浅田次郎
「プリズンホテル」
集英社文庫
1.夏・・・¥552
2.秋・・・¥724
3.冬・・・¥552
4.春・・・¥686
おすすめ度☆☆☆☆

 娯楽小説ここにあり!これこそ、「ザ・娯楽小説」。私の中でひさびさのヒット作だった。
 浅田次郎氏の小説は「月のしずく」という恋愛短編集を持っているけれど、ついに最後まで読みきることが出来なかった。どんなに合わない話でもたいてい頑張って最後まで読む私ですが、唯一挫折したのが氏の作品だったため、後輩が「プリズンホテル」が面白いからぜひ!と勧めてくれたときも本当のところはあまり乗り気ではなかった。
 ところが、面白い面白い!!4冊あっという間。読み終わったあとはなんとも言えず寂しい気持ちが残った。
 終わってしまったの・・・?もっと続きが読みたかったのにな、なあんて。

 プリズンホテルの正式名称は「奥湯元あじさいホテル」。さびれた温泉町に建ち、経営者と従業員のほとんどはヤクザ。客は自首前の凶悪犯や刑務所帰りの服役囚など。地元の人はこのあじさいホテルをプリズン(監獄)ホテルと呼び、恐れている。タクシーをつかまえようとしても「あじさいホテル」の名を聞いただけで乗車拒否されてしまう。
 が、こんなホテルにカタギの人間が泊まりにくる。どこかの観光協会が斡旋しているらしい。定年後のサラリーマンとその妻、旅回りの元アイドル歌手とマネージャー、救命救急センターの看護婦長、天才登山家、自殺志望の少年、リストラ寸前の編集者、患者を安楽死させた医師。さらに警察官の慰安旅行にもこのホテルが利用される。
 全くめちゃくちゃな設定だけど、次々に登場する人物たちがどいつもこいつもかなり魅力的!
 従業員も面白い。ほとんどはヤクザだけど、中にはカタギが数名混じっている。支配人の花沢。彼は以前、超一流ホテルで働いていたホテルマンだが、取るに足らないボヤなのに宿泊者全員をホテル外に避難させ、消防車を呼び、全館のスプリンクラ-を回してホテル中を水浸しにしてしまったり、代議士の金集めパーティの予約を断ったり、養老院のツアーにスイートを提供したり、リゾートに来る若者に「カード使用禁止」などと言ったり。そのあまりの実直さが企業としてのホテル側からは敬遠され、全国のさびれたホテルを転々とさせられているといった人物。それでも彼はくじけない。どこへいってもホテルマンとして、人間としての誇りを失わない。プリズンホテルに就職した以上、「プリズンホテルの」ホテルマンとして信念を貫き通す。逃亡中の犯罪者であろうとも「お客様はお客様」。警察に通報するなどということはせず・・・。
 もちろんこんな話が実際にあるはずがない。あったとしたら問題だ。
 でもだからこそ、読んでいると夢が見られる。生活のために「企業人」でなければならない一般人にとっては。人間として当たり前のことをすること、どんなに恵まれない人にも人間らしく接すること、自分にウソをつかずに生きられること。こんなところでこんなふうに働くことができたらどんなにいいだろう。
 調理場もなかなか個性派揃い。バリバリの職人板長と超一流のクラウンホテルをクビになった洋食系のシェフ。両者の譲らぬ信念の対決もやがては友情に変わっていく。自分にウソをつかずに本心を主張するというのは自分に自信がなくてはできないこと。そんな時、自分に真っ向から反論してくる相手がいたら・・・?
 相手も真剣なのだ。相手もウソをついていないし築き上げてきたものに自信がある。最後のこのふたりの別れのシーンは涙ものである。洋食シェフはクビになったホテルから総料理長として呼び戻される。しかしシェフはいつのまにか「自分にはない板長の力」に魅了されていた。この人からもっと学ぶべきものがある、と。

「てめえ、何をしていやがる」
 シェフはきょとんと立ちすくんだ。
「何って、山菜を摘んできました」
 腰の籠からつかみ出したフキノトウを、板長は平手で叩き落した。
「そんなこたァ、てめえのすることじゃなかろうが!」
「そんなこと、って・・・・・・」
 呆然とするシェフを、板長は身を慄わせて怒鳴りつけた。
「何べん言ったらわかる!いつまでもこんなところにウロウロするんじゃねえ。クラウンに帰れ、帰れったら、帰れっ!」
 怒りながら、板長は涙をこぼした。いや、怒っているのではない。服部シェフは板長の夢そのものなのだ。きっとそうに違いない、とゴンザレスは思った。*****(P330)

 板長もシェフとの別れがつらい。でもシェフの腕と若さと将来を考えると・・・初めは敵だと思っていたが、やがては自分の夢を託すまでに相手を信頼している。それぞれに信念を曲げずに来たからこそ、そう思えるのだろう。
 自分の信念曲げないって、そう簡単にできないよなあ。。。結局は適当に流されてる方が楽だし、それに何よりもそこまでして自分の主張を言える相手にはなかなかめぐり会えない。人間関係が希薄になっている証拠だよなあ。「わかってくれなくてもいいや、こんな人と言い争ってる時間がもったいない」って妥協してしまうもん・・・・・・。


 昔気質の人間が続出してくるし、そこで繰り広げられる人間模様は人情味濃すぎて少々クサい。
 でも、「自分を愛すること」「ウソをつかないこと」という非常にシンプルなこと、なのに私たちが忘れ去っている感情を思い出させてくれる。文章も簡単で、笑いのセンスも抜群。読みながら「アハハ」と声を出して笑える。かと思えば「人を愛することとは?」という問題にも触れていて、いろんな人たちの多様な「愛のあり方」について書かれている箇所もある。それは眉間にしわが寄るほどシリアス。

 難しいこと考えずに読んでみてください。人情と正義と愛に満ちたこの小説。退屈な正月、こたつにすっぽりと収まりつつ読むには最適!
 さぁみなさま、本屋へ急げッ!!!


 *この「プリズンホテル」は私の高校時代の後輩、りーほー君が勧めてくれました。りーほー君、ありがとう!


小池真理子
「律子慕情」
集英社文庫¥457
おすすめ度☆☆☆☆☆


 小池真理子の著書の中で私が一番好きなのは「欲望」、ついで「冬の伽藍」、そしてこの「律子慕情」。
 彼女の描く世界は独特の味がある。虚無、怠惰、悲壮・・・。清く正しく美しく、そして明るく、といった光のあたる道からちょっと離れたところにある薄暗い世界。
 仕事が終わったあと電車の中で、あるいは休日に家で背中を丸めながら彼女の描く世界をひとりでこっそり旅することはとても楽しい。
 が、この「律子慕情」は彼女の作品の中でも異色。心がすうっと洗われるような作品。


 叔父に淡い恋心を寄せる11歳の律子。その後、律子が成人するまでの間に、彼女とかかわり、世を去っていったひとたちのことを綴ったもの。11歳に始まり、中学時代高校時代、そして成人するまでの少女から大人へと移りゆく期間を6つに分け、それぞれの期間に出会った大切な人との思い出が律子の成長と共にほんとに美しく描かれている。6つの話はそれぞれ全く別の人物のことが書かれていて短編集のようでもあるけど、「ひとりの少女の成長日記」として読める。
 律子は「死者と交流ができる」という特殊能力を持っていて、6つの話はどれも死者との交流が出てくるけれど、オカルトチックな感じは全然しない。


 11歳の律子は父親の弟(叔父)である晴夫に思いを寄せている。誰にも告げられない恋心。

 
私はまだ十一歳。叔父は二十八歳だった。私は、自分が叔父からは永遠に一人前の女として愛されないこと、私の叔父に対する気持ちが、滑稽なほど一方通行であることを知っていた。それは何も、私が初潮もみていないほどのほんの子供で、親子ほど歳の離れた叔父の愛の対象になるはずがない、と思っていたからではない。血がつながった叔父への愛が禁断の愛である、と自分に言い聞かせていたからでもない。理由はもっと他にある。
 叔父が愛していたのは、私の知る限り、母一人だけだったのだ。(P30


 叔父が愛しているのは自分の母。それを子供ながらに感づいてはいるものの口には出せない。

「人生は不思議だね」叔父はぽつりと言った。「もしも僕がりっちゃんのお母さんと結婚していたら、りっちゃんみたいないい子は生まれなかっただろうと思うよ。りっちゃんみたいな素敵な子は、お父さんとお母さんの間にしか出来なかったんだ、多分」(P34)

 ある日、律子と叔父が近所の土手に出かけたときに叔父がつぶやいた一言。叔父は自分の想いを口にすることなく、やがて自ら死を選んだ。自殺の原因についてこの中では明らかに語られてはいないけれど、律子の母への絶望的な恋情が原因になっていることは確か。
 
 律子はその後、大好きだった叔父の死を心の片隅に抱え込んだまま大人になっていく。その間にいろいろな恋をし、それがこの本の中で素敵に描かれている。でも相思相愛の恋愛ではなく、律子の憧れる相手はすでに別な彼女がいて、しかも彼のしている恋というのはことごとくつらいものなのである。「つらい恋によって心に、姿に、陰を持つ」そんな男性が次々に登場する。そんな彼らに寄り添い、ひそかな想いを寄せる律子の姿がとても美しい。

 数年後、律子の母が肺炎になって病院に運ばれる。母に付き添っていた律子はここで叔父と再会する。律子は死者と感応する力を持っているから。
 
 
会いたかった、おじさん、と私は言った。声は掠れ、喉がひりひりと痛み、焦がれる思いが熱く胸に拡がった。「会いたかった。会いたかった。ものすごく会いたかった」
 叔父の端正な口もとに、やわらかな笑みが浮かんだ。それは昔のままの叔父だった。
 叔父は目を細めて私を見つめると、わずかに首を傾けながら、眠っている母を見下ろした。
 叔父は何も言わなくなった。叔父から伝わって来るのは、狂おしいほどの愛情だった。狂おしいのだが、どこかに透明感があり、烈しいのに、静まり返っている。それは、愛する者に対して、これ以上、素直にはなれないと思われるほど素直になった時の気持ちにも似ていた。
 叔父はただ、母を愛していた。まっすぐに、偽りなく、愛していた。
 叔父の手が伸び、母の頬にかかったほつれ毛をそっとかき上げた。叔父の母に向けられた思いは、誰かを不幸にする愛ではなく、まして、何かを恨まねばならないような愛でもなかった。あなたが好きだ、と思う気持ちそのままの愛だった。(P246)


 このあと叔父は母の唇の端にそっとくちづける。叔父はもう律子のことは見てはくれない。でも律子は「それでよかった」と思う。

 
失ったものが山のようにあるような気がしながら、それでいて、私は幸福感に満たされていた。(P247)

 秋の夜長。明るい月夜。澄みきった夜空を見上げたときのような気分になりたいときに読む本として、いち押しの作品である。

藤堂志津子
「彼のこと」
文春文庫¥476
おすすめ度☆☆

 昔の男のことは今となってはなんとでも言えるものである。
 恋をしている当時は「いつになく真剣」な気持ちになっているのは確かなのであるが、別れてみれば「どうしてあんな男に・・・」と過ぎ去った時間の長さを悔やんだりするものだ。さらに月日が過ぎるとその男のことをネタにして笑いをとったりするのも面白かったりなんかして・・・。そんなん私だけ?いや、そんなはずはない。
 ある男が突然失踪する。家庭を放り出して、全く突然に。彼は長身でハンサム。洗練された会話で女を次々に魅了していく・・・そんな彼にかかわった女たちが12人、それぞれの視点から見た「彼」を語る、という内容。
 彼はいろんな顔を持っている。結婚相手にはとっては「よき夫」なことには間違いはないのだが、ある女性には人間性を疑うほどの冷たさで接していた。学生時代にお世話になったスナックのママが語る「彼」は『ツケで飲んでいた分を全部メモにとり、出世払いで完済した』非常に律儀な好青年。街で出会った女子高生には「遊び人」な彼、喫茶店のママには「どうやら真剣な熱情」を示す彼etc...
 つきあう女によって意図的に自分を変えているのか、それとも女がそうさせているのか。「彼」のその変貌ぶりも面白いが、「今となっては昔の話」に酔いしれ、どうして失踪したのか、その理由を勝手気ままに憶測する女たちの姿もなかなか面白い。12人それぞれの「私だけが知っている」彼の話は客観的に見るとなんだか滑稽。でもひそかに「私もこの輪に加わってみたい」と思ってしまった・・・。
 「昔の彼」に思いを馳せながら、私は読んだ。12人の女たちが語る彼はそれぞれ全く違う人格を示していたけれど、「私の昔の彼」はそんな12個の人格のどれにもあてはまっているような気がした。よき理解者、冷淡、律儀、傲慢、ひたむきな情熱。私も「昔の彼」からしたらそんなふうに見えたんだろうな。

 


山本文緒
「落花流水」
集英社文庫¥476
おすすめ度☆☆☆☆

 本の題名に惹かれて購入。
 主人公「手毬」の生涯を綴った短編集。ひとりのおんなの一生が綴られているのですが、短編ごとに語り手が変わっているのが面白い。
 初めは1967年、7歳の「手毬」について、幼馴染の外国人少年「マーティル」が彼女を語る。その後10年ごとに、手毬本人・母親・弟・娘。
 母親が自由奔放で、親としての自覚を持たない人なので手毬は生涯にわたって母親に翻弄され続ける。母親が再婚するたび苗字が変わり、そのたびに父が変わり兄弟が変わる。
 そんな中で手毬が「明るく前向きに。そして最後には幸せを手に入れた」とならないところがまた面白い。
 周りの人間に振り回されつつも、善意の人たちに助けられつつ、手毬は大学へ行き就職をし、結婚して家庭を持つ。と、そこへ今更ながら幼馴染の外国人が登場。ここから一気に雲行きが怪しくなる。「ずっとずっと好きだった、忘れられない」などどいう男には用心しなければならないナ。
 手毬はこの男のためにせっかく築いた家庭を投げ捨て、結局は母親と同じ道をたどる。が、母親と決定的に違うところは恋愛に対して「受身」だったこと。母親はとっかえひっかえ男を変えるが、基本的に己の本能に従い忠実で、そこには悩み苦しむ姿が見えない。
 定職にも就かずにアジアの国をぶらぶらしている男と浮気し、男が「アンコールワットを見に行く」と言うので「内戦をやっているそんな危ないところへどうして行くの?」と聞き返したところ、
 
その質問に男は答えなかった。フロントガラスに顔を向けたまま、横顔だけでにやにや笑っている。ああ、私もにやにや笑って生きていこう。唐突に決心がついて私は目をつむった。蒸発した前の夫の気持ちがやっと理解することができた。(P109)
 そして母はまたしても家庭を捨てるのだった。
 そんな母親に振り回される手毬にはなんとか幸せになってほしいと願いつつ・・・彼女には永遠に幸せは訪れなかった。家庭を捨て、幼馴染の胸に飛び込むもそこで再び同じように振り回されてしまうのだった。
 落花流水、とはなかなかいいネーミングだと思った。流水に身をまかせっぱなしの人生を送る人々、そんな人間たち囲まれ、流されて流されてそのまま消えていった手毬。
 人生とは結局、そんなものなのかもしれない。でも悲壮感はなかった。なぜだろう。
 手毬は最後、アルツハイマーになりボヤを起こしてしまう。そこで身内が集合。84になった母親は現役を退きもせず、化粧をしパンプスを履き、若い男にジャガーで迎えに来させる。

小池真理子
「墓地を見おろす家」
角川ホラー文庫¥540
おすすめ度
☆☆☆

 夏はホラー小説などを読むのもいい。
「その朝、白文鳥が死んだ」(P4)
 
いきなり不吉な一文で始まる。ますます期待は高まるばかり・・・。

 美紗緒は夫と子供とともにマンションに移り住んだ。
 新築、格安、都心。申し分のない条件だった。が、三方を墓地、寺、火葬場に囲まれているという、いわくつき物件である。引越しの翌朝、飼っていた白文鳥が死んだ・・・
 このマンションにはもうひとつ謎がある。地下に居住者用の物置があって、当面使わないものはそこへほうりこんでおけることになっているのだが、その地下へはエレベーターでしか行けないのだ。
 つまり階段がない。エレベーターが動かなくなれば地下に閉じ込められる。
 閉所恐怖症のケがある私には、もうこれだけでも充分コワイ・・・。

 そしてこの地下室で・・・何が??

 あらすじ&感想についてはあえて書かずにおきます。
 て、いうか・・・「コワイ」以外に思うことなかったので、感想を書こうと思っても書けない。

 ホンマにコワイです、これ。
 それではみなさま、真夏の夜をエンジョイ(?)してください・・・

乙武洋匡
「五体不満足」完全版
講談社文庫¥514
おすすめ度☆☆☆

 私はこの人のことがかなり前から気になっていた。どうしてそんなに前向きに生きているのか。
 その秘訣、そしてここまでに至るまでの苦悩をぜひとも知りたい。そしてそれを自分の人生に役立てようと思い、この本を購入した。

 ところが予想に反し、彼の人生は「薔薇色」だったのだ。いくらなんでもいつもいつも薔薇色だったはずはないと思うのだが、この本には「陰」の部分がほとんど出てこない。
 小学生の頃は友達と休み時間に野球やサッカーをして遊ぶ。その際には「オトちゃんルール」なるものを適用。たとえば野球ならラッキーゾーンの位置を内野を越えたあたりに設定する。サッカーならオトちゃんがシュートを決めれば一気に3点、などなど。それは子供たちが自ら作ったルール。
 最近子供の凶悪犯罪がクローズアップされているが、そんな子供はごく少数で、本当は子供はこんなふうに純真で優しいのだ。この本を読むと平和な子供社会に救われる思いがする。これがホントの子供の姿なのでは・・・と信じたい。
 彼はこのように周りの人間に非常に恵まれて生きてきた。だから自分が障害者であるということにひけ目を感じることもなく、かえって自信に満ち溢れている。その意気で中学高校へと進学。そして早稲田の政経に合格・・・英語のサークルでは優勝、やることなすこと全部自分の思いのままに進む。その華々しさは不愉快なほどである。
 人生こんなにうまくいくはずはない。私は彼の苦労話を聞きたかったのに。もっと本心を語れよ、カッコつけてんじゃねーよ!と途中で読むのをやめようかと思ったほどだ。
 でも。彼の両親に私は惹かれてしまい、親の話題がもっと出てこないかとわくわくしながら読んだ。彼の両親はとてもステキな人たちなのだ。

「先天性四肢切断」わかりやすく言えば、「生まれつき手と足がありません」という障害だ。原因はいまだにわかっていない。とにかくボクは、超個性的な姿で誕生し、周囲を驚かせた。生まれたきただけでビックリされるなんて、桃太郎とボクくらいのものだろう。
 本来ならば、出産後に感動の「母子ご対面」となる。しかし、出産直後の母親に知らせるのはショックが大きすぎるという配慮から、「黄疸」が激しいという理由で、母とボクは一ヶ月も会うことが許されなかった。(まえがきP2〜3)

 そして一ヵ月後の母子初対面の時がきた。病院へ向かう途中でも、母親には本当のことはとうとう知らされなかったそうで、「ちょっと身体に異常がある」程度。病院では空きベッドが用意され、母親がショックで卒倒したときに備えて万全の準備がなされていた・・・にもかかわらず、母親の口から出たひとこと。
「かわいい」
 私だったらその場でくず折れ、泣き叫ぶかショックで口がきけなくなるだろう。病院が用意していたベッドのお世話に間違いなくなる。断言できる。そしてこの先の茨の道に絶望し、自責の念にもかられ、しばらく入院することになること間違いない。
 その後も両親は徹底して子供に対して対等であり続ける。この姿勢がとてもすがすがしい。
 著者は高校進学の際、超難関校を受験するが、両親はまだ受かるかどうかもわからないのにその超難関校の近くで車椅子でも住めるマンションを探し、さっさと契約してしまう。そして受験のただ中にいる息子にこう言い放つのだ。

「もう契約しちゃったんだから、受かってくれないと困るよ」(P136)
 普通、受験生をかかえる親は、子供に対して腫れ物に触るかのように接するものだ。合格があやしいときにはなおさらではないか・・・??
 学校でクラスメートたちに手足のないことをからかわれている、と教師たちが心配しても
「これは本人が解決すべき問題ですから」と母親は涼しげな顔をしていたという。間違っても転校などさせたりはしない。
 そしてきわめつけは、

 中学一年の夏、こんなことがあった。
「ねぇ、この夏、友達と青森に旅行に行きたいのだけれど・・・」
「友達同士でなんか、危ないからダメ」「私たちもついていかなくて大丈夫?」そう言って反対されることを予想していたボクは、母の答えに面食らってしまった。
「あら、そうなの?何日から何日まで家を空けるのか、早めに教えてちょうだいね」
「へ・・・?いいけど、どうして?」
「それが分かったら、その間に、私たち(夫婦)も旅行に行けるじゃない」
 そして8月。青森へ向かうボクらを見送った直後、彼らは香港へと旅立っていった。(P251)

 すばらしい!私には子供がいないから単純にそう思えるのだろうか???
 この本は子を持つ親御さんにも一読の価値があると思う。全てを参考に、とまでは言わないけれど、ちょいと頭の片隅にでも置いておく価値はある、と思う。

辻仁成
「白仏」
文春文庫¥457
おすすめ度☆☆☆☆☆


 この人も私のお気に入りの作家さんである。が・・・容姿は全く気に入らない。
 どうしていつも背中を丸めて泣きそうな顔をしているのか。しかし、自信なさげに見せかけておいて実はとんだナルシストで、退いてしまうほど気障な言葉を吐いては世間を呆れさせる・・・そういった彼の挙動は全く理解不能。

 しかし作家としての彼の才能は、くやしいけれど認めざるを得ない。

 この小説は、彼の祖父がモデルになっている。舞台は九州のとある島。戦前戦中戦後を生き抜いたひとりの男の物語。こう書くといかにも硬派で難しい話と思われるかもしれないが、様々な時代を生きる中で主人公が出会う様々な人たち(恋人、友達、嫁、子供たち)との深い絆を描いた人間ドキュメントという感じ。文章も読みやすく、あっという間に読めてしまいます。
 このように愛の絆の物語、という一面を持つ一方、「死」についてとても真剣に描かれていて、いろんなことをしみじみ考えさせられる。私はこの小説の最も重要なテーマは「死」だと思っている。
 実にさまざまな人間のさまざまな死について描かれている。人それぞれ顔かたちが違うように死に方も人それぞれだ。著者はあらゆる「死」について全力で考え、全力で描ききっている。著者の視点には揺るぎない信念というか情熱があり、文章は終始淡々としているが、そこには言葉では言い知れない力がある。柔らかな九州弁でなされる会話のひとことひとことに重みがこの小説全体ににじみ出て、「死」と考えると同時に「生」についても考えさせられる。辻仁成という人は見た目はああだが、真面目で思慮深くて芯のある人だと思う。
 この小説の主人公、稔は発明好きで、戦前は刀鍛冶、戦中は鉄砲職人、戦後は海苔の加工機製造に力を注ぐ、まあごく普通の小市民といったところ。しかし、戦中戦後の荒波の中で生きてきた彼はある日思いたつ。戦死した兵隊や、若くして死んだ初恋の人、友達、家族の魂を癒すため、生まれてから暮らしている島の、島中の墓の骨を集め、真っ白な仏を作ろう、と。だからこの小説の題名は「白仏」。
 年老いた稔は骨を集める活動を開始する。島民の墓を掘り起こし、骨を集め、砕いて、まぜこぜにして白仏を作るために。

「甕の中には足を折ってしゃがみこんだ緒永久の骸骨があった。緒永久の肉体が溶けてそうなったのか、あるいは雨水が長い年月を経て溜まったせいか、半透明の真っ青な液体が甕の4分の1ほどの底で光を反射していた・・・髪の毛は黒々と伸びて、それは甕の底の青い液体にまで達し、線画を書いていた。緒永久の骸骨ははにかむように俯いていた」***(本文P271〜272)
 初恋の人、緒永久(おとわ)の墓を掘り起こした時の描写。緒永久は土葬にされたためこのように美しく(と私は思った)残っていたのだった。
 緒永久は嫁ぎ先で若くして不幸な死を遂げた。50年以上昔、まだ子供だった稔がこの墓の前で亡き初恋の人を思う姿も印象的で、この小説の中で私の最も好きな場面である。

「緒永久の名を小さく声に出してみた。当然返事はなかった。盛土の下に彼女の死体があるのだと想像したが、実感はわかなかった。死体は壊れていく。分解してしまう・・・稔は墓標に触れてみた。決して温かくなることのない冷淡さがそこに在るだけであった。これが死なのだ、と稔は自分に言い聞かせた・・・・稔は寝ころび、涙で塗れた頬を盛られた土に擦りつけてみた。石板よりは柔らかさがあったが、やはりひんやりと生を拒絶していた。稔は墓を抱きかかえようとし、腹這いになったまま手を伸ばしてみた。頬を押しつけ耳を澄ませた。もうこの世に緒永久の魂がないと考えて心が欠落していくのを覚えた。自分の生を支えた存在が消失したことを稔はどう理解していいのか分からなかった。もう二度と会えないのだ、と声にしてみた・・・どんなに遠くにいても会いたいと思い続ければいつかは会えるかもしれないというのが生だった」***(本文P78〜79)
 幼い心の中で「死」と必死に向き合おうとする姿。当時の稔にとっては「死」が理解不能なのである。しかし、緒永久の墓で涙を流しているうちにある結論に達する。
 緒永久を構成していた端麗な顔、美しい肉体、それらはいったいどこに行ってしまうのだろう。そんなことを考えているうちに、この悲しさは肉体的な別れを惜しんでのことであり、緒永久の本質は消えておらず、自分がその記憶を持ち続けている限り、その本質は決して消えるはずはない、と。 愛した人の記憶は、その人の記憶を心で大切に持ち続けている限り、自分の心の中で生き続ける。私は全てを失ったわけではない。
 私は愛するダーリンが死んだときにこう思えるだろうか・・・そんなことを考えてちょっと涙が出た。そこまで人間できてないので難しいかも。


小池真理子
「欲望」
新潮文庫¥667
おすすめ度 ☆☆☆☆☆

 好きですね、これ。
 今まで読んだ中で一番。これ以上の恋愛小説に私はまだ出あっていない。

 図書館司書の青田類子とかつての同級生秋葉正巳とのめちゃめちゃせつなく、そして激しい恋のお話。
 テーマは「大人のプラトニックラブ」
 正巳は頭脳明晰、なおかつ誰もが振り返るほどの美貌の持ち主、人望も厚くクラスでは学級委員を務め、スポーツ万能でユーモアもあり・・・こんな奴、ホンマに実在するわけがないが。
 とにかく非の打ち所のない男なのだ。私はいっぺんに正巳のトリコに・・・しかも彼の身上が不幸なことがなおいっそう彼の美しさを際立たせている。彼の家庭は少し複雑で、何よりも不幸なのは性的に不能なこと。
 高校生の頃(中学生だったかな?)に交通事故で下半身に重傷を負い、それがもとで不能になってしまうのだが不能になったからと言って性に対する欲望が消えたわけではなく・・・このような意識と肉体の乖離状態がなんとも悲惨なのである。
 精神と肉体の乖離。これが終始、この小説の重要なキーワードになっている。

 類子は「不能な」正巳と精神的恋愛を継続させたいと熱望しつつ、一方で妻子もちの男と肉体だけの関係に溺れるといった、こちらも肉体と精神が乖離したまま生活を送っている。この妻子もちの男、能勢と正巳との全く異種の人間関係を描くことにより、「プラトニックラブ」の高貴な姿が明確に表現されているのは見事である。体だけの関係がいかに不毛で無意味なことか。
 この小説はかなり大胆な性的表現がされている部分があるが、全然いやらしく感じない。以前にこの本を友達に貸したことがあって、感想を聞くと、
「うーん。私にはよくわからない。こういう話が理解できるのはきっとあっこちゃんがオトナだからだよ」
と言われた。人それぞれに感想が違うのは当たり前だが、私はこの小説はもうあまりにピュアすぎて「二人とも!もうオトナなんだからしっかりしろよっ!」といらいらさせられることしばしばだった。

 セックスの経験のない正巳が「性」に対して描いているものはどこまでも理想論でしかなく、現実性がない。その理想は性に対する欲望とともに正巳の中でどんどん美化されていってしまうのである。だから類子がいくら「あなたとは精神的につながっていればいいの」と言葉を尽くし態度で示してみても理解してもらえない。
  これが、せつない・・・・

 肉体で愛を語れない二人の、言葉で性を交わしあう様子は逆に、性に対して超リアルであり、超官能的であり、そして超哲学的である。

 最後に正巳は死を選ぶ。予想した結末であったが。でもとことん「美」にこだわる彼がどのような手段でどこでいつ死ぬのか、と終始緊張させられた。
 彼の死に私は号泣してしまった。全てを理解したうえで愛し合っていると理解しているはずの彼がどうして死を選んだのか。残された類子があまりにもかわいそうだ、と本気で苦しかった。それほどまでに類子に共感していたのである。
 私はこの小説を4回読んだ。2回目を読み終わったとき、本文外の冒頭の一文の意味が突然わかった。
「眠らないでくれ、幕引きを見せるから」
 小池真理子はある小説からこの一文を引用し、巻頭に載せていた。
 ああ、そうか。正巳は類子を真剣に愛していたのだ。自分の不能に絶望していたばかりではなかったのだ。
 類子の目前で死を選んだこと、それもとても美しい最後だったこと。正巳は最愛の類子に彼なりの美学を見せつけつつ死んだのだろう。それはとても幸福な気持ちだったに違いない。

 
「正巳が死んでも、私は生き続けていた」***(本文P448)
 正巳の死後の話を著者はこの一文で始める。
 このひとこと、この簡単なひとことで類子の絶望の深さが痛いほどわかる。
 これがプロの技というものだろう。
 類子は正巳の死後、別の男性と結婚し、静かな生活を始めた。

「正巳、正巳。その名が、私のすべてであった時期があった」***(P457)

「20代の初めのころからだっただろうか。私は自分が、長い長い旅をしている、と思うことがよくあった。とりわけそういう気持ちは結婚してから強くなった。勤め帰りのバスの中、慣れ親しんでいるはずの街の灯を見ながら、自分はいつかまた、この場所と訣別して、別の場所に向かっていくに違いない、などと考える。それがどこなのかは、わからない」
「そんな私にも、旅をしているという感覚と無縁でいられた時期があった。20代後半のほんの一時期。私は自分がいるべき場所にいる、という実感をもつことができた。私はあの時期、旅をするのをやめていた。・・・私は秋葉正巳に恋をしていた」***(P32,33から)

 この小説は正巳との恋を、歳をとった類子が回想しつつ進んでいく。はじまりの文章はこれである。
 旅をしている感覚。この感覚はきっと誰もがどこかにひっそりと抱えている感情なのではないか・・・私はそう思う。