日什大正師年表

西暦 和暦(北朝)

御歳
1314

正和3 

 1 
 4月28日会津若松に生まれる。父は石堂太郎覚知(いしどうたろうまさとも)・母は会津城主葦名四郎藻盛宗(あしなしろうもりむね)の娘の清玉(きよたま) 幼名は玉千代丸(たまちよまる)
1328

嘉暦3

15
両親を病で亡くす。このころ権太夫国重(ごんだゆうくにしげ)と改名
1332

正慶元

19
比叡山にのぼり慈遍(じへん)の弟子となり玄妙(げんみょう)と称す
1351

観応2

38
山門の学頭にぬきんでられ玄妙能化とよばれる
1371  応安4

 58 
玄妙会津にかえる。東光寺の住職となり、学徒に天台教学をとく。
1379  康暦元

66
このころ日蓮聖人の「開目抄」「如説修行抄」二抄を読み改宗。日什と改名
1380

康暦2 

67
3月23日真間弘法寺(ぐほうじ)に帰伏(きぶく)、御書を勉学。
1381

永徳元

68
 2月千葉郷にて布教。4月上洛。6月23日公家奏聞(くげそうもん)・二条関白良基(にじょうかんぱくよしもと)(奏聞第一度)7月6日洛中弘法(らくちゅうぐほう)の綸旨(りんし)。二位僧都を賜る。7月7日下向。下総弘法寺に帰着
1382

永徳2

69
3月鎌倉にて足利氏満(あしかがうじみつ)に対面し宗義を訴える(武家諫暁ぶけかんぎょう)。本興寺を創立上洛 二条関白良基に法華信仰をすすめる(奏聞第二度)
1383

永徳3

70
京都室町六条に草庵をかまえ布教。関白受法(奏聞第三度)
1385

至徳2

72
見付(現磐田市いわたし)玄妙寺・品川本光寺創立
1386

 至徳3

73
吉美(湖西市)妙立寺・船目ふなめ(木更津市)本立寺創立
1387

嘉慶元

74
11月27日弟子日妙遷化
1388

嘉慶2

75
8月21日日妙一周忌。諷誦章をよむ。8月25日諷誦章の裏に「置文(おきぶみ)」・・真間帰伏状を破す日什門流の独立。
1389

康応元

76
京都室町六条の草庵を妙塔山妙満寺。松野妙松寺創立。
1390

明徳元

77
3月7日将軍足利義満(あしかがよしみつ)に庭中する
1391

明徳2

78
7月25日京都発。帰国の途に着く
1392

明徳3

79
1月20日「一旨三通の置文いっしさんつうのおきぶみ」妙法寺・玄妙寺・妙満寺(日什跡の事あとのこと) 2月28日御入滅