高岡五郎直宗
Takaoka Naomune
(1336-1402)


諱は直宗。高岡師宗の五男。隱岐守護山名宮内少輔時熈の臣なり。

出雲国守護鹽冶判官高貞侯讒死の時、父高岡師宗相供自害。師宗の五男直宗は、舎兄重宗らと共に幼少ゆえ山名時氏に助命され死を遁れる。(この時高岡を廃し一旦姓を佐々木氏に複す)。

佐々木直宗は長じて、隱岐守護山名宮内少輔時熈侯に仕へ隱岐別府へ居住す。この時山名時熈は讒言を被り、山名満幸侯に追討せられ領地を失ふ。

直宗は処士と爲り、山名時熈侯に供奉して備後に籠居す。翌明徳2年(1391)山名満幸侯挙兵し、本流高岡重宗、高重親子は山名満幸侯に従ひて敗れ、出雲の本領失之(この後出雲は京極氏の領國になる)。

分流高岡直宗並子息(高岡高重の従兄弟)國宗、國重、國直らは、備後に籠居せる山名時熈侯に従ひて戦い、(山名満幸側の高岡高重と戦って)勝利を得る。 これに依り高岡高重は敗れ、高岡直宗が本流を継承したが領地は但馬に移され、のち嫡男國宗がそれを相続した。 また一説に二男國重は此時軍忠抜群ゆえ、明徳3年(1392)丹後國与謝郡男山庄を賜ひ彼地に下向したといふ。


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