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ミレニアムキナバル登頂記

 21世紀になろうとしていた。世間は『ミレニアム』と大騒ぎ。そんな世間の波に私も颯爽と乗ることにした。  

21世紀の日の出を見に行くぞ!!

 まずは行先の確定。やはり私は日本人。日本の山の上でミレニアムを迎えたい。そこで所属山岳会に問い合わせ。しかし・・・正月は家で迎えるものだという固定観念がここにも根付いており、年末に山に行く予定はあるものの大晦日には大阪に帰ってくる予定だという。
 それでは全く意味がない。1000年に一度のこの日を、家で雑煮など食いながら過ごすわけにはいかない。
 次は山岳関係の雑誌を買いあさった。いいツアーがないものか。しかしどのツアーも大晦日には下りてきて、というものばかり。
 私はとうとうあきらめた。日本がダメなら海外脱出だ!そうさ、海外に行こう。正月といえば真冬。冬の登山はつらい。あたたかい南国の山に登る方が安全で快適ではないか。

21世紀の日の出を21人で迎えましょう!!

 買った雑誌に小さく載っていたツアーの見出し。聞いたこともない旅行社だったが思い立ったが吉日。早速電話を入れて申し込み完了。ダンナには事後報告。
「年末からボルネオ島に行ってくるから」
「誰と?」
「ひとりで」
「それは違うんとちゃうか?」
 正月に、それも登山などに誘える友人は私にはいないのでひとりで行くしかない。ひとりと言ってもツアーに申し込んだのだから単独行ではないので問題はない、と言ってみるもダンナは顔をしかめていた。
 
 そして出発の日がやってきた。2000年12月29日、午前1時発の飛行機に乗るべく、28日の終電で関西空港へ。私は当時、数ヶ月にわたって夜勤をしていた。昨日まではこの電車で出勤していた。が、今日は同じ「終電」でも同じ「空港」でも・・・仕事ではない、遊びにいくためにこの電車に乗っているのだ!
 ふふふ・・・ひとりで感動していたところ、隣に座っていた中年のおばさんに声をかけられた。
「おねえちゃん、どこに旅行に行くん?海か?」
 彼女はパチンコ屋の景品交換所で働いているという。帰りはいつもこの電車らしい。私たちは「夜に働くつらさ」について語り合った。
「おねえちゃん、山に行くんか。じゃあこれあげるわ、山で食べ」
 おばさんは職場からもらってきたという「板チョコ」を数枚くれた。

 数分後、空港に到着。すでに長蛇の列が。しかしほとんどのツアーが『海にダイビングツアー』で、山登りのツアーなど極少。チェックインは瞬時に終了し、出国手続も済ませた。
 夜の空港でひとりきり。やっぱりちょっと寂しい・・・けれど仕方なし。目的は登山だ。友人とお気ラクにくつろぐ旅行ではない。これが私の選んだ道。と大げさに考えたりはしなかったが。
 機内は超満員。定刻どおりに離陸。給油のためマニラに寄り、午前6時40分にボルネオ島のコタキナバルという都市に着陸した。
 入国審査で並んでいると、隣の列の最後尾に似たような年齢の女の子がいた。彼女もひとりだった。私はひそかに目をつけた。彼女はどうも「山」の匂いがする・・・同類の匂いはわかるものだ。
 やはり彼女は山女だった。ホテル行きのタクシーに乗り込むと彼女も乗り込んできた。そして共にチェックイン。
 のんびりしたホテルマンだ。チェックインに45分もかかった。日本でこんな目にあわされたらキレていたが、私たちものんびりと待った。これも一種の『旅の醍醐味』である。時間を気にしない、慌てない。
 

いざ、山へ!!

 コタキナバルから車で約2時間あまり。キナバル国立公園に到着。めざすキナバル山は霧がかかって見えない。熱帯雨林気候のボルネオ島は11月から2月は雨季なので仕方がない。しかし雨季とはいっても夕方から夜にかけて2,3時間降るだけ。明日の朝には晴れるだろう。
 登山口付近は宿泊施設があり、植物園がある。ガイドの案内にしたがい、傘を差しつつ園内を見学。熱帯植物を鑑賞する。
 熱帯植物はとにかく大きく、そしてちょっとグロテスクな感じだ。大小さまざまの食虫植物(ウツボカズラ・英語ではピッチャープラントというらしい。なるほど!)が目をひく。袋状になった花の中に透明な液体がたまっていて、そこに入り込んだ虫を溶かして自分の栄養にするそうだ・・・ちょっと不気味。
 植物園見学を終えると自分の部屋へ。ホテルの一室ではなく、独立型のコテージ。さきほどの女の子(ひろちゃん)と写真を撮り合ったりしたが、それ以外にすることもなく、私たちはそれぞれの部屋に戻った。
 誰もいない、なんにもすることがない・・・ベッドで寝ころび本を読む。昼寝をする。100%自分だけの時間と空間・・・ひとり旅もなかなかよい。

     
     霧に煙るキナバル山。これが東南アジア最高峰の山! 

 翌日、2000年12月31日。登山を開始する。整備された登山道で足元も快適。吹く風も夏山のようなすがすがしさ。熱帯の木々は大きく、枝が曲がりくねってなんともいえない怪しげな雰囲気をかもしだしている。

    下山時に撮った写真だけどね

 ところでこのツアー。21人で21世紀の日の出を見に行こう、というふれこみであったが、実際は21人もいなかったと思う。が、実に個性的な人々で構成されていた。中高年夫婦、そして私たちのような若い女性、夫婦かどうか知らないけれど若い男女のカップル(この人たちはかなり鍛えこんでいる感のある人たちだった)、中高年の男性たち(配偶者を日本に置き去りにして自分だけ登る。まぁ、私も人のことは言えないけど)。
 登っている途中、雨が降り出してきた。宿泊地(標高は富士山よりちょっと高いくらい)に到着した頃にはすっかり身体も冷え切り。着くなりあたたかい牛乳などをいただいた。しばらくして雨が上がり空が晴れてきた。疲れも吹き飛び、早速ひろちゃんと写真を撮りに出かけた。
 夕食。同じツアーの面々と「どこの山がよかった」云々、話が弾む。食事はマレー料理ということだったが、なかなかイケた。薄めの塩味で食べやすい。
 翌日の登頂に備えて早々に床につく。部屋は2段ベッドが連なる大部屋でなかなか快適。起床は午前2時。年明けの瞬間は眠りの中だった。
 

嗚呼・21世紀の夜明けよ!!

 まだ真っ暗な中をヘッドランプをつけて登る。最初のうちは樹林帯の急登だったがまもなく一枚岩の上に出た。キナバルは岩山なのだった。巨大な岩の上をひたすら歩く。土ではないので登山道がなく、そのかわり一本のロープが敷いてあり、そこから離れないようにしながら歩く。
 木もなく、花もなく、動物もいない。が、星が見えた。山脈でなく独立峰の高山に登ると、星は頭上ではなく身体の横に見えるのだった。星空を真横に見ながらの登山もなかなか神秘的でおつなもの。
 同ツアーの連れたちは体力も経験もバラバラ。これがツアー登山の難点のひとつなのだが、いたしかたない。遅い人につきあって日の出を逃しては元も子もないので自分のペースで歩く。ちょうど私の前に日本の巨大ツアー群がいたのでそこに紛れ込んだ。日本人添乗員が同行しているのでオイシイ。日本語でいろんな説明が聞けるから。
 キナバルには巨岩が聳え立ち、ピークがいくつかある。最高地点は「ロウズピーク」、標高は4095m。
 めざすピークが見えてきた。なんとか日の出には間に合いそうだ。空が白み始めてきたので少しペースを上げた。
 なんとか到着。ピークにはすでに大勢の人が夜明けを今か今かと待っている。とにかく寒い。寒くてこごえそうなので岩の隙間に入り込み、ぶるぶる震えながら待っていた。
 なかなか夜が明けない。太陽よ、早く!準備は万端だ!さあ、いつでも登ってこい!早く!!そして・・・


 21世紀の幕開け、その瞬間をついにこの目で!
 この瞬間、コタツでうたた寝、もしくは布団で爆睡中、あるいは飲んだくれて記憶のなかった方には申し訳ない!!私はこんなに美しいものを鑑賞していたのだ。どうだ、くやしいか!

 そんなあなたのためにもう一枚サービスしよう。

 いろんな国の人たちでごった返す山頂。記念写真を撮影するのにもひと苦労。私よりも随分先に到着していたひろちゃん&私よりわずかに遅れて到着した京都の紳士を見つけ、一緒にパチリ。ちなみに関西人はこの3人だけ。あとは関東以北の方々ばかりだった。
 撮影が済むと急いで下山。一枚岩の上は、太陽が登ると灼熱地獄に変貌するのだ。ここは熱帯ボルネオ島。早く下りないと焼け死んでしまう(というのは大げさだけど、とにかくものすごい暑さだったことは事実)。

 あっこ、鳥になる


 今日は一気に下まで下りる。下山というのは「現実世界」へ戻る行為。山ヤの我々にはつらい行為なのだが、もう心は次の山へと飛んでいる。踏んだピークを何度も振り返りつつ、そして雲の上の世界を惜しみつつ下山を急ぐ。途中やっぱり雨になった。くるくる変わる天気、生息植物。熱帯の山も面白い。

一番高くなっているところが最高地点のロウズピーク(4095m)


コタキナバルにて(一般的観光編)

(食べ物編)

 2001年1月1日。下山後、車で市内に戻る。道中にはいくつかの村があり、さまざまなトロピカルフルーツが売られていた。
「ドリアンて食べてみたいなぁ」
 ドリアンとはあの有名な「とんでもなく臭い果物」である。ひろちゃんは食べたことがあるらしく、どんな匂いなのか聞いてみたところ「・・・なんて言うかな・・・ウンコみたいな匂いがする」といささか返答に困っている様子。とにかく言葉でうまく表現しきれないほどの臭さだそうだ。ますます興味は募る。
 ホテルには「ドリアンを持ち込まないように」との看板があちこちにあった。よほど臭いらしい。これはぜひとも一度体験せねば、と思い、市内に戻ると市場へ出かけてみた。
 巨大な空間。奥へ行けども行けども店があり、そこで無数のフルーツが売られていた。しかしほとんどがキロ単位での販売。私とひろちゃんふたりだけではとても食べきれない。かと言って日本に持って帰ることもできないし。。。
 余ったら部屋の冷蔵庫で保管して、食後にでもいただこう。ということになり、いくつかのフルーツを購入。マンゴスチンetc・・・それ以外は名前の知らないものばかり。外見でおいしそうなものを選んだ。ドリアンは残念ながら結構なお値段で、しかも巨大。ぽわわん、と怪しい匂いを放っていた。そしてハエがたかっていた・・・サランラップで厳重に覆ってあるにもかかわらず、あの匂い。相当なものだろう。しかし食べたかった、という願望は断ち切れず・・・。
 夕食はちょっと足を伸ばしてタクシーで郊外へ。ひろちゃんという連れが出来たので夜も遠出することができた。山以外のところではひとりきりになることを充分に予測して「夕食はホテルで、夕食後は読書を」と本をたくさん持ってきていたのだが、無駄な荷物となった。感謝。
 夕食は海鮮レストランに行った。ボルネオ島は熱帯ジャングルというイメージが強いが、実は海に囲まれているので当然海産物が新鮮でおいしいのだ。華麗な民族衣装に身を包んだ美人ウエイトレスが案内してくれた先には無数の水槽が並んでいた。カキ、エビ、そして大小さまざまな魚たち。そして野菜も豊富。バイキング形式で好きなものを好きなだけカゴにとる。そして調理方法を指定するのだ。ボイル、バター焼き、オイスターソース炒め、ガーリック炒め、オーブンでチーズ焼きetc。そしてテーブルで待つ。
 水上に浮かぶレストランで、向かいに浮かぶステージでは楽器の演奏や踊りが繰り広げられていた。やがて客たちが数人かりだされ、ステージにセッティングされた風船めがけて吹き矢を吹かされていた。私もかりだされたので吹いてみた。見事命中!大きな拍手に包まれた。
 何かもらえるのかと期待するも何も出なかった。正月に海外で豪勢な食事をしつつも、いやしい貧乏根性を捨てきれないのには我ながら閉口する。
 翌日、銀行へ行った。ホテルの隣に銀行があったのだ。銀行で両替したほうがレートの割がいい。私は面倒くさがりなのでいつもホテルですますが、ひろちゃんは銀行派みたいだ。そういえば彼女はボルネオ到着後、ホテルよりも割のいい空港できちんと両替していた(遠巻きにチェックしていた私)。
 銀行は大勢の人で賑わっていた。どこの列に並んでいいのかわからず、適当に並んでみた。不安になったので警備員に聞いてみたら、「そこは両替の列じゃないよ、こっちだよ」と言われたので慌てて並び直す。
 待てども待てどもちっとも列が進まない。銀行までもがスローペースなのだ。1時間くらいは経っていたと思う、ようやく窓口職員にたどりついた。
「円をマレーシア・リンギットに両替したいんですが」
「まだ市場がオープンしてないから値が決まってない。だから出来ない。11時まで待て」
だと・・・・その時、時間は10時前。待てない。結局ホテルで両替。こういうこともあるんだということを覚えておこう。
 ちょっとめげ気分もそこそこに私たちは街に繰り出した。コタキナバルもアジアの主要国たちと同様、建築ラッシュ。道路は5車線くらい。とてもきれいな街だった。(排気ガスがくさいのと、道路を横切るのに苦労するのも他のアジア諸国と同じ)。
 おしゃれなショッピングモールの近くにカレーの店を見つけた。カレー好きの私はどこにいてもカレーの匂いにひき込まれてしまうのだった。さっそく入店。イカのカレーを注文。店内を見渡すと黒人のビジネスマンなどが数人いた。そして彼らは新聞片手に、手でカレーを食べていた。
 ・・・しまった、この国は「手で食事をする文化圏」だったか?。しかし郷に入っては郷に従えと言うではないか。「スプーンをください」などと野暮なお願いはしづらい・・・私はひそかに黒人ビジネスマンを観察。どっちの手で食べるのか。確かどちらかの手は「不浄の手」として嫌がられると聞いたことがある。彼は器用にカレーとライスを手で混ぜながら口に運んでいた。素朴な疑問・・・手、熱くないん??
 やがて注文の品が来た。大きなバナナの葉っぱの上にライスが乗っている。そして別皿にカレールー。そしてイカ。私はルーの中にイカが入っているのかと思っていたが、揚げたイカリング(日本で言うイカリングとは違い、かなり小さいリング状)がてんこもり!!とても食べきれず残した。でもカリカリとしてそれはそれはおいしかった。カレーの味もまあまあ、そんなに辛くなく。実はイカのあまりのおいしさにカレーの味はあまり覚えていない。ちなみに何も言わないのに店員さんはスプーンを用意してくれた。ホッ。
 きれいな店で食事もよいが、やはりアジアは屋台!あの独特の活気と力強い喧騒もアジアの魅力のひとつ。ミーゴレン(ビーフンを炒めたもの)おいしかった!! 

(観光編)

 ボルネオ島は美しい海に浮かぶ島。その周りには5つの小島があって、そこへボートで日帰りできる。波止場には無数の観光社があり、そこでボートに乗せてもらう。どの社にしようか迷う。どれもボッタクリの怪しげな店ばかりなのだ・・・日本人はどこへ行ってもぼったくられる。私たちが選んだ店もボッタクリの店だった。ガイドブックで見たのよりかなり高い金額を請求された。でも英語が弱いためあっさりと負けてしまった。。。
 まずはガヤ島に行ってみた。ここに行く人は少ないそうだ。木々が生い茂るジャングル島、さまざまな野生動物が生息する静かな島、とのコピーに私たちは惹かれた。が、案内人は「あーあんなとこ、行ってもなんにもないからやめといた方がいいよ」と言う。しかし私たちは「どうしても」と言い、ボートに乗せてもらった。
 エメラルドグリーンの海の上をモーターボートで駆け抜ける。かなり気持ちいい。ガヤ島に到着。もうひとつ島を回る予定にしていたので、運転手から「一時間後にここで待ち合わせ」と言われ、承諾。
 思ったとおりの静かな島。一方隣の島にはヨットが浮かび、バカンスを楽しむファミリーがたくさん泳いでいるのが見えた。
 野生動物を見にいこう!私とひろちゃんは意気揚揚と奥地へ入り込む。見渡す限りのマングローブの森。静かだ。人っ子ひとりいない。のはいいが、肝心の動物もいない・・・鳥さえもいない。聞こえるのは波の音、風の音。とにかく上へ上がってみようと希望を捨てずに歩く。ちょっとした山登り気分だ。
 ピークらしき場所へ出た。結局動物なぞ一匹もおらず、失意のもと、私たちは下山を開始。
 ところが道に迷ってしまった。行けども行けども見覚えのない道が続く。小さな島だからと油断したのが悪かった。約束の時間がどんどん迫る。汗だくになりながら走り周り、ようやく元の道に出られたときには約束の時間は大幅に過ぎていた。船着場にはボートもいない。連絡のとりようもないのでしばらく待つことに。透き通る海面を見ながら持参していたマンゴスチンを食べた。
 こんな無人島で置き去りか・・・隣の島には人がたくさんいる。あそこまで泳いでいくしかないのか・・・
 と思っていたところ、水平線からこちらへ向かってくるボートが見えた。とりあえず助かったようだ。
 ボートの運転手は船着場につくなり、大声で怒鳴り始めた。約束を守れよ、とのことだったので仕方なく詫びた。それにしても次の島へ到着するまでずうっと怒鳴られ続けるとは思わなかった。最終的には「追加料金を払え」とまで言われた。うるさく怒鳴られるのにウンザリしてしまった私は「払えばいいんでしょ」という気になってしまったが、ひろちゃんは断固として拒否。もともとぼったくられているのだから払うことない。こんなに怒鳴るのはヤツの「手」の一種なのだ。なめられてはいけない、との姿勢を崩さず。この人は強い。
 結局ひろちゃんの意見に同意。ここでいつもの「アホなふり」を決め込み、言葉がわかりません、とばかりに海を見つめながら怒鳴り声を聞き流す。
 次に行った島はなんていう島か忘れてしまったけど、典型的なリゾート島。海には熱帯魚がたくさん泳いでいた。ガヤ島で時間をくってしまったためこの島での滞在時間は大幅に短縮されてしまった。しかしとりあえず水着に着替えて海につかってみた。ホントに浸かっただけで終わったので特筆すべきこと何もなし。
 海といえば、リゾート地ではなく現地人の憩いの海(これも静かでよい、とガイドブックに書いてあった)にも行ってみた。これは離島ではなくボルネオ本島にあった。バスに乗り、海へ。想像以上に静かな海だった。誰もいない。現地人もいない。海はおそろしいほど遠浅で、歩いても歩いても足首までしか水に浸からない。
 そして・・・クラゲの棲み家だった。私はここでクラゲに刺された。生まれてこのかた30余年、クラゲに刺されるのは初めての体験。嗚呼、新世紀万歳!

(その他/ホテルで血みどろの件)

 山から下りてきてホテルの部屋でひとり、くつろいでいたところ、電話が鳴る。
「あっこさん、ちょっと部屋に行ってもいい?」
 声の主はひろちゃんだった。いいよ、と言うと、
「ちょっとお願いがあるんやけど・・・」。いいよ、と言うと、
「新世紀を迎えた記念にピアス開けたいんで、耳に穴開けてくれる?」
 新世紀に懸ける想いは人それぞれである。しかし、出あったばかりの人間に自分の耳に穴を開けさせるとは、いかに。
 私の耳には穴はひとつも開いていない。自分の耳も開けたことないのに人の耳を開けるなど、できるだろうか・・・不安におののく私にひろちゃんは、
「専用の器械で簡単に開くから大丈夫」みたいなことを言った。
 しばらくして部屋の扉がノックされ・・・開けるとひろちゃんが立っていた。氷で耳たぶを冷やしつつ。
 鏡台に向かい、説明を始めるひろちゃん。「今から開ける場所に印つけるから、そこに針の先をあてて、一気にがちんとやって。一気にやって。そうしないと痛いから」
 私はひろちゃんの説明を聞きつつ、穴開け器具の説明書を何度も何度も読んだ。一気にやらないと痛いのか・・これは何としても瞬時に事を運ばなければならない。すごいプレッシャーだ。
 何度かイメージトレーニングをした後、いよいよ本番。ひろちゃんの耳たぶに針先をあてた。一気に、一気に、一気に、ひるんでしまっては余計に痛い思いをさせてしまうのだ、と一生懸命自分に言い聞かせた。
 一気にがちん!針先を突き刺した、のだが・・・開いてない、まだ貫通してない。あたふたと、も一度がちん!まだ貫通しない。状況がよくわからないので耳たぶを裏側から見てみた。
 薄い皮の向こうから針先が見える。人間の皮は想像以上に丈夫なのだった。肉は貫通してるのに皮が、あとひと皮がっ・・・私は再度、渾身の力をこめてがちんとやった。ダメだ。どうしても、その、その皮がぁぁぁッ・・・・!!
「痛い?痛いやろ???」
 うろたえた自分の姿が鏡に写っていた。ひろちゃんは私に気を遣って涼しい顔をしているが、ついさっき『一気にやらないと痛いから』と、言っていたではないか。今、相当痛いに違いない。
 私の手はすっかり血みどろだ。床に血を落とさないように、一滴もこぼさず、鮮血を受け止めていたのだから。
 もう一度!・・・・ギブアップ。どうしても無理だ。どうしてできない?なぜにゆえに!?結局そこから先はひろちゃんが自分で開けた。
「新世紀そうそう、いやな思いさせてごめん」
と謝られたけれど、私の方こそごめん。。。
 それから2年半の時を経て、ふたたびひろちゃんと山に登ったが、あの時の耳の穴は健在だそうだ。ただ、やっぱり最後の部分は穴の開き方が「いびつ」らしい・・・。

(その他/ドリアンの件)

 帰国間際に念願のドリアンにありつけた。空港へ向かう途中、おみやげ市場に立ち寄ったのだ。そこではドリアンが小分けにされて売っていた。同じツアーの人が買っていたので見せてもらうと、クリーム色のまるい房がみっつほど皮の中におさまっていた。ひとつくれると言うので喜んで手にする。
 まずは匂い。それほど臭くない。これなら食べられそうだ。まるい果実を口に入れるとほんわりと柔らかい口どけ。確かにほんのり臭いが、想像していたほどではなかった。ただ、ものすごく濃厚なミルキー感で胸が悪くなった。私は匂いよりもあのコッテリ、マッタリ感にマイってしまいました。
 会社へのおみやげは「ドリアンキャンディー」。安くて量の多いキャンディー類は、会社などの「それほど思い入れのない人々」へのおみやげにはもってこいなのだ。
 顔をゆがめる人、吐き出す人、さまざまな反応が楽しめた。南国へ行かれた際のおみやげにはおすすめである。


以上、おそまつさまでした。