字は蔵太郎とも称す。高岡氏養子。實は麻島角右衛門の息子。幕末新撰組隊士なり。
弘化3年(1846)武蔵國江戸に生れ、高岡氏の養子となり、大和國高市郡池尻村の旗本神保弾正忠に仕える。宿所は深川富川町。然して神保弾正が戊辰戦役の時、奥羽越列藩同盟に加わるや此に従い、明治元年(1868)10月30日箱館編成新撰組に入隊し、同2年(1869)4月第一分隊所属の隊士となる。同5月15日弁天台場にて降伏する。
その後、弘前の薬王院に収容され、再び弁天台場に送られ、二番長屋に収容されていたが、病により同3年(1870)3月18日病院入りが許されている。
同4年(1871)4月静岡藩へ引渡され放免となる。