立志りつしゝゃ設立の趣意

明治7年(1874)4月10日 舊土佐藩士 板垣退助の提唱によりて「立志社」を設立す。


幕藩体制300年の長きに亘れる徳川幕府を、戊辰之戰役にて討ち倒し、王政復古して、 武家封建制度を、近代的郡縣制度に改めしも、維新の新政府の要人をして、 榮進してその權勢に酔ふに、復た舊來の特権階級を輩するに至る。

板垣退助これを見ゆるに「吾等、維新の志士、いづくの為に舊來の因習を廃さんや。嘆く可か その心勞を。男子、志を立つに必ずや初志貫徹を旨とす」と看破して、土佐に帰して「立志社」を設す。

退助の言「即ち3千有餘萬の人民、盡く同等にして、之に貴賎尊卑の別なく、當に其一定の権利を享受し、 以て生命を保ち、自由を保ち、職業を勉め、福祉を長じ、不羈獨立の人民たる可き事、 昭々乎として明白なり」と説く。

而して自由民權運動を起こし、民撰議院(國会)の設立を建白し、 民主憲法の発布を問ふに至る。



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