小千御子
Ochinomiko
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小千御子は、彦狭嶋命の第三子なり。母は、伊豫國人の女で、和気媛命と云ふ。

人皇九代開化天皇の御代、彦狭嶋命は勅を奉じて、三嶋明神に仕へ西南鎮護の藩屏職を兼ねる。 この時、土佐で賊徒が蜂起した為、大矢田根雄を大将として、伊豫國へ下られた。

白人、城を築き、戰となりて官軍は克たず、大将、根雄が討死す。この時、小千御子は「吾、苟くも西南鎮護の任を預かる身なり。 彼の逆賊他見哉」と言ひて、直ちに行きて昆谷を見つけ、勝敗の運を天に任せて、土佐へ赴き、賊の首魁、 田上之昆谷と逢ひて大敗を喫し、…(中略)黨不敵成者敢不加戊誠寛仁大慶温厚而克懐人大國主也。 この時、御年十八歳。然後は、伊豫二名洲は静謐で平穏なり。 御子の壽齢八十一歳にして、實に人皇十代崇神天皇三年丙戌三月に薨去す。殿舎は伊豫國小千郡大濱にあり。 後代、人皇五十六代清和天皇の御代、諸國の神社に「八幡宮」之神號が贈られた。この時、小千御子之靈社は、 「大濱の社」と称し、宇佐八幡應神天皇と合殿に祭られ、「大濱八幡宮」と称せられた。 祭日は中秋の望日なり。河野之本家、末家、旗下、末葉らは、神輿で渡御し、二名洲の第一等の大祭なり。


譜云「小千御子(彦狭嶋命第三子)。母者、伊豫國人娘 和気媛命也。 人皇九代開化天皇之御宇、勅奉代彦狭嶋命、三嶋大明神仕、兼西南鎮護藩屏任職。 于時土佐國賊徒起、大矢田根雄爲大将而下伊豫國、白人築城雖爲戰官軍不克。 剰大将根雄爲討死。于時、小千御子「吾苟爲西南鎮護、以身、彼逆賊他見哉」 言而直行見、昆谷、勝敗可任天運、則到土佐國。賊主田上之昆谷、逢而大敗客、 而近賊主昆谷、以計略、昆谷■補中提而陣中雖出怒■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■爲■命依之■■■■■■■■■■■■■■■■ 黨不敵成者敢不加戊誠寛仁大慶温厚而克懐人大國主也。此時御年十八歳。然後者伊豫二名洲静謐而無事也。 御子壽齢八十一歳、而人皇十代崇神天皇三年丙戌三月薨去。殿舎伊豫國小千郡大濱。 遥歴星霜而人皇五十六代清和天皇之御宇、諸國之神社贈八幡宮之神號。 此時小千御子之靈社「大濱之社」、宇佐八幡應神天皇合殿、祭而大濱八幡宮云。祭日中秋望日也。河野之本家末家旗下末葉、神輿渡御而二名洲之第一等之大祭也」

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