
| Q: 王地山焼は、いつどのようにして始められたのですか。 |
A:
江戸時代末期の文政元年(1818年)、当時の篠山藩主青山忠祐が王地山 (篠山市河原町)の地に、京焼の陶工欽古堂亀祐(きんこどうかめすけ、1765−1873)を招いて始めたものです。以後半世紀、数々の名品を輩出しましたが、明治の廃藩で、篠山藩と運命を共にして消滅しました。
(写真は陶器所古図ー明治時代) |
| Q: 王地山焼はそうすると、もう作られていないのですね。 |
A: いいえ。明治以降途切れたこの美しい陶器作りを再現したいという地元の人の願いが叶って、1988年に発祥の地である王地山に、「王地山陶器所」が作られ、再興されました。若い職人さんたちの手によって、新しい王地山焼が作られ販売されています。ただ、当美術館で紹介するのは江戸時代に作られた王地山焼の作品です。
(写真は王地山にある現在の陶器所) |
| Q: 昔の王地山焼の現物はどこで見ることができますか。 |
| A: 王地山焼だけを集めた美術館はまだありませんが、篠山市立歴史美術館にはいくつかの代表的な作品が独立したコーナーに展示されています。
現代の王地山焼は上で紹介した「王地山陶器所」(079-552-5888)や大正ロマン館などで販売されています。 篠山への行き方や場所、交通手段については、目次のページの下(リンク)のMapionロゴをクリックしてみてください。また篠山の案内については篠山市のホームページをご覧ください。 |
| Q: 王地山の特徴はどういったところにありますか。 |
| A: 釉薬で分類すれば、青磁、染付、白磁、赤絵などが主流です。
恐らく最も評価の高いものは、青磁の中にあります。これは亀 祐が青磁の達人であったからです。とは言え、当美術館でも紹介いたしますとおり、染付や赤絵にも数々の名品があります。
王地山焼は、篠山藩お抱えのいわゆる藩窯であったため、一般に出回ることは少なく、江戸時代も製品の数はもともと少なかったようです。まさしく幻の陶磁器であることが一番大きな(そして残念な)特徴と言えましょう。 (写真は欽古堂亀祐作の柿本人麿像) |
| Q: 王地山焼と三田青磁は同じものだと聞きましたがそうなのでしょうか。 |
| A: 三田青磁は、江戸末期から大正時代にかけて現在の兵庫県三田市(篠山市の南に隣接)で作られました。そもそもこの草創の頃に指導したのが、上で紹介した王地山焼の祖 欽古堂亀祐ですから、作風が似るのも当然かもしれません。
また本来王地山で焼かれたものが、誤って「三田青磁」とされている場合もあり、まことに残念なことです。 |