近藤嘉宏  *** 2003.12.25 西宮市民会館アミティホール(兵庫)

第1部
 シューマン: アラベスク 
 ベートーヴェン: ピアノソナタ第14番「月光」
 ドビュッシー: 月の光 / 亜麻色の髪の乙女
 リスト: 愛の夢 第3番 / ラ・カンパネラ

第2部 
 ショパン: ノクターン第8番 / ノクターン第20番「遺作」 / エチュード第3番「別れの曲」
        エチュード第5番「黒鍵」 / エチュード第11番「木枯らし」 / 幻想即興曲 / 英雄ポロネーズ

アンコール
 ショパン: 子犬のワルツ / ノクターン第2番 / プレリュード24番


 今日の演奏会は特別だ。クリスマス、そして私とダーリンの6度目の結婚記念日なのだ。近藤さんが我々の記念日をロマンティックに演出してくださることを確信し、私はダーリンを連れて出かけた。
 しかし長い道のりだった・・・。ダーリンは近藤さんのコンサートに行く事をなぜだかとてもいやがるのだった。
「オレは近藤にやきもちを妬いてるわけではない。ただヤツの演奏がオレの好みじゃないだけだ」と言う。
 なぜそんなことを言うのか。6年連れ添っても私はダーリンの感性を理解することはできない。
「最近、近藤さんは変わった」ということはファンの間でよく耳にする。私もそう思う。初めはそのことをネタに誘ってみたが反応イマイチ。それからいろいろ手を変え品を変え誘ってみた。それでも反応イマイチ。
「結婚記念日に夫婦が別行動なんておかしいやろッ!」
と、すごんでみてもダメだった。
 ああ、もうダメか。。。あきらめかけていたところ、ダーリンが
「14日(私の誕生日)、忘年会に行きたいんやけどええか?」
 私はこの問いかけにキレながらも飛びついた。
「じゃあ25日は私の言うことを聞いてもらおう!近藤さんのコンサートに同行するように!!」
 というわけで「夫婦でコンサート」が実現した。


 2003年最後のコンサート。やっぱり聴きたいのはこのプログラムだろう。超有名曲を集めた「名曲ベスト」。これを聴かなくては今年が終わらない。
 今日は2階席だ。やっぱり遠いけど、最近私も考えが変わってきた。いつもいつも前の方で聴くのはもう止めようか、と。後ろの方で聴いても近藤さんの熱と力は伝わってくるのだろうし、ホールによっては後ろの方がきれいに聴こえることもある。ただ、「集中して聴く」ことを考えるとやっぱり前の席の方がいいなぁと思う。後ろの席だと雑音が気になってしまうことは否定できないし。
 今日はダーリンとふたり、肩の力を抜いて何も考えずにゆったりと聴きたいと思っていたので、2階席というのも悪くなかった。今日は双眼鏡も持たず、ダーリンの肩にもたれて「愛の夢」を聴くのだ・・・・・・ウフフフフ♪
 ところが!
「仕事が終わらない。一部はひとりで聴いてくれ」とのメールが・・・。「途中からでも!リストだけでも!」と食い下がるも「それはむり」だと。ああ、名曲ベストは一部がステキなのにいい。しかし今日はクリスマスと言えども年末の平日。いくらなんでもこれ以上無理強いはできない。
 というわけで、前半は一人寂しく聴くことに。ウッウッ(泣)。

 客席が暗くなった。そして・・・サンタクロースが。アタシのサンタさんはソリには乗ってないけれど、赤い服を着ているわけではないけれど、大きな袋をかついでいるわけでもないけれど。
 客席に向かって微笑む姿。両腕にはたくさんの花束を抱えている。その花束は目には見えないけれど、近藤さんが舞台に立つといつも花が咲いたように心が明るくなる。今日もステキな演奏を、幸福なひとときを与えてくれる、この人が。
 今日はトークなしでまっすぐにピアノへ。そしてシューマンのアラベスク。
 あぁ気持ちいい・・・やっぱここなのよねえ、私の居場所は。今年CDで、コンサートで聴いた、このアラベスク。この曲が始まった途端、私は夢の世界へゆっくりと引き込まれたものだった。ゆったりと流れる河のように優しくおおらかに、その音は私たちファンを夢の世界へといざなってくれた。もちろん今日も。来年もしあわせな夢が見られますように。私たちに与えられる幸せと同じくらい、ううん、それ以上のしあわせが近藤さんにも訪れますように。
 ベートーヴェンの月光。2003年の名曲ベストにこの曲が入っていたおかげで私は本当に救われた。来年もずうっと弾いてほしいな。近藤さんのベートーヴェン・・・ヨーロッパを旅行したとき、立派な石造りの教会でミサに出席したことを思い出した。薄暗い教会の中ではあるけれど、高い窓から優しい光が差し込んでいたこと、敬虔な祈りの声が響いていたこと、時間がゆっくりと流れていたこと。
 ドビュッシーの月の光、亜麻色の髪の乙女。神々しいまでに透明な音のつらなりに心洗われる。どうしてこんなにきれいな音を紡ぐことができるのだろう。近藤さんは私にとって手の届かないところにいる演奏家であるが、この2曲を聴くとつい近藤さんの心の中はどうなっているのだろう、などと考えてしまう。近藤さんはとっても罪深い人だ・・・。
 リスト。すごくテンポを落としている。あぁ、止まってしまう!え?続きを忘れちゃったの?と思うくらいのスローテンポ。遠くで微笑みながら「さぁ、君の方からおいでよ」と腕を広げて待っている、いつものさわやかな近藤さんの姿はない。今日はかなり近いところにいて彼はこちらを見つめている。無言。でも目が誘っている・・・そーんな感じ。
 カンパネラはあでやかに。今年の終わりを告げる鐘の音。いつまでもいつまでも鳴り響く・・・。

 第2部になってやっとダーリンが現れた。愛する人とショパンを聴く。遠くで聴こえるピアノの音。これは夢だろうか?ううん、ダーリンの肩の温かさは夢ではない。近藤さんのピアノの音もこの世に確固と存在しているもの。これは夢ではない。「夢のような現実」なのだった。夢のような、現実。こんな素晴らしい瞬間を与えられる私・・・。
 今年も一年、私なりにダーリンをたっくさん愛した。でも近藤さんに何かお返しができていただろうか。与えられるばかりでは申し訳ないと思いつつ、つまらないレポを書き続けてはいるが、近藤さんが読んでくれているかどうかはわからない。なので今回クリスマスプレゼントにカードをつけた。

  春はさらさらと優しく流れる河のごとく
  夏は木々の梢からきらきらこぼれる陽のごとく
  秋は息をのむほど鮮やかに山々を染める木々のごとく
  冬は静かに全てを包み込む真白な雪のごとく

  目まぐるしく変わりゆく日常の中でも、
  四季がいつでも変わりなく、美しく巡っているように、
  近藤さんのピアノの音が、
  いつでも私の心の中を美しく巡っています。

 なーーーんてことを書いてみた。←正確には覚えてないけどだいたいこんな感じ。実はかなり思いつきで書いたため(行きしなの電車の中で考え、2部が始まる前の休憩時間に慌てて清書した)、推敲不十分。反省。
 近藤さんが読んで励みになるような、勇気が出るような言葉をかけてみたい。どうすればいいのだろう。私なりに努力はするものの、いつも近藤さんが返答に困るような言葉しか言うことができない・・・。『爆発炎上』(10月:ティアラこうとうにて)『これがアタシの熱情!』(11月:フェスにて・・・)。
 沈・・・・・・。

 美しい四季が巡る、近藤さんの奏でる音が巡る。ノクターン8番、20番は降る雪の中で春を待ちわびる冬。別れの曲は春、黒鍵は水しぶき跳ねる夏、木枯らしは秋。華やかな幻想即興曲を聴きながら目まぐるしく過ぎ去った一年を振り返り、英雄ポロネーズを聴きつつ来年へ希望を持って歩き出す。
 近藤さんの選曲はすばらしい!

 アンコールにはノクターンの第2番が入っていた。
 とっても甘やかな演奏・・・あまーい砂糖菓子が口の中でとろとろとろ、と溶けていくような。今日の近藤さんの演奏はとってもあまーい調べ。ダーリンとふたりで聴いたからだろうか。
 今日は極上の結婚記念日だった。近藤さんありがとう。そしてダーリンありがとう♪これからも変わらずあなたを愛していくわ。

(after the concert)
 何度も言うようだが、今日は「結婚記念日」だ。私はずいぶん前(この日にコンサートがあると知った時)から次のようなシナリオを頭に描き、夢見ていた。
 @ダーリンとふたりで近藤さんの演奏に酔いしれたあとはサイン会に並ぶ。
 A近藤さんにクリスマスプレゼントを渡し、サイン会が終わるまでねばる。
 B高嶋社長が「はーい、それではせっかくですからツーショット写真をお撮りしましょう」と言う。
 C近藤さんをまんなかに、スリーショットを撮影する。
 D『今日結婚記念日なんですー』と近藤さんに言う。
 E近藤さんはきらきらした笑顔で「おめでとうございます♪」と私たちに言ってくれる。
 Fそうして私はしあわせな年越しを迎える。

 最大のヤマ場はBであろう。クリスマス&年末という師走も押し迫った時期のことである。近藤さんはせわしなく帰っていくかもしれない。
 祈るような気持ちでサイン会終了を待つ。今日も長い列だ。
「待ってたらな、写真撮らせてくれるかもわからん。そしたらすぐに並んでや。逃げたらあかんで。で、順番がきたらアンタは近藤さんの右に立ち。アタシは左に立つから。撮るときは笑顔やで、むっつりしたらあかんで」
 とダーリンに言い聞かせる。
 サイン会の列がだんだんと短くなり、やっと最後の人が立ち去った。
 さて、いかに!たのむ、たのむぞ、社長!!!
「はーい、それではせっかくですからツーショット写真をお撮りしましょう」
 よっしゃああああああ!!!
 ダーリンは「なんでオトコと並んで写真撮らなあかんねん」とばかりに不満げだが、ここは一瞬だけ我慢してもらおう。シャッターを押す一瞬だけ、ニコリと笑ってくれればいいのだ。
 いよいよ順番がまわってきた。私は計画どおり、ダーリンは私の指示どおりにすばやく近藤さんを中央にし、カメラに向かってニコリ。
 うふふふふ、この写真、引き伸ばして、2月の神戸松方ホールでのパーティ時に持っていこう。そしてサインをしてもらって額に入れて飾ろうっと。
 私が半年の間描き続けたシナリオ、ここまで来ればあとは楽勝だ。しかしここでちょっと予想外。ダーリンが、

「どーもはじめまして」

 などと言い、近藤さんにお辞儀をしている。さんざん憎まれ口をたたいている家での姿はそこにはない。
 どうだ、近藤さんは間近で見るとステキだろう。これでかなりのイメージアップを図れた。遠征にも心おきなく行ける!
 でも・・・「はじめまして」というアイサツはおかしくないか?オマエは誰の何やねん?と近藤さんに思われたかもしれない。まぁ、いいか。ここは静観しよう。
 そしてシナリオDへ進む。

「今日ね、結婚記念日なんですよー♪」

 難なくEへ。

「そーだったんですかぁ、それはおめでとうございます〜♪」

 わーい、バンザーイ、バンザーイ、ラッキーチャチャチャ、ウー!!!
 近藤さんは全く私のシナリオどおり、きれいな目をぱあっと見開き、歌うような口調で言ってくれた。あぁ、その笑顔、美しい・・・。しかし、近藤さんの言葉はまだ続いた。

「って、言うべき?」

????????????????????

「でしょうか・・・・・・?」

 シナリオが・・・半年間描き続けた夢が・・・!ズドーン、ガラガラガラ・・・。しかもこの「言うべき?でしょうか・・・?」のセリフ、近藤さんは我々夫婦の顔をチラチラと交互に見ながら言うのだった。

 ひ、ひッ、ひどおおおおおおおおおい!!!

 ちょっとアンタ、それどーゆー意味っ?!と、詰め寄りたいところだが・・・相手はJクラシックの貴公子。
 結婚記念日って、さほどめでたいことではないの?いや、そんなはずは。世間一般から見てめでたいことだろう。その証拠に今朝、我が家には親からの「おめでとう」の花束が届いたではないか!
 なぜだ、なぜなんだ?「言うべき?でしょうか・・・?」なんて笑いながら言われたら・・・
「言うべきですッ!」と本気で言いそうになって慌てて口をつぐんだ。近藤さんが一ファンにむかってそんな失礼なことを言うわけがない。これは何か別の解釈ができるはずだ。凡人が考えるような意味合いではない、なにかとてもステキな意味が隠されているに違いない。私はすでに『?マーク』でびっしり埋め尽くされた脳みそを駆使し、必死に考えた。
 わからない・・・私にはその言葉の意味がわからない・・・やっぱり私は凡人、所詮、凡人・・・。
「こ、こんな日に聴けて、うれしかったですぅ」
 私は近藤さんの言葉をすっかり聞き流し、非常に凡庸な返答をした。あぁ、もう何もわからない。あぁ、めまいが・・・。
「オイ、並んでる人がいるから帰ろう」
と、ダーリンにささやかれ、腕を引かれつつその場から退散した。すごすごと。
 そうして幕が下ろされた。私の描いたシナリオはプロの芸術家(ジャンルは違うが・・・)によってあっさりとぬりかえられてしまったのだった。
 人生はうまくいかないものだ。しかしだから人生は面白いのだ。私は本日、悟りを開いた。

 帰り道、駅のホームで電車を待つ。近藤さんに毒を吐かれた(と解釈した)我々はほとんど無言であった。
 家に帰ったらジャージに着替えよう。アタシは赤で、アンタは青や。そして歌おう、踊ろう・・・。

 ♪結婚記念日がめでたくないのはなんでだろー、なんでだろー、な・な・な・なんでだろー♪・・・・・・・・・・

「なぁ、近藤さんの最後の言葉、どういう意味やったんやろ」
「さあ」
 ダーリンはとりあってくれない。家に帰ってから友達や妹にメールで聞いたりしたがいずれも皆、「意味不明〜」と笑うだけでとりあってくれない。仕方なく実家の母へ電話。わからないことは親に聞こう。が、「全然わからん」と匙を投げられた。
 @結婚記念日は男の人にとっては大したことではない。
 A結婚は人生の墓場である、が通説
 B関東にまでついてまわりたびたび家を空ける、こんな嫁を持って気の毒だな、このダンナ。と思った。
 C自分とは似ても似つかぬ、ゴリラによく似た亭主と暮らす私が気の毒だ、と思った。
 Dあまり調子に乗るヤツは一度こらしめておかにゃあならん、と思った。
 Eおまえらの結婚記念日なんて知ったこっちゃねーんだよ、と思った。
 等、私はそれからしばらくの間、いろんな仮説を立ててみた。
 
   苦悩の年越しであった。

 しかし、新しい年を迎え、ある結論に達した。
 F「おめでとう」なんて他人の僕が気安く言ってもいいのかなぁ、と遠慮されたのだろう。控えめで謙虚なところがいかにも近藤さんらしい。

 と、いちいち細かな言葉尻を捕まえて悩んだが、2004年は気分新たに、これに懲りずに足しげく通うつもりの私なのでした。


  近藤嘉宏  *** 2003.11.23 フェスティバルホール(大阪)

 ショパン: ノクターン第2番 変ホ長調 作品9-2 
 ショパン: ノクターン第20番 嬰ハ短調 「遺作」
 ショパン: エチュード第12番 ハ短調 作品10-12 「革命」
 ショパン: 幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66
 ショパン: バラード第4番 ヘ短調 作品52
 リスト:   愛の夢第3番
 リスト:   ハンガリー狂詩曲第6番 変ニ長調
 ラフマニノフ: プレリュード 作品3-2
 ラフマニノフ: ヴォカリーズ(近藤嘉宏編)
 ベートーヴェン: ピアノソナタ第23番 ヘ短調 作品57 「熱情」

アンコール
 ショパン: ノクターン第2番 / ワルツ第7番 / エチュード「木枯らし」 / 英雄ポロネーズ
 

 
 ついにこの日が来た。今日は思い出のフェスでのコンサート。
 忘れもしない2年4ヶ月前・・・私が初めて近藤さんの演奏を聴いたのはここだった。近藤さんのフェスでの公演は今回で15回目だそうだ。過去には年に数回シリーズでここで演奏していたらしい。私が聴いたのは最後の2公演だけだ。
 近藤さんの存在も知らないで、私はいったいどうやって生活していたのだろう?今や、近藤さんの音のない生活など想像もできはしない。
 2年半ほど前、何気にCD屋に立ち寄ると、近藤さんの当時の新譜「ピアノ・ハート」が目の前に積み上げられていた。近藤さんとの出会いは本当に偶然のものだった。実はこの「ピアノ・ハート」、自分のためではなく、ピアノが好きなダンナのために買ってあげたのだった。当時就職のことで暗く落ち込んでいたダンナの心の薬に、と・・・。ところがどっこい!!
 そういうわけで現在の私がある。

 もういちど、フェスで近藤さんの演奏が聴きたい!これは数年来の私の願いであった。それが今日実現するのである。前は2公演とも2階席だったので今日はぜひとも1階で聴きたい。今日、開演6時。座席指定券交付は4時から。私は2時半から並んだ。すでに30人ほど並んでいた。一番前にいたご婦人方は折りたたみイス持参という気合の入りよう。
 私は「並んでじーっと待つ」というのがとっても苦手だ。並んでまで手に入れなきゃならないものなどこの世にはない、というのが私の持論。たとえ近所のスーパーで卵が二束三文で売られていようとも、もちろん有名なパン屋やお菓子店などでも並んでまで買ったことなど一度もない。でも今日は違う。
 しかし退屈だ。座席券交付まであと1時間半。あまりにヒマなので一句詠んでみた。

   阪神の 優勝セールは 並ばぬも 彼のためなら エンヤコラサッサ

 これ以上詠むのはやめておこう・・・と思いつつ、今回は私の駄句を、いらぬと言われようとも追ってお届けすることにしよう。
「座席交換、まもなく開始しまーす」案内のお兄さんが叫ぶ。まだ3時すぎ。4時から開始だと言ってたけれど、ラッキー♪
「列がまだまだ続くことが予想されますので代表者の方だけお並びくださーい!」
 今日は会社の同僚3人を誘った。もっと誘いたいところだが、これ以上引っぱってくると会社の業務に支障が出そうだ。彼女たちには「私が並ぶから開演直前に来たらいいよ」と言っておいた。なので私が「代表者」。
 私はハガキをバッグから取り出し、交換が始まるのを今か今かと待った。今日のプログラム、かなり魅力的だ。私はハガキに書いてある曲目をわくわくしながら再確認。
 あッ!!!!!
(代金は座席指定券交換時にお支払いください)と!そうだった!!まだお金払ってないんだった。すっかり払った気でいた私はあわてふためき財布をチェック。
 財布の中身は・・・6000円。
 
 おー、まい、がーーーーーーっどっ!!!!

 同僚の分3枚と自分の分、合計4枚。チケットは1枚2000円。2000円足りない!!!
「まもなく交換始めますので、ハガキとお金を出してお待ちくださーい」
 案内のお兄ちゃんの声が残酷に響く。こ、こ、この近くに郵便局はあっただろうか・・・知らない。あぁ、カードが使えたらいいのに・・・あ・・・・どうしよう、どうすればよい??せっかく早くから並んでいたのに、このザマ・・・。私は列の最後尾を確認。ながーい列が出来ていた。あぁぁぁ!今から郵便局に行き、あんな後ろに並べと言うの???誰か知った人はいないだろうか。今度は前を確認。一番前からひとりひとりのお顔を拝見する。
 知らない人ばっかりだ・・・いや、正確にいうと、顔を知っている人はいる。いつも来ている熱心な近藤ファンだ。が、話したことはないし、名前も知らない。もちろん向こうも私を知らないはずだ・・・。
 めぐみさんとこの掲示板で単独大暴れのaccoです、と言えば、誰かひとりくらいわかってくださるだろうか・・・いや、ただでさえ、「イッちゃってるアブナイやつ」と思われているかもしれないのに、自ら名を名乗るのは危険かも・・・お金を貸してくれるどころか冷たく断られるかもしれない・・・でもこの非常事態をどうクリアしたらいいのか!
「まもなく座席指定券交換でーーーす!!」
 ええい、うるさいっ!!交換は4時からじゃないのかっ、なぜそんなに早く始める!!契約違反だっ!!!
 そこへ天からのお使いが!!ayaさん?!あれはめぐみさんとこのサイトに時々いらしてるayaさんではないか!?面と向かってお話したことはほとんどないし、最近会場でもお見かけしないのでイマイチ自信はないが、私にはもうためらっている時間はない。
「あ、あ、ayaさん??」
 おっかなびっくり、しかし祈るような目つきで声をかける。
「あー、あっこさん?」
 よ、よ、よかったぁぁぁぁぁ・・・神様仏様々々。
 ayaさんはご親切に「いつもレポありがとう。HPも見てますよ♪」と言ってくださったが、私はお礼もそこそこに、「2000円貸してぇぇぇ」とすがりつく。
 そうして無事に4枚分、座席券をゲットすることができた。1階の中央、列はO列。決して前の方の席ではないけれど、まぁまぁ満足。
 でもこの「当日座席指定」という方式、どうにかならんかの。早くから並んでも自分の希望も聞いてもらえないなんて。かといって遅くに並んで2階席などに押しやられるのはヤだし・・・こんなにでかいホールで2階席になったら悲惨だ。なので結局早くから並んでしまった。
 遠くから来る人、育児や介護で長時間家を空けられない人、体があまり丈夫でない人、いろんな人がいるだろうに・・・。主催側としてはどういう理由でこういう形式を取るのだろうか。今回は見かけなかったけれど、以前にシンフォニーホールで並んだときは私の随分前に腰の曲がった年配のご婦人、松葉杖をついた紳士がいらした。私ですら1時間前に並んでいたというのにその人たちはいったいいつから待っていたのだろうと思うと気の毒になった。いずれ私も育児などで家を空けられなくなる時が来るので他人事ではない。

 開演まであと2時間半ばかりあるので、ayaさんとお茶をすることに。私はすでに限りなく無一文に近いが、お茶を飲むくらいならなんとかなりそうだ。一番安いアイスティーを注文。しばし歓談。
 めぐみさんとこの掲示板でのayaさんはとっても繊細で美しい文章をお書きになる。触れたら一瞬で壊れてしまいそうな透明で薄いガラスのような。去年、コンサート会場でめぐみさんから紹介してもらい挨拶はしたけれど、想像していたとおりの華奢で可憐なお嬢さんという感じ。なので私のような※「大阪のおばちゃん」が気安く声をかけてはいけないのだ、という気がしていたが、実際お話してみると実に気さくで明るくさわやかな人だった。彼女は近藤さんのほとんどデビュー当時からのファン。いろんなお話をうかがってとっても楽しかった。
 近藤さんと話をするのはもちろん嬉しいし、もっと話してみたいなぁと思うけれど、本当のところ私は「近藤ファンと近藤さんの話をする」方が楽しみ。
 しばらく話したあと、今度は近藤さんへのプレゼントを買いにふたりで歩いて梅田へ。
 今日はお金を忘れるという大失態を演じた私ではあったが、新しいお友達ができたので全てチャラになった。めでたしめでたし♪
 ※私は確かに大阪生まれの大阪育ち、でも、一応近藤さんよりは「若い」ので。かろうじて。←一応付け加えさせてくださいっ。(ホンマにおばちゃんと思われたらやっぱり・・・)

 開演15分前に同僚たちがやってきた。なんだか緊張する。3人のうち2人は今日で3回目だが、あとひとりは今日初めて近藤さんの演奏を聴く。なんだか「親に彼氏を紹介するみたい」な気分だ。
 座席指定券交換の列はまだまだ続いていた。あとでパンフレットを見て知ったが、フェスのキャパは2700人。そこになんと4500人を超える応募があったそうで、主催側は1000人あまりに「お断りの手紙」を出したとのこと。今日涙をのんだ人が1000人もいたなんて・・・あぁ。
 
 いよいよ開演。やっぱりフェスはでかい。舞台が広くて、袖から出てきた近藤さんがピアノにたどり着くまでの時間がとっても長い。演奏前のトークもあったけど今日は手短。ついでに言うと、マイクもいつもと違った。ハンドマイクをスタンドにセットした普通のスタイルではなく、なんて言ったらいいだろ・・・漫才とかの時に使う、平べったい感じの固定マイク。色は白っぽくて・・・すんません、こんなちゃちい表現で。

 「ノクターン第2番」から始まった。懐かしい・・・。私は2年前に逃避行。2階席の右側で、一生懸命双眼鏡を覗き込みながら、食い入るように近藤さんを見つめていた私。あの頃はダンナの就職でいろいろ悩んだ。でも今は・・・ダンナは毎晩残業続き、そして私はもう「2階席の女」ではなくなった。いつもいつも前の方で「かぶりつき」で近藤さんの演奏を聴いている。
 あれから2年の歳月が流れた。近藤さんの音色はあの頃よりもずっと深みが増し、まあるくなったような気がする。以前は高音の響き方がとても激しく聴こえて、「歳のわりに若い演奏をする人だなぁ」と思ったけれど、だんだん音が年齢とその穏やかな面立ちに一致してきたような。力のある演奏には違いないけど、その「力」のあり方が「勢い」ではなく、どっしりと揺るぎないものになってきたような。
 静かで華麗な音の連なりに、私はそうっと身体をあずけた。この安心感はとても言葉では言いあらわせない。
 今日の響きはとても柔らかだ。ホールが広いということも関係してか、柔らかくて、少し遠い。満員のフェスティバルホール。こんな大きなホールをたったひとりで満員にして・・・こうやってこの先も少しづつ、近藤さんは「遠いひと」になっていくのだろう。ちょっとせつない、かも。
 ショパンを全曲弾き終えた。過ぎゆく時間は残酷そのもの。
 次はリストを2曲。まずは愛の夢。
 愛の夢、愛の夢、愛の夢・・・。いかにもあまーい調べの曲でタイトルにまで甘い名前がついているのに、でもあなたの奏でる愛の夢は・・・クールなんだよね。愛してる愛してる愛してる!ってこちらに向かってくる感じじゃなく、「さあ、君のほうからおいでよ」と、両手を広げて待っててくれてるような・・・。
 いやん、あなたの方から来てよ。そんな優しい笑みを浮かべながら、そんなに遠くで待ってないでよ。

   近藤さん、ああ近藤さんや、近藤さん 亭主忘れる ひと夜なりけり

 気を取り直し、「ハンガリー狂詩曲第6番」。愛の夢とはがらりと違ったなんとも怪しげな響きのする曲だ。リストは超美男子だったと何かの本で読んだことがあるが、ちょっと長めの髪をさらさらと揺すりながら演奏する、いかにもキザで、周りの女性たちをもて遊ぶリスト(実際はどうだったのか知らないけど)の様子が目に浮かんでくるようだ。
 憎たらしいが、でも・・・結局まいってしまう。とにかくこの曲は危険な香りがするけれど、でもやっぱり「かっこいい!」のだなぁ。曲自身が強烈な人格を持っていて、自分をかっこよく見せる方法を知っている。近藤さんにぜひとも弾きつづけてほしい曲のひとつである。

 休憩をはさんでラフマニノフ。去りゆく季節を惜しみつつ聴くのにはちょうどいい感じ。秋はまもなく終わりを告げ、寒い冬がやってくる・・・。
 雪の降る夜のように、全てが降る雪に吸い込まれ・・・風の音も人の声も息も。静かなホールに降り積もる、たったひとりのピアニストが奏でる柔らかな音、音、音。それは髪に肩にそしてひとりひとりの心に優しく優しく降り積もっていた。
 
 ラストはベートーヴェンのピアノソナタ「熱情」。ベートーヴェンの曲は確かに重いけれど、それは人間の本質に迫った作品だからこそ。超哲学的で構成が緻密。雰囲気で音符が並んでいるのではなく、一音一音にきちんとした根拠がある。「ここにはこの音が、こういう理由でここにある」みたいな。それなのに型にはまった窮屈感はなく、壮大な開放感があるところがすごい。どうやったらこういう音楽ができあがるんだろう。終始ものすごい緊張を強いられるのに、最後にはわぁーっと解き放たれる、あの快感。弾いてる方はどうなんだろう。いずれにしろ、ベートーヴェンの、特にこの「熱情」は相当な精神力を要するに違いない。私も一度でいいからこの曲を弾いてみたい!と思うが死んでも無理な話である。
 3楽章。何度も鳥肌が立った。強い風、でも森の中で聞くような木々の枝葉がこすれる音ではない。高い山の、草木が生えていないほど高い岩山の中で聞く風の音。遠く幾重にも重なった山々の向こうから、ごごーっと吹いてくるような風。高い山に登ったとき、いつも思う。どうして何もないところからあんなに大きな音がやってくるのか。地の底から湧いてくるようなこの力強い風はいったいどこから吹いてくるのだろう。それは感動を通り越して恐怖感すらする。3楽章はまさにそんな感じだった。視線の先にあるピアノから吹いてくる風に圧倒されながら、だんだん息をするのも苦しくなってきた。高い山で強風にさらされている時のあの息苦しい感覚・・・。
 最後の一音がガーンと響いたその瞬間、私は思わず胸を押さえた。正面からの強い風に魂ごともぎとられたような感覚に陥り、息もできなかった。
 近藤さんに魂を持っていかれた・・・。もう返していらない。すべて、すべてあなたに預けます!!!
 ブラヴォーーー!!観客席から歓声が上がった。割れんばかりの拍手に包まれ、席を立つ近藤さん。微笑みながらもその瞳はまっすぐに客席を、そしてこれから自分が進む道をしっかりと見据えていた。この姿はいつまでも私の脳裏から消えることはなかった。またひとまわり大きくなった近藤さんに私も拍手を送った。
 こんなに大きな舞台でこんなにたくさんの拍手を浴びて・・・よかったなぁ、よ、よ、よしひろ〜と、私はまるで母親のような気持ちになったのだった。近藤さんに対する恋心が今日「愛情」に変わったような気がする。
 巨匠と呼ばれる日も近い。今回はそんな予感がしたコンサートだった。

 当然アンコール。椅子に腰かけた近藤さんは「ノクターン第2番を」と。あれれ?また弾くの?と思ったらやっぱり近藤さんは「あっ」というような顔をして天井を見上げた。「最初にも弾きましたね」。おちゃめだわぁ。
 そして「木枯らし」エチュードなど合計4曲を披露されたあと、終了。
「今日で3回目だけど、今日のが一番よかった!」と同僚も絶賛、今日初めて連れて来た子も「CD買う!!」と駆け出していった。彼女は2枚も買っていた。

 サイン会、当然並ぶ。1階席にいたので割と早く並べてよかった。今回はなんとしてもこの感動を伝えなくてはならない!と意気込んでいた私は「(フェスに)おかえりなさいっ」「もぉ、感動で胸がいっぱい!」さらに「熱情がよかった〜〜」と前置きしたあと、赤い薔薇一輪、両手で差し出した。
「これが、ワタシの、熱情です!!!」
  
  一輪の 花に託した この想ひ 其方(ソナタ)に捧ぐ わが‘熱情‘なり

 ※「其方」とはそちら側という意味の他、目下の人に使う言葉なんだけど・・・熱情「ソナタ」にかけたかったんで使ってみました。

「しっかりいただいときます〜ハハハハハ」

 10月の東京での「爆発炎上発言」はあっさり聞き流されたけど、今回近藤さんは私のさらなる暑苦しい発言にさらりと答えてくださった。近藤さんも笑ってくれたが、一緒に並んでいた同僚からも笑われた。会社ではいつもクールに決めている(つもり)なのに、これで台無し・・・トホホ。
 この時の笑顔も嬉しかったけれど、やっぱり・・・大舞台で大きな拍手に包まれていた時の近藤さんの表情が、私にとってなによりも、どんなことよりも嬉しく、誇らしかった。

  近藤嘉宏  *** 2003.11.9 やまと郡山城ホール(奈良)

第1部
 シューマン: アラベスク 
 ベートーヴェン: ピアノソナタ第14番「月光」
 ドビュッシー: 月の光 / 亜麻色の髪の乙女
 リスト: 愛の夢 第3番 / ラ・カンパネラ

第2部 
 ショパン: ノクターン第8番 / ノクターン第20番「遺作」 / エチュード第3番「別れの曲」
        エチュード第5番「黒鍵」 / エチュード第11番「木枯らし」 / 幻想即興曲 / 英雄ポロネーズ

アンコール
 ショパン: 子犬のワルツ / ノクターン第2番 
 リスト: ハンガリー狂詩曲 第6番

近藤さんが関西に上陸した。先月の京都に続き、今月は奈良と大阪。来月は西宮。毎月私の心の中は感謝感激の大嵐である。
 11月9日、小雨降る中、電車に揺られて奈良へ。
 でも・・・体調はあまりよくない。今日はコンサート。前日の8日は公開ピアノレッスンやティーパーティなど、盛りだくさんの企画だったにもかかわらず、私は家でぼんやりしていた。なんだか体が疲れてしまって、電車に乗って奈良まで行く力が出なかったのだ。
 どうしちゃったんだろう、私。近藤さんが関西にいらしているというのに。。。
 今日のコンサートはひとり。一緒に行くはずだった伯母は身内の不幸で行けなくなった。チケットが余ってしまった・・・そこでダンナを連行しようと何度も説得を重ねたが、むなしく失敗に終わってしまった。さらにファン友達のさくらさんも体調を崩して欠席・・・。天涯孤独な私は雨の中、JR郡山駅に到着。
 霧のような雨に包まれ、しっとりとした空気の中をたったひとり、ホール目指して歩く。ひとりでコンサートなんていつ以来だろう。6月の3大ピアニスト以来?でもたまにはひとりで近藤さんのピアノの音色に酔いしれるのも悪くないかも。
 ホールはとってもきれいだった。図書館とくっついていて、「ああ、もっと早くに来ればよかった」と後悔。開演前に本を読んで過ごせるなんてすごく贅沢ではないか・・・。今度ここでコンサートがあったらぜひともそうしよう。
 席に着く。前から3列目のほぼ正面。まさにベストポジション。伯母が座る予定だった席に傘とかばんを置き、もの思いにふける。

 ステージに置かれたピアノを眺めつつ、思い出したのは、先月に急逝したいとこのことだった。私のいとこ・・・つまり伯母にとっては娘である。享年38歳。病気でも事故でもなく、突然この世を去ってしまった。いまだに原因がわからない。
 彼女は私のことを実の妹のようにかわいがってくれた。私の子供の頃の写真には彼女の姿が頻繁に登場している。まだ赤ん坊の私に寄り添い、抱きしめ、いつも明るい笑顔を絶やさない人だった。高校を出てから彼女は看護師の資格をとったが、いつも明るく優しく、誰からも愛され、まさに白衣の天使そのものだった。
 いとこはピアノが上手だった。子供の頃、母と伯母と3人でピアノの発表会に行ったっけなあ。母はいとこの弾く「雨だれ」がよかったとのちのちにわたって言っていた。私は演奏のことはほとんど覚えていないけれど、帰り道に「実は3箇所もまちがえたぁ」と照れ笑いしていた彼女の顔は覚えている・・・というか、ステージ上のピアノを見ていたら思い出した。つい最近の出来事のように。
 数年前、彼女は結婚し、姓が「近藤」になった。今日、伯母は来なくてよかったかもしれない。ひとつ空席にしてしまって、近藤さんには申し訳ないけれど・・・。

 「彼は私にとって『お月さま』のようなひと。ちょうど今の季節くらいの、ひんやり澄きとおった高ーい夜空にぽっかり、って感じの。とにかく、すっごくすっごくきれいな音で弾くねん!もぉ、ため息もんやで。今日の2曲目、『月光』はいち押し!!ベートーヴェン特有のあの「影」、近藤さんの表現する「影」の具合が絶妙やねん。断崖絶壁の上で海からの風に髪をなびかせ、微笑を浮かべつつ、水平線の向こうを見つめてるような男の図。ほほえんではいるけど足元は崖っぷちやで、みたいな。すごくきれいですごく孤独な・・・。次の「月の光」もいいで!ほんまに月の光を浴びてるような感じ。それもしずかーな湖のほとりで。近藤さんの弾く音はもうピアノの音を超えてるね!ピアノの音なんやけどもうそれはピアノの音じゃないって感じ。なんて言ったらいいかなあ・・・うまい具合に言われへんわ。ラヴェルとかドビュッシーとか印象派の曲の独特な透明感。印象派の曲を弾かせたら、近藤さんの右に出る人はおらんと思うわ。って言っても私は近藤さんのピアノしかはっきり言って知らんけど・・・でもわかるねん。近藤さんが世界一。そう確信できるわっ!!まぁ、今日ゆっくり聴いてみて」

と、私は隣の空席に思いを馳せて心の中でつぶやいた。実はいとこは非常に「霊感」の強い人で、「あ!今、おばあちゃんがここに来た!」などと、祖母の葬式の時に言っていた。私には残念ながらそういったものは全然わからないけれど、霊感の強かったいとこにこうして話しかけたら、ひょっとして向こうの方でこちらの思いを感じとってくれてここに来てくれるかも・・・なんて思ってしまった。
 「おばちゃんが買った席やからさ、遠慮せんと来たらええよ」と、私は再度呼びかけてみることに。(お近くの席だった人、ゴメンナサイね。気味わるい??許してー。え?いとこの霊よりも、ひとりでこんなことを考えてるオマエの方が気持ちわるいって??すんません・・・)

そうして開演。あれれ?今日はトークなしなのか・・・。昨日レッスンやらパーティやらでしゃべりすぎて疲れたのかなあ?
 1曲目のアラベスク。あぁ、なんかなつかしい。今日のプログラム、正直「ああ、また名曲ベストなのか」なんて思っていたけれど、思い返せば7月以来だから4ヶ月ぶりなんだな。案外新鮮な気持ちになれた。今日は、ややゆっくりめの演奏?いや、いつもこんな感じだったっけ?先月のティアラこうとうでの「オールベートーヴェン」そして先々週の京都でのコンチェルト、刺激的なコンサートが続いたあとの「名曲ベスト」もなかなかよい。なんだか久々に故郷に帰ったような気分。あぁ、アタシの居場所はここ。今日は連れがいないだけにいつも以上にひたる。
 2曲目の「月光」。1楽章は目を閉じて聴くのがよい。だいたいいつもそうしているので今日もそのとおりに。
 ところがいつものようにはいかなかった。知らない間に目に涙がたまっていたらしく、気がついたら頬が濡れてた。あわてて目を開けるも次々に涙がこぼれてくる。これはいったいどうしたことか。
 「別れの曲」で悲しいことを思い出して泣くことは今まで何度かあったけれど、月光で泣いたのは初めてだった。涙だけならいいけど鼻が垂れてくるのは周りの方々に迷惑なので、「あー、思い出しちゃいけない、いけない」と自分に言い聞かせたりするけど、今回はどうしていいかわからなかった。
 いとこが死んだのは悲しかったけれど自分ではもう心の整理はついていたし、最近いやなことがあったわけでもなく、仕事は確かにキツイけれど、そんなことで涙は出たりしない。なぜだ、なぜなんだと戸惑いつつも、涙がこぼれ、乾いて頬がぱりぱりになったところでまたこぼれてくる。どうやっても止められない。かといって演奏に対する「感動」の涙というのともちょっと違うような気がした。
 鼻が出てきて困るのに、もっともっと弾いてほしい、もっともっと聴いていたい、と思った。
 私は涙を拭うのをやめ、ステージ上の近藤さんを見上げた。

 長い指がしなやかに動いて、鍵盤の間からきれいな月の光がきらきらとこぼれていた。


 このひとの奏でる音に、私はいままでどれだけ癒され、そして励まされてきただろう。
 ずっとずっと弾いててほしい、こうやって。これからもずっと客席で耳を傾けていたい。

 すごくうれしかった。私はこれからもずっとこうして癒され、励まされ続ける。このしあわせは近藤さんがピアノを辞めないかぎり、絶対的に保証されるのだ。いつでも、どんな時でも、これから先、ずうっと。
 わかった、涙の理由が。
 近藤さんが私の目の前でピアノを弾いてくれる。そのことが、ただただうれしかった、それだけ。

 近藤さんというピアニストがいてくれて、ほんとに、本当によかった。

 月の光、亜麻色の髪の乙女。ステージからまっすぐに届く音。耳に心に。その音には何も混じっていない。
 煩雑な日常生活の中で、どうしても身につけてしまう濁ったもの・・・怒り、腹立ち、嫉妬、そういったものは全く混じっていない、音。
 この音を聴くとき、あらゆる音が聴こえなくなったかのように身も心もしんと静まり返ったようになるのは全く不思議である。
 近藤さんの創造する「無音」の時間。その中で私は膝を抱えて丸くなる。近藤さんの作ってくれる時間と空間の中で。

 リストの「愛の夢」と「ラ・カンパネラ」。最近の近藤さんはなんだかやけに熱い!あっという間に無音の空間から引っぱり出された。目の眩むような華やかな「艶」の世界へぐいぐい引っぱりこまれる。
 近藤さんの指の下で歌う鍵盤は、きっと手汗でびっしょりに違いない・・・。指がすべらなきゃいいけど・・・ちょっとハラハラ。

 第2部はオールショパン。
 前半の3曲はしっとりと、ちょっと物憂げな曲たちが揃っている。「遺作」が終わったところで近藤さんは袖に下がっていった。次は「別れの曲」。ステージ袖の扉がぱっと開いて、近藤さん、再び登場・・・と思いきや、見ず知らずなおじさまが登場。近藤さんが出てくるものと思っていたのでかなりびっくり。間違って拍手した人もちらほら。
 拍手を受けたそのおじさまは『いえいえ、ちがいますよぉ』てな感じで、顔の前で手を振る。そのかわいらしいしぐさに、観客思わず笑ってしまう。
 彼は、汗に濡れた鍵盤ひとつひとつを丹念に拭き、最後の仕上げ。
 ぽろろろろ〜〜ん♪
 仕上げに鍵盤全体をさっとひと拭きすると、連なった音が出た。彼はその手をおろさず、満足げに一瞬ポーズを決めて。
 その鮮やかな「拭きさばき」に観客から笑い、そして拍手が。

 拍手に包まれ、おじさま退席。そのあと近藤さんが登場。にこやかに「別れの曲」を。そして後半の「熱い」ショパンをたて続けに4曲。
 やっぱりこの中では「木枯らし」が一番好き。最近冷え込むよねーーー。木枯らしの季節・・・。そうか、もう冬か。枯葉がぐるぐると、乾いた空に舞う季節。
 月日の経つのは早いなあ。近藤さんに出会ってからは特にそう感じてしまう。だってもう2年以上の月日が流れたのよ、ファンになってから。それなのにいつでも新鮮で、私をドキドキさせてくれる近藤さん。出会った頃のままだわ。
 いつまでも、出会った頃の君でいて!!

 アンコール!リストの狂詩曲がよかった!!すごい迫力、鍵盤割れるぅぅぅ!!!リストを弾く近藤さんはこうでなくっちゃ!ぐいぐい強引なまでの力強さで観客をリードしつつ近藤ワールドへ・・・。
 いつでも連れていってぇ〜、あなたの世界へ!!


 サイン会は長蛇の列。一応、最後までお見送り・・・のふりをして、実はファンの人を観察。悪趣味??だって面白いんだもん。
 あれだけたくさんの人が並んでいるのに、近藤さんと言葉を交わす人はほとんどいない。私もそうだけど・・・でももったいないよなあ、せっかくCD買って並んでるんだし。
 楽譜を持参している方がいらっしゃって、近藤さんと何かお話されてました。彼女も近藤さんもうれしそう。実は近藤さんは「ファンの人から話しかけてほしい」と思ってるんじゃあ・・・?みなさま、大いにチャレンジしましょうっ、私も・・・。長話はイケマセンケドネ。ほどよくお話できたら・・・あぁ、夢のまた夢かしらん。
 サイン会のあとで写真撮影。私は今回はそういう気分でなく、手ぶらで行ったのですが、ちょっと後悔。やっぱり写真撮らせてもらうんだったなぁぁ。←「一緒に写真撮りたい!」と思うあたり、いつもの私、復活って感じかな。うん、今日の演奏で「まさに復活」!!また元気に頑張るわヨ!!
 撮影会、どの人もこの人もみんなうれしそう。常連さんも初めてのひとも、大人も子供も。
 どの人もみんな楽しそうに笑っているけど、それぞれの心の中に「ドラマ」があるんだろうなぁ。楽しくないときも、笑ってないときもいつも近藤さんのピアノが心に。
 人の数だけドラマがある、たくさんの熱い想いがある・・・。そんなみなさまの、そして私の想いが、近藤さんに届いていますように。


  KOMS2003 おしゃれコンサート *** 2003.10.25 京都コンサートホール
              by 京都フィルハーモニー室内合奏団&近藤嘉宏

プログラム
(第1部)
 * ロッシーニ; オペラ「アルジェのイタリア女」序曲
 * モーツァルト; ピアノ協奏曲第23番 イ短調 K.488 / ピアノ:近藤嘉宏

(第2部)
 * カッチーニ; アベマリア  / ソプラノ:島崎政子
 * マルチェロ; オーボエ協奏曲より第2楽章 / オーボエ:岸さやか
 * グルック; 精霊の踊り〜オペラ「オルフェオとエウリディーチェ」より / フルート:竹林秀憲
 * 中国民謡; 草原情歌 / ヴィオラ: 松田美奈子
 * ドヴォルザーク; 交響曲第8番「イギリス」第3楽章
 * シュトラウス; アンネンポルカ
 * シュトラウス; 美しき青きドナウ
 * ショパン; アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ / ピアノ:近藤嘉宏

(アンコール)
 * ショパン; ノクターン第20番『遺作』 / 京都フィルハーモニー室内合奏団&近藤嘉宏

 今日のコンサートはいつもと違う。主催は京都織物卸商業組合の主催の「おしゃれコンサート」。お金はタダだが、着物かおしゃれな洋装で、という条件つき。私は数日前からたんすをごそごそ。
 せっかくだから着物を着よう!!嫁入りの際に親が揃えてくれた着物。まだ一度も袖を通していない。今、この時がチャンス!
 だけど、着物はむずかしい。訪問着?つけさげ?襦袢?半えり?袋帯?名古屋帯?ううう、何がなんだかさっぱりわからん。
 私は会社の後輩に声をかけた。「着物着ることになったんやけど」。
 彼女は最近着付けを習い始め、中古の着物などを買いまくっているという。
「わー!私が着せてあげる!!」
 彼女はなんと朝もはよからわざわざうちへ来て、着物を着せてくれると言ってくれた。せっかくの休みなのに申し訳ないからと一旦は断ったけれど、こんな機会もないわと思いなおし、彼女に着せてもらうことにした。
「でも実は私、人に着せるのは初めて」だと彼女は言っていた。なんて光栄なんだろう。私が彼女にとって「一番最初のオンナ」なるのだ。
 当日、天気はすこぶるよい。実は天気が一番心配だったのだ。雨の日の着物はつらいから・・・。
 今日は最高のおしゃれ日和!!私は8時半から美容院へ。きれいなおべべを着るのに、私のこの顔。馬子にも衣裳と言うが、私のこのぼろ雑巾のような顔は衣裳だけではとてもカバーしきれない。プロの助けが必要だ。早朝料金を取られるが仕方あるまい。意気揚揚と美容院のドアを開けた。
「今日はお着物着られるんですよねー、髪はアップにしましょうか?」
 私のこの短い髪をアップに??そんなことできるん??驚き&大感激!!さすがプロだ。頼んでよかった。大量のヘアピンを使うことになったけれど。そしてメイクに。
「あぁ、クマができてますねぇ」
 クマ?これがクマか・・・。いつもあるからこれが当たり前だと思っていた。もっと自分の顔に関心を持たねばならんな。これだからいかんのだ。反省。美容院のお姉さんに詳しく「クマの消し方」を教わり、メイク方法も学んだ。今日は朝からいい勉強になった。
 まつげをビューラーで巻く。一瞬で終わった。
 えっ、これだけ?もっとしっかりやってくれないと、と言わんばかりに私は鏡を覗き込んだ。お姉さんはちょっと驚いて、
「あ、これでいいですか?」
「わー、ちゃんと巻いてますねーー。私、いっつも電気カーラーでがしがし何度もやるもんですから・・・」
「先の方を少しだけ巻くんです。あとは根元からマスカラで。根元からビューラーでやると違和感出ちゃいますからね」
 そうだ、そうなのだ、私はいつもコンサートに出かけるとき、目に違和感がしてしょうがないのだ。でも次回からは大丈夫。今日は本当に勉強になった。
 セット&メイクが終わると急いで駅へ。会社の後輩と待ち合わせて家路を急ぐ。あちこち紐で縛られつつ着付け完了。思ったほどの苦しさはない。成人式の振袖は苦痛でしょうがなかったので「着物はつらい」と思いこんできたけれど、背筋がすっと伸びて気持ちがいいし、案外楽だった。
「わー、あっこさん、若妻みたい!」←実際、若妻なんですけど、一応。。。
 と、後輩も着付けの成功に大満足。外に出て写真を撮ってくれた。駅までの道中、彼女はくっついたり離れたり前へ行ったり後ろへ行ったりして私の着物姿を嬉しそうに眺めてくれた。
 改札で後輩に見送られながら私は京都へ向かった。

 開場10分前に到着。すでに長い列ができていた。今日は自由席なので、いい席は早いもの勝ちなのだ。あぁ。。しまったなぁ、こんなに並んでいてはいい席など確保できないだろう、と思ったけれど、前の方は案外すいていた。最前列が空いていたくらいだ。
 今日の舞台はちょっと高め、そして花がずらっと並べられていたので、ちょっと後ろめに3列目をキープした。うん、大満足だ!
 連れのさくらさんは遅れてくることになったので、私が席を取ることになったが、この席ならきっと喜んでもらえるだろう。そして、「ピアノよりもティンパニが見たい」と不思議な発言をしていた4416さんの分も一応キープしておいた。
 開演まで1時間もある。ヒマなのでパンフレットをパラパラ。
 あれ???今日はピアノハートじゃないの?私はパンフレットの表紙をもう一度確かめた。
 『おしゃれコンサート〜ピアノ・ハート for the earth〜』
 確かにそう書いてある。『ピアノ・ハートfor the earth』とは近藤さんが2年ほど前に出したヒーリングミュージックCDのタイトルだ。アンドレギャニオンの「めぐり逢い」を始め、タイタニックや戦場のメリークリスマス、ピアノレッスンや海の上のピアニストなどの映画音楽も満載のCD。私はこのCDを聴いて近藤ワールドに惹きこまれ、現在「追っかけのはしくれ」にまで至っている。だから私にとってかなり思い入れのある一品なのだ。
 クラシック以外の近藤さんの演奏を聴ける機会として、絶対に行きたい!と思った今日のコンサート、なのに・・・。でもパンフレットに『ピアノ・ハートfor the earth』と書いてある以上、何かの折にきっとあのCDの中から一曲弾いてくれるに違いない。
 「ティンパニが・・・」という声が頭上で聞こえたので顔を上げると、4416さんが。名物、彼女のお衣裳は黄色と黒のチェック。ブーツもお揃いの生地で同じ模様。めっちゃかわいい!!彼女は名古屋からの遠征。黄色と黒の組み合わせはやはり阪神タイガース熱で湧く「関西」を意識したものだろうか。きっと道中で注目され続けたに違いない。
 声をかけると「あら、こんなとこにいたの?」と。「一応、席取っておいたけど」と言うも、「こんな前だとティンパニが見えん」と。彼女は打楽器が好きだそうだ。私も吹奏楽出身なのでどちらかというと弦より打楽器や管楽器が好きだけれど、やっぱり近藤さんの魅力にはかなわない・・・。4416さんのような余裕はなく、少しでも前の席を、と血眼になってしまうのだった。
 そしてさくらさん登場。近藤さんも痩せたが、彼女も痩せた。仕事はほどほどに・・・と言いたいところだけれど、そうはいかないのが仕事なのですな。悲しい・・・。
 さくらさんも「ピアノハート」の曲がないことに疑問を。きっとアンコールで弾いてくれるね!と気を取り直し、ホワイエでランチ。朝から飲まず食わずで来たので腹ごしらえ。
 4416さん、さくらさんとしばし談笑。すると久々の再会、めぐみさんが彼と仲良く登場。めぐみさん、ケガをしたって聞いていたので心配してたけど、元気そうでよかった・・・。彼とめぐみさんは今日は二階席でということになった。血眼はどうやら私だけのようだ。なんかちょっとはずかしい・・・。

 長い前置きはこのへんにして、コンサートについて。

 京都フィルハーモニー室内合奏団。大オーケストラとは違い、人数は少なめでこぢんまりした感じだけど、なかなか迫力ある音色を聴かせてくれる。ステージ前方にはずらりと一列に花が飾られている。後ろにはパイプオルガン。全体的にナチュラルな木造りのホールで、明るく開放感があった。
 そして観客席には色とりどりの着物姿。ホールを満たす弦楽器の優雅な音色。一足先にお正月が来たかのような雰囲気だ。
 近藤さんは2曲目に登場。モーツアルトのピアノ協奏曲。この曲は去年近藤さんがブカレストフィルと共演されたときに演奏したのと同じ曲。適当な表現が見つからないけれど、「かわいらしい」感じの曲。耳を傾けているとなぜだか子供の頃を思い出す。
 夕暮れ時、あちこちの家から夕餉の香りが。それに混ざって聞こえるピアノの音。隣に住んでいたお姉さんが一生懸命練習していた練習曲・・・。あのなつかしい響き。
 遠い思い出に浸っていると・・・なんだか眠くなってきた。どうしてだろう、近藤さんが目の前で弾いているというのに。こんなことは初めてだ。目の下にクマができるほど疲れているのだから許してもらおう。
 第1部はこれで終わり。休憩をはさんで第2部。
 ステージに振袖姿の女性が登場。彼女はソプラノの島崎さん。会場からどよめきとため息が。振袖で歌うのか?これは面白い。彼女の美しい振袖姿に見とれ、歌はあまり聴いてなかった・・・。ごめんなさい。クラシック音楽はだいぶ身近なものになってきたけれど、私にとって「歌」はやっぱりまだまだ敷居の高い世界。聴きたいとは思うけれど・・・チケットが高い。オペラなどは特に・・・定年退職後の楽しみにとっておこう、ってな感じです。なので今日は随分得をした気分。
 歌に続いて、オーボエ・フルート・ヴィオラ。合奏団の演奏をバックに、それぞれの楽器のソリストたちが前に出て演奏する。いろんな楽器の魅力を満喫できた。今日はほんとに贅沢なプログラムだ。
 ヴィオラでは中国民謡の「草原情歌」を演奏されたが、ヴィオラのような西洋の楽器であの独特な「チャイニーズテイスト」を聴くのはとても新鮮だった。いろんなことができるのね、楽器って。
 次は普通のオケの演奏に戻り、ドヴォルザークの「イギリス」、シュトラウスの「アンネンポルカ」「美しき青きドナウ」。
 シュトラウスを聴くとやはり「正月」を連想してしまう。元旦の夜8時はケーキを食べながら、ひとりでウイーンフィルを見る。これが何よりも楽しみだ。そして今年も無事に迎えられた、と喜び、新年にあたってお決まりの目標を立てる。「ダイエットと英語の勉強」。毎年こりずに目標だけは立てるが・・・。
 あぁ、今年ももうすぐ終わりだなあとしみじみしていると、近藤さんが再び登場。ショパンの「アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ」。
 近藤さんはいつにもまして生き生きしているような。今日は調子がいいらしい。近藤さんは「本番で100%満足のいく演奏は今までしたことがない」とよくおっしゃっているけれど、今日はご自分でもかなりの高得点をあげられたのでは???と考えてしまうほどの演奏ぶり。ピアノから手を離して待っているときも体を揺らしてにこにこしてるし、とても楽しそう。合奏団との息もぴたりと合って、「入るべきところにきっちりと音が収まっている!」という感じだった。
 観客の拍手はなかなか鳴り止まない。アンコール。きっと「ピアノ・ハート」からポップス曲をアレンジして弾いてくれるに違いない。私もさくらさんもそれを願いつつ拍手を送る。
 が、ショパンの「遺作」が流れてきた。でもこれもなかなか貴重な演奏。ピアノソロではなくコンチェルトでの「遺作」。悲しげなピアノのメロディーに弦楽器たちがさらに拍車をかけ、果てのない奥行きを与えていた。途方もなく美しく、途方もなく悲しい。弦楽器の重厚な流れ、そこからキラキラ零れ落ちるピアノの音・・・まるで人魚の涙のように。
 ああ、近藤さん・・・・・・。
 いつものことだが、私はひととき人の妻であることを忘れ、息苦しいまでのせつなさを胸にいだくのであった・・・。
 そして今日のコンサートは幕を閉じ・・・結局「ピアノ・ハート」の曲は演奏されず。
 ポップス曲は著作権とか使用料とかめんどくさい問題がからんでくるので、きっとやむを得ない理由でとりやめになったのだろう。それなら仕方ない。。。無料のコンサートでそこまで希望する方が甘いのだ、と自分に言い聞かせた。
 それなのに、近藤さんは・・・

「最初からそんな計画はなかったんですね〜」

と、サイン会の時に実にさらりと言っていた。あのいつもの軽やかな口調で。
 最初から演奏する予定はなかったらしい。なのにどうしてコンサートのタイトルに「ピアノ・ハート」なんてつけるのだろう・・・そ、そ、それって、ある意味、一種の詐欺なんじゃあ・・・。まあ、無料のコンサートだからあまり贅沢は言わないでおこう。

 しかし今日は無料と言えども充実したコンサートだった。ほんとに無料でいいのだろうか、というくらい充実していた。会場でさくらさん、4416さん、めぐみさん、彼、とも写真を撮った。ファン友達だけで写真を撮ったのは初めてかも。そういう意味でもいつもと違うコンサートで、とっても楽しかったです。

  ピアニスターHIROSHI *** 2003.10.13 サンケイホール(大阪)

 朝、雷が鳴っていた。なんとも刺激的な一日の始まりだった・・・今回はその「刺激的な一日」について語ろう。

 ピアニスターHIROSHI。「ピアニスター」という言葉は(ピアニスト)と(スター)をミックスさせたpiani-starとも捉えられるし、(ピアニスト)とは恐れ多くて言えない、ピアニストもどき、という意味でのpianist-erとも捉えられる。ご本人はどちらの意味あいとしてのピアニスターを演じてらっしゃるのか・・・・一観客としてはっきり言えることは彼は決して「ピアニストもどき」ではないということ。
 確かにクラシックとポップスを融合させたり、左手でクラシック、右手で演歌を弾きこなす彼の姿はかなり特異に映るけれど。
 HIROSHIさんはステージ上で「私は数々のヘンキョクをこなしてきました。ただし私のヘンキョクは世間一般でいう(曲を編む)という意味での「編曲」ではなく、(曲を変に曲げる)という意味での「変曲」です」と言っていた。
 変に曲げているといえばそうかもしれないけれど・・・でもそれはあくまで行為の初期段階でのことであって、彼の変曲の行き着いた果てはクラシックもポップスも演歌も融合したがゆえに独立した「ひとつの芸術」である、と私は思った。

 今日のプログラム。
「シネマコンチェルト」(HIROSHIオリジナル)
 彼は編曲だけでなくオリジナル曲も弾くし、クラシックの原曲も弾く。今回は豪華にそれを全部楽しめた。
「いつものコンサートはプレタポルテ、今日はベートーヴェンやショパンも入れたオートクチュールです」
 一曲目を弾き終えた彼はステージの上で衣裳の裾をひるがえしながら言った。今日の衣裳はアジアンテイスト。和服を素材にしたチャイナ服風。全身真っ黒だけど赤い縁取りが施されていて、なかなかシブイ。
「これ、いいでしょう?このままお祝いにもお焼香にも行けるわ」
 と、客の笑いを取りつつピアノへ戻る。

 HIROSHI特選パロディー集3曲(ショパン編)
(1)昨日ポロネーズ(レノン=マッカートニー「yesterday」&ショパン「軍隊ポロネーズ」)
(2)見上げてショパン夜の星を
(3)都はるみの主題によるショパン、ん?

  ショパンを聴くといったらショパンを聴く体勢に入る、次の曲がベートーヴェンならばベートーヴェンを聴く心構えをして肩の力を抜く。私の行くコンサートといったらオールクラシックばかりなので、そういうクセがついてしまっている。しかしHIROSHIさんは私にそういう油断を許してくれないのだ。ぼんやりしているヒマがない・・・。
 「あーショパンだ・・・」などとぼけっとしていると突如ビートルズになっている。あれれ?と思っている間にショパンに戻り、また一息ついているといつのまにかイエスタデイに耳を傾けている自分に気づいて我に返る。
 「数々のクラシック曲も初めは「新曲」だったんですよね。それが何百年も世界中で愛され、残っているという事実・・・」
 HIROSHIさんに対しては「クラシックへの冒涜」だと言う評論家がいるらしい。けれど、不滅のクラシック曲に対して深い理解と愛情を持っているからこそ、そして不滅のものに対する強い信念があるからこそ、数々の批判にもめげずに独自の演奏を続けてらっしゃるのだろう。それにとどまらず彼は「クラシック以外の音楽は低レベル」と考えがちな一部のクラシックファンにも一石を投じていると思う。
 個人的にはこのクラシックとビートルズの融合が気に入った!!最近はHIROSHIさんの出しているCD「展覧会のエッ!?」を聴きつつ、彼の独自の世界観に浸っている私。「軍隊ビートずるっ?」(シューベルトの軍隊行進曲&レットイットビー、ヘイ・ジュ−ド、イエローサブマリン、シー・ラブズ・ユー)月光ミッシェル(ベートーヴェンの「月光ソナタ」&ミッシェル)などは傑作中の傑作だと思う!!そして「ゲゲゲのカンパネラ」(リストのラ・カンパネラ&ゲゲゲの鬼太郎)には心底驚いた。真夏の太陽のごとくガンガン響き渡るカンパネラの曲想とゲゲゲのあの薄暗い墓場のイメージが見事にマッチしている。この曲、主旋律は『ゲゲゲ』なのだが全体の曲想は『頑固なまでに終始一貫してラ・カンパネラ』なのである。想像もつかないだろうし、私も言葉では上手く伝えられない。とにかく一度聴いてみるべし。

 演歌シリーズも面白い。都はるみの主題によるショパン、ん?は爆笑。隣に座っていた連れは「なんでやねん!」と何度もつっこみを入れながらステージ上のHIROSHIさんを見上げていた。ショパンの「革命」で重々しく始まった曲が都はるみに変貌。実に鮮やかで全く違和感なく、且つちっとも嫌味ではない。HIROSHIさんも弾きながら、こぶしをまわして歌うはるみのモノマネをしたり(彼は弾きながら踊るピアニスターなのです)、これには後ろの席の子供たちも大喜び。
 3曲弾き終わったHIROSHIさんは「この曲、ウケるんですよねー。やっぱりウケましたねぇ」と他人事のように言っていたけれど、それがまた客の笑いを誘っていた。

 そして次は純クラシック系。
 即興曲第13番イ短調(プーランク)
 西風の見たもの〜「前奏曲集第1巻」より(ドビュッシー)
 コンソレーション第3番(リスト)

 突然舞台袖からお兄ちゃんが出てきた。白い着物を手にしながら。
「ハンサムでしょ?この人。マサルって言うんですけど、彼の職業はモデルや俳優じゃないんです。「ブタカン」なんです。え?ブタカンって何?「舞台監督」です」
 そう言いながらHIROSHIさんは衣裳を脱ぎ始めた。こんなところで着替えるのだから下にはきっとド派手なシャツなどを着ているに違いない、と思ったけれど・・・黒無地の普通のTシャツだった・・・。まさに「フツーの」着替え。大阪人たちの期待を一点に集中させておきながらあっさりとかわしてしまうHIROSHIさん。結構、天邪鬼的な一面もあるのだった。
 今回はオートクチュールなコンサート。ということでクラシックを普通に弾くというプログラムもされているけれど、先ほどのパロディにハマってしまった私は今度はすっかりパロディを聴く体勢に入ってしまい。。。今はあんなマジメな顔をして弾いているけれど、そのうち・・・などと期待しまくり。
 着替えた衣裳は今度は真っ白。同じく和服素材。白無垢を想像させるとっても素敵な衣裳。
 この三曲は私ははじめて聴く曲ばかり。さきほどのパロディでショックを受けた私の耳はこの三曲を聴くときもパロディ&ポップス路線から抜け切れなかった。
 考えてみれば音楽を「クラシック」や「ポップス」などと区別をすること自体がナンセンスなのかも。そんなことを考えさせられた三曲だった。

「ごめんね」(HIROSHIオリジナル)
 どうして「ごめんね」なのか、何に対して「ごめんね」なのか?その答えらしきものが買ったCDの中にあった。偉大な作曲家の先生たちに対して「ごめんね」ということらしい。
 そこまで謙虚にならんでも・・・って思ってしまうけれど・・・。
 何に対してごめんね、なのか。本当に悪いことをしていると思っているなら、彼ほどの腕を持った人なら普通のピアニストになっていただろう。周りの風がきつくともいくら批判されようともめげずにこの活動を続けているのは・・・??
 「愛」かな。音楽に対する「愛」。彼はこの「愛」を伝えたい一心でピアノを弾いているように思う。そして大人にも子供にも、クラシック好きにもロック好きにも、わけへだてのない、広くて優しくて温かい愛情を注いでくれている。
 「ごめんね」なんて言うことないよーーー、HIROSHIさん!!
 この曲のメロディーもほんとに優しい。この人はきっと間違いなく、「いいひと」だ。表も裏もなく、仕事と私生活で顔を使い分けているということは絶対ないと確信できる。そんなことを思わせる曲だった。

 ピアノソナタ第23番ヘ短調op.57『熱情』(ベートーヴェン)
 これよ、これ!私の今年の秋のテーマは『熱情』なんだから!9月の末には青柳さんの演奏で聴き、そして10月のあたまには近藤さんの演奏で(近藤さんに私の『熱情』を示すことも私のこの秋の課題・・・この間は失敗に終わったケドね)、そして今回はラスト、HIROSHIさんだ。
 この曲には特に思い入れがあるので、評価は厳しくならざるを得ません。
 私の勤めている会社に、以前にプロとしてバンド活動をしていたという人がいて、その人が言うには「クラシック」と「ポップス」では演奏技法が全く違うので技術面でも精神面でも切り替えが難しく、だいたいのピアニストは両者を平行して弾くことは嫌がる、ということだった。切り替えが難しい?私はピアノを弾かないのでよくわからないけれど、HIROSHIさんの『熱情』を聴いて「そうかもしれない・・・」と思ってしまった。
 そして何よりも・・・近藤さんの直後に弾いたあなたの運も悪かった・・・・
 素人のくせに生意気言ってしまって、HIROSHIさん、「ごめんね」。

 第一幕が終了、第二幕へ。

「50年目のラブレター」(HIROSHIオリジナル)
 この曲は、ある80歳の女性が戦死したダンナさんに宛てて書いたものだそう。HIROSHIさんはこれに感銘を受け、この曲を書いたのだそう。
 優しくて少し哀しげな・・・シンプルな高音の響きが印象的。音楽以外のことにも目を向けて、心を動かされるHIROSHIさんのお人柄がよくわかる一品だ。短い文章の中に込められた、万感の思いに心を馳せ、いろんなことを考えて、それを大切に大切に作曲されたんだろうなというのがよくわかる、そんな曲。静かに耳を傾けているだけで心が透き通って、まるで自分まで「いいひと」になったような気がしたのは気のせいかしら。

 演奏会用ディズニー組曲〜超絶技巧編
 ディズニーの名曲をメドレーに。曲名は思い出せないけれど、おなじみの曲が次々に。
 思えば今日いったい何曲聴いただろう・・・。しかし驚くのはまだ早い。。。

 客席からのリクエストによる即興尻取りメドレー
 なんと客席からのリクエストに即興で答えてくださるという。そんなこと本当にできるのか??私にHIROSHIワールドを紹介してくださったSTARDUSTさんは「本当だよ。すごいんだから!」とおっしゃってたけれど、私は正直、半信半疑だった。きっとたくさんリクエストを聞いておいて、その中から自分の知ってる曲をセレクトして弾くんではなかろうか。。。などと大変失礼なことを考えたりもしていた。
 本当に失礼でした!!12曲、ひとつ残らず弾いてくださった!HIROSHIさんがステージから下り、客席を回ってリクエストを募集。次々に手が挙がり、あっというまに12曲決まってしまった。再びステージに上がったHIROSHIさんに客席から思わず声が。
「すいませーん!あの・・・今の12曲、題名全部覚えてるんですか?」
 よくぞ聞いてくださった。私も同じことを思っていたのだ。曲を知っているかどうかのその前に、リクエストの曲名と曲順を覚えられたのか?
「大きな古時計、インディージョーンズ、ズンドコ節、シクラメンの香り、リンゴ追分、ゲゲゲの鬼太郎、ウイリアム・テル、ルビーの指輪、別れの曲、くるみ割り人形、上を向いて歩こう、海の見える街、ですね?」・・・す、すげえ!
 HIROSHIさんは一瞬でこの曲順を覚え、流れるように弾いてくれた。観客大興奮!!
 「いやぁ、毎日猛練習を重ねた熱情ソナタよりもこちらの方が喜んでいただけるとはねぇ」
 観客爆笑!!

 HIROSHI特選パロディー集第2弾
(1)アイネ・クライネ・スーダラ・ムジーク
(2)水戸黄門の主題によるさまざまな変奏

「モーツァルトの名曲に、植木等先生の・・・」と前振りがあったけれど、あえて説明はいらんだろう。老いも若きも男も女も、同じ空間で、同じ時間を共有し、ともに笑い転げる。HIROSHIさんもノリノリ。立ったり座ったり、足踏みしたり(もちろん弾きながらよ)。

 ア・ソング・フォー・ユー(レオン・ラッセル)
 天国への階段(レッド・ツェッペリン)
 バラード第1番ト短調op.23(ショパン)

 レオンラッセルって誰?レッドツェッペリンって誰?知らないけれど、最後のショパンのバラードときれいにつながって、まるで3楽章構成のソナタかなんかを聴いてるような感じがしました。もうパロディだろうがクラシックだろうがそんなこと、どーでもいいわ。
 しかし、聴いてる方もかなり音楽知ってないとついていけない。とにかく内容の濃いコンサートで、音楽の幅がぐんと広がったような気がしています。

 終演後、サイン会が。
 近藤さん以外のひとのコンサートに行ったとき、私にとってかなり気になるのがコレなのだ。
 その人がどんなファンに囲まれているのか。私は列のかなり後ろに並び、ファンとHIROSHIさんのやり取りをチェック。感想は・・・
 すごおく温かい。HIROSHIさんはひとりひとりに自然な感じで手を差し出してくださり、ファンも思わず笑顔で手を握り返す。「あのぉ・・・握手させていただいてよろしいですか?」などと言わなくてもいいなんて・・・。ピアニストの手を握るということは聴き手にとってはものすごく勇気のいること。握手をお願いすることはまさに「一大決心」。
 おばあさんが「たのしかったわぁ、また来てね、ほんまにまた来てよぉ」とHIROSHIさんに話しかけていたし、子供たちにサインをしている時、HIROSHIさんは柱の影にその子達のお母さんを見つけ、あらあら、そんなとこにいないで、といった感じで立ち上がってお母さんと握手。
 ちなみにこのおばあさんとお母さんはふたりとも足をケガしてて。足が不自由でも行きたいコンサートって感じなんですね。
 音楽を、そしてファンを大切にされていることがひしひしと伝わってきました。
 なんともいえないほんわかした気持ちになりつつ、会場をあとにしました。

 HIROSHIさん、また大阪にいらしてね!
 そしてSTARDUSTさん、素敵な「HIROSHIワールド」を紹介してくださってありがとう!!



 近藤嘉宏 *** オールベートーヴェンプログラム 
                       2003.10.4 ティアラこうとう(東京)

              
 「秋の近藤賞」開幕。秋のコンサートシーズンに向け、私は夏の間にたっぷりと力を蓄えた。
 いま、出走のとき!いざ、東京へ!!

 羽田に到着したのは昼の12時を少しまわったところ。さっそく埼玉のSTARDUSTさんにメール。めぐみさんのファンサイトで知り合った彼女とは今日が初対面。そして次に同じ関西人であり、遠征の友であるさくらさんにメール。が・・・彼女は体調を崩してしまった、との返事が。残念、あんなに楽しみにしてたのに。私が彼女の分まで頑張らなければ。「レポート書くからね!」と返事を送り、ぼちぼちと歩き始める。
 いくさの前にはハラが減る・・・のか、朝食を食べてきたにもかかわらず、お腹がぐうぐう鳴る。今日は終演後にワインパーティがあるらしい。すきっぱらにワインなど飲み、意識もうろうとなってしまってはしゃれにならない。せっかく東京に来たのだから何かおいしいものでも食べよう、ということでとりあえずは東京駅に出ることにした。
 やっぱり東京の地理はむずかしい。なんとかたどり着けたが、これがベストな方法だとはどうしても思えない。もっと早く行けたはず、もっと安く行けたはず。路線図を見ながらしばらく考えてみたがどうしてもわからないのであきらめた。
 東京駅から地下鉄に乗り換え、なんとなく途中下車して食堂に入り、うな丼を注文。東京のうなぎはいかに。この時、開演1時間前。食堂の人に聞くと、会場のある住吉駅にはここから8分で行けるという。
 食べ終わったのが開演30分前。余裕だ、と思っていたのに・・・駅の改札がやたら遠い。走っても走っても見えない。東京の駅は大きく、乗り換えが大変だと気づいた時にはすでに遅し。住吉駅に到着したのは開演5分前。道に迷わないことを願いつつ駅の階段を全速力で駆け上がる。
 「秋の近藤賞に備え、鼻息荒い競走馬のような心境です」などとファンサイトの掲示板に書き込んでいた私、いままさに名実ともに競走馬。のんきにうな丼を食べていたおかげで1曲聞き逃したなどとは笑い話もいいところである。しかし駅から会場までは徒歩4分のはずだ。よし、私は2分で行こう!駅の階段を登りつめると一目散に会場へ。
 受付で預かってもらっていたチケットを受け取る。息が切れて自分の名前もはっきり言えないほどだったが、会場の方は「お待ちしてました」と席の位置を教えてくださった。
 鼻息荒く、馬はなんとかゴールできたがすでに演奏前のトークが始まっていた。すごく小さなホールで驚き。席数140頭・・・おっと失礼!140人。じっくりと演奏を楽しむにはちょうどいい感じ。
 そして・・・近藤さんを見て驚き。また痩せたな!!!いくらなんでも痩せすぎだ・・・ああ、アタシのお月様は・・・思い切り目をこらさないと見えないくらいの細い細い月になってしまった。号泣。

 今回のプログラムはベートーヴェンの3大ピアノソナタ・・・・・・
 「悲愴」「月光」「熱情」
 今回はこんなに「重い」プログラムを聴いていただきまして、と近藤さんは終演後におっしゃってたけど、その「重さ」がベートーヴェンの魅力だと思う。どうして「重く」感じるのか、でもそんな「重さ」に心惹かれるのはどうしてだろう、と私はずっと思っていた。そんな時めぐりあったのがフランスの文豪ロマン・ロランの『ベートーヴェンへの感謝』という文章。ロマン・ロランはベートーヴェンの熱心な崇拝者で、彼もベートーヴェンの音楽に救われたひとりである。
『ベートーヴェンへの感謝』とは1927年2月28日、ウイーンで開かれた『ベートーヴェン百年祭』で彼が朗読したという文章。これがとにかく的確で簡潔。
 ベートーヴェンの音楽の重み。近藤さんの演奏を聴きつつ感じていた漠然とした感情が、これを読んで感覚ではなく頭で理解できたような気がして、私は万歳したいような気持ちになった。
 なので、今回は彼の文章を引用させてもらいつつレポ。

 われわれの幼い時からこの方、彼がいかにわれわれのために友であり、助言者であり、慰め手であってくれたかは、私はそれを間に合わせの貧弱な言葉ではとうてい言いあらわすことができない。けれどもあなた方---みずからそれを経験されたあなた方は、私同様にそのことを知っていられる。多くの方々は、試練の時に当ってベートーヴェンに助けを求め、力強い魂の中で、苦悩の和らぎと生きる勇気とを汲み採られて来たのであった。ここで私が言いたいと思うことは、われわれ、あらゆる国のわれわれを、この世で生涯の後につづく世紀に生きたわれわれを、彼がいかに征服したかというそのことである。

 近藤さんは今年このティアラこうとうで3回のコンサートをされるが、今回のベートーヴェンプログラムはあっという間に完売した。ベートーヴェンの音楽が後の世紀に生きる私たちにいかに多大な影響を与え、「征服」したか、十分に証明されている。

 1曲目はピアノソナタ第8番「悲愴」
 1798年、ベートーヴェンが28歳の時に作曲したもの。
 この曲は意外と明るい感じの曲。若い頃の作曲だから?どうして「悲愴」という題名がついているのか私にはよくわからない。
 近藤さんはきらきらと軽快に鍵盤を叩く。小さいホールなので音が骨にまでしみわたるように感じる。そして誰も身動きもせず、咳をする人もいない。こんな時に限って咳をしたくなったのは私。走ってきたのがいけなかったのか。1楽章の間じゅう、咳をこらえるのに必死。そして滝のように流れる汗・・・湯気が出てるんじゃないだろうか。お隣の席の人、さぞ不愉快だろうな、などと考えてばかりで曲に集中できず。演奏会には余裕を持ってくるべし。今回は身にしみて感じた。
 2楽章。最近テレビのCMでいくつかこの2楽章を流しているのを聞いた。しっとりとしたやさしい曲想で、秋の夜長にひとり静かに物思いにふけりつつ聴きたい曲だ。
 そして第3楽章。再びアップテンポ。ベートーヴェンの曲はちっとも古さを感じない。この3楽章も立派なコンサートホールで聴くのはもちろん、暗い地下のライブハウスで聴いてもちっとも違和感がないのではないかと思うほど。

 思うにあらゆる征服の中で精神による征服ほど貴いものはない。そうして精神の領域の中で、音楽による征服ほど深く且つ遠く及ぶものはない

 ベートーヴェンによる征服、そして・・・近藤嘉宏による征服。この『幸福な精神的征服』に酔いしれる時間。その幸福さかげんは間に合わせの貧弱な言葉ではとうてい言いあらわすことができない。

 二曲目はピアノソナタ第14番「月光」
 1801年、ベートーヴェンが31歳の時に作曲したもの。歳がいもなく若い娘に惚れ、彼女に捧げるべく書いた曲らしい。この曲を捧げられた彼女は、親にベートーヴェンとの結婚を反対されるとあっさりと別の男に乗り換えてしまい、でもその頃にはベートーヴェンの方でも醒めた心境になっていた、らしい。そんな興ざめな事実は知っていてもあまり有益ではないので忘れてしまおう。
 とにかくこの曲を近藤さんが弾いてくれる時、私は無上の幸福を感じる。

 あの時、あれを聴きながら、私はどこにいたのか?意志も持てず、息もつけず、あの幻想の神聖な旋風に運び去られていたのか?  

 まさに忘我の状態にさせてくれる一曲がこの「月光」だ。この曲を弾く近藤さんは私にとって夜空に輝くお月様そのもの。
 しかし今回は・・・・全身真っ黒の衣裳(とても素敵な衣装だったけど)を身にまとい、演奏する近藤さんの姿を見ていても少し悲しかった。
 ズボンの膝がとがってる・・・あんまり痩せすぎて。その姿はまるで『骨の折れたこうもり傘』のようだった。舞台映えするためにはもう少し太った方がいいのでは・・・なんて思っているのは私だけではないのであえて心を鬼にしてここに書こう。それに、、、近藤さんは夏の大阪でのパーティの時に言ってたよねっ?「ピアノは演奏者の体に反響してから客席に届く。だから演奏者は骨格や肉付きがしっかりしていた方がいい」って・・・。
 でも何よりも「心配」なのよぉ、その痩せ具合が。あんまりファンを心配させないでーー!

 話を元に戻そう。

 自己をゆだねる素朴な、真実な、精神及び感覚に対しては、催眠的な効果で、西洋的なヨーガを引き起こすのである。インドのヨーガと同じに、一度それに触れたものは歩くにも話すにも働くにも、日常生活のあらゆる動きの中に、それを自分の身につけることになる。それは地下層の中に生きる。皮下に注射された香油のようなものである。われわれの思想の血液はベートーヴェン的血球を流す河である。

 もう逃げられない、どうすることもできない。近藤さんの演奏する月光は私の皮下に注射された香油のようなもので、いつなんどきでも私の心には近藤さんの月光が光り輝いている・・・

 10分の休憩をはさんで、3曲目。ピアノソナタ第23番「熱情」
 1805年、ベートーヴェンが35歳の時に作曲したもの。
 歳を重ねるにつれてさらに重々しくのしかかる曲想。この曲には「熱情」というタイトルの他には何も思いつかないだろうと思う。まさに熱情!!!もしも神様がいて一日だけ魔法をかけてくれると言うのなら、私はぜひともこの曲を弾いてみたいと思う。そして体力も精神力も使い果たしてぼろぼろになってみたい。

 身をもがく誇り。克己的な忍受。そして精神の勝利。われわれは彼の音楽の中でいかに度々この三つの叫びを聴くことだろう!・・・・・・そしてあたかも、一本の樹に打ち込む樵夫の斧の響きが森全体に反響するように、ベートーヴェンのこの偉大な叫びは、全人類の心の中に反響する。
 思うに、彼の戦っているこの戦いは、またわれわれすべての者がやっている戦いなのである。それはあらゆる時代、あらゆる国のものである。人間の精神、その願望の勇躍、その希望の飛翔、愛へ、可能へ、そうして認識への強烈なその羽ばたき。これらのものがいたるところで鉄の手につき当る。すなわち、人生の短さやその脆さや、制限された諸力や、冷淡な自然や、病気や失意や、当外れに。---われわれはベートーヴェンにおいてわれわれの敗北と苦悩とに再会する。けれどもそれらは、彼によって高貴なものとなされ、雄大なものとなされ、浄化されているのである。これが第一のたまものである。
 そうして第二の、最大のそれは、悩めるこの人がわれわれに勇敢な諦念を、苦しみの中の平和を与えてくれるそのことである。人生を在るがままに見ることの、そして在るがままの人生を愛することの、この諦念的調和を彼は自らのために実現し、またわれわれのために実現した。


 
近藤さんの演奏も曲が進むにつれて熱を帯びてきているようだった。前回この曲を聴いたのは一年ほど前。しかも最前列のやや右寄りだったので顔がとてもよく見え、近藤さんの目の動きまではっきり見えた。しかし今回は3列目だったので目の動きまでは見えなかった。だからというわけではないけれど、今回の熱情は「見た目冷静な熱情」。心の中にためこみつつ、ふつふつと音を立てている熱情って言う感じ。
 3楽章のかっこいいこと!去年のように最前列で見たら近藤さんの目の動きまで見えるんだろうか・・・。あぁ、見たかったなあ。すごいかっこいいんだから!「きれ−な顔!」ってぼうっと見とれてましたもん。目鼻立ちが整ってハンサムだっていう「きれい」ではなく、ひとつのことに人生を賭けている人間の美しさを意味して言う「きれい」です。
 私はこの人みたいに自分に正直に生きているだろうか、この人みたいに美しく笑えているだろうか。近藤さんと話すとき、あんなに恥ずかしいのはきっとこの思いに由来しているのだと自分では思っている。。。近藤さんの、あのきらきらした目を見ると、なんだか日頃の自分のテキトーな生活ぶり&俗世に汚れた自分が恥ずかしくてたまらなくなってしまうのだ・・・。

 ベートーヴェンの言葉だとされている次の言葉とそれに関するロマン・ロランの解説。

 「私の芸術の中では、神は他の何者よりも私に近くいる。・・・・・・音楽は一切の哲学よりも更に高い啓示である。一度私の音楽を理解した者は、他の人々が曳きずっている不幸から脱却するに違いない・・・・・・」
 それゆえ人々の好みに合うところまで譲歩するというようなことはまったく問題にならない。生ける神について、芸術について譲歩するということは、できることではない!芸術を人々のところへ持って行って、人々の背丈に合うように低くするというわけには行かない。ただ彼らの方でそこまで高まるためにのみ芸術は人々に与えられるべきである


 凛としてピアノを弾く近藤さんの姿から上記のような無言のメッセージがたびたび届く。私はピアノを弾けないし、厳しい音楽の世界に身をおいたこともおこうと思ったこともなく、私にとって音楽は娯楽の一種。「音楽は娯楽です」って言ったとしても近藤さんは「そうなんですよ」と笑って言ってくれるだろうけど、その笑顔を形成しているもの、膨大な知識と豊かな感性と、技術の維持のための努力を想像すると、、、やっぱりまともに顔向けできない心境になってしまう。
 あぁ、恥ずかしい。ぼうっとテキトーに日々を過ごしている場合ではない。

 今回も同じく、その演奏ぶり。圧倒的な存在感を示しつつ、私の心の中に君臨し続ける近藤さんなのでした。

****引用の著書について〈青太字の箇所)****
 「図説:ベートーヴェン(愛と創造の生涯)」青木やよひ編
 河出書房新社・¥1533
 この本の巻頭の「ベートーヴェンへの感謝」 by ロマン・ロラン(片山敏彦訳)から引用。
  ちょっとお値段高めですが、写真や絵もたくさんあり、なかなか充実した内容です。ロマン・ロランの文章は全文載せたいと思うくらい、説得力のある素晴らしい文章です。おすすめ。


 (wine party)
 さて、お楽しみのワインパーティ。まずは座席の確保。壁に沿ってずらりと並べられてた椅子を4つ確保する。
 STARDUSTさん、夢見る夢子ちゃん(←本人承諾済のネーム)、そして師匠(4416さま)。めぐみさんの運営されているファンサイトの掲示板で知り合えた私たちは実は今日が初対面&住んでる地域も埼玉、名古屋、大阪とバラバラだがすっかり意気投合。趣味が同じというのは強い。そしてネットの力もすごい。めぐみさんに感謝。
 4人でワインを飲みつつ語り合うことしばし。今回のパーティはファンが近藤さんの前に押しかけるのではなく、近藤さんの方からひとりひとりの所に周ってきてくださる、とのこと。わかりやすく言えば皇居の園遊会。あんな感じ。
 私はパーティ2回目。レポを見ると前々からの熱狂的なファンだと思われるかもしれないけど、実はパーティに出るのは2回目なのだよん。
 師匠の4416さん。4人の中では彼女は唯一の独身、一番の若手。しかしそのお力は・・・私が師匠と仰ぐ所以。これから随時報告させていただこう。
 ベートーヴェンを弾いたばかりの近藤さんが目の前にやってくる、という日常では考えられないほどの刺激的な出来事に、私はすでに胸がいっぱい。真ん中のテーブルに並べられているクラッカーもチーズも食べる気になれない。しかし師匠はぼりぼりと。
「これ、夏のパーティの時に写した写真。さくらさんと二人で近藤さんと腕組んだのー♪」と見せびらかすも、
「なんだ、手ぇ添えてるだけじゃん!もっとしっかり腕入れてがっちり組まないと!」と言われてしまった。さすが師匠。今回さくらさんは体調不良で来られなかったので、次回頑張るわ。
 そして埼玉の夢子ちゃん、彼女とは全くの初対面だったけれど、テンションの高さが気に入った!まさにアタシと同類、毎日が近藤色に染まってる感じだ。
「アタシも腕組んでみたあい♪」と彼女が叫ぶ。そしてさらにエキサイト、肩をだいてー!しまいには、抱きつきたーい!「抱きしめてー」じゃないとこがアブない。しかし私もそのやりとりにしっかり参加。
 そんな彼女が見せてくれた写真・・・高嶋社長との腕組み写真。社長と腕組んでどないすんねん!
 うーん、社長なら全然平気なのよぉぉ、でも近藤さんにはこんなことできやしないわ・・・と、つぶやく彼女の姿はなんだかやけに痛々しかった。
 そして近藤さんが私たちのもとに。あぁ・・・もう胸がいっぱい。この胸のときめきはいったいなに?30半ばにさしかかろうともアタシの中の「女」はまだまだ涸れちゃあいない。
 夢子ちゃんは近々ドイツに旅行に行くらしい。そんなことは私たちにはひとことも言ってなかったやん。早速「ドイツは寒いですか?ミュンヘンはどうですか?」と質問していた。そこで師匠が(彼女は数年前に行われた『近藤さんと行くドイツツアー』という、新米ファンの我々には想像もつかないような夢のツアーに参加したという経歴を持つ)「あんまり寒くないよ」と答えてくれたらしいが私たちはちっとも気がついていなかった。あとで、「あんとき私が答えたのにだあれも聞いちゃいないんだから・・・」と師匠はつぶやいていた。
 ゴメン、全然気づいてなかったわ!皆、近藤さんに釘付け、人の話なんか耳に入っていない。この集中力、仕事に発揮できれば言うことないのになぁぁ。
 夏の八尾でのティーパーティは完全着席制で、しかも全然知らない人たちとテーブルに座らされたのでそれだけで緊張、しかも時間も少なく、私はひとことも話すことができなかったけれど、今回は親しい人たち(とても初対面とは思えないほどの和やかさ&盛り上がりだったの、私たち)と近藤さんを囲んで和気あいあいとお話できました。近藤さんも八尾の時よりも随分リラックスされてた感じ。でもひとりひとりに話しかけるなんて近藤さんにとっては大変なことかも。でも!こんな形式ならまたパーティにも足を運んでみたい。
「近藤さんの月光が死ぬほど好きです。今日、帰りの新幹線が脱線して爆発炎上してもしあわせな気持ちで死ねると思います」
 と、言ってみた。笑顔で言えばかわいく聞こえるかもしれないが、緊張で顔がひきつってたかもしれない・・・自信がない。ひきつった顔で言ったらこの台詞、ちょっとコワクない??あぁ、自己嫌悪。
 まあ、私の『熱情』が伝わればよい。次回から近藤さんに怖がられないことを祈ろう。
 ひと通り周り終わると、写真撮影会とサイン会。何にサインをしてもらおうか、と私はここ数日考えに考えていたのだが、結局いい案が思いつかず、とうとう前日にダンナに相談してみた。
「明日のサイン会、何にサインしてもらおうかってずっと悩んでるねんけど、何がいいかなあ?」
「オレのパンツでも持っていっとけ!!」
 そないに怒らんでも・・・・。
 今回はサインはなしで写真だけお願いすることにした。いくらなんでも「クマのプーさん」などがプリントされたパンツを持っていくわけにはいかない。
 「今度は奈良、次にフェスティバルホール、その次は入間、西宮に行きますから!」と、自分の追っかけ計画を逐一近藤さんに報告しておいた。
 とにかく私の『熱情』が伝わればよい。せっかく東京まで来たのだからしっかりモトをとっておかなければ、と関西人根性を丸出ししてみた。

 「近藤は明日も仙台でコンサートがありますので時間がありません」と事務所の人が言っていたけれど、写真撮影の列はなかなか途絶えず。最後に私たち4人と近藤さんとで写してもらった。いい思い出ができた。埼玉、名古屋、大阪ではなかなか会うことができないから・・・みなさまありがとう。近藤さんありがとう。
 私たちは近藤さんが帰ったあとも会場を去りがたく、いつまでも写真を撮っていた。とうとう夢子ちゃんがさっきまで近藤さんが座っていた椅子にどかりと座りこんだ。まだ近藤さんの体温が残っていそうだ。やられた!そして机の上には近藤さんの飲み残しのワインが・・・。カメラを構えつつSTARDUSTさんが大胆な発言。
「それ、飲んじゃっていいよ」
 夢子ちゃんは半パニック状態に。「え、えっ、えええーっ?・・・でも、でも・・・そこまでやったらヘンタイだよぉぉぉ」
 どんなにテンション高く舞い上がっていても、意外と判断はまっとうなのだった。

 ようやく立ち去る決心をした私たちはホールを出た。少し歩いたところで何気に振り返ると一台のタクシーがハザードを出しながら止まっていた。
 あっ!あれはもしかしてっ!!あのタクシーは近藤さんを待っているに違いない!!というわけで4人でタクシーのそばに駆け寄る。
 これがいわゆる「出待ち」ってやつか。私は一度もしたことがない。
「HIROSHIさんの時でも出待ちなんてやったことないよー」とSTARDUSTさん。彼女はピアニスターHIROSHIさんの熱烈ファンで、ファンサイトもやってらっしゃるほど。この際一緒に出待ちというものを体験してみよう!
 「私の経験上、15分待っても出てこない場合は帰ってるから」と師匠。とりあえず5分待った。人の出てくる気配なし。仙台に行くって行ってたし、時間もかなりおしてたからもう帰ったかもね・・・・あのタクシーはスタッフを待ってるのかも。と話しつつもなんだか立ち去れない。
 辺りはすっかり暗く、客たちも帰っていったようだ。待っているのは私たち4人だけ。静かだ・・・・
 しかし・・・出口のあたりを子供がうろうろしているのだった。こんな遅くにどうして? 
 もしかして・・・・あれ、近藤さんの子供だったりして・・・すると毎日近藤色のテンション高々の夢子ちゃんが「いやーん!その類いの話はやめてーっ」
 面白い。私はこういうノリの連れがぜひともほしいと思っていたのだ。早速夢子ちゃんの騒ぎに乗っかり、いやーん!何も知りたくない!見たくないー!
 ていうか、別に近藤さんの子供だったとしても私たちにはカンケーないじゃん。私も夢子ちゃんも結婚してんだしぃ。
 でもそれとこれとは別なのッ、、、何が別なのかよくわからないけれど。
 ますます辺りは静かに。しかし子供は相変わらず誰かを待っているようだ。なんだか本当に近藤さんの子供かもしれない、という気持ちになってきた。
「帰ろうか」「そうだね、その方がいいかもね」「きっともう帰ったよ」
 師匠の言う15分までにはまだ時間があったけれど、帰ることにした。
 後ろ髪引かれつつ何回か振り返りつつ私たちはタクシーから遠ざかった。
「あっ!!出てきたッ!」
 師匠が叫び、一目散にタクシー目がけて走る!出てきた!出てきた!あたしたちの近藤様が!!
 師匠の導きを受け、私も夢子ちゃんも走る!!そしてそれにつられてSTARDUSTさんまでもが。HIROSHIさんの時にはぜひともこの経験を生かすべし!
 近藤さんはひとりでタクシーに乗り込んでいた。(ちなみに子供はこの少し前に全然違うおじさんと帰っていったから近藤さんとは無関係でした。でも、私にはカンケーないもん。もし子供がいたって近藤さんは近藤さんだもの、アタシのお月様だもの☆←ちょっと強がり)。
 そしてタクシーが出発。4人それぞれ、我を忘れて手を振りまくる。師匠の話では「近藤さんが手を振リ返してくれることはあんまりない、だいたい会釈だけ」らしいが、オバサンパワーに押された近藤さんは「負けた」と思ったのか、手を振りかえしてくれた。
 キャーッ、手を振ってくれてるッ!!!
 ますます嬉しくなり、タクシーの動きに合わせて早歩き、狂ったように手を振り続ける。
 ・・・こんな姿、決してダンナには見せられない。
 師匠の言うとおり、15分以内に近藤さんは出てきた。さすが師匠。読みが正確だ。長年の経験がものを言っている。
「ひとりで帰っていったね、なんか寂しいね」
 さっきまで子供が、ヨメが、なんて大騒ぎしていたのに今度は「誰か一緒に行ってあげたらいいのに」なんて話になった。
 でも、ほんと寂しい感じだったのよ、近藤さんの立ち去り方が。。。孤独なお仕事なのねえ、ピアニストって。
 
 そして私たちは東京駅に出て、近藤さんの話で盛り上がりつつ、楽しいお酒を飲みました。ひとりの男の話題でここまで盛り上がれるのは幸せだ。。。周りからどう思われようとも私たちは幸せなのだからほっといて。
「いーの、いーの。私もかなり妄想入ってる熱狂さだけど近藤さんに害を与えてるわけではないもんねー。でもダンナには害与えてるけどね、アハハハハ」
 夢子ちゃん、面白い!アタシもダンナに害与えてるかな?
 
 家には夜中の12時半頃に着きました。ダンナはクリームシチューを煮込んでいて、「もうすぐできるから先にお風呂に入っておいで」と、私の帰りを待っていてくれた。私にはもったいないくらいのよく出来た夫だ。今にバチがあたるかも。というわけで、出待ちの話はしなかった。
「あぁ、飲んできたからお腹いっぱい」
 実は最初は飲みにいくのではなくお茶をするつもりだったので「夜はウチで食べる」と言ってあったのを忘れていた。ダンナは鍋にいっぱい作ったシチューをかき混ぜながらガッカリした表情を見せた。
「あ、でも小腹がすいたから食べる!」と言い、結局食べた。おいしかった♪ダンナの手料理は世界一!
「今日はゴメンネ。でもな、なんやかんや言ってもアタシはあんたが一番好き、だあい好き♪」と甘えてみた。
 が・・・ほどなくSTARDUSTさんからメールが。
「今、PCに今日の写真送ったよ!」
 手のひらを返したように私はさっさと立ち上がり、嬉々としてパソコンの電源を。やはり近藤熱は冷めやらず。ダンナを呼びつけてファイルを開く。パーティの写真が次々に。。。画面いっぱいに広がる、4人&近藤さんのショット。
「あかん、コイツら、もう終わっとる・・・」
 そう言われてもちっとも悔しくないのは本当にもう終わっとるからかもしれん。。。
「はよ寝んか!明日仕事やろが!」
 と、ダンナに叱られつつ、布団に入ったのでした。

 あー楽しかった!!ご一緒させていただいたみなさま、ほんとにありがとう!「素敵な時間は人からいただくもの」なんですね。ひとりで行ったらこんな楽しみは経験できないですもの!!
 「今日、帰りの新幹線の中で死んでもしあわせ」などと近藤さんに言ったけれど、そんなの冗談ヨ。

 100まで生きて近藤さんを追っかけるわー!!!




 青柳 晋  *** 2003.9.30 神戸新聞松方ホール(神戸)

 さわやかな秋晴れ、そして静かな夕暮れ。やがて夜。秋の夜長はピアノを聴くためにある・・・9月30日、私は神戸に出向いた。今日は近藤さんではなく、他のひとの演奏を聴く。
 青柳晋(あおやぎすすむ)氏のソロリサイタル。彼の演奏を聴くのは2度目だ。最初は今年6月の3大ピアニスト公演。青柳さんは近藤さんと共演されていたピアニストで、私にとってみれば「近藤さんのついで」みたいな感じだったのですが(←めちゃ失礼!)、でもその時思いがけず、彼の弾くリストの「愛の夢」に惹き込まれてしまったのでした。近藤さんの弾く「愛の夢」より数段いい(←こりゃまた失礼!?)。だって近藤さんの愛の夢は実にクールなんだもん・・・

 神戸新聞松方ホールに到着。開演は19時15分。中途半端な時間だな、と思いつつ、座席についた。まずは観客チェック。最前列は意外と年配者が占めている。3列目くらいからちらほら若い人が。でも落ち着いた感じの人が多い・・・冷静に温かく遠くから、愛するピアニストを応援し演奏を楽しむ、といった雰囲気。
 誰の演奏会と比較してこんなことを言うのかはあえて言わずにおこう・・・。某氏のチケット発売日、トイレに行くふりをしつつ仕事を抜け出しては、暴れもがくように前の方の席を獲得するべく電話をかけまくる私が言うべきことではない。
 静かな気持ちで迎えた開演時間。氏はにこやかに舞台に現れた。6月の時も確かこの衣裳だった。全身まっくろ。しかもチャイナ服みたいな。どうして燕尾服を着ないのだろう。まあそんなことはどうでもいいが。
 いきなり、大曲を。ベートーヴェンの「熱情ソナタ」。しかし私の前の席のオジさんはうつらうつら・・・寝るのはよいが首を前後左右に振るのはどうか。私もオジさんの動きにあわせて前後左右に揺れまくる。オジさんが首を後ろにもたげると青柳さんの顔がばっちり見えるが、オジさんが起き上がるとちょうど見えなくなる。仕方がないので右に首を傾けると、オジさんも右方向にうつらうつらと。同じ寝るなら隣のオジサンのようにじっと下を向いて固まっていてほしい。が、その下向きのオジさん・・・アゴに光る液体が・・・感動の涙かと思いきや・・・ねばーっと・・・。どうして熱情を聴きながら寝られるのか私には到底理解できない。
 ふたりのオジさんに気をとられている間に終わってしまった熱情ソナタ。非常に残念で言葉も出ない。しかし青柳さんは額に汗を光らせ、「よっしゃー!」とガッツポーズでもしそうな様子で自信ありげに観客と向き合っていた。拍手を浴びながら「うん、うん」と2,3回軽くうなづいた後、一歩下がってペコリとお辞儀。
 なんかかわいいぞ、このひと。ちょっと体育会系が入ってるような・・・。近藤さんはピアノに手をかけながら「どーも、どーも」と何度も頭を下げるが、青柳さんは「起立!」という感じでピアノから離れて「礼!!」って感じで一度だけ頭を下げる。なんか面白い。
 次はドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」「喜びの島」。喜びの島はドビュッシーのわりにはキラキラして賑やかな曲。こんな曲も書くんだー、ドビュッシーって。
 第1部はこの3曲で終了。休憩時間はトイレに行き、外のテラスにでてみた。ハーバーランドの夜。明るくてきれい。風もさわやか。空にはきれいな三日月が。
 このホールはロケーションが実にいい。でも正直に言うと、いいのはロケーションだけだ。音の響きがいいとは思えない。どうも響きすぎる感じがするのだ。だから私はこのホールでは最前列を狙わない。あえて外す。近藤さんの時でもそう。「前から5列目以降にしてください」と。顔がよく見えないのは残念だけど、音がきれいに聴こえないのはもっと残念だから。。。

 第2部はリスト一色。「愛の夢」「ラ・カンパネラ」「超絶技巧練習曲第11番『夕べの調べ』」「ハンガリー狂詩曲第10番」。
 「ラ・カンパネラ」では弾き終わったあとに会場にどよめきが起こったくらい。なかなか聴かせる演奏でした。
 お待ちかねの「愛の夢」。ずばり私はこの一曲のために馳せ参じたのだ。なんとも表現しようのない色気。青柳さんの気だるげな愛の夢がかなりお気に入り。前にも書いたけど、『休日の朝寝の中、愛する人の寝顔を見つめているような』感じ。本当にそんな感じがするのだ。もういちど聴きたくて来たこのリサイタル。今夜も彼は私の期待を裏切らなかった。
 「夕べの調べ」は超絶技巧練習曲の中の一曲。4番「マゼッパ」と10番は近藤さんの演奏で聴いたことがあるけれど、11番を生で聴くのは初めてだった。リストは本当に様々な曲想の曲を作曲する人。その才能はクラシックに素人の私でも容易に感じることができる。ピアノという楽器の素晴らしさと可能性を「非常にわかりやすく」示すことのできる貴重な存在だと思う。夕べの調べはその名のとおり少し寂しげな曲だけど、青柳さんが弾くと、寂しげな中にも明るい光が差し込んでいるような感じ。
 音の連なりの中に垣間見える希望の光。青柳さんの演奏はどんなにつらい時に聴いても大丈夫な気がする。彼の自信ありげな表情、情感豊かな演奏。この人は本当に楽しそうに弾く。とは言っても多くの実績を残してきたひとなのだからつらい思いや悔しい思いもたくさんしてきただろう。でも彼はそんな暗い影をみじんも見せないのだ。とにかくピアノを愛して愛してやまない、楽しくて楽しくてしかたがない、といった感じで弾く。熱情のような厳しい曲でもさらりと弾いてのけ、その姿はピアノと格闘しているような素振りが見えない。完全にピアノを楽しみ、自分のものにして操っている。鍵盤に苦しめられることもなく、作曲家の名前に縛られることもなく、彼はあらゆることから自由だ。そんなところがとっても好ましい。演奏後は「よし!今日も上出来だっ」と言わんばかりにきりりとした表情であっというまに袖に去っていく。

 アンコールはラフマニノフの「プレリュード」。ピアノの前に再び座った彼は自分の声で曲名を言った。
 渋いのよ、その声が!顔はかわいらしいのにあの声はなによ。このひとはきっと歌をやっても生きていけそうな気がするわ。ステキ!もっとしゃべって。と思いつつ、彼の声を聴いたのは今回はこれが最初で最後。残念だわん。
 と、結局ミーハーな気持ちで会場をあとにした私。終演後、サイン会をしていたけれど列は短め。年齢層は広めで、やっぱり静かだった。誰のサイン会と比べてこんなことを言うのかはあえて言うまい・・・。

 というわけでとても充実したステキな夜でした。

  近藤嘉宏  *** 2003.7.11 八尾プリズムホール(大阪)

 3ヶ月ぶり。愛しき近藤さまのソロコンサート。
  第1部
 シューマン「アラベスク」 ベートーヴェン「月光」 ドビュッシー「月の光」「亜麻色の髪の乙女」 リスト「愛の夢」「ラ・カンパネラ」
  第2部 
 ショパン「ノクターン第8番」「ノクターン第20番『遺作』」「エチュード第3番『別れの曲』」「エチュード第5番『黒鍵』」「エチュード第11番『木枯らし』」「幻想即興曲」「英雄ポロネーズ」
  アンコール・・ショパン「子犬のワルツ」、リスト「ハンガリー狂詩曲『第6番』」

 最新CD「ピアノベストコレクション」と同じ曲。最近の近藤さんは『名曲ベスト』としてこの曲でコンサートをしている。しばらくはこの路線でいきそうだ。大好きな曲ばかりなのでうれしいが、レポを書く身としては非常につらい。違う曲を聴きたい・・・。
 しかし、今日は近藤さんご愛用のスタインウェイのピアノでなくヤマハのピアノでの演奏だった。ファンの中ではやっぱりスタインウェイの響きがお好きな方が多いが、私はヤマハのピアノもいいと思った。近藤さんはシンプルで飾らない演奏をされるのでどんなピアノでもきれいに聞こえるのだろうし、曲のよさだけでなくピアノの個性も楽しめた今回のコンサートはなかなか有意義であった。

 私はいつものごとく休みをとって八尾へ。八尾というところは決して田舎ではないが、あまり用事がない。私は大阪生まれの大阪育ちだが、八尾にはずっと前に仕事で1度行っただけである。今日は人生2度目の八尾であった。
 かなり早く到着したためホールの喫茶店で待つことにした。今日はコンサート、そして明日は先着予約50人のファンと朝っぱらから近藤さんを囲んでのティーパーティがある。パーティはこの喫茶店でするらしい。
 狭い、狭いぞ。こんなところに50人も入ったらどうなる??私はティーパーティに行ったことがないのでその実態はよくわからないのだが、いろいろなファンの人の報告をまとめると・・・こんな感じらしい。
 関東と違って関西でのパーティは「あっというまに近藤さんに群がる群衆、そのありさまは社長が心配してセーブされるほどである」らしい。
 明日は大丈夫か?こんな狭いところで50人がひしめきあったら将棋倒しになりはしないか。
 そんな心配をしつつグレープフルーツジュースなどを飲んでいると伯母が現れた。今日の連れは伯母である。
 彼女も近藤さんのファン。私がCDを3枚貸すと、思いのほかハマってくれた。3枚のうち2枚は返してもらったのだが、なぜか1枚返してもらっていない。忘れているのだろうか・・・返してほしいがなんとなく言い出せない。
 伯母はとてもしっかり者で、私と違っていつもきりりとしていて行動もすばやい。席につくなりウェイトレスを呼んで自分も同じグレープフルーツジュースを注文するとあっという間に飲んでしまい、
「さあ、行こか!ホールの雰囲気も早く確かめたいわ」
とレジにまっしぐら。私はまだグラスに残ったジュースに後ろ髪を引かれつつ席をたった。
 ホールは地下にあった。階段を下りてホールに入ると舞台にはピアノが静かにたたずんでいた。ああ、今日はソロリサイタルなんだ・・・と私は喜びをかみしめた。
「シンプルやねえ」
 伯母がつぶやいた。オケには時々行くがピアノのソロとなるとなかなかご縁がない。私も以前はそうだった。ピアノのソロは本当にシンプル。近藤さんが弾くとなるとそのシンプルさが際立ち、素材のよさを存分に味わえる。ピアノがこんなに素敵だったとは、私は近藤さんに出会わなければ一生その魅力に気がつくことなく終わっていただろう。
 そして開演・・・

 舞台も客席も真っ暗。異様に暗い。やがて近藤さんが燕尾服姿で現れた。ライトが近藤さんをあかあかと照らし出す。
 端正なお顔立ちの近藤さん。しかしその美しいお顔がアダに・・・その通ったお鼻、きりりとした涼しいお目目、さらさらの前髪。それら全てが近藤さんの顔に陰を作っているのだ・・・昔、ふざけて懐中電灯を顎の下にあて、「うらめしや」などと騒いで弟たちを追いかけまわしていた、あの記憶が蘇ってしまう。
 近藤さんは雲の上のピアニスト。その近藤さんを前にして、こんなことを考えてはいけないのだ、と心の中で葛藤しつつ・・・近藤さんが笑えば笑うほどその陰が濃くなって、しかもお召しになっている燕尾服。・・・吸血鬼みたい、コワイ・・・どうしてもその思いを拭い去ることはできなかった。
 
 トークが終わると照明も明るくなり、いつものさわやかな近藤さんの笑みを見ることができた。
「まぁ!イかついケンちゃんとは全然違うねぇ!!」
 伯母が私の耳元でささやく。ケンちゃんとはウチのダンナのことである。確かにウチのダンナはイかつくて毛深い。人間は猿から進化した動物だが、ダンナは進化が途中で止まってしまったかのようである。太古の昔から地上をのしのしと歩いて肉や草をむさぼり食って生きてきたに違いなく、天から舞い降りてきたように静かに輝く近藤さんとは似ても似つかないのであるが、他人にそう言われると内心複雑である。
 しかし誰もそこまで言っていないか。

 まずはシューマンで始まった。静かに流れる小川のような旋律を持つこの曲は、実に近藤さんのイメージにぴったりだ。「美しい人が、美しい曲を、美しく弾く」それ以外に何という言葉が思いつくだろうか。私にはこの言葉以外に何も思い浮かばない。
 次はベートーヴェンの「月光」。
 私はたいした人間ではない。が、そんな私でも世間に流されない精神的強さと少しの希望と独立心を持って生きていきたいと思っている。結婚しても子供ができてもダンナや子供とかかわる自分の他に、常に「自分のためだけの自分」を持っていたい。
 しかし「月光」を聴くときは違う。近藤さんがこの曲を奏でている間だけ、私は身も心も他人のものになってしまう。そのことを認めながらも全く戸惑いもしない。ちっぽけな野望も、他人から見ればつまらないプライドも、このときばかりは簡単に放り出せる・・・全てはこの曲に、このピアニストに寄りかかり、ピュアな自分に戻る。
 今夜も素晴らしい月の夜だった。

 「月の光」は一枚の絵をみているように聴いて、と近藤さんは言っていた。
 完成されたリリカルな響きは「絵」をみている時というより、実際の風景をみているかのようにリアルである。近藤さんの奏でる音の響きに共感し、少しでも近藤さんのいる世界に近づけるように、そしてその美しさを共有できるように・・・そんなことを願ってやまない。

 「ラ・カンパネラ」ちょっと弾きにくそうだった。スタインウェイじゃないからかな。でもとても素敵だった。違うピアノで弾くのもいいと思う。高音の響きがいつもより柔らかで私にはこちらの方が聴きやすかった。この曲は聴けば聴くほど深みが増してくるような気がする。近藤さんの演奏もだんだん落ち着いてきてるような気もする・・・
 近藤さんの談によれば、リストが一世を風靡していた頃に現代のピアノが完成したらしい。リストはこの新しいピアノでさまざまな曲の作成に取り組み、あらゆる技巧を駆使し、ピアノの可能性を開拓していった作曲家。近藤さんにも「開拓者」であってほしいなと願う私なのでありました。

 後半のショパンは「戦場のピアニスト」で有名な『遺作』や『別れの曲』など、超メジャーな曲が続いた。ちょっと飽きてきたな、というのが本心ですが・・・
 『木枯らし』は今回は足上がってませんでした。わずかに床から浮く程度。楽しみにしてたのにな・・・まぁ弾きやすいように弾いてくれればいいけど。しかしこの曲はホントかっこいい!!クラシックがおカタいものでもなく、静かで眠気を誘うような『癒し』の音楽でもなく、「かっこいい」ものなんだと私に気づかせてくれたのも近藤さんである。
 最後は「英雄ポロネーズ」。この曲を最後に弾くのは相当しんどいはず。でも近藤さんはこの曲をラストに選んでくれた。
 この曲の華々しさは周りがぱあっと明るくなって、どんな雨空でも晴らせるような、どんなに暗い場所も光で満たされるような、そんな気がする。
 背筋を伸ばし、生き生きとピアノを弾く近藤さんの姿。その力強い音の響きに、
「さあ、顔を上げて!上を見て!歩いていこう!!」
と、背中を押されているかのような気分になる。

 そうして今日も生き返ったような気分になりながら、帰宅したのでありました。

 (tea party)
 翌日は朝10時半からパーティ。例の狭い喫茶店で。立食ではなく着席方式だったので将棋倒しの心配もなく・・・スタッフもいろいろとお考えになったのでしょう。
 コンサートチケットを購入した人で、予約をした人のみ参加可能で、パーティ代は無料。というわけであったが・・入り口で『ワンドリンク制』と言われ、400円を支払った。なかなか商売がうまい。
 そしてあいている席について『近藤さんへの質問用紙』(これも入り口で手渡された)に記入。これで近藤さんを質問攻めに、というファンにとってはうれしい企画。しかしいざとなるとなかなか聞きたいことが思い浮かばない。さんざん悩み、「夏休みのご予定は」「次のCDのご予定は」「初恋の思い出話なんかを」と書いてみた。
 そして近藤さんのご登場。やっぱり眠そうである。しかし美しい男は寝起きであろうとも美しい。真っ白のラルフローレンのシャツがまぶしかった。
 「今日は昨日に引き続き朝早くからたくさんの方に集まっていただいて」と近藤さんは一同に感謝の言葉を述べたあと、昨日のホールについてのご感想を。
「コンクリート剥き出しの壁、それが音の響きをよくさせて、とても楽しいコンサートでした」と。
 そして次にお待ち兼ねの質問攻めコーナーへ。「一番心に残っている演奏会は」「昨日のピアノの型は」「子供にピアノを習わせたいがどういうふうに教育したらいいか」など音楽的な質問もあったが、最後には「血液型は」「裸眼視力は」「ペットを飼ったことがあるか」「好きな言葉は」「好きな色は」「ライバルは」「好きな女優は」「シャンプーは何を使っているのか」など飛び出していた。
 ピアノを弾かない近藤さんのもとに、わざわざ休日の朝から駆けつける50人なのだから、こういう質問も出てもよかろう。要するに「あなたのことをもっと知りたい」という乙女心なのだ・・・。
 近藤さんのお話で最も興味深かったのは「ピアノが骨に反響する」という話。ホールや観客の多さとは別に、演奏者の骨格によって音が変わるというのだ。指で叩いた音が演奏者の体に響き、それが観客のもとへと飛んでいく。だから演奏者の「骨」も重要なポイントなのだそう。骨だけでなく肉付きも影響していて、だから痩せ痩せのピアニストはあまりいないのだということ。骨と肉付きがいい方がピアノもいい響きをするそうだ。
 近藤さん、ダイエットしたらダメじゃん。最近ダイエットして6キロも痩せたのはなんで??外見が美しくなっても(私はぽっちゃりした近藤さんの方が好きだけど)、ピアノの響きが落ちたら私は許さん。
 そして次は・・・驚いたことに各テーブルをひとつづつ近藤さんが周るという。
「ここに座っていただきますからね」とスタッフの人が私の隣の席を指差した。えええっ、近藤さんが隣に座る!?ドキドキ。
 いよいよ私たちのテーブルへ。私が「夜空に輝くお月様」と慕い、いつも見上げる存在である近藤さんは隣に座ると結構小柄な感じだった。
 ある女性が
「今度神戸の松方ホールにいらっしゃるんですよね?」
「え、、、っとそうでしたっけね。いつだったかな。実はいつどこで演奏するのかあんまり把握してないんですよね・・・」
 たよりない・・・隣に座るこの男が近藤さんでなくただの友達だったなら、私は彼の背中をばちーんと叩いていただろう。
 曲目も「まだ決まってないんですよね・・・」と頼りなげ。大丈夫だろうか、この人。。。
 どんな曲が聴きたいですか、とか聞いてくれたら場も盛り上がっただろうになあ。
「ピアノを弾かないときはどんなことをされてるんですか?」私の遠征友達さくらさん(彼女と広島に行ったことあり。東京も行く予定)が質問。
「んーーー」
 近藤さんはピアノ以外に語れることがないのだろうか・・・。(こんなことはファンサイトの掲示板には決して書けないけど、ここだったらいいでしょう)。そこでさくらさんが助け舟。「買い物とか?」
「行きますよ。でも若いときみたいに新宿とか渋谷とか都心には行かなくなりましたねえ。なんでも近所で済ましてしまって。たまに友達が遊びにきますけど、こっちからどこかへ行くんじゃなくて向こうから来るって感じで・・・・」
 ハイ、お時間です!
 スタッフの人のお言葉に近藤さんは席を立つ。ああ、こんだけか。ひとり1問くらい質問させてもらえると思ったのに、結局私はひとことも話せずだった。せっかく質問考えたのにな。また今度にしようっと。
 そして次はサイン会と写真撮影会。近藤さんの手のひらと自分の手のひらを合わせて写真を撮る人が続出。流行なのか・・???
「あそこまでする勇気があったら、私やったら合わせたついでに握るわ」
などとさくらさんにささやき、ちょっと退かれたのだった。
 で、私とさくらさんは念願の「近藤さんと腕組み」写真を撮ろうと決断。いつも腕を組んで写真を撮る人が私たちの仲間でいるのだが、今日は彼女は来ていない。近藤さんも寂しいだろうと代わりに私たちが・・・と勝手に決め込み。
「両脇から羽交い絞めやで」と、またアホな発言をさくらさんにささやき、決行。
 
 まあまあ楽しい一日でございました。でも私はやっぱりピアノを弾く近藤さんを見てる方がいいな、と思いつつ、次のパーティも出るつもりでいるのでありました。



  3大ピアニスト(青柳晋・横山幸雄・近藤嘉宏) *** 
           2003.6.13 かつしかシンフォニーヒルズ(東京)


 なんと、朝から大雨である。東京の天気は?テレビをつけると「曇り」マーク。ええいっ!とりあえず傘は置いていこう。小降りになったところで家を飛び出す。しかし・・・空港へ向かうバスの中でふたたびどしゃ降りの雨。「しまった!」忘れ物をしてしまった!傘ではない。双眼鏡だ。今日は2階席だというのに。雨のことに気をとられてすっかり忘れていた。
 羽田に着陸。雨は降っていない。傘を持ってこなくて正解だった。が、双眼鏡を忘れたのは痛かった。
 東京というところは案外退屈。ひとりで行動となるとなおさら。仕方がないので早々に今夜泊まるホテルへチェックイン。かばんからバースデーカードを取り出した。今日は近藤さんのお誕生日。だから私は遠征を決めたのだ。まだ白紙のカードを前にしながら、まずはメモ用紙に下書き。
 愛する男をいかに喜ばせるか。女にとって永遠の課題である。ここは一発ロマンティックな詩でも書いてやろうと思いつつ・・・知らず知らずのうちにお笑い系になってしまう。やはり私には関西人の血は捨てきれない・・・。
テレビを見ながら横になっていると時間が来た。そろそろ出かけよう。外に出てびっくり。抜けるような青空。やっぱり近藤さんは晴れ男だったのね。今日は素晴らしいお誕生日だわ。

 かつしかシンフォニーヒルズに到着。大きなホールだ。舞台が遠い、やたら遠い。ううう、どーして双眼鏡を忘れた?大失態だ。それに今日は誰も知り合いが来ていない。めぐみさんもさくらさんも4416さまもMintさまも。まるで雪原に置き去りにされたような気分だ。
 でも仕方がない。私はひとり、冷たい雪の上で膝を抱えるような気分で開演を待った。


 遠くから音が聴こえる。厚く覆われた雲の下、白く煙った雪原の向こうから。なんの音だろう。膝の中に埋めていた顔を上げると・・はるか彼方の地平線がかすかな緑色になっていた。あ!雪が解けたんだ。春が来たんだ。白い雪原の雪が解けて緑色の波がやってくるのが見える。それとともに・・・赤や黄色や白い花が咲く。小さな小さな花が無数に咲いてその波がどんどん近づいて来る。春が来た!暖かい春が!慌てて立ち上がる。花いっぱいの波がこちらにどんどん近づいてくる。うれしくなって手を広げた。重い靴を脱ぎ捨てて素足のままその波に向かって全力で駆け寄る。あっという間にその波は私の足元をすり抜けた。立ち止まって後ろを振り返る。色とりどりの花々の波がどこまでも、勢いよく、どこまでもどこまでも果てなく広がっていく。
 あんなに厚かった雲が嘘のように空は青くて、風は優しく暖かで、私は素足だということも忘れて踊りだす。蝶が舞い、鳥がさえずり、リスやウサギもどこからか現れて一緒に踊っている。うれしい!たのしい!
 オープニングのチャイコフスキーの「花のワルツ」はそんな感じでした。青柳さんと近藤さんの息もぴったり合って、おふたりとも弾きながらとっても楽しそうでした。

横山幸雄氏
 氏の演奏はただただすごい。ものすごい力で押し迫るような迫力。「卓越した技巧」「完全無欠」とはこういうことを言うのだろう。

「オレが横山だ、これが答えだ」
 氏の放つ音と音の間には1ミリの隙間もない。こういう演奏をされると感想を書くのに困ってしまう。。まるで水戸黄門の印籠にひれ伏す小作人のような気持ちになる。なんだかよくわからないけどひれ伏したくなる。
 氏は以前にパリに住んでいてワインがお好きだと聞いたことがあります。が、演奏はパリとワインというイメージとはちょっと違うかなあ。氏の演奏はぜひともマンハッタンの夜景でも見ながら、その名も「マンハッタン」という名のカクテルなど飲みつつ聴きたい。ウイスキーベースのとても辛口な味。その際には甘いチョコレートなどを食しても良いが、その甘さも消えてしまうくらいの強さと辛さを兼ね備えたオトナの味。
 今回は「英雄ポロネーズ」「革命」「アヴェマリア」「マゼッパ」をソロで、2台ピアノでラフマニノフの「2台ピアノのための組曲第2番第4楽章『タランテラ』を青柳さんと、そして最後に近藤さんと「祝祭序曲」(氏の作曲、2週間前にできあがったそう)を演奏されました。
 演奏も作曲も硬派で、まるで「マンハッタン」のような強い酒に酔っ払ったようにふらふらになってしまいました。この人はすごい。

近藤嘉宏さま
 近藤さんは今回、ショパンの「幻想即興曲」「子犬のワルツ」「プレリュード第24番」、ラヴェルの「水の戯れ」、リストの「ハンガリー狂詩曲第6番」をソロで、2台ではさきほどの「花のワルツ」を青柳さんと、「祝祭序曲」を横山さんと。
 やっぱり私の居場所はここなのです。近藤さんが作ってくれる世界。近藤さんの演奏にはいつも優しい「問いかけ」が感じられて。「今日はこんな曲をこんなふうに弾いてみたんだけどどうかな?」「こういう世界もあるんだよ」と。とても心地よい隙間があって、私はいつもその音の連なりに勝手きままに自分の思いを重ねている。夢見ごこちにうっとり酔いしれたり、時には涙したり。とにかくこの人の演奏に想像力をかきたてられる。だから私はコンサートが終わるたびに毎度のように、あーだこーだとレポートを書きまくるのです・・・。
 
今回近藤さんは赤いシャツを着て演奏。トークの合間にはバースデーケーキが登場。会場は火気厳禁のためろうそくに火は灯ってなかったけど「火を吹き消すマネ」をご披露。『ハッピバースデイディア、こんちゃん』(ニックネームは「こんちゃん」らしい)と私も小声ながら歌わせてもらいました。そして、来てよかった・・・としみじみ思ったのでした。

青柳晋さん
 青柳さんはドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」「喜びの島」、リストの「愛の夢」「ラ・カンパネラ」をソロで、2台ピアノは「花のワルツ」とラフマニノフ。
 彼はどうやら私とおない歳らしい。でもあの落ち着きはなんだ?声も低めで渋いし、演奏もなにやら怪しい魅力に溢れていた。「ラ・カンパネラ」は、近藤さんの弾く「高い鐘の音がカンカンカンと鳴り響く感じ」とは違い、ちょっと低めの響き。でもちっともぼやけていない。
 それにしても「愛の夢」は良かった!本当にいいものを聴かせていただいた。どこがよかったかというと・・・なんともいえないけだるさ。休日の朝にふと目がさめると隣に愛する人が眠っていて、その寝顔を幸せな気持ちで眺めているような。見つめられているとも知らず愛しい人はすやすや眠っている。こんなに無防備な顔を見せつつ・・・。あぁ、幸せだなあと思いながら再び眠りに落ちる。。。
 夏の朝に湖から立ち上る、霧の向こうから聞こえる音。霧の向こうといっても不思議と距離感は感じない。彼の演奏はしっかりと地に足がついている。他のふたりは高いところからきらきらと降り注いでくるような感じがするけれど、青柳さんのは・・・近いのだ。「曲の魅力を際立たせ」とか「作曲者の意図を」とか難しいことは抜きにして自分の思ったことを曲に思い入れて演奏しているような感じ。曲にも作曲家にも縛られず自由で柔軟な印象。しかも彼は詩人である。青柳さんのHPはとっても面白い。日記のページ、早く更新されないかな、と心待ちにしているファンは多いだろう。私もそのひとり。アルファベットごとに書かれたエッセイなんかはほんとうによくできている。ミカンを大量に腐らせてしまった話やトイレで子供に「オジサン」と呼びかけられて落ち込んだという話もほほえましくて。今後どんな人生を歩んでどんなことを感じ、それがどんなふうに演奏に反映されていくのか・・・とても楽しみです。

 2台ピアノの演奏というのを初めて聴きましたが、あらためてピアノという楽器はすごい、と思いました。
 ラストの近藤さんと横山さんの「祝祭序曲」には感動。あんな見事な曲をたった2週間で仕上げるとは!!
 この曲の演奏前に加羽沢さんがみんなで焼肉屋に行ったときのことをお話されました。
 4人で焼肉屋になだれこんだのに、注文時、近藤さんは「僕、焼肉定食」と大阪人もびっくりのボケをかまされ、一方横山さんは「じゃあ僕はレバ刺し3つね!」と言い、他の3人には1枚もあげる気配も見せずにレバ刺しを3人前完食されたそう。大阪人も顔負けのあつかましさである。
 そんなふたりの織りなすハーモニー。横山さんはガンガン照りつける太陽のごとく弾きまくり、近藤さんはさらさらと流れる川の音のように優雅。もう一回聴きたいなあ、この曲。
 でも、こういう人たちと一緒に焼肉屋には・・・行きたくない・・・。

 加羽沢さんの演奏ももっと聴きたかった。CD3枚持ってるけど生で聴いたのは初めて。このコンサートの初めに演奏された「エリーゼのために」「トロイメライ」「月光」「ノクターン第2番」メドレー。アレンジは加羽沢さんの作。とてもロマンチックな響きでした・・・。

 最後はサイン会。
 加羽沢さん、横山さん、青柳さん、近藤さんの順でサインをされていました。ところが近藤さんのところでサイン色紙の流れが止まってしまって。お誕生日だから特に話しかける人が多かったのかも。目の前にたまった色紙と格闘されてました。それでもひとりひとりにあの笑顔を見せてくださって。だからどうしてもお手手が止まってしまったのですね。私もプレゼントを持参していたのであわただしく押しつけてまいりました。・・・近藤さん、ほんとに痩せた。笑顔は変わらずまぶしいけれど、そのお顔、、、細い。あごがとがってた・・・。

 アタシのお月様はすっかり痩せて三日月になってしまった。ちょっと心配。

 この「3大ピアニスト」は今回が初日。これから行かれる方は楽しんできてください。いいなー―。私ももう一回行きたい!!なんで関西には来て下さらないんだろ。今度は前の方で聴きたい!!
 今回はお隣の席の方にあつかましくも双眼鏡を借りました。第1部終了後の休憩時間「すみません。ちょっと、、、その双眼鏡をすこーしだけ」と。第2部の近藤さんの演奏が終わるとお返ししたのですが、最後横山さんと近藤さんの曲が始まる前に、何も言わないのにそっと差し出してくださいました。以前はよくバイオリンを聴きにこられてたそうなのですが最近はもっぱらピアノで、朝、ピアノのCDを聴きながら新聞を読むのが日課だそうです。「ピアノの音がしないと、なんかちょっと変な感じなんだよねー」と、私の父親と同年代くらいの方でしたがうちの父にも見習ってほしいです!!!
 「今日は大阪から来たんです」と言うと、「ええっ!?大阪から!」とかなりびっくりされました。
「追っかけですか」と聞かれ、「いえいえ、そんなたいしたものでは・・・」と謙遜しつつ、やっぱり客観的に見れば追っかけなんだろな、と考え直し、「まぁ、そんなもんですね、アハハハハ」と笑って流しておきました。
 と、いうわけで、「追っかけ」記を書いてみました。楽しかったです。
 

  近藤嘉宏 *** 2003.4.13 京都府民ホールアルティ 

 雨まじりのぼんやりとした気候が続いていた中で、ひさしぶりのお天気。歩いていると汗ばむほどの陽気。今日は近藤さんがピアノを弾きにきてくれる、京都へ!「美しき名曲たち」と題された今日のメニュー。ショパン、ベートーヴェン、ドビュッシー、リストに加えて、今回はラヴェルにラフマニノフも用意され、名曲のフルコース。いつもよりちょっとだけおめかし、予約していた座席についた。あとは料理が出てくるのを待つのみ。
 シェフ登場。ふわ、ふわ、ふわりと階段を下りてきた。今日のホールは登場口より舞台が低い位置にあるという、珍しい造りになっていた。そのため近藤さんは『出てきた』というより『下りてきた』。ううん、『降りてきた』。どこから?・・・お空から。あたたかい春の昼下がり。今、空には太陽が輝いている。日が暮れるまでの少しの間、お月様が私たちのために降りてきてくださったのよね。幅の広い階段を一段一段降りてきた近藤さん。客席とそんなに変わらない低い位置の舞台に立ち、今日の曲目解説。きらきらした笑顔からにじみ出てた。
「さあ、一緒に楽しみましょう」
 今回のメニュー&感想は以下のとおり。


ベートーヴェン:『月光』ソナタ第14番
 いきなりメインディッシュ並の豪華料理が!でも私にとってはこの曲順はベストかも。この曲が始まるまでは本当にドキドキするのです。前回のコンサートではこの曲の前にシューマンの「アラベスク」を弾かれたのだけど、次に月光が聴けるのだと思うとそわそわとしてちっとも落ち着かなかった。でもいきなりメインってのも・・・ううん、これはメインディッシュではなく、最高級の食前酒だと思うことにしよう。

ラヴェル:『水の戯れ』
 食前酒にすっかり酔いしれたところで、次は冷菜って感じかな。ほてった体にひんやりつめたい。この曲は印象主義音楽の幕開けとなった時代の名曲。ベートーヴェンのように心情を吐露するような『人間の内面の激しさ』をうたったものではなく、美しい自然の情景を表現したような・・・「情景を思い浮かべながら聞いてください」と近藤さんは言った。自然に浮かんできます、思い浮かんでやがてそれと一体化していくような気がします。透明な水に吸い込まれ、そのまま体をまかせてゆらゆら流れていき、やがて自分自身が流れる水になる・・・透明でゆるやかな水の流れに。

ドビュッシー:『月の光』『亜麻色の髪の乙女』
 この曲で思い浮かぶのは深い森と緑色のおだやかな湖、そして長い髪の美女。さざなみひとつたたない静かな湖のほとりに座り、長くてきれいな髪をなびかせている。乙女といっても女の子という感じではなく、結構大人な感じと私は想像していた・・・が、近藤さんは言った。「女の子。夢を見ているおんなのこ、って感じ」だと。この時の近藤さんの表情。客席から目をそらしてはにかんだ、その横顔。そんなに照れなくてもと思いながら、それ以上に照れていたのは・・・客席の女性すべて?あの表情を見逃した方は残念としか言いようがありません。うふふっ!
 客席を直視できなかった近藤さん、ちゃんとわかっていらっしゃるのね。あなたのピアノを聴くときは客席の女性みんなが「夢を見ているおんなのこ」になってしまうことを。


リスト:『愛の夢』『ラ・カンパネラ』
 うーん、今回はこれがメインディッシュかなあ、私にとって。近藤さんの奏でる愛の夢はクールだけど決してドライではない。盛り上げるべきところではきちんと盛り上げて歌い、それ以外では優しくほほえんでいる。たとえば宴会のときなど、場を盛り上げてみんなを楽しませておきながら一次会であっさりと帰っていく人のよう。さわやかな笑顔を残し『じゃあ、僕はこれで!』。皆は去りゆく彼の背中を見て思う・・・この人はいったいどういう人なんだろう。『もっと知りたい』と。場をわきまえているが決してのみこまれない。
 三次会四次会としつこく残って、最後にはべろべろになって「OOちゃーん、愛してるよー」などと叫ぶ奴には何の興味もわきはしない。


ラフマニノフ:『クレムリンの鐘』『ヴォカリーズ』
 私は『ヴォカリーズ』を聴く体勢をととのえた・・・しかしいきなり「ドドーン」と鐘の音。あれれ?こんな曲だったっけな、ヴォカリーズって。春の青葉に降りかかる静かな優しい雨の音、のはずだったのな。こんなに荘厳な響きだったっけ?いったいここはどこ?ロシアだ。なんてロシアな音の響き。ラフマニノフはチャイコフスキーに傾倒していた作曲家だと近藤さんが言っていたな。わかった、弾く順番間違えたんだ。こういうこともあるんだー。クレムリンの鐘は初めて聴く曲だったのでとても楽しみにしていたし、期待どおりの異色なカラーで楽しかったです。でも知らない人には「これが近藤さんの編曲かあ。案外激しい人なんだなあ」と妙な違和感を与えたのではないかと心配です。

ショパン:『別れの曲』『黒鍵』『革命』
 ショパン好きにはたまらない選曲だろうなあ、と思いつつ、私は正直ショパンはすこおし物足りない。でも近藤さんはショパンを弾く時が一番楽しそうな感じがします。私は手が見えない位置に座っているときはだいたい近藤さんの足を見ていることが多いのだけど、今回何回も見ました、近藤さんの足(靴)の裏。こんなに足上げて弾くひとだったっけ?鍵盤の端から端まで忙しく動き回る指。それにともなって左右に揺れる上半身。しかしおしりはずっと定位置。ゆえに足の裏が何度も何度も客席にご披露されていた。私の記憶には近藤さんの足の裏はインプットされてなかったため、なかなか面白い眺めでした。『別れの曲』は「別れのイメージではない」、『亜麻色の髪の乙女』は「夢を見ているおんなのこ」と、私の想像とは正反対な解説をされる近藤さんは、私にとってとっても新鮮で面白いひと。今回、隣に座るいとこに言われて気がついた。パンフレットにメモ欄がある意味を。皆様はお気づきだったのでしょうが、あのメモ欄は単なるスペース余りではなく、近藤さんのお話のメモを、という意味だったのですね。私もこれからは筆記用具を持参することにしよう。『別れの曲』のあとの『黒鍵』にはいつも救われます。あの軽やかな音の連なりを聴くとなんだかうきうきして元気が出てきます。

ショパン:『木枯らし』『幻想即興曲』『幻想ポロネーズ』
『木枯らし』は私が今一番注目している曲。「男っぽいショパン」を満喫できます。『幻想ポロネーズ』は末期のショパンが作曲した曲だそうです。クラシック音楽の面白いところは作曲家自身の思想や性格や心身の状況を、具体的な「言葉」という手段で表現していないのになんとなく想像できてしまうところかな。当然人間の心情というものはその時代の政治や経済状況なんかとも密接にからんでくるわけだからすごく奥深いし勉強すればもっともっと世界が広がるでしょうね・・・と思いつつ、勉強やだな、近藤さんが教えてくれないかな、とどこまでもあつかましく願ってしまう今日この頃です。ちょっとは学術的な本でも読まなきゃ世界が狭くなっちゃう。私の知らない「もっともっと楽しい世界が無限に広がってるよ」と、またしても近藤さんに教えられたひとときでした。




  久石譲 *** 2003.3.29 シンフォニーホール(大阪)

 まずは第1部

「KIKI」(『魔女の宅急便』より)「谷への道」(『風の谷のナウシカ』より)
「View of Silence」「風のとおり道」「Asian dream Song」

 
久石譲が10人のチェリストとともに大阪にやってきました。10人ともチェロ。ピアノとチェロ2種類の楽器だけでフルオーケストラなみの華やかさを演出できるのには驚きです。チェロの中低音の響きは人間の声のように甘くて、そしてどこかもの悲しく、でもなぜか懐かしい。「ピアノは機能上人間の声からは最も遠い楽器」と私の愛するピアニスト、近藤嘉宏さまが言っていたけれど、人間の声に最も共鳴する楽器はピアノかもしれない。

 「Freinds」「Summer」「One summers day」「HANA-BI」
 次は久石のピアノソロ。私たちは最前列に座っていたのでピアノを弾く彼の顔や指はピアノの陰に隠れて見えない。見えるのはスポットライトに照らされたはげ頭のみ。ちょっと残念な気もしたが、演奏者の息遣いを間近で感じられるのは大変貴重な経験だ。しかも今日のホールは満員。通路にまで椅子が置かれ、後ろには立ち見までいる。そんな中での最前列、ほぼ中央の席に座れるとは奇跡に近い。シンフォニーホールは尼崎のアルカイックホールと並んで私の最もお気に入りのホール。音に透明感が出るのでとっても好きだ。
 久石の音楽の才能にはただただ圧倒されるが、見た目は背も低いし普通のオジサン。どこからあんなメロディーが次々と湧き出してくるのか不思議である。「Friends」「Summer」はTVCMでも流れていた有名曲。とても好きな曲なので思わず口ずさんでしまいそうになるのをこらえながら、隣に座るダンナの顔をちらりとうかがってみた。感無量の表情であった。「今日はひとつの人生の節目や。夢のひとつが叶った日なんやから・・・。ボクは高校生の時からずっと久石聴いてきたけど、よく『いつか都会に出てこうやって久石のコンサートに行ったりする日が来るのかなあ』って考えてたんや。」
「かわいい嫁さんと一緒に、な」と言ってみたがダンナは無反応であった。
 このようにダンナは感動の極地に立っていたが、私はやっぱり近藤さんのピアノの方が好きだなあと思ってしまった。特に「HANA-BI」なんてベートーヴェンぽい悲しさと激しさを感じる曲だったので「ああ、近藤さんに弾いてもらいたい」とまたしても勝手な願望を抱いてしまいました。



 第2部、新譜「ETUDE」から

「Silence」「月に憑かれた男」「impossible Dream」「Bolero」
「夢の星空」「a Wish to the Moon」
 
 このアルバムは「月」がコンセプトだそうだ。月が持つという潜在的能力と「いつか夢は叶う」という思い。太陽の下で大声で叫ぶような祈りではなく、ひとりで密やかに願う夢。自分を生かせる仕事に就きたい、愛していたあの人に戻ってきてほしい・・その夢が叶わないことなのだと自分ではわかっているのだけど、それでも祈りつづけてしまう。月に向かってこっそりと。だから優しい癒し系のメロディーではなく、悲しく激しいメロディーを取り入れて作った、とステージ上の彼は語っていた。
 そのとおり。宮崎駿の映画やCMの曲などで知る、大空に羽ばたいていくようなのびやかな明るい曲とは違った、「久石らしくない」曲が続いた。狭く小さく内面へと向かっていくようなメロディー。その中で「夢の星空」だけは唯一外に向かっていくような、夜空にただよっているようなふんわりとした曲。なんにもない夜空。光も音もない場所に何も考えずに漂っているような。ホールの照明は消され、ステージ後ろのパイプオルガンに宇宙を思わせる柔らかな青い光が照らされている。ステージの床に敷かれた青と緑の小さな電球がちらりちらりと瞬く。その青と緑の小さな光が・・・私には夜の滑走路に見えてしまいつい仕事のことを考えてしまった。やっぱり職を変えるべきだろうか。自分を生かせる仕事に就きたい、今夜は月に向かって祈るとしよう。

「la pioggia」「tango XTC」
 
最後の2曲はうってかわって情熱的!とにかく聴かせる、聴かせる、ものすごい熱さでチェロとピアノが歌いまくり。うわぁぁぁぁと聴き惚れている間に終わってしまった。最後は全員総立ちで拍手。今夜は東京に帰らなければならないから、という久石の都合もおかまいなしに全員手を叩きまくる。「トトロ」を弾いてくれたあとも拍手は鳴り止まない。チェリストたちも退場してしまった。それでもしつこくねだる客たち。困ったような顔ででもとても嬉しそうに再びピアノの前に現れた彼はもう一曲だけ弾いてくれた。聴いたことあるけど曲名は不明。なんでもいいや、曲名なんて。 ダンナ曰く、「今まで行った中で一番素晴らしいコンサートだった」。確かに今までとは違う盛り上がりと新たな世界を垣間見た感じがした。・・・近藤さんのピアノの世界とは別のもの・・・よい体験でした。

  

  近藤嘉宏 *** 2003.2.28 いずみホール(大阪) 

 2月28日。ビルのあかりに照らされて輝かしくたたずむ・・・いずみホール。このホールのよいところはなんといっても私の家から近いことだ。徒歩20分。こんな近くに近藤さんが来てくださるとは!開場時間きっちりに到着。みんな急ぎ足で中に入っていく。今日は新しいCDを買う人が大勢いるだろう。私ももちろん買う。早く行かなきゃと思いつつ、しばらく外のベンチに腰掛けながらホールを見上げていた。
 落ち着かない。ここで今夜近藤さんがピアノを弾くのだと思うと。そう、ここで、今夜、「月光」を・・・・ああ!!10分後、中に入る。CD売り場に行くとコンサートのプログラムが。1000円か・・・絶対に買うつもりでいるくせにとりあえずサンプルをぱらぱらめくってみた。
 ・・・今度生まれ変わったら犬になろう、この犬に。
 第一部はシューマンの「アラベスク」から。ホールはまさに水を打ったような静けさだ。今日はなぜだかマイクがない。近藤さんのトークがないのはちょっと残念。私にとっては近藤さんの声も音楽の一種なのだから。優しく響く「アラベスク」。ホールはすっかりあったかい夢色に染まった。
 そしていよいよ、近藤嘉宏の「月光」が始まった。1楽章の美しさには言葉もない。これより美しい音楽があるだろうか。あったとしても私には知る必要すらないと思える。もう、これで十分・・・深く深く沈みこむような低音、きらきらとした旋律が雲の上の月にまで届こうとした瞬間、再びゆっくりと静かに舞い降りてくる。その音の連なりはまさに夜空から降り注ぐ月の光そのものである。2楽章、近藤さんが歌ってる。聴いてる方もつられてうきうきしてしまう。そして情熱的な3楽章。ベートーヴェンの、いや近藤嘉宏の魅力満喫・・・ドキドキ感もひと段落ついた。ああやっと落ち着いて聴ける。「アラベスク」は次の「月光」のことで頭も心もいっぱいになってしまうせいか、実はあまり耳に入っていない。
 ドビュッシー「月の光」「亜麻色の髪の乙女」。広いホールの中、たったひとつふたつの鍵盤が奏でる音色に何百という聴衆が吸い込まれていくのを見た、感じた。
 深い森の中にいる。夜。緑色の湖のほとりにきれいな女の人がひとり。とても長い髪をしている。長い髪が風になびくたびにその間から月の光がさらさらとこぼれ落ちるようである。そしてその隣では近藤さんがピアノを弾いている。やがてふたりは手をとりあって深い森の中へ消えていく。私などおよそ知ることもできないほど美しい世界に向けて。その世界とは・・・音楽そのものである。想像もできないほど美しい世界。ふたりはそこを目指して消えていく。
 なんだろう、この寂寥感は・・・私は現実世界に取り残されながらふたりを見送る。私にはどうすることもできない、黙って見送るだけしか・・・この寂寥感は・・・関西でのコンサートが減りつつある事実にも由来している。近藤さんはやっぱり「東京」の人・・・。
 リスト「愛の夢」「ラ・カンパネラ」。あれれ?ラ・カンパネラ、すごくよかった!!ラスト、音がわーわーするのがどうも好きになれなかった私なのですが、今回はそんなに気にならなかった。とてもクリアに響いてて・・・ブラボーって感じ!新しいCDに「リストの匂ってくるようなけれん味に抵抗がありました」と近藤さんはコメントされてました。私はてっきり「愛の夢」だけに抵抗があったのだと思っていたのですが、どうやらリストの曲全般にわたって抵抗があったようなのですね。
 近藤さんがリストを弾かないなんて
!!!これは寂しい、どころの問題ではない。「悲劇」である。リストの曲って下手すると「わああ、すごい難しそー」とただあっけにとられたまま終わってしまうけど・・・近藤さんの弾くリストには隙があるんですよね。他のピアニストのCDも聴いたことありますが、決定的に違うのは近藤さんの演奏には「隙」がある。途方もなく素敵な「隙」が。私がもし近藤さんのコンサートを主催できるような力があったなら、超絶技巧練習曲を全曲通しで弾いてもらいます。そして18歳未満の方は入場をお断りさせていただきます。今度、近藤さんが「マゼッパ」を弾くことがあったら目を閉じて聴いてみて下さい。クールに淡々と弾きこなす近藤さんの、見た目に騙されてはいけません。
 後半はショパンづくし。前半がかなり個性的な曲が揃っていたためか、正直ちょっと物足りない・・・でもこれぞ本当の「癒し」なのかも。サイン会は毎度のごとく長蛇の列。最後写真を撮らせてもらおうと思ったけれどとんでもない。めちゃくちゃあわただしく嵐のようでした。カメラや携帯を掲げる人々でごった返し。もみくちゃになりながらも近藤さんはひとりひとりに笑顔とお声をかけてくださっていました。「よく乾かしてくださいね」って。近藤さんは社長と共に去っていった・・・
 そして・・・徒歩20分。家から近いのも考えものかな。余韻にひたる時間が少ないもの・・・家ではダンナが納豆を食べていました。