22-1.アンヌの手紙



 フィリップ様・・・、いいえ、国王陛下。
先日の、ブロンピュール宮殿のバルコニーでの、あなたさまの勇姿と民衆の熱狂は、遠く離れたこの港町にも、届いております。
あなたさまは、ユースティティアの民から敬愛される国王となり、国家の再建に尽力されることでしょう。
残念ですが、わたくしは、その姿を拝見することは、叶いません。
わたくしは、この地を去り、ユースティティアにも、フォルティスにも、グラディウスにも、二度と戻るつもりはありません。
わたくしは、わたくしに長く仕えてくれている侍女、エマと一緒に、明日、海を渡り、新大陸へ向かいます。
そう、ご存じの通り、新大陸は移民によって成り立つ、まだ歴史の浅い国です。
そのような場所へ、わたくしのような者が向かって、一体どうするのかとお考えでしょう、フィリップ様?
けれども、わたくしが、正しい道を生きようとするのならば、わたくしの居場所は、ユースティティアにも、フォルティスにも、グラディウスにもありません。
それらの国には、わたくしの・・・、ミラージュの痕跡があるからです。
わたくしは、ミラージュを離れ、あらゆる束縛から逃れ、見知らぬ土地で、新たな人生を始める決断をいたしました。
御心配には、及びません。
新大陸には、こちらからの移民のコミュニティもあると、聞きます。
フィリップ様は、わたくしのことを、どうお考えになっているか存じ上げませんが、今、わたくしの胸には、一筋の希望の光が差し込んでおります。
少なくとも、ラングラン公爵令嬢として、ミラージュの実力者として、暮らしていた頃よりも、心持ちは、ずっと明るいような気がしております。
今回の件について、何も語らずに去ることも考えましたが、それは卑怯なことでしょう。
わたくしは・・・、わたくしたちは、アルカンスィエルが陥落したあの日から、ずっとあなたさまの命を狙っていました。
この手紙で、真実を伝えることが、あなたさまへの、せめてものつぐないだと思います。
目的は、達せられませんでしたが、今となっては、これでよかったのだと思っています。
今回の件は、最初から最後まで、全て、お父様によって仕組まれたものでした。
何故、このような事態を招いたのかは、お父様の幼少期から、お話しなければなりません。



 お父様は、ラングラン公爵家の次男として、生まれました。
お父様には、双子の兄がいたのです。
お父様のお母様、つまり、わたくしのおばあさまは、本当に美しい方で、その美しさは、真珠の輝きに、たとえられるほどだったといいます。
おばあさまは、お父様の双子の兄、伯父様を溺愛していました。
ラングラン家の家督を継ぐ者として、それはそれは、大切にお育てになったそうです。
伯父さまは、たいへん明るい御性格であり、何事にも前向きで、優しく、おばあさまを初め、周囲の人から、大そう愛されておいでだったようです。
一方で、おばあさまは、お父様のことを、疎ましく思っておられました。
お父様の独善的で、攻撃性が強く、執拗な御気性は、生まれ持ってのものだったのか、お育ちの環境によるものなのかは、分かりかねますが、伯父様とは、対照的な御性格だと、以前、親戚の者から、聞いたことがあります。



 おじいさまは、お父様が十歳の時、ご病気で亡くなりました。
そして、お父様が十五歳になった時、伯父様も、落馬で急死されます。
その落馬も、お父様が何か仕組まれたのではないかと、ずいぶんうわさがたったそうですが、お父様が捕えられるような不祥事があれば、ラングラン家は潰えます。
真実は、葬り去られました。
お父様は、ラングラン家の当主となり、家督を継ぎました。
でも、お父様が本当に望んでいらしたのは、ラングランの家でも、地位でも、名誉でもなかったのです。
おばあさま、だったのです。
お父様は、ただ、おばあさまに愛されたかったのです。



 十五歳にもなって、ばかげたことだとお思いになりますか、フィリップ様?
それは、きっと、あなたが、お母様に本当に愛されてお育ちになったからです。
母親が、我が子に向ける当たり前の愛情を、一度も受け取れずに、しかも、自分と同じ顔をした兄は、自分が望んでも、決して受けることのできないその愛を、無条件に与えられている。
お父様の葛藤は、いかばかりのものだったことでしょう。
伯父様亡きあと、お父様は、おばあさまに迫ったそうです。
どうか、自分のことを愛してほしい、と。
でも、おばあさまは、拒絶なさいました。
そして、こう言い放ちました。
「死んだのが、あなただったらよかったのに」



 わたくしは、これまで、お父様の行いに加担してまいりました。
それは、わたくしの精神の、絶対的な支配者であるお父様が、恐ろしかったからに他なりませんが、心のどこかで、お父様のことを哀れに思う気持ちがあったのは、そのような理由が、あったからなのかもしれません。
お父様の心は、おばあさまのその一言で、さらに暗闇へと、向かって行きました。
お父様は、おばあさまをご病気と偽って屋敷に幽閉し、本来人が持つべき、愛情、憐れみ、優しさ、そういったものを、一層失ってゆかれたのです。
お父様は、おばあさまを憎むのと同時に、ラングラン家も憎むようになっていきました。
数年後、おばあさまが亡くなると、その御気性に、拍車がかかっていきました。
でも、この時はまだ、お父様御自身、救われたいお気持ちもあったのではないか、と思います。
ですから、偶然街で見かけた、おばあさまに良く似た美しい娘に、一目で恋をしてしまったのでしょう。
お父様は、お母様とすでに結婚されていましたが、おばあさまと面差しの似た娘に、心を奪われてしまいました。
それが、レティシアの母親です。



 レティシアの母親の話の前に、少しわたくしのお母様に、触れておこうと思います。
お母様は、没落したアルカンスィエルの貴族の娘でした。
お父様とお母様の、あまりにも格の違いすぎる結婚に、反対した親戚たちも、多かったと聞きます。
お父様が、結婚相手としてお母様を選んだのは、お母様に惹かれたからでは、ありません。
自分の思い通りに、言いなりになる妻が、ほしかったのです。
お母様の実家は、ラングラン家の力で、没落を免れ、生きながらえたのです。
お父様は、ことあるごとに、その事実を持ち出しては、お母様の心に、ざくざくと傷をつけられました。
そして、それを楽しんでおられました。
事情が事情である故に、お母様は、常にお父様に忠実で、言いなりでした。
少なくとも・・・、わたくしは、ずっと長い間、そう思っておりました。
けれども、そうではなかったことを、先日、セヴェロリンスクのミラージュの隠れ家で、お母様から初めて知らされました。
お母様は、最初から、お父様の言いなりだったわけではなく、逆らって、酷い目にあったこともあったのだと。
けれども、お姉様と、わたくしが生まれて、お父様は、お母様への仕返しを、わたくしたちにするようになったのだと。
幼いわたくしたちが、お母様のせいで、ひどい折檻を受けて、泣き叫ぶ姿を見て、自分はどうなってもいいから、わたくしたちだけは、どんなことをしても、守らなければならないと、心に誓ったのだと。
それは、わたくしが初めて知る真実でした。
フィリップ様、正直に申し上げて、わたくしは、お母様を軽蔑しておりました。
どんな事情があるにせよ、自分の考えを持ったことがなく、どのように理不尽なお父様の言葉にも、黙って従う。
ラングラン家が、このような悪しき繁栄を遂げ、わたくしがその中へと引き込まれたのは、お父様だけのせいではないと、恨んでまいりました。
けれども、本当は、そうではなかった。
わたくしたちに対する、お母様の、深い哀しみと愛情があったのだと知った時、長く凍りついたわたくしの心が、溶け出すような心持ちがしました。
お母様は、愛情深い方だったのです。
それが証拠に、お父様のもとへ向かったわたくしを心配して、後からやってきてくださったのです。
お父様を撃つことができず、結局、お父様に銃を向けられたわたくしを守るため、お母様がお父様を撃ちました。
そして、わたくしを立ち去らせ、屋敷に火を放ち、お父様とふたり、逝かれたのだと思います。
別れの時、お母様は、わたくしに言いました。
後ろを振り返ってはいけません。
決して、後ろを振り返らずにお行きなさい、と。
そのお母様との約束を守り、今、わたくしは、後ろを振り返らず、行こうとしています。