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インド・アフリカ珍道中

ある夏の夜

 職場の組合関係の友達(よっちゃん)と私は、
窓のない閉め切られた事務所で作業をしていた。気の進まない作業だった。
 「なぁ、あっこちゃんは海外行くならどこへ行きたい?」
 よっちゃんが作業の手を止めて私に聞いてきたので答えた。
 「アフリカ」

 数ヵ月後、よっちゃんが電話してきた。
 「なぁなぁ、今年の年末は結構休み多いやろ?一緒にアフリカに行かへん?」
 よっちゃんはあの時「モンゴル」へ行きたいと言っていたはずだが。
 でも一緒にアフリカなんぞに行ってくれる連れはこれを逃すといないかも。
 私はふたつ返事でOKした。
 「アフリカは旅費が高いから、なるべく安くいけるツアー見つけような」ということで私たちは30万円代で行けるツアーを見つけ、申し込みをすませた。インド航空利用で、インドのボンベイという都市を経由する。アフリカツアーでしかも年末となると50万はするのが普通。いいツアーを見つけた。私たちは上機嫌で年末を待った。

 出発

 12月31日。私たちは関西空港から香港へ向けて飛び立った。目指すはアフリカ・ケニアのマサイマラ国立保護区。飛行機は定刻どおりに出発。なんの問題もなく香港へ到着。給油のため立ち寄っただけなので外には出られず機内でひたすら待つ、待つ。
 1時間後、ボンベイへ向けて飛び立った
。結構な長旅だった。機内食はもちろんカレー。機内で放送される映画はインド映画。見た感じ恋愛もののようだったが、話もそこそこに大量のインド人が前から後ろから横から登場して踊りまくる。
 「なあ、結局どうなったん。あのふたり」
 ヒロインの恋の行方も、踊りに気をとられてすっかりわからなくなってしまった。
 
 ボンベイで待ちぼうけ

 ボンベイに到着したのは午前2時。私たちの目的地は「アフリカ」である。インドはトランジット(乗り継ぎ便待ち)のための滞在にすぎず、ビザもトランジット用のしか持っていない。現地の通貨も持っていない。
 ボンベイに到着後、ホテルのバスが迎えにくる手はずになっていた。
 しかし・・・待てども待てども来ない。真夜中のインドで不安を隠し切れない私たちを見透かしたかのようにインド人の男がすり寄ってきた。
 「ホテルに連れてってあげるよ」
 一応日本語も話せるらしい。親しげな笑みを浮かべてはいるが、アヤしいことこのうえない。私たちはもちろん無視した。
 「もう、困ったな。ボクは怪しいものではありません。ちゃんと働いているし、日本にも仕事で何回も行ってます。ホラ、これボクの仕事仲間です」
 男は一枚の名刺を差し出した。日本の大手テレビ局の人間の名前が書いてある名刺だった。
しかしかなり使い古した感のある名刺で、端々が折れ曲がって汚れていた。あまりのうさんくささに私たちはその場から移動した。
 2時間が過ぎた。バスは来ない。タクシーに乗るにも乗れない。私たちはアメリカドルしか持っておらず、インドルピーは持っていない。これは空港で野宿するか。どうせ明日の昼にはアフリカ行きの飛行機が来るのだ。

 しょんぼりと座り込む私たちに日本人の男性が声をかけてきた。
 「どうしたの?」
 「トランジットで来ただけなんですけど、ホテルの送迎バスが来なくて」
 「OXホテルでしょう!?僕もそのホテルのバスを待ってたんだ。もうこれは自分たちで行くしかないよ。他にも同じような人がいるからみんなで乗っていこう」
 まさに神のお助け。タクシー代もその人が出してくれるらしい。感謝感激で私たちはタクシー乗り場へ。タクシーの中には日本人女性がすでに座って待っていた。彼女も同じ被害者。
 朝5時過ぎ。私たちはようやくホテルへたどり着くことができた。

ホテルに滞在

 
客を迎えに来る約束も守れないホテルだ。どうせ大したホテルではないだろう、と思いきや、なかなか立派なホテルだった。フロントでチェックインをすませると、早速長身のボーイがふたり駆け寄ってきて、私たちのスーツケースを持ち、部屋へ案内してくれた。
 ボーイたちは部屋まで入ってきた。設備の説明などをしてくれるのかと思いきや、いきなり手を伸ばして叫ぶ。
 「チップ!チップをくれ!」
 困った。ルピーを持っていない私たち。しかしドルを渡す気にもなれない。1ドルというお金はこの人たちにとってはものすごい大金なのだ。
 「ごめん、オカネ持ってないです」
と言うも、ドルでもOKなどとぬかす。むかついたので半ばヤケクソ。
 「いくら欲しいねん!」
と言うと、
 「アナタのお気持ち、ほんのお気持ちでいーよ」
などとのたまう。ますますむかついたが部屋に男がいつまでもいるのはボーイと言えども気分が悪い。仕方なく1ドル紙幣を手渡す。1ドルあればふたりでも充分な大金だ。
 「こいつの分もよろしく」
 紙幣を受け取ったボーイはもうひとりのボーイを指差す。面倒くさいのでもう一枚渡すと大喜びで部屋を出て行った。
 トランジットと言えどもルピーを用意しておくべきだった。インド人のあつかましさには閉口したが、結局は私たちの用意の悪さがいけなかった。反省。

 朝になり、朝食バイキング(カレー三昧)に行ったあと、私たちはアフリカ行きの飛行機に乗るため、早々に空港へ。
 「やっとアフリカへ行けるなあ」
 私たちは昨夜の出来事などすっかり忘れ、チェックインカウンターへ。
 ・・・そこはなんだかやけに賑わっていた。あふれる人々、そしてカウンターに詰め寄る人々・・・・
 「何があったんですか?」
 そばにいた日本人をつかまえてたずねた。
 「ケニアには行かないよ。エンジントラブルで、タンザニアに止まったままだって。早くても明日の朝、もしかしたら数日かかるかも」
 幸い同じホテル、同じ予定の日本人がいっぱいいたので、英語のあやしい私たちはその人たちにまぎれて過ごすことに。
 ホテルに引き返し、再びチェックイン。今度はボーイを追い払い、自分たちでスーツケースを部屋まで運んだ。
 ホテルバイキングは昼も夜もカレーだった。でもカレー好きの私にはウレシかった。赤黄緑さまざまなカレーがテーブルを彩り、どれも辛い!おいしい!!
 しかし私はインドに来たのではない、アフリカへ行きたいのだ。いくらカレーがうまくてもここに滞在するのはイヤだ。
 せっかくインドにいても外出はできなかった。いつ飛行機が飛ぶかわからないので部屋で連絡を待っていなければならなかったからだ。私たちは湿っぽいホテルの部屋で窓の外を見ながら待ち続けた。インドは川が多いからかとても湿気が多くて蚊が多い。ホテルの部屋にも蚊がぶんぶん飛んでいる。仕方がないのでアフリカで使う予定にしていた蚊取り線香をスーツケースから引っ張り出し、旅行社から支給された「マラリア予防薬」を飲んだ。

 
インドで焼死!?

 また夜が明けた。飛行機はいつ飛ぶのだろう。私たちは途方に暮れながら窓の外の風景を眺めていた。そろそろ朝食の時間だ。またカレーが食べられる。私はレストランへ向かおうと部屋のドアを開けた。
 すでに廊下は煙で真っ白だった。私はとっさにドアを閉めた。逃げなくてはと思いつつも怖すぎて外へ出られなかったのだ・・・よっちゃんが「どうしたん?」と不思議そうに聞く。私の後ろにいたよっちゃんには煙が見えなかったらしい。そのくらいの速さで私はドアを閉めたのだ。
 『火事だから逃げないと』。そのひとことがなかなか言葉にできない。口に出すのも恐ろしかったのだ・・・。
 「廊下が、すごい、煙で、まっしろ」
 やっとのことで言葉を発した私に、よっちゃんは
 「煙・・・?なんでやろ」
 あまりに突然すぎてコトの大きさが理解できないのか??
 「もしかして・・・・燃えてるのかも」
 ここまできても私はどうしても『火事』という一言を言うことができなかった。自分でも呆れるほどの小心ぶりである。一方、よっちゃんは
 「蚊が多いし、バルサン焚いてるんちゃうか?」
 と非常に楽天的である。
 「ご飯時にそんなん焚くか?とにかく逃げよう!ハンカチ持った?」
 私たちは左手にハンカチを持ち鼻と口にあて、右手で壁を探りながら階段を探した。廊下はしんと静まり返り人の気配がしない。ちきしょう、インド人め!客を置き去りにして自分たちだけ逃げたか!!こんなとこで死んでは成仏できない。親も泣き、混乱するだろう。アフリカへ行ったはずの娘がどうしてインドで焼死したのか。
 壁づたいに走っていると客室から白人女性が出てきた。逃げ遅れ客、ここにも発見!?
  ギャアアアアアアファイヤーーーー!!!!!
 彼女は半狂乱状態で叫んでいた。やっぱり火事なんだ。よっちゃんのバルサン説にわずかな望みをつないだ私もいよいよ本気で怖くなった。と、そのときインド人がどこかから飛び出してきた。
 「ノープロブレム!」
 そしてもうひとり、ベッドメイキングらしいインド人がカートを押しながら現れた。ふふふと鼻歌なぞ歌っている。
 一気に全身から力が抜け、私たちはゆっくり階下へ降りた。レストランに着くとたくさんの客が談笑しながら食事をしていた。私たちはすでに顔なじみになった日本人客らと同じテーブルにおじゃますることに。
 「今ね、虫退治の煙を焚いてたのを火事と間違えてあせりました」
と言うと、
 ハハハハハ、と笑われてしまった。
 でも・・・ホンマ怖かった!!!

 いよいよアフリカへ!

 その日の夜、ケニア行きの飛行機が飛ぶことになった。インドでの滞在が1泊増えた分、アフリカでの滞在が1日減ってしまったが1日ですんだからよしとしよう。数時間後、緑の大地が見えてきた。
 「おおっ!アフリカや!」
 乗客一同歓声をあげながら窓の外を見ている。どこまでも続く森、大地。そこはまさにアフリカ。着陸すると滑走路横に動物か何頭か走っているのが見えた。
 「アフリカに着いた!」
 私たちは意気揚揚と下り支度を始めた。すると周りにいた日本人が、
 「あれ!あなたたちケニアに行くんでしょ?ここケニアじゃないよ」
 ?????じゃあここはどこだ??確か日程表にはボンベイからケニアへ直行と書いていたはず。
 「ここ、どこですか?」
 まさに私は誰?ここはどこ?状態だ。
 「ここはウガンダだよ」
 ウガンダ?
 「なんでウガンダに着いたんですか?」
 「さあ、わからん。とにかくここはウガンダで、ケニアにはあと数時間かかる」
 その日本人も事情がよくわからないらしい。やがて機内に大勢の報道陣が駆け込んできた。何事だ??彼らは私たち乗客に向かってカメラのフラッシュを浴びせかける。私たちの知らない間に何が起こっていたのだ?実は何かとんでもない危機にさらされていたのか??
 しばらくするとひとりの黒人男性が乗り込んできた。彼は乗客ひとりひとりに握手を求めながらにこやかに笑っている。私もわけがわからないまま握手した。彼の風格、そしてこの報道陣。超有名人に違いない。
 もうなんでもいいから早くケニアに連れていってほしい。さきほどの日本人が英語のよくわかる日本人乗客に事情を聞いてきてくれて私たちに教えてくれた。
 インドとウガンダは長い間国交が断絶していて、飛行機の乗り入れもしていなかったそうなのだが、このたびめでたく国交が正常化し、飛行機も乗り入れることになった。その第1号機が我々の乗っているこの飛行機で、さっきの黒人男性は政府の要人だということだった。
 そんなめでたい席に同席できて光栄だが、そんなとこに真っ先に乗りつけるのはなんとなくコワイ。

 やっとケニアへ!! 

 また数時間飛行機に揺られ、そして今度は本当にケニアに着いた。喜びもひとしお、と言いたいところだが、あまりの長旅に疲労困憊。
 空港でやっと現地係員に会うことができた。現地在住の日本人である。
 「お疲れ様ー、なんかいろいろ大変だったみたいですねえ」
 彼はちょっとのんきに私たちの労をねぎらってくれた。
 タクシーで飛行場を目指す。私たちの宿泊するマサイマラ国立保護区にはまたまた飛行機に乗らなければならない。
 道中、しばしケニアの首都ナイロビの風景を楽しんだ。高層ビルが立ち並び、スーツを着たビジネスマンが闊歩し、ブーゲンビリアの花が咲き乱れるとてもきれいな都会の街という印象。
 飛行場に着き、プロペラ機に乗り込む。さきほどの日本人係員とはここでお別れ。
 なんや、これだけかい?「現地係員がお世話」などと日程表には書いてあったが、ほんの数十分の「お世話」だった。
 プロペラ機が離陸した。結構揺れる。眼下には無限に広がる大地が・・・しかし長旅で体力も限界。乗り物に強くないよっちゃんがとうとう・・・ゲロゲロと。背中をさすりながら私も思わず「ウッ」ときてしまった。
 数十分後着陸。次は車だ。へろへろ状態のよっちゃんを抱えながら乗る。数分で宿泊予定のロッジに到着。よっちゃんは草原に倒れこみ、ふたたびげーげー。迎えにきた係員たちは顔をしかめていた。気の毒がっていろいろ世話をしてくれるのかと期待したが甘かった・・・皆、露骨に顔をゆがめている。あまりの気まずさに「シーハズ、エアシックネス、アハハ」などど取り繕ってみたものの、寒い雰囲気は解消されず。
 乗り物酔いくらい、誰だってなるだろうが!と心の中で叫びつつ、よっちゃんを抱えてロッジのフロントへ。
 ナイロビで合流した関東からの新婚カップルとともにチェックイン、しようと思ったが・・・係員が申し訳なさげに頭を下げながら、身振り手振りで一生懸命私たちに話しかける。
 またトラブルか・・・?疲れきった頭にはもう何も入ってこない。私たちはただただ茫然と彼の口元を見ていた。私たちにわかることは「とにかくこのロッジには泊まれない」ということと、彼の話している言葉がスワヒリ語ではなく英語だということだけだった。
 そこへひとりの日本人男性が通りかかった。
「どうしました?」
との質問に、
「わかりません・・・」
一同うなだれる。
 その男性はオランダ在住の日本人。ビジネスで数年前にオランダへ。もちろん英語はペラペラ。哀れな私たちに代わってフロント係員の話を聞いてくれた。
 ペラペラペラペラ・・・ペラペラペラペラ・・・ペラペラペラペラ・・・
 ああいいなあ、やっぱり英語くらいはできないとこれからの時代はダメだよなあ。
 海外へ行くたびに痛感する。が、帰国とともにきれいさっぱり忘れるのである。
 彼の聞いてくれた話によると、
「あなたたち二組のうち一組は、申し訳ないけれど別のロッジに移ってほしい。というのはあなたたちが泊まる予定だった部屋のうちのひとつが下水管が破裂して部屋中に水が溢れて臭くてとても使えたものではないのです。明日にはなんとかなるから一泊だけ隣のロッジに移ってくれませんか。ここから車で5分ほどですが、森の中で静かだしとってもいいところです。さあ、どうされますか?」
とのことだった。
 疲れていなくてもきっと理解できなかっただろう。。。
 結果、新婚カップルに隣のロッジに行ってもらうことにした。よっちゃんをこれ以上乗り物に乗せるわけにはいかない。
 そうして私たちはやっと宿泊地にたどり着くことができたのだった。めでたし。

 二日間のサファリ

 念願のサファリへ!私たちはジープに乗り込んだ。目の前にはどこまでも広がる大草原。ここマサイマラ国立保護区の面積は大阪府の面積とほぼ同じ。大阪が全部草原だったら・・・
 案内は現地人のピーターさん。年齢50くらい?外国の人は年齢の判別がむずかしい。
「あ!あの木にチーターがいます!」
 ピーターさんはそう叫ぶとアクセルをぐーんと踏んだ。木?ああ、あれ?ものすごく遠い。地平線のきわにかろうじて見えている木。あの木にチーター?私の裸眼視力は当時2.0と1.5だったがどうがんばっても見えない。「チーターがいます!」ではなく「いるかもしれない!」じゃないのか?
 が、確かにチーターがいた。木の上に。私はチーターよりもピーターに驚いた。この人の視力はいくらだ?5.0はあるに違いない。
「車から下りてもいいけど絶対離れないでください。車に手が届くくらいの距離を守ってください」
 こわごわ車から下りてみた。生チーターがすぐそこを歩いている。 
 
 左からチーター、ライオン、ハイエナ、ゾウ、シマウマ等。画像をクリックしてね

 

 一日中、草原をジープで駆けめぐった。
「なあなあ、仮に動物が一匹も見られなかったとしても、この大草原の風に吹かれてるだけでもすごく得したと思わへん?」
 よっちゃんが髪を風になびかせながら言った。
 地平線の向こうから吹いてくる風は、ビルや車などにさえぎられることなく、草原の上だけを通り抜けてきた風。その風を胸いっぱいに吸い込むと、体の中だけでなく心の中まできれいになったような気がした。


 バルーン(熱気球)サファリ

 翌日はまだ太陽の昇らないうちから起床。今日は生まれて初めて「熱気球」に乗る!アフリカの大地を空から俯瞰しようという企みである。
 星が瞬く草原を車でひた走る。天、そして地。まるい地平線の上は宇宙。車のライトに驚いてかあちこちから動物が出てきて目を光らせている。
 バルーン乗り場に到着。100ドル(結構高い)を支払い、契約書にサイン。「事故にあっても責任は問いません」という内容だ。
 間近で見た気球は想像していたのよりずっと大きかった。地面にぺちゃんと横たわるバルーンの中にスタッフたちがガスを入れている。ガスバーナーのようなものから炎がごうごうと音をたてて噴出していた。しばらくすると熱せられたバルーンがふわりと大空に浮かんだ。
 いざ、空へ!!同乗している案内人の話ではぐんぐん高度を上げているらしいが、見下ろす先は大草原なので高度感があまり感じられない。どこまで上昇しても、どこまで飛んでいっても距離感が全然わからない。
 バルーンサファリというからには動物を見たいと思ったけれど、かなりの上空を飛んでいたらしく、森がところどころ見えるだけで、動物までは見えなかった。
 やがて太陽が昇ってきた。こんな早朝なのに太陽がやたら近くに感じられた。真横から強烈に差し込んでくるような感じ。
 高い山に登って見る「日の出」とは全然違う。山で見る日の出は、『はるかかなたの雲海から浮かびあがる』『遠い山々の向こうから静かに現れる』感じで、とても静かで荘厳だが、ここの日の出は『朝だぞ!太陽だぞ!』と強烈な自己主張を持ちつつ昇ってきた。『どうだ、まぶしいだろう!』と大声を上げつつ。

                    
                    私たちの乗っていた熱気球の「影」でえす

 気球は墜落することも多々あるというウワサを聞いていたけれど、大した揺れもなく快適そのもの。ただ、高度が下がらないように数十秒おきにガスを焚くのでうるさかった・・・。
 サファリを終えると朝食。大草原の中にテーブルが用意され、パンやスープやフルーツがたくさん乗っかっている。空気がうまいとメシもうまい。すぐそばにゾウやキリンが見えて、彼らも木の葉や草をむしゃむしゃと食べていた。アフリカにはヨーロッパ人がたくさんバカンスに訪れると聞いていたけれど、同じ気球に乗ったメンバーはアメリカ人が多かった。

                    
          同じ気球に乗ったメンバー。後ろに見えるカゴが気球の「シート」部分。結構大きい。

 しかしその中に日本人発見。長野から来た男の子ふたり連れ。歳も私たちと同じような感じだったのですぐ仲良くなり、この後の車でのサファリも彼らと過ごした。
 彼らは私たちよりもずっとリッチな旅をしているようだ。なんの問題もなくここにたどりつき、私たちがインドで苦しんでいる間にも大草原をサファリしていたと言うのだった。このマサイマラへ来る前には、キリマンジャロの裾野に広がるアンボセリ保護区、フラミンゴで有名なナクル湖にも行っていた。しきりにうらやましがる私たちに彼らは言った。
「ここが一番いいよ。あちこち行かずにここだけに絞ればよかった」
 でも私はキリマンジャロが見たかった。フラミンゴも・・・。しかし、
「キリマンジャロは曇っててよく見えなかったし、ナクル湖は一羽もフラミンゴがいなかった」らしい。キリマンジャロは天候の加減なので仕方ないけど、ナクルにフラミンゴがいないとは。写真で見るナクル湖はいつでもフラミンゴで埋め尽くされてピンク色をしているではないか!?
「ナクルまで行ってフラミンゴがいなかったなんて興ざめやなあ」
「ほんとうに。他に動物もいないし、からっぽの『池』を見てるしかすることがなかった」
「・・・・・・」
 ナクルの話はそこまでにし、私たちは車で川へ。今度はカバとワニを見にいくのだ。太陽はすでに高い位置まで上がっていて川面をぎらぎらと照らしていた。気温は40度くらいらしいが、乾燥しているからか全然暑くなくて実にさわやかで気持ちがいい。
「あ!あそこにいます!」
 これまた抜群の視力を持つ案内人が叫ぶ。なんでもカバが数頭、水面から鼻を出して泳いでいるらしい。しかし素人の私には遠すぎて見えない。しかし、
「おっ!見える見える!泳いでるよ!」
 さきほどの長野県人たちは大喜び。彼らは高性能の双眼鏡を持参していたのだ。
「全然見えへんなあああぁぁぁぁ」
 私とよっちゃんはできるだけ寂しげに聞こえるようにつぶやいた。すると彼らは私たちに双眼鏡を貸してくれた。作戦大成功である。

 私たちはかわるがわる双眼鏡で覗き込みながらカバを観察。しかし足元が大変不安定なのだった。地面は乾いた土なのだが、あちこちに大きな溝が。深いところでは人の背丈ほどもある深さなのだ。
「これはワニの通り道」
 案内人が教えてくれた。ワニは腹這いで歩くので自然に土が削られる。そして数年の時間を経て、こんな深い溝になったのだそうだ。こんなにたくさん、そしてこんなに深く・・・この川には今はカバしか見えないが、きっとワニがうようよいるのだ・・・そう考えると身震いした。
「あっ!!!」
 よっちゃんが叫び声が聞こえたので驚いて振り向いた。が、彼女はそこにいなかった。足元を見ると、そこには双眼鏡を手にしたまま溝の中にすっぽりと横たわるよっちゃんの姿が。双眼鏡を熱心に覗くあまりに足元まで注意が及ばず、ワニの溝に落ちたのだった。予想どおりの展開に自分でも笑いがこみあげたらしく、溝の中でけらけら笑っている。
「はよ上がってこな、ワニが来るで」
 午前中のサファリはこれでおしまい。ロッジに戻って昼食。長野の彼らともここでお別れ。住所を交換しあい、帰国後、写真を送る約束をした。
「関東の人やのに全然違和感なかったわあ」
 と、よっちゃんが言うと、
「違和感あったよっ!アフリカまで来て関西弁を聞くことになろうとは夢にも思わなかったね」
と言われた・・・。
 午後は同じロッジの宿泊者たちと車でサファリ。待ち合わせの時間に少し遅れてしまった私たち。車にはすでに白人の老夫婦が一組座っていた。彼らはにこやかに私たちを出迎えてくれた。ホッ。しかしあともう一組がなかなか来ない。例の日本人新婚カップル。15分くらいして慌ててやってきた彼らに老夫婦の男性が激怒。
「こんなに遅れてどーゆーことだ!!!サファリの時間が減ってしまったじゃないかっ!!私たちの時間を返せ!この大泥棒めが!!!」
 なんだか私たちまで叱られているような気になってしまった。『約束の時間を守らない』『長い間待たされた』とは思ったが、『時間を返せ、大泥棒め!』と叫んでいたのには驚いてしまった。そうか、時間に遅れるということはこの白人たちにとっては「和を乱す」という感覚ではなく、「時間を盗まれた」という感覚なのだ。私は日頃の自分を反省した。時間に遅れるということは他人の時間を盗むこと、お金や物を盗むことと同じなのだ。この出来事は今でも肝に銘じている。

 もう帰国・・

 インドで余計な1泊をしたおかげで私たちのアフリカでの滞在は1日減ってしまった。でも仕方がない。
「今度は10月にいらっしゃい。一番気候がよくて動物も多いから」
 と、ロッジの人たちに見送られ、私たちは飛行場へ。ナイロビまでプロペラ機で1時間。よっちゃんは飛行機酔いもなく、眼下に広がる草原に別れを告げていた。もう一度ゆっくり来たい、そうは思ってもここはあまりにも遠い別世界。二度とは来られないだろう。この広い草原、自由に駆け回る動物たち。そしてそれと同じくらい自由な私。時間とお金のある生活。「動物が見たい」というたったそれだけの理由でアフリカまで行くことはもうできないだろう・・・せいぜい子連れでサファリパークかな。
 過ぎ行く青春の日々、二度とは戻らない時間に私は寂しさを覚えずにはいられなかった。

 ボンベイ、ふたたび

 ふたたびインド航空利用でボンベイへ。また同じホテルへ帰ってきた。そしてカレーを食べてすぐ寝た。
 翌日、チェックアウトをするとやたら高額な料金を請求された。レシートをくれと要求してもなかなか出してくれない。何回もしつこく言うとやっと出しやがった。ここの計算がおかしい、と言うと、フロントはしぶしぶ計算をやり直していた。どうせ間違えるなら少なく間違えてくれればいいのに・・・!インドではそういう計算間違いの仕方はありえない、とは同じホテルに泊まっていた日本人添乗員の談。
 ドルで支払いを済ませるといつのまにかボーイが私たちのスーツケースを持って外に出掛かっていた。しまった!大急ぎで彼らに駆け寄り、スーツケースを取り返した。その間わずか数歩。しかし彼はのけぞるような姿勢で堂々と手を差し出してきた。
「チップくれ!10ドルだ!」
 確かに彼は「ten dollar」と言った。数歩で10ドル要求とは大した度胸だ。これは堂々と無視してよかろう。だいたい宿泊料金にチップも含まれているから払う必要はないと旅行社の人も言っていたから、行きしなの1ドルも払い損なのだ。
 ホテルの送迎バスに乗る。数人乗っていたが実のところ客は私たちしかいなかったらしい。空港が近づいてくると運転手以外の人間が次々と立ち上がり、いっせいに「チップ、チップ」の大合唱。ここはアホなふりして逃げよう。
 空港に到着すると「知らん、何言ってるんか全然わからん!」と日本語で言いながらそそくさと下りて逃げた。
 チェックインカウンターへ。またまたすごい混雑。あちこちで叫び声が聞こえ、ただならぬ雰囲気。またトラブルだ。
 インド航空ストライキのため欠航。
 マジですかあ??しかし全便欠航ではなく、成田行きは飛ぶらしい。一方関空行きはただでさえ週に2日ほどしか飛ばないのにこのスト。おそらく1週間くらい先、でもそれもきっと予約でいっぱいだろうから乗れるかどうかわからない、と。
 そこで、居合わせた関西人たちは集結した。全然見ず知らずの人間の集まりだが関西人であることには間違いはない。
「成田行きに乗り込もう」
 英語の堪能な男性が数人、カウンター職員に交渉してくると言う。
「なんとか話をつけてくる。満員だとは言っても何かあったときのために絶対に空席を用意しているものだ。そこへ乗り込む。いざとなったら金を握らせればいい」
 私たちは遠巻きに彼らのやり取りを見ていた。職員は終始無表情。祈るような気持ちで見つめていると数十分後、何やら紙に判を押し始めた。
 男性たちが急いで戻ってきた。
「なんとかOKもらってきた。でもいつ引き止められるかわからない。とにかくチェックインがすんだら全速力で走って出国手続へ行くように。そして出国の手続中は絶対に動揺しないこと。終わったらまた走ってバスに乗り込むこと。そうしたらもう大丈夫だから」
との話だった。何がどうなっているのかどうやって話をつけたのかは聞ける雰囲気でなかった。
 私は言われたとおりにした。よっちゃんとも「バス」で待ち合わせということにしたので、私は全速力で走った。出国審査では何か聞かれるのかと緊張したものの何も聞かれなかった。しかしほっとする間もなくまた走った。そして飛行機のところまで行くバスにたどりついた。息ぜえぜえ。なんでこんなに走らなきゃならんのだ。まるで亡命者のようではないか。
 あれ、よっちゃんがいない?しばらくしたら来るだろう。私は窓の外に目をこらした。しかし待てども待てども来ないのだ。もしかして空港職員に捕まったか?
「日本人の女の子を見ませんでしたか?!背はこれくらいで・・・」
 近くにいた人に身振り手振りで聞くも、誰もがぽかんとしている。インドで友と生き別れ・・・不安もピークに達しかかったころようやくよっちゃんが現れた。彼女も不安げにきょろきょろしている。
「こっち、こっち!」
 呼ぶと、安堵の表情でよっちゃんがバスに乗り込んできた。そしてバス出発。
 遅かったけど何かあったのか、と聞くと、走っている途中に私の姿が見えなくなったので不安になって待っていた、とのことだった。
 非常時にも友を思いやるよっちゃんの優しさに感動した。私は一体・・・?
 自分のことで精一杯だった。だって、バスで待ち合わせってことになってたしぃ。


なんとか帰国するも

 ああよかった。無事に帰国できることになった私たちは機内食のカレーを食べながらインド映画を楽しんだ。そして成田に到着。そしてスーツケースが出てくるのを待った。待っている間に同じロッジに泊まった新婚カップルに再会。
「関西には飛ばないって言ってたのに乗れたんだねえ、よかった」
と新婚カップルは感心していた。インドでいろんな目にあったこと、でもアフリカの大草原に行けたこと、なんとか帰国できた喜びなどを語りあいつつ私たちは荷物が出てくるのを待った。新婚さんの分はしばらく経ってベルトコンベアから流れてきた。
「じゃあ、お元気で。写真送りますからね〜」
と、別れを惜しみつつ、彼らを見送った。そしてまた荷物待ち。だんだん人影もまばらになってきた。いつものことだが、私はどういうわけか荷物が早々に出てきたことはない。いつも不安になった頃にようやく出てくる。今回もそうなのか?
 そして誰もいなくなった。私のスーツケースもよっちゃんのもとうとう出てこなかった。おみやげがいっぱい詰まったスーツケース。一体いずこへ?もう戻ってはこないのか・・・?しつこく続く災難に私たちはすっかり打ちのめされながらバゲイジクレームへ。
「お客様のお荷物はボンベイに積み残されています」
 無理やり乗ってきたからそうなったのか、それとも単なる手違いか。すぐに送ってくれるよう申し込んだあと入国審査へ進んだ。
 到着時間が夜だったので大阪への乗り継ぎ便に乗れるかどうか実はよくわからないまま帰国してきたのだが、最悪、新幹線か夜行バスで帰ろうと私たちは話しあっていた。ところが幸いなことに大阪への乗り継ぎ便があるという。
「大阪へお越しのお客様はこちらからお進みくださあい!」
 日本はサービス王国だわ!ちゃんと事情を把握していて、客を不安がらせることなく完璧な案内をしてくれる。大感激でむせび泣きそうな気分だった。もう二度とインドには行きたくない。
「お急ぎくださあい。大阪へはこれが最終便となります。お急ぎくださあい」
 私たちはそれぞれ入国審査を終え、乗り継ぎ便へと急いだ。
「ちょっと待ってください!」
 男がひとりやってきて、よっちゃんの腕をつかむ。
「あなた下痢してるんですね?」
 男は検疫官だった。入国審査の時、『アフリカ、東南アジア方面から入国される方は・・・』という案内をお見かけするが、今回私たちもその中に含まれている。すでに機内でその報告用カードは配られていたので私たちはちゃんと記入していた。
 アフリカでは水がどうもまずくて、持参していた日本茶のティーパックを作ってみたりしたけど、まずくてとても飲めなかった。そんな水を飲んでいたのだから多少の下痢になっても仕方がない。私は検疫所でややこしく問い詰められたら面倒だと思って、下痢症状を申告しなかった。(絶対マネしないでくださいね!!その軽率な気持ちが日本国中に深刻な事態をもたらし、死人が出るかもしれないのですぞ!ささいなことでも、症状が軽くても絶対に正直に申告してください!by 今は空港関係者の私)。
 大阪への乗り継ぎ便はこれが最終なのだ。早く行かないと乗り遅れる。よっちゃんは慌てに慌てて「大丈夫、なんともありません」と何度も抵抗を続けたが・・・どうしても許してもらえず。私は茫然としつつよっちゃんを見送った。検疫官に腕ずくで連れていかれるよっちゃんの姿を・・・。
 もう間に合わないかもしれない。私はすっかりあきらめモードに入っていたが、案外とすぐによっちゃんは解放された。乗り継ぎ便にも乗れた。めでたし。
 1時間ほどして伊丹空港到着。ああ、本当に本当に帰ってこれた。いろんな助けを借りつつ。感謝。しかし結局どこに何をしに行ったのかよくわからなかった旅でもありました。