字は源蔵。靜觀、また閑亭と号す。出石藩漢方醫なり。 漢方を修め、醫術を以て出石仙石侯に仕ふ。出石東條町に住す。 風雅にて余技に作陶す。其の陶、鉄分を含み茶褐色無釉の陶器なれば、 出石窯の白磁と趣を異なり、仙石侯より高岡窯と称せらる。 明治20年(1887)頃姫路東山窯の名工中川鷺脚を招き作陶す。 明治31年(1898)2月16日歿69歳。