埋もれてしまうのかな、と思うとちょぴりせつなかった。


***百花繚乱第2弾***
左から、ウルップソウ、ウスユキソウ(エーデルワイスに品種が近い)、ミズバショウ、
シナノキンバイ(黄)ハクサンイチゲ(白)、ギンリョウソウ(幽霊草とも呼ばれる)

画像をクリックするとアップで見られます


 朝日小屋に到着。水平道とは名ばかり。アップダウンの連続でクタクタ。
「水平道なんてウソだよねー」
 私たちの後ろを歩いていた女の人が声をかけてきた。彼女は地元の人で、今回は単独で歩いているという。歳も私たちとそんなに変わらない感じだ。
 小屋に着くと、晴れてきた。またまた嬉しくなった私たちはビールを購入。単独行の彼女も巻き込んで飲む。
「あさとちゃ〜ん!ブロッケン、ブロッケン!!」
 雲に向かって手を振っている人が何人かいたので、これはブロッケン現象が出たな、ということで私はあさとちゃんを呼び寄せた。
 ブロッケン現象はドイツのハルツ山地にあるブロッケンという山でよく見られる現象らしく、
 自分のいる位置を中心として、太陽の位置と正反対側に雲や霧がかかっている時に出るもの
 で、雲の中に丸い虹ができ、その中に自分の影が写るのだ。なので、皆、これが出ると面白がって手を振る。そうすると虹の中の影も手を振る。
 さきほどの道中で私たちを落胆させた霧と雲が、思わぬプレゼントをしてくれた。

朝日小屋の前・山の下に溜まっている雲にブロッケンが写った

 あさとちゃんはスケッチブックを取り出した。今回は歩く距離が長いので、ゆっくりした休憩も取れなかったのが気の毒だった。
 私は目の前の風景にぼんやりと、ただぼんやりとしていた。あぁやっぱり山はええなぁ。。。。
 あちらこちらから人が来る。これは混み合いそうだ。今日の小屋は前日の白馬山荘とは違い、個人で経営しているみたいな小さな小屋だ。
「最近ずうっと天気が悪かったからねぇ、待って待って待ち続けた近郊の人たちがどどっと押し寄せたみたいよ」
と、誰かが言っていた。しかも今日は土曜日だ。
 案の定、部屋は満員、しかも男女合い部屋で一枚のふとんに二人寝なければならないことになった。仕方ないわ・・・。
 朝日岳は今、中高年の間で大ブレイクしている「日本百名山」には入っていない。しかも道のりが長いので訪れる人の少ない『静かな山旅』ができると言われているけれど、大手旅行社がツアーを組んでたくさんの中高年を連れてくるので困る。と、言いつつ私も時々ツアーを利用するけど。便利なんだよなぁ。安く行けるしどこでもバスで連れてってくれるし。登山口で本数の少ないバスの心配をしなくていいし、食事の手配もしてくれるし、下山後はすぐにバスで温泉に連れてってくれるし、本を広げて調べなくてもガイドさんが山や花の名前を教えてくれるし。
 
 今日は山小屋の食事をいただくことにした。炊きたてのご飯がうれしい。しかしのんびり食べている暇はない。席が空くのを今か今かと待っている人がたくさんいるからだ。
 慌しい食事を終え、部屋へ。同じ部屋の人といろんな山についての語らいが楽しい。みっちゃんの持ってきた「槍・穂高」の地図も大いに役立った。やはり山ヤの憧れは「槍・穂高」なのだから。このコースはどうだった、ああだった、と地図を片手に話が弾んだ。
 そして夕暮れ。
「地球が回ってるなぁ〜」
と、3人でたそがれる。太陽が雲の下にどんどん沈んでいく。太陽が動いて見えるということは、地球が回っているということだ。
「一日一日を大切にしなあかんと思うなぁ」
 一日はあっという間に過ぎていくけれど、毎日空には太陽が昇り、そして沈んでいく。こんなに美しく。
 夜空も素晴らしかった。満天の星空に天の川、流れ星・・・夏の夜空の名物、さそり座が大きく君臨していた。それはまさに夏の夜空だった。
「あれが人工衛星」
 みっちゃんが人工衛星を見つけてあさとちゃんに教える。それを聞きつけた周りの人が「えっ!どれどれ?」と駆け寄ってきた。
 人工衛星。飛行機が飛んでいるのと比べるとすぐわかる。飛行機は点滅しながら低い空を飛んでいるけど、衛星はもっともっと高いところを一定の明るさですぅーっと真横に動いている。
 今日はいろんなものが見られたねー!と3人大満足の旅だった。

(7月27日日曜日・朝日小屋〜朝日岳〜五輪尾根を経て蓮華温泉へ/歩行時間約6時間)
 翌日、朝日岳に登頂後、蓮華温泉を目指して下山。

下山途中に出会ったお花畑
「天国ってきっとこんな感じなんだろうね」ということで手を合わせるアタシたち


 温泉で汗を流し、疲れを癒したあと、バスで糸魚川へ。朝日小屋で出会った単独行の女性(彼女とは今日も追い越し追い越されたりの関係だった)と別れを告げる。
 帰りの電車では日本海を眺めながら、楽しかった山旅を振り返った。
 美しい山々、美しい日本の風景、そして美しい(?)友情に乾杯!!
 
 ※花の写真はみっちゃんが撮影したものです。きれいに撮れてるでしょ?


///Part 2///

8月//蝶・常念・大天井・燕・餓鬼岳縦走記 〜ひたすら歩き続けた旅〜 (北アルプス)

※歩行時間については標準コースタイムを記しています私たちはこれよりかなり早く歩けました(ちょい自慢♪)


 さて今回は北アルプスの中でも最も展望がよいとされるコースを歩いてみることにした。ここは山ヤの憧れであり「日本のマッターホルン」と呼ばれる槍ヶ岳、それに続く穂高連峰を真横に見ながらの縦走である。
 パートナーはひろちゃん。彼女との最初の出会いは2000年。ミレニアムに浮かれて海外登山をしたときに同じツアーに来ていた女性である。いつかまた一緒に登りたいね、と言いつつ時が流れたが、今回念願かなってふたりで出かけることができた。
 驚いたことにひろちゃんは縦走はやったことがないということだった。もっとプロ的な岩登りや自転車レースや道なき道を歩くという「登山」というより「探検」ぽいことがメイン活動だそうだ。
 これは大変。彼女のペースについていけるだろうか、と不安を抱きつつ出発。

(8月21日木曜日・大阪駅出発)
 夜行列車急行ちくまに乗り大阪を出発。しばらくの間再会を喜び合い、互いの近況報告などをしたあとすぐに寝る。
 朝4時頃に松本駅到着。ここから大糸線に乗り換えることになっていたが、大糸線の始発は6時代。私たちは大糸線のホームから遠ざかり、別のホームに新聞紙を広げた。レインコートを着込み、新聞紙の上に寝る。駅のホームで寝ていたのは私たちだけのようだったが気にせず眠る。

(8月22日金曜日・三俣〜蝶ヶ岳/歩行時間5時間10分)
 大糸線の始発に乗り、豊科駅で下車。ここからタクシーで蝶ヶ岳の登山口「三俣」へ。20分ほど林道を歩いた後山道に入る。
 水が流れ、しだやコケが生い茂るしっとりとした樹林帯で登りもゆるやか。人もおらず、静かで快適な道が続いた。展望はきかないがマイナスイオン充満の道を涼やかに歩く。これぞ夏山の醍醐味。
 蝶の山頂が近づいてくるにしたがい花が咲き乱れ空が開けてきた。今日は絶好の登山日和。今年の夏はツイテいる!
 小屋が見えてきた。そしてその後ろにはとがった山の先端がくっきりと空にそびえたっていた。
「あ!あれはもしかして!!」
 槍ヶ岳!うわ、すごーい!全部見えるよーーー!
 歩くにつれ槍・穂高の連なりが眼前に広がる!!その迫力。もぉただただ「すごーい!」の一言につきる。
 

蝶ヶ岳山頂からの眺め。左は穂高、右は槍。一応つなげて写したつもり


 蝶の山頂は広々していて実に気持ちがよかった。槍・穂高が根元から見える。まさに「圧巻」。今年の夏山はココからの眺めが一番印象に残っている。

(8月23日土曜日・蝶ヶ岳〜常念岳を経て大天井(おてんしょう)岳/歩行時間8時間15分)
 今日の距離は長い。私は1日だいたい6時間くらいを目安に計画を立てるのだが、なんといっても今回の連れはひろちゃんなのでちょっと長く歩いてみようという気になった。
 彼女はやっぱり山に慣れている。支度も早いし歩くのも速い。変なとこでのんびり時間をくったりすることはないし、かといってセカセカわき目も振らずにタイムを競う歩き方でもない。まさに理想的なパートナー。(なーんて。。彼女が私のペースに合わせてくれてたんだと思う)。
 今日の天気もすばらしい。青い空のもと常念岳をめざす。

 常念への登り。写真の日付がおかしい(22日になっているワ)


 今日の中間地点である常念岳に到着。土曜日だからかすごい人だ。大手旅行社の団体客が狭い山頂を独占し、なかなかどいてくれない。エラクよたついたご老人がいたけど、大丈夫だったのかな。ちゃんと下山できたのかしら?
 ほんと、ツアー客ってメーワクなのよねぇ・・・うるさいばっかり食べてばっかり写真撮ってばっかりで常識ない人多いし。「今日はどちらまで行かれるんですか?」と話しかけてみても「知らないの。連れてきてもらってるから」って答える人が多いのには全くあきれてしまう。
「おー!今、常念に着いたぞ!」
 短パン&サングラスのすらりとした男性が槍ヶ岳を眺めつつケータイで話している。いかにも毎日スポーツしてそうな、日焼けした肌がまぶしい殿方である。その傍らには同じようないでたちの少年が。
 お父さんと一緒に山登りか・・・えーなぁ。ひろちゃんが男の子に話しかける。
「お父さんと一緒でいいねぇ」
 少年はさわやかな笑顔をしていた。
「先月お姉ちゃんも一緒にみんなで登った槍がきれいに見えてるぞ」
 お父さんはケータイでしゃべり続けている。
 どーやらココのご家庭は夫婦と子供ふたり(姉弟)の4人家族らしい。私の推測では・・・
 先月家族4人で山に登り、妻と娘は「しんどーい、山なんてもうコリゴリ!今度はアンタラ二人で行ってこい」と言い、今回の常念は父と息子で来た。
 子供は男の子がえーなぁ。ひろちゃんは女の子がいいと言っていたけれど、私は断然男の子がいい。(ただ今、『男女産み分け法』関係の本を読みあさり、研究を重ねている私。実行はまだ先の話だけどさ・・・)
 

   

常念岳山頂より槍ヶ岳を望む


 しばし展望を楽しんだ後、常念をあとにする。かなり急な下り。そして常念小屋に到着。ちょっと早いお昼ご飯にする。コンロでラーメンを作る。レトルトのコーンの水煮と乾燥ワカメを入れればなかなか豪華なラーメンが出来上がった。ま、大自然の中で食べるものはなんだって旨いんだけどね!
 早いペースで歩けているのでしばらくここでゆっくりした。でもここは今日の中間点。油断は禁物、1時間後に出発の用意を始めた。
 トイレに行くとさきほど山頂で見かけた少年がいた。
「どちらから来られたんですか?」
 と、少年に声をかけられ驚いた。まるでオトナのような口ぶりだ。コイツはかなり山慣れている。
 少年は新潟から来たらしく、小学校6年生。最後の夏休みをお父さんと一緒に過ごしているとのことだった。
 トイレが開くとなんとその少年は私に順番をゆずってくれた。さわやかな笑顔で。
 うーーーーん、やっぱり男の子がえーわぁ、私もなんとしても男の子がほしい。
 
が、この歳になっては男か女かと選んでいる場合ではなく、とにかく健康な子供を産まねばならんとわかってはいるものの。とにかくドッチでもいいから子供を産め、と双方の親から待ち望まれている。ツライわよー、これ。


 トイレをすませばすぐに出発。今日の空も青いわよー♪雨の気配なんか全然しない。


 次にめざすは大天井岳。あと3時間半ほど。ここに登るのは2回目だけど前はただ通り過ぎただけだったので今日はここに泊まってゆっくりしてみたい。
 到着。まだまだ歩けそうな感じがしたけれど、予定どおりここで宿泊手続。
 小屋から数分登ったところが大天井の山頂だ。小屋でビールを買い込み、頂上でひろちゃんと乾杯。




「この写真、ビール会社に送ってみ。ビール1ケースくらいもらえるかもしれんで」
 と、山頂にいたおじさん連中に言われた

 ビールを飲み終え、小屋に戻った。ストーブで暖められた小屋は快適そのもの。小屋の本棚に置いてある山関係の雑誌をパラパラめくりながら昼下がりを楽しむ。ひろちゃんの姿は見えないが、彼女も小屋のどこかで楽しみを見つけているだろう。適度に距離感を置いてもイヤな感じを持たず持たれず、という関係は本当にありがたい。
「喫茶室でコーヒー飲んでた」
と、しばらくしてからひろちゃんが現れた。外はまだ明るい。天気もよく景色もいいから外に出ようということになった。
 広い空の下、どこまでも続く道。老夫婦や学生たちやさまざまな人がこちらに向かって登ってきていた。
「私、あの歳になってもあんなに元気でいられるやろか?」
 しっかりした足取りでやって来る老夫婦を見ながらつぶやく。
「もっと早くに山を知っていればなぁ。もっと充実した大学生活が送れたかな」
 ひろちゃんは大学の山岳部自体には興味はないようだったが、私は山で青春を謳歌している彼らがちょっぴりうらやましかった。
 それからしみじみ人生について語り合った・・・。山のこと、山以外のこと、仕事のこと、将来のこと。ここには詳しく書けないけれど、今現在の自分の状況について「希望と後悔と疑問」を入り混ぜつつ結構長い間話した。
 どんなに話しても話しても、大きな空は私たちの声を吸い込んでしまう。他人に向けてではなく、自分に向けてでもなく、もっと大きくて果てがなくて途方もなく優しい何かに話しかけているような気持ちになる。それが「山」である。
 答えの出ないまま先の見えないまま歩き続ける日々。それさえもまるごと肯定してくれる。それが「山」。

(8月24日日曜日・大天井岳〜燕(つばくろ)岳を経て餓鬼岳/歩行時間9時間20分)
 大天井から燕岳へ向かう道は「表銀座縦走コース」と名づけられている。表があるからには裏もあり、「裏銀座縦走コース」という道もあるが、人通りの多いのは表銀座である。
 早朝の強風に煽られながら歩く。やがて雲の向こうから富士山が姿を現した。


 燕山荘(えんざんそう)という山小屋に到着。この山小屋はきれいだし売店にはなんでも揃っているリゾート小屋、しかも日曜の朝、そのうえ学校登山の子供もたくさん来る場所なので、人の多さに酔いそうになる。ゆうべは大天井に泊まって正解だった!とひろちゃんとふたりで胸をなでおろす。
 ここから私たちは燕岳を目指したが、行く人は少ない。圧倒的多数が私たちと逆方向の「表銀座」を行くか、中房温泉への下山道を行く。
 酔うかと思うほどの人ごみが幻だったと思えるほどに静かな道を私たちは歩いた。静かなだけではなく道の感じも変わってきた。細かな砂利のようなざらざらした道、大きな岩も出てきた。ちょっとした岩登り気分も味わえる。コマクサの群生も素晴らしかった。土も水もないザレた道にこんなにも美しい花が咲き乱れているなんて・・・生命の奇蹟である。
 数日間眺め続けた槍ヶ岳がだんだん後方へと遠ざかっていく。そして私たちはとうとう分岐にさしかかり、槍・穂高連峰に別れを告げ、餓鬼岳へ向かった。
 とにかく下る、下る。展望のきかない森の中へと。そしてまた登り返す。結構急な坂だったけど、山はツライばかりではない。
 

左から、ライチョウ(天然記念物・とってもカワイイの♪)・お花畑・猛毒で有名なトリカブト(毒は根っこにあるんだって)


 今日の距離は昨日よりも長い。でも変化のある道で退屈することなく、歩くことが出来た。それに静かだ。風の音しか聴こえない。
 餓鬼に登りたいと思った理由は、数年前に鹿島槍に登った時に出会った「バリバリ」の地元登山者が「北アルプスはねー『餓鬼』がいいよ。静かでねー奥深くてねー」とうっとりとしていた目で語っていたのが印象に残っていたから。
 ひろちゃんは白地図を広げ磁石で位置を確かめる。私は白地図の扱いが全くできないという「ちょっと恥ずかしいシロウト登山者」なので、色付きの地図を見る。磁石は・・・もちろん持ってるけどあんまり使わない・・・。
 遠い山の頂きに赤い屋根が見えた。今日の宿泊地「餓鬼岳小屋」だ。

左・山の夕暮れ 右・燕岳方面から餓鬼岳への道

 トタンでできた質素な小屋だ。今まで泊まった小屋とは違い、ワンルーム。つまり食堂も寝室も同じ。食事の時間が終わると宿泊者全員でテーブルを片付け、みんなの分の布団を敷く。ここに泊まる者は皆、家族みたいなもん。
 小屋の片隅には飲み物や果物の入った箱が。
「物々交換です。ご自由にどうぞ」
 下りる登山者が置いて行った食料の残り。それを登る登山者が持っていく。支払いはお金ではなく『気持ち』。山に登るのに余分なものは置いていく。
 小屋の前からは下界が見下ろせた。明日には天上の世界からあの下界へ下らなければならない。やっぱり寂しい。ちょっぴりおセンチになりながら一服していると30代後半か40代初め頃かと思われる紳士がやってきた。彼もまた下界を見下ろしながら一服している。彼もひとり、思うことがあるのだろう。
「あーあ・・・」
 彼はため息をつき、そして私たちの顔を見ながら言った。眉間にしわを寄せながら。
「しんどいねぇ・・・・・・」
 うん、しんどいさ。明日からまたあの暑い下界で働きバチの生活なんだから。私たちだってずっと天上にいたいわさ。ところが次に続く彼の言葉は。。。
「山なんか来たってサ、なーんもいいことないんだよね」
 な、なんや?コイツは誰かに連れられて無理矢理来たクチだったのか、なーんだ。
「でもサ、なぜだか来ちゃうんだよね、山に・・・」
 彼も大阪から来た登山者だった。結局しんどいしんどい言いながら毎年通っているそうだ。

 風が出てきた。
 夜の7時には消灯。外はまだ完全には暮れていないけれど寝る。

 これよ、これ!山に来たらこれ。夜の7時に寝るなんて、もぉこれ以上のしあわせがあるか?!

 実は私は一日の中で一番眠たいのは夜の7時頃なのだ。この時間に寝させてくれるなら朝は3時でも4時でもいくらでも早起きするわーと思うのだけど、現実はそうはいかない。

(8月25日月曜日・餓鬼岳〜白沢登山口/歩行時間4時間)
 3泊4日の長旅も最終日。
「白沢へ下るの?キツイわよー!あの坂を経験したらどんな道だって歩けるわよ」と同泊の女性が言っていたけれど・・・。
 朝、小屋の主人に電話でタクシーを呼んでもらい、歩き始める。タクシーの手配はゆうべのうちにお願いしたのだが、主人は「明日ね、朝あんた達が出発したのを確認してからにするから」と言った。主人は私たちを見送りつつ「じゃあタクシー呼んでおくからね!」と言ってくれた。
 最初は緩やかな道が続いた。なんや、楽勝やん、とふたりで駆け下りる。
 と、ところが・・・道が急変。崩れてるわ流れてるわ根っこが出てるわでとんでもない悪道。進むに連れて傾度を増す道。
 最後は川だか道だかわからん中を歩いた。水しぶきの跳ねて苔の蒸した岩に鉄梯子がかかっていたり鎖を頼りに岩を横切ったり、野趣溢れる刺激的な道のりだった。
 ここでいよいよ私とひろちゃんの差が歴然と。本当の鍛え具合は下り道で出るのだった。膝が笑って上手く歩けない。今までコースタイムより早く歩けていたのにここで私が足を引っ張ってしまった。
 下りた先にはタクシーが待っていた。女性の運転手だった。車内はとってもきれいで座席のシートはしわひとつない真っ白な布・・・。
 アタシたち・・・泥だらけなんですけど。そのうえ3日間も風呂に入ってないんですけど。
「なんでそんなこと気にすんのよー、いいのいいの、座っちゃって〜」
と運転手さんに笑われつつタクシーに乗り込んだ。でもなるべくお尻を浮かせて背中ももたれず座ってしまう。
 タクシーで行ってもらった先はもちろん風呂!

 3日分の汗を流す。ぷひひひひぃぃぃ〜〜〜。

 風呂の後は食事。やっぱり信州は蕎麦だろ!山では食が進まない私なのに下りてきた途端に「ご飯!てんぷら!」これだから痩せられないのだなぁ。
 でも運動したあと、風呂に入ったあとのメシとビール(これもいけないな・・・)はとてつもなくウマイのだ!!あぁ、まるでオヤジやな。

 山から下りてもお楽しみは続く。私にはこんな美しい山々の見える街で暮らす「おともだち」がいるのだ。おともだちと言ってもその人と会うのは今日が初めてだ。
 私は山の他にもうひとつ夢中になっているものがある。それはピアニスト近藤嘉宏。彼は全く本当に高原に吹く風のようにさわやかで、時には地平線のかなたから吹き寄せる風音のように力強く、空に瞬く満天の星のようにきらびやかで、岩の間に咲く花のように可憐で、山の上から仰ぎ見る大空のようにのびやかで・・・
 と、記述するのはこのへんでやめとこう。キリがない。
 今日お会いする約束をした彼女も彼を慕っているのだった。憧れの地におともだちができたことが私はほんとに嬉しかった。今日は彼女が働いているお店へ訪問することにした。約束の時間より早く来てしまった。ちょうど世間一般の人たちはお昼休み時間。
「私、丸顔で面積広いから」と、おっしゃっていたので遠目から店を眺め、丸顔の女性を探す。
 あれ、いないじゃん。。。やっぱり昼休みなのね。とりあえず受付に行って、彼女 が何時に戻ってくるのか聞いてこよう。
 風呂あがり・Tシャツ・半ズボン・登山靴という格好で店内へ。受付には淡いさくら色の制服を着た、穏やかな面立ちの女性が。なぜだか妙に照れてしまい焦点の定まらないまま近寄っていき、声をかけようとしたところ、
「あっこさん?」
 と言われて驚いた。えーっ、この人かいな?!どこが丸顔や!お世辞ではなく、私は彼女の可憐な美しさに動揺・・・。
 しかし近藤ファンには美人が多い。うらやましいじゃないか、近藤さん。
 ドキドキしながら、お仕事中にあまりお邪魔しちゃいけないという気持ちもあって、そそくさと話を切り上げてしまい、またの再会を楽しみにしつつお別れした。私は初対面は大変緊張するもんで・・・。
 信州のお土産や栄養ドリンクや私が山に登っている間に放送された近藤さん出演のラジオ番組を録音したテープまでいただいた。ありがとうございました。次にお会いできるのはいつかしら?


 というわけで8月も楽しい山旅をすることができました。ずーっと晴れてたし!こんなことは珍しい。今年はツイている!
 そして、青い空と美しい自然と心優しい人たちとのふれあい。
 疲れた心も山に登れば一気にふっとんでしまうとこが不思議だ。これでまた当分の間頑張れる。
 まったくもってそう思うわたしでありました。


///Part 3///

9月//空木(うつぎ)岳 〜中高年パワーに押され続けた旅〜 (中央アルプス)


『空木、空木、何というひびきのよい優しい名前だろう。もし私が詩人であったなら、空木という美しい韻を畳み入れて、この山に献じる詩を作りたいところだ』*****深田久弥『日本百名山』より

 秋の風そよぎ始めた9月。今度は中央アルプスへ出かけた。メンバーは某山岳愛好団体。今の住所に越してくる前に入会したのだけど、今は会報だけ送ってもらっている。
 今回のメンバーで一番若いのは私、次に若い人は52歳。最年長は70過ぎたNさん。彼はすごい。毎日2時間、近所の川原を走りこんでいるという。とてもマネできない。
 余談だが、Nさんは私のことを「あっこちゃん」と呼んでくれるので嬉しい。

 車で大阪を出発。まずは木曽駒ヶ岳のふもとに車を泊め、ロープウェイに乗る。
 天候は最悪。ロープウェイが動いているだけでも助かった。
 ロープウェイを下り、木曽駒近くの山荘を目指した。
 この道中は「千畳敷カール」と呼ばれ、雪と花が美しいことで有名だ。ロープウェイで登れることから、観光客が山のように訪れるスポット。しかしこんな悪天では一般人など誰もいやしない。いるのは山に執念を燃やす登山者だけだ。
 岩がごろごろした道をひたすら登る。霧でなーんにも見えない。しかも急坂。
 坂が終わると広い道に出、山荘に到着した。O氏が宿泊手続へ行く。
「ここではなく右手の棟で受付やってますからそちらへ行ってください」
 と山荘のおばちゃんに言われたらしい。一同後戻り。山荘を出て右へ行く。
 10数分後、気がついた。おばちゃんの言う「右」とは我々の思っていた「右」とは逆方向だったことに。
「山に来たら右左ではなく、東西南北で話をするように」
と、大ベテランH氏にO氏は注意を受ける。
 H氏はものすごく博識な人だ。山のことばかりではなくあらゆることに詳しい。それにもうすぐ定年を迎える歳だけどとても若く見える。
 毎月送られてくる会報にH氏が「私が初めて登った山」と題して原稿を寄せていたことがあった。H氏の地元・九州の山の思い出を綴ったものだったけど、その頂で学生服を着た中学生の頃の氏の写真も掲載されていた。
「これ、合成写真か?」
と見まがうほど、氏は中学の頃から顔が変わっていない。
 O氏も50代。彼は私と同じ大学の出。若い頃は外国でヒッチハイク旅行などを楽しんでいたらしい。
 数年前のゴールデンウイークに北アルプスの鹿島槍岳に行ったときのこと。
 その年のゴールデンウイークは間に平日が入っていた。皆は当然その平日も休みにして何連休もとっていたのにO氏だけは違った。
「なんだかねー、とりにくくて言い出せなかったんですよ」と。最終日は午前中にふもとに下りてきたのですぐに帰れば明日の出勤に充分間に合う時間だった。帰るのかと思いきや、夜になって、
「悪天に見舞われまして。たった今、下りてきたんですよ。だから明日は出勤できません」
と職場に電話をかけていた。
 そんな見え見えのウソをつくくらいなら最初から「休みとらせろ」と言っといた方がヒンシュクの度合いも軽いと思うのですけれど。
 O氏はそんなお茶目なところのあるおじさまだ。

 道の間違いに気付いた我々は引き返し、逆方向へ。数分で別棟が見えてきた。部屋に入り、宴会が始まった。
 雨と風は止む気配もない。おかしいな、私、晴れオンナのはずなのになあ。先月も先々月もものすごい好天に恵まれたのに。あれで運を使い果たしたのかもしれない。

 翌日。
 相変わらず雨。木曽駒ケ岳への登頂はあきらめ、空木岳を目指すことにした。徐々に雨が止んできた。

 今日の行程は標準コースタイムで8時間ちょっと。しかしこの方々と歩くには「標準」などと甘いことは考えてはいけない。
 Nさんは毎日川原で2時間ジョギング、H氏は毎日自転車通勤(大阪の高石市から梅田まで)、O氏はジム通い、その他のみなさんも毎週のように山歩きをしている。子育てもとうの昔に終え、定年を迎えようとする方々は「山が中心」の生活を満喫していらっしゃるのだ。
 あぁ、人生何か間違えたような気がする。アタシの場合、子供がひとり立ちする頃には何歳になっている?あーーーーもぉ何も考えたくない。
 どこの山に行っても中高年でいっぱい。時々大学生などの若い人も見かけるけど、間の年代、すなわち30代40代が非常に少ないのだ。私の以前の山仲間たちも出産と同時に疎遠になった。どうやら子供ができると山には行けなくなるらしい。山でも山以外でもすごく仲がよかったのに今では年賀状すらくれなくなった子もいる。なぜだ、なぜなんだ?年賀状くらいくれてもいいではないか。
 なぜ彼〈彼女)らは山に行かなくなったのだろう。
@子供の夏休みには親は会社を休んで子供を遊園地や海に連れて行かなければならなく、それで休みを使ってしまうため。
Aいや、山よりも子供と遊ぶ方が楽しいと思うようになるのかもしれない。
Bあるいは生活に追われ、山に行こうという気が起きなくなるのかもしれない。
 さて私はどのパターンになるのだろう。@の可能性が高いが、意外とBかもしれないと自分で思う。
 もう年齢的にもヤバイ私はダンナに最後通告を言い渡されていた。「2004年春に仕込む、これ以上は待たないぞ!」と。産まないと捨てられる、、、それに近いほどの重圧をかけられた私。というわけで私は今年の夏を「最後の夏」と決め、梅雨明け早々から9月まで毎月のように信州通いをしたのだった。いくら山が好きってったって毎月はちょいとしんどかったナ。※最後通告は諸事情により最近取り消しに。
 今回は『最後の夏・最後の山』ということで道端の花を見ても登る太陽を見ても気分が晴れず、「さあこれから老後を楽しもう」という中高年の方々に囲まれていたこともあり、実は始終ブルーだった。
 と、暗い気持ちを書き綴るのもいけないので、ココから先は明るく。
 

 空木に向かう道中は大岩が続々と

 駒ケ岳方面から縦走すると、中央アルプス主脈の中央に位置する空木岳の雄大さに圧倒される。檜尾岳(2728M)、熊沢岳(2778M)と、近づくにつれて迫る池山への長大な尾根の重量感。こぶのようにうねる尾根の山肌は、しなやかな筋肉美を思わせる。*****信濃毎日新聞(2003・9・23)より


 北アルプスの賑わいとは違い、ここは静かだ。「日本百名山」に指定されている空木岳なので人は多いけど、なぜか北の賑わいとは違うような気がする。上手く言いあらわせないけど「オトナの山」という雰囲気。9月だからということもあると思うけれど、花がぱーっと咲き乱れているでもなく、動物がいるでもなく、そこにただ山がある、という感じ。
 喧騒が好きな人、刺激的なことに心奪われる人、刹那的な人には絶対に向かない場所だと思う。こういう場所はひたすら内省しつつ黙々と歩きたい。
 人生は不毛だ、しかし大丈夫、そこに山があるから。
 人が誕生する前も、この場所はこのままここにあったのだ。平和なときも戦争をしているときも、人々が飢えているときも富んでいるときも山はこうしてたたずんでいたのだ。そしてこれからも、人類が滅亡したってこの山はここにこのままたたずんでいるにちがいない。
   

下界はまだまだ暑くても、山はすっかり秋

 ご覧のとおり空木の山頂に着く頃には昨日今朝の悪天がウソのよう。
 やっぱりアタシ、晴れオンナだったんだーーー!!!
 いよいよ山頂に詰める。展望は最高。遠い山並みまで朝日に照らされ、そこはまさにアルプス!
 ハイジの歌が聴こえる・・・気のせいだとお思いだろうが違うのだな。
 その時、同行のS氏の携帯目覚まし音が響き渡ったのだ。アルプスの少女ハイジの主題歌が。最近の携帯は音質がよい。
 アルプホルンの音色・・・あぁ、今の風景にハマリすぎ!

空木岳山頂 空木岳を振り返る

 今回の参加者は男性5名、女性3名。山頂で女性3人組で写真を撮ったとき、ひとりがコケた。なんにもない平らな山頂なのにどこでつまづいたんだろう。彼女はもう少しで三角点(石製の角柱)で頭を打つとこだった。※コケたのは私ではありませんので念のため。
 そんなこんなで笑い声に包まれた山頂で我々は時を過ごし、今日の宿泊小屋に向けて出発。池山尾根を下る。
 小屋に着くと早速宴会。山をやる人はなぜだかのんべぇが多い。
 50代が中心の今回のメンバー。いわゆる団塊の世代というやつね。この人たちは20代の頃からこの会に所属していたらしく、その頃は山だけでなくみんなでキャンプに行ったり野球をしたりいつでも一緒に遊んでいたそうだ。だから今でもお互いをOOちゃんとあだ名で呼び合い、仲がいい。若い頃のまんま、みんなで一緒に年をとったと言う感じがする。彼ら彼女らの間では時が止まっているようだ。
「次はどこへ行こうか。あ、そうそう来月は剣やな、この道はエライで」
と、来月の山行の話に花が咲いてきたので私は席をはずした。
 もうすぐ日が沈む。高い山から見る夕陽をこの目にしっかりと焼きつけておこう。

 じわじわと沈んでいく。9月の日暮れは真夏とは違って冷える。冷たい空気の中を太陽が・・・刻一刻と時間が流れる。
 人生はなんて短いのだろう。もう半分近く生きてしまった。残りの40年ほどのうち、元気で山に登れるのはせいぜい30年くらいか・・・・・・。
 人間、200年くらい生きられればいいのになあ。私が山に行かなくなっても年老いて歩けなくなっても、死んでも、死んで何年も経っても山はこうしてここにある・・・・・・。
「山は逃げない」
 高い山へ一度も行けなかった去年の夏、そう言ってなぐさめられたけれど。確かにそのとおり、山は逃げない。でも「山は逃げない」って思うたびになんともいえない悲しみがこみあげる。
「山は逃げない」
 自分だけが歳をとり、山から遠ざかっていくのだと思うと悲しい。  

 翌日。車を泊めてある駐車場へ向けて下山する。
 今回は空木登頂の他に重要な用件があるのだった。
 墓参り。
 この会の会員だった中山さんという人が10数年前に冬の空木で滑落して亡くなった。34歳の若さだったらしい。以後、この会では高度な冬山はやらなくなった。
 数年前、中山さんの奥さんと一緒に六甲山へ行ったことがあった。
「山から帰ってくるとね、わかるの。ああ、あなた、山に行ってきたのね。彼の全身から山のにおいが漂ってくるのよ。みんな、『そんなことあるかい、それは汗のにおいやろ』って笑うんやけど、違うのよ、汗じゃない、『山のにおい』がしてたの」
と、奥さんは言っていた。
 多分、山に長期間こもっていたら服はヨレヨレ、髪はボサボサだったろう。でもきっと目は輝いていたにちがいない。奥さんの言葉のひとつひとつから「雪や岩や太陽や雲や風を見てきたその目の輝き」が、本当に目に浮かぶようだった。
  
 森の中、ひっそりたたずむ墓標には次のような詩が記されていた。

山を愛し 抱かれた時
彼は無邪気に笑い
頂に夢を見た
四季の草花 風の音
彼のもとへ
中山幹雄 空木に眠る


 四季の草花、風の音、彼のもとへ。
 一同合掌。木漏れ日の中、風の音を聞きながら。

 私の夏が終わった。

 2003年夏山紀行・終

 (追記)
 うおおおおおーーやっと終わったぜ。去年の夏のハナシをいつまでかかって書いとるんやーっ!とりあえず、いつも気にかかってた仕事が終わったって感じです。
 これを書くにあたって、信州在住のおともだちTさんに資料をいただきました。冒頭の深田氏の著書、中盤の信濃毎日新聞からの引用はTさんが切り抜きして送ってくれたものから引用しています。ありがとう!!!