4-2.天使の告白



 夜になって、気を利かせたレティシアが、馬小屋に、水筒と食事とシーツを、運んできた。
食事といっても、昼間ノックスを出る直前に、サニーで作らせた、ベーコンを挟んだパンに、じゃがいもという質素なものだったが。
ベッドを作りましょうか、と気遣うレティシアに、リックはそっけなく、必要ない、と告げて追い返した。
やはり、気を許してはならない女だという思いは、消えなかった。
さすがにあのまま土手で夜を過ごすのは肌寒く、リックは馬小屋の片隅に、藁でベッドを作って、休んでいた。
寝心地は悪くなかった。
静かだった。
馬たちも大人しかった。
裏手を流れる川の水音以外は、何の音も聞こえなかった。
バッカスのリックの部屋とは、随分な違いだった。
バッカスでは、絶えず何か物音がしていた。
足音、話声、笑い声、そういった音が、どこかしらから、漏れてくるのだった。
それに比べると、本当に、静かな夜だった。
だから、納屋のドアが、ギイッと軋みを上げて開く音が、はっきりと聞こえた。
リックは、跳ね起きた。
刺客か?
じっと耳を澄ます。
草地を踏みしめる、足音した。
納屋の中から、誰かが出て来たようだった。
リックが、馬小屋からそっとのぞくと、灯りを手にした者が、どこかに向かっていた。
アンジェラだった。
こんな時間にひとり、寝間着にケープを羽織った姿で、一体どこへ行くんだ。
リックは、いぶかしげに思って、後をつけた。
アンジェラは、リックに全く気付いていなかった。
川の土手を少し上流の方へ辿って行くと、木立があって、アンジェラはその中へ入って行った。
まさか、妙なことは考えてないだろうな。
リックは、アンジェラが身投げでもする気じゃないかと、心配になってきた。
このあたりは、川も深さがありそうだった。
けれども、アンジェラは木立の中で、灯りを手に、暗い川面を見つめて、哀しげな顔で、じっと立ちすくんでいる。
納屋に戻る気配は、なかった。
「そこで何をしているんだ」
リックの声に、アンジェラは、はっ、として、後ろを振り返った。
一瞬、驚いた表情になったアンジェラだったが、リックを認めると、ほっとしたように少し笑った。
「心配させてしまった?ごめんなさい」
「こんな時間に、危ないぜ。川に落ちたりしたら、どうするんだ」
リックは、アンジェラの傍まで歩み寄った。
「寝ないと具合は、良くならないぜ」
「リック、お昼間は本当にごめんなさい」
「言っただろう。俺は別に怒ってない。あれはただ・・・、蜂に刺されたんだ。お前とは関係ない」
「そうなの?」
アンジェラは、小さく声を上げて笑った。
考えてみれば、アンジェラとまともに話をしたのは、これが初めてだった。
アンジェラは、いつも、フィリップかレティシアの後ろに隠れるようにしていた。
アンジェラは、今、少し笑顔を見せたものの、すぐに、哀しそうな表情に戻って、川面を見つめた。
そして、しばらく言葉を探しているようだったが、
「リック、私ね、お兄様とは、本当の兄妹じゃないの」
突然、そう切り出した。
その澄んだ声は、妙にくっきりとリックの耳に届いた。
「私は四歳の時に、デュヴィラール家へ引き取られたの」
川の水音は、もうリックの耳に入ってこなかった。
「私の本当の家は、あまり裕福ではない貴族だったのだけど、本当のお母様は、私を産んですぐに亡くなったの。そして、お父様も私が四歳の時に、病気で亡くなってしまって、何処にも引き取り手のない私を、遠縁にあたるお兄様のお母様が、不憫に思って、引き取ってくださったの。ご自分も、国王陛下のお傍を追われて、大変な生活をしてらしたのに、デュヴィラールのお母様は、私を引き取ってくださったの」
アンジェラは、静かに話し続ける。
柔らかな巻き毛が、風になびいた。
「お兄様ったらね、デュヴィラールのお屋敷で初めて会った時、四歳の私を見て、天使が来たって、そう思ったんですって」
その時のことを思い出したのか、アンジェラは、ふふっと笑った。
「おかしいでしょう?私、本当にやせっぽちで、緊張して泣きそうだったのに。私は幼かったけれど、その時のことは、何故だかはっきり覚えているわ。お兄様が、僕の妹だって、喜んで、抱きしめてくれた日のことを」
アンジェラは、嬉しそうだった。
「デュヴィラール家へ来てから、お兄様は、本当に私を大切にしてくれた。お母様が亡くなってからは、それまで以上に、大切にしてくれたわ。お兄様が、士官学校へ進んだのも、軍人になって、働いて、私に少しでも楽な生活をさせてやりたいと、思ってくださったからなの」
と、アンジェラはここで言葉を切って、
「リック、笑わないで聞いてね」
と、少しうつむいた。
そして、
「私、お兄様が好きなの」
そう告げた。
リックは、どう答えていいかわからなかった。
十四歳の少女から、このような告白をされるとは、夢にも考えたことがなかった。
「私、お兄様のことが好きなの。だから、これ以上、足手まといにはなりたくないの。だから・・・、だから、リック、私をここへ置いて行ってくれない?」
「どういうことだ?」
「私がいれば、ウッドフィールドへ着くのが遅くなるわ。今日みたいなことも・・・、たびたびあるかもしれない。そうするうちに、お兄様は狙われて、殺されてしまうかもしれない。私、それだけは、どうしてもいやなの」
アンジェラは、泣き出しそうな顔をしていた。
「私、そんなに長くは生きられないと思うの。だから、私のせいで、お兄様が犠牲になるのだけは、絶対にいやなの。だから、リック、私をここへ置いて行ってくれない?レティシアは、きっと私と一緒にここに残るって言うと思うの。それは、レティシアとよく相談することにするから、お兄様を説得してくれない?先に、ウッドフィールドへ行くように」
灯りの中で、リックをまっすぐに見つめる少女の灰色の瞳は、真剣だった。
それで、リックは、フィリップを思うアンジェラの気持が、妹としてのものではなく、恋なのだとはっきりわかった。
「お願いよ・・・」
細い華奢な手が、懇願するようにリックの腕を掴んだ。
アンジェラの嗚咽が、リックの耳に入った。
リックに、慰めの言葉は思いつかなかった。
この病弱で華奢な少女を、どう慰めるべきかなど、リックに考えつくはずもなかった。
けれども、アンジェラの幼くも真摯な想いには、胸を突かれるものがあった。
「泣くな」
リックは、そう言うと、アンジェラの頬の涙を指で拭った。
灯りに照らされて、リックを見上げるアンジェラの瞳は、まだ涙を含んでいた。
「ウッドフィールドへは、みんなで行くんだ」
「リック・・・」
「ウッドフィールドへは、みんなで行くんだ。フィリップも、お前も。いいな」
リックはそう言い聞かせるように言うと、アンジェラから灯りを取って、その手を引いて、来た道を戻り始めた。
少し進んだところで、木立に立つ人影が見えた。
リックが灯りをかざすと、レティシアだった。
じっと、こちらを真剣な眼差しで見つめていた。
今の話を、聞いていたようだった。
リックは、その傍を通り過ぎる際、無言のまま、レティシアに灯りを渡した。
そして、アンジェラの身体も、渡した。
「リック」
そのまま立ち去ろうとするリックを、レティシアが呼び止める。
振り返ったリックに、
「ありがとう、リック」
レティシアは、静かに言った。
リックは、何も答えずに、黙って立ち去った。