滝めぐりトレイルラン In Mt.Rokko
あきらめないこと。 どんな事態に直面しても あきらめない
結局、私のしたことは、それだけだったのかもしれない。
登山家 植村直己
皆さん、こんにちは。 いつもご覧いただいて本当にありがとうございます。
今回は8月24日に行われた滝めぐりマラニックと六甲山のお話しです。
六甲山と書いて「ろっこうさん」と呼びますが、なぜでしょう。
江戸時代の絵図にはすでに「六甲」の文字記載が見えます。
ところが、読み方は「ろっこう」ではなく、「むこう」あるいは「むこ」と読まれていたらしいのです。
つまり「六甲山」は「むこの山」です。
これには証拠もありますよ。 現在の西宮市から宝塚市にかけて八世紀以降、「武庫郡」と呼んでいました。
またこの群の東側を流れる川は「武庫河」でありました。
六甲山やその南麓から南東に広がる土地を「むこ(むこう)」と呼んだのは、古墳時代の半ばころの政権所在地、
大阪平野を流れる淀川の東側の河内(かわち)=大阪平野の人々ということになります。
つまり河内=大阪に根拠をおく豪族にとって、淀川より東側の土地は、政権の中心がおかれる「河の内側の土地」、
まさに「河内」の地でした。
川は現在では橋がありますから問題ありませんが、古代の人々にとっては川をはさんだ両岸の地域は
ほとんど交流のない、まるで外国のようでした。(言葉も川を挟んで変わります、なにせ普段の交流がありませんから)
(大阪方面より眺めた六甲山) まさに川の向こうの(向こう=六甲)山々という感じです
ですから、淀川はこちら側と向こう側を分ける境界だったわけですね。
それに対して淀川の西側は、その「向こう」側にあるところという意味で、「むこの国」と呼ばれていたらしいのです。
このように淀川をはさんで、西側の地域は「河内」方面の人々が、その対岸のクニという意味で、広く「むこの国」と呼び、
その中でひときわ高く、かつ海に面してそびえる六甲の山並みは、「むこの山」と呼ばれていました。
つまり「むこの山」という地名は、地元の人々ではなく、河内の人々が名づけた呼び名です。
その言い方が、武庫の当て字である六甲(むこ)に変化した可能性が指摘されています。
川では淀川より向こう側の川、つまり「武庫川」となったわけです。
今回の滝めぐりトレイルランもその六甲山で行われました。
ここはトレランや全山縦走、ヒルクライム、ウルトラマラソン練習等々がすぐに出来てしまう、我々にとって、かけがえのない山ですね。
ではスタートしましょう
例によって阪急 芦屋川駅に集合
遠方から来られた方も・・・お疲れ様でした。
コースは、台風の影響で多少変更になりました。
芦屋川~高座の滝~地獄谷~風吹き岩~本庄橋を経て六甲山頂です。
地獄谷は正規の登山道ではなく、いわゆるバリエーションルートになっています。
ロックガーデン西側の谷側を登るルートです
あれっ、誰ですか・・・岩にはさまれて動けないののは!?
さては、滝の妖精「ムネムネ」かな。 水がないと元気が出ないよう~と叫んでいます。
逆さアンパンマン見たいですね
水に浸って、やっと元気が出たようです。
えーと、お湯加減はいかがですか~? 少し冷たい・・・気のせいでしょう
そうです、上を見てれば怖くない。でもたまには怖い。
山行にしてはシックに決めてきましたね。 今回のベストドレッサー賞です!
なんか舐めたいの? カメラ?、僕の足?、それとも・・・
おっ、かっこいいですね、黄色いタオル止めがおしゃれのアイテム
いつも仲睦ましいお二人、当然同じ場所でポーズねっ
さすが、登り慣れてますねぇ~ 3点保持で余裕シャクシャク
坊や、足元気を付けてね、は~いお母さん さっきおにぎり食べたから大丈夫だよ~
この達成感が最高にいいんですよね いい笑顔。
ドラゴンネーさんはやっぱり赤がお好き! 全身真っ赤か!
このケルンが昔の六甲山頂。
かつて、米軍のパラボラアンテナが設置されていた時代は、現在の最高点が立入禁止のため、ここが山頂。
妖精ムネムネがそっと教えてくれました。
山頂からは、有馬下山組と岡本下山組に分かれて解散。
楽しかった滝めぐりはAAC夏の風物詩のひとつですね。
冷たい川水があれば、熱さなんか吹っ飛びます! お疲れ様、また来年を楽しみに。
今回はここまで、皆様ご覧いただいて本当にありがとうございました。