田村山極楽院 安養寺 真言宗智山派 総本山 智積院
    ■関東八十八カ所霊場 第六十八番札所
    ■多摩新四国弟八十五番札所
    ■日野七福神 毘沙門天

   〒191-0024 東京都日野市万願寺4−20−8  多摩モノレール「万願寺駅」より徒歩約7分
   電話:042−581−3624
   FAX:042−581−3625
   第二十一世住職:石黒忠雅

 田村山安養寺(真言宗智山派)は高幡不動尊から浅川を渡った北東にあり、多摩川の近くに位置しています。将棋好きの言葉で「王手は日野の万願寺」と言いますが、その万願寺の南東に接しています。なお、今日万願寺というお寺はなく、地名として残っているのみです。
 「田村」というのは、かつての日野市下田のことですが、その名はこの辺りから起こり、居館を構えていた武蔵田村に由来しています。田村氏は日奉氏族西党の一氏で、知行地を有していました。田村駄太郎知實、その子の同三郎弘綱(平安時代後期?鎌倉時代初期)等の末裔に、安養寺を開基したといわれる田村安栖がいます。
 田村安栖は小田原城御殿医で、小田原北条氏最期の場面に小田原の自邸を提供し、氏政、氏照兄弟が切腹場に当てた(1590年・天正18年7月11日)ことは「北条五代記」(小田原記)に詳しく書かれています。今でも小田原市の中央部に「安栖小路」の名が残っています。
 安養寺の本堂(1690年頃・元禄時代初期)は田村氏の書院の一部を使い、建立されたと伝えられております。また、本堂北側に隣接する茅葺屋根の庫裏は本堂よりも古く、中興開山法印慶深の位牌に1606年・慶長11年11月22日没と刻していることから、その前後に建立されたものと思われます。黒光りする古い柱や床に残されている手斧の跡に、古館の結構を偲ぶことができます。
 本堂に安置されている本尊阿弥陀仏如来坐像(都重宝)は、安養寺の前身である万願寺の本尊であったものと思われ、平安時代後期の作で端麗で細部の手法も見事です。また、藤原時代の毘沙門天像、鎌倉時代の大日如来立像等、多数の古仏も安置しております。
 現在の本堂は、1983年・昭和58年に檀信徒をはじめ日野市並びに東京都のご協力により、改修復元工事を実施することができました。今日まで幾多の歴史的災害をのりこえてきたこれらの文化遺産を、私達は先人の例に習い、皆様と共に子々孫々に伝え護持していかなければならないと思います。 合 掌。
                            田村山安養寺 第二十一世住職 石黒 忠雅
 (HPより)

  本尊 阿弥陀如来像

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御堂の本尊として安置された寄せ木造り檜木で漆塗り金箔は所々に残っている。補修は殆ど無く、当時の姿を良く残している等身像である。藤原時代の様式を具備し、像容は端麗で細部の表現も行き届き高雅な、洗練された美しい仏像である。関東の寄せ木造りの最も古様を示し、製作年代も古く十一世紀後半頃製作されたものと思われ、一本造りから寄せ木造りに移行する初期の関東における重要な作品である。
(身高
90cm・膝幅69.5cm


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