武寧王
Shima no Kokishi
(462-523)
武寧王は百済國の第25代王にして、諱は斯摩。父は第21代百済 蓋鹵王。母は恩率贏高軌の女なり。
人皇第15代應神天皇の御代、百済國より阿直岐、王仁ら儒者渡來して、百般の文物を貢す。
人皇第21代雄略天皇の御代、5年夏4月百済國の蓋鹵王、王弟の軍君を諭して曰く、「汝、よろしく日本に往きて天皇に仕へまつれ」と。而して軍君、君命を奉じて将に発せん時に「願くば上君の寵嬪を賜へ」と云ふ。
蓋鹵王これを納れて、孕婦を軍君に與ふ。「孕婦、既に産月に臨むなり。
若し渡航の途に男児を分娩したらんには、何処に到るとも一船に載せて速かに故國に還せ」とて確く約して袂を分つ。
果して同6月朔日孕婦、航途加唐島1)に到りて男児を産む。依て島君と名づけ、船を艤して百済國に送還す。
之、後の百済國の武寧王なり。百済人は此島を呼んで「主島」と云ふ。
1)加唐島は、名護屋村内の一小島なり。水産豊に住民衣食に安じ、壹岐の南方四里、名護屋城址の北方三里の海中にありて、
往昔、三韓交通の要路たる一島なり。
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