吹けば飛ぶような将棋の駒に
賭けた命を 笑わば笑え
「王将」の歌詞ですが、この言葉そのままに生きた棋士がいました
故 村山聖(むらやま さとし)八段
1998年8月8日 享年29歳
ご無沙汰しております。
今回は昨年 松山ケンイチ主演(村山聖 役) 東出昌大(羽生 善治 役)で
「聖の青春」というタイトルで映画化された、夭逝の大天才 将棋棋士 村山聖 八段を取り上げました。
映画 「聖の青春」 松山ケンイチ主演
私は、子供のころから、将棋が好きで、(ゲーム機器などもちろんなかった時代ですから)
学校の級友や、近所のおじさん達と、よく指して遊んでいました。
今の世の中にはもっとビジュアル、かつ迫力のあるゲームが無数にありますが、将棋を指す方ならご存じでしょうが
今でもゲームとして決して色あせることなく、逆に子供さん達を中心にブームになっています。
それは、将棋というゲームが群を抜いておもしろいからでしょう。 勝った時の嬉しさ、というよりも負けた時のくやしさは
半端じゃありません。 へたをすれば、一日中くやしいです。 負けた相手から暗に「おまえ頭悪~っ」といわれているようで
・・・・(笑)
将棋や囲碁は日本文化ですから、プロ棋士は対局中はもちろん、勝負がついた後も非常に礼儀正しいです。
しかし、内心たるや相手に殺意を抱く(笑)程、悔しいのではないでしょうか。
最近では、14歳の藤井聡太君が4段昇段(プロは4段から正式にプロ棋士となります。相撲でいえば、新十両のような感じです)
の最年少記録を塗り替え、またその後も連勝記録を伸ばし続け、最近では非公式戦ながら羽生善治三冠を破るという邁進ぶりです。
将来は間違いなく名人、竜王になるでしょうね。
また神木隆之介主演で、棋士をモデルとした「3月のライオン」も公開中です。
強くなりたい、負けたくないという気持ちは素人も同じで、私も子供のころ、定跡本や詰将棋の本、連盟機関誌の
「将棋世界」などを毎月のように読んでいました。
↓私が少年時代に買ってもらった将棋駒と将棋盤です。いまでも大切に使っています。
中学生の頃は 「王将」や「通天閣」で有名な坂田三吉の弟子で九段永世名人の「升田幸三」という棋士にあこがれていました。
ひげをぼうぼうに生やし、頭は長髪でボサボサ、鋭い眼光で相手を睨みつける、いかにも仙人か野武士を思わせるような勝負師の
風貌と新手を繰り出すその指し手に、大いに感動していたものです。
永世名人 升田幸三
そんなこともあって将棋好きであった私は、村山聖八段について、現役時代からよくテレビや、
将棋雑誌などで知っていました。
彼は、当時から同じ広島出身の羽生善治八冠王に 異常なほどの闘志を燃やしていました。
対 羽生戦 対戦成績はほぼ互角
しかし、不幸なことに彼は幼少期から肝臓の難病「フロネーゼ」をかかえていましたが、
追い打ちをかけるように、プロ入り後に癌を患い
入院や手術を繰り返し、それでも気力で厳しい将棋を指し続けました。
プロの対局は通常午前0時~2時と深夜にまで及び、限界に近い体力と闘いながら対局を行い、勝っても負けても
彼は宿舎に帰ると必ず高熱を発し、翌日目が覚めると、「ああ、今朝も生きていられた・・・よかった」と安堵したといいます。
そのような境遇の中、プロ棋士の最高クラスであるA級八段にまで上り詰めました。
しかし、名人戦挑戦権獲得まであと一歩のところで、あの世へと旅立ちました・・・
夢にまで見続けた「名人位」を目の前にしていましたが、29歳という若さで亡くなってしまったのです。
特に同郷の羽生名人(当時)に対するライバル意識は大変なものであったと聞きます。
体力さえ人並みであったら・・・村山氏は何度もそう感じ、悔し涙を流し続けたことでしょう。
しかし、死を意識するようになり、彼は鬼気迫るごとく、残り少ない人生を将棋に賭ける道を選びます。
壮絶というにはまだ言葉足らずのくらいの闘志で、人生、魂を賭けて打倒羽生、名人を目指します。
彼には残り時間がないのです。
本当に「吹けば飛ぶような将棋の駒に 賭けた命」ですね。
師匠の森七段は、彼が入門当時から我が子のように、あるいは我が子以上に亡くなるまで
村山少年を助け、励まし続けます。
決して甘やかすのではなく、名人になる夢をかなえるため、一心同体となって面倒を見続けました。
この度私は、村山少年が奨励会(プロ棋士養成機関=天才年の集まり)時代からプロ時代の大部分を
過ごした、大阪は福島区を訪れ、彼の足跡を訪ねてまいりました。 いわゆる聖地巡礼ですね。
では一緒にご案内いたしましょう
↓大阪市福島駅界隈です。 あまり行かれる方は無いかもしれませんね。
まずは阪神電鉄、またはJR「福島駅」下車。
「なにわ筋」 を北に向かいます。すぐに阪神11号池田線の高架下に来ます。
その高架下に、村山氏が、師匠の森信雄七段とほぼ毎日のように食事に通ったという「更科食堂」
があります。
あいにく日曜日は更科が入っている福島駅近くの地下商店街が定休日でした。
やむなく村山氏の師匠の森七段の写真を掲載しました。
場所柄、サラリーマン相手の商売なのでしょうか。 何を食べてもおいしそうな店ですね。
JR福島駅地下食堂街 蕎麦屋{更科食堂}
恩師匠の森七段 森信夫写真集より
↑大阪の福島駅は一歩裏手に入れば、まさに下町といった感じです。 上は更科食堂のある集合ビルです。
雰囲気だけでもお伝えできますでしょうか?
写真左上、黄色の看板にある「更科」が常連店だったとのことです。 700円~800円の定食が中心です。
超々難関の奨励会を突破した颯爽たるプロ棋士が、随分質素なところで食事をしていたのですね・・・
ここが、関西将棋会館です。
公式対戦、将棋教室、一般人対戦の道場、売店、などがあり、東京千駄ヶ谷にある将棋会館に対して関西の拠点となっています。
映画の撮影も行われました。
↓将棋会館道場の室内風景です。
この上の階にプロや奨励会員の対局室などがあります。(通常は一般人は入れません)
お年寄りと子供の対戦も珍しくありません。 売店で売っていた駒。 すばらしい!
松山ケンイチのサイン 東出昌大のサイン
次に、将棋会館を後にして北西に歩くこと約8分。
村山八段が奨励会~プロ時代の大半を過ごし、修行を積んだアパートが現在もそのまま残されています。
彼の部屋は亡くなったあとも、そのままの状態です。 もちろん映画でも撮影現場となりました。
このようなオンボロ(失礼)アパートに、颯爽たる天才プロ棋士が住んでいたのですね。
中央が彼の部屋です。 小さくてわかりにくいですが、誰が貼ったのか、窓の下に小さな松山ケンイチの写真が貼られています。
わかりますでしょうか?
トイレ、風呂も もちろん共同でした。
森信夫写真集より
このアパートから、私は彼が毎日通ったであろう道どりをたどるように関西将棋会館へと進んでいきました。
まず、このアパートの目の前にある浦江公園。
桜がとても美しい公園です。彼の部屋からは素晴らしい眺めだったはずです。。
あまりにも短い一生で何回この桜を見ることができたのでしょうか・・・それもどういう思いで。
私は、桜の散り際が村山氏にふさわしいと思い、4月16日に訪れましたが、なんと満開、花まっさかりでした!
公園を抜けてシンフォニーホール方面へ
シンフォニーホール前の並木がとてもきれいです
この風景も彼は確かに見ていたはずです。
なにわ筋に出てまっすぐ将棋連盟へ
この道を幾度となく通い、命をすり減らして戦いました。
今回は映画「聖の青春」の舞台を巡るお話でした。
私事で恐縮ですが、私はよく神戸の元町へ行きます。
理由は
1.JRA WINS(場外馬券売り場)・・・スマホでの投票にも入会していますが、馬券がほしい場合もあるのです(笑)
2.ヤマハのスタジオでガンガン演奏する(今は三宮に移転してしまいました・・残念です))
3.好きな大衆居酒屋がある。
4.淡路八段主催 神戸将棋教室がある。
5.元町で生まれ育ったので幼馴染の知り合いが多い
6.前回ご紹介したモトコー商店街がある
といったところです。
でもまあ、ギターを担いで将棋道場に行くのは私だけですが・・(笑)
この将棋道場では自称、認定初段で指します。 道場認定というのは手合いのためで、
いつでも初段の免状はもらえるのですが、なんと正式に免状を受けると32,400円もするんです!(^^;
このあたりは、茶道や華道などと似ていますね。
また、免状には名人と竜王の自筆署名が入りますが、当時の両者ともいまいちファンではなかったからです。
でも道場で指している子供たちは本当に強いです。三段四段クラスがごろごろいてます。もちろんプロの卵も・・
私は先日、小学校一年生(しかも小一になり立て、先月までは幼稚園生)に簡単にボロクソに負かされました( ノД`)シクシク…
別途、スマホ将棋は以前にはやっていましたが、対局者でマナーが悪い人が多いのと、棋聖降臨といって、ポナンザという
名だたるプロ棋士や名人までをも破って有名になった最強の将棋ソフトが、お金を払えば数手先まで代わりに指してくれる・・・
というシステムが嫌で 止めてしまいました。 負けても実力で勝負したいですよね!
でもでもでも・・・、それでも 将棋って本当に面白いですよ!
ですから、私は基本的にスマホでは指さず、道場で実際に対局します。
将棋というゲームは覚えて少し指せるようになるまでは、ちょっとだけ大変ですが、それ以後はそれはもう夢中になってしまいます。
高齢者の場合は脳トレにも打ってつけ。 お試しください、おすすめです!
また、興味がおありの方は是非、「聖の青春」もDVDでご覧ください。
謹んで 村山 聖 氏のご冥福をお祈りいたします。
今回はここまで、最後までお読みくださり本当にありがとうございました。