2-1.御者リック



 フォルティス有数の街、ブリストンは、今日も盛況だった。
ブリストンの中心部、ミルフェアストリートには、馬車が行き交い、人と馬があふれかえっている。
ミルフェアストリートの両端には、店がざっと立ち並び、荷を運ぶ者、売る者、買う者が、入り乱れて、活気と、喧噪と、砂ぼこりが、街道全体を包んでいた。
ミルフェアストリートに並ぶ、数々の店の中に、割合大きな、人の出入りの激しいタヴァン(宿)があった。
タヴァンの名前は、バッカスと言った。
人と馬があふれているミルフェアストリートだったが、バッカスの前は、なおひどかった。
馬車の到着が重なったと見えて、収拾がつかなくなっていた。
男たちが数人、その馬はこっちだ、その荷物を降ろしてくれ、と、大声で叫んでいる。
どうにもこうにも、人も馬も進みたいのやら止りたいのやら、方向もまちまちで、その場がおさまるには、まだまだ時間がかかりそうだった。
そもそも、タヴァンは、宿とは言うものの、人の暮らしの多くを兼ね備えていた。
つまり、宿の前は、馬車の発着場となり、一階はその待合、受付、食堂、酒場、賭博場、馬車で運ぶ手紙・郵便物の受付もしていた。
また、時には、奥の間で商取引が行われることもあり、ある時には男女の密会で使われることもあった。
そして、二階から上が、宿泊客のための寝室となっていた。
バッカスは、ブリストンにあるタヴァンの中でも、一際盛況だった。
バッカスの前からは、毎日、多数の地方へ向かう馬車と、多数の地方からやって来る馬車で、混雑していた。
馬と旅人ばかりでなく、バッカスの一階には、食事やそれ以外の目的で訪れる人もたくさんいたわけで、そうなると、一階は、大混雑になる。
それでも、男たちは煙草の煙がもうもうと渦巻く中で、ジョッキを片手に、賭けごとに興じていた。
そもそも、「バッカス」とは、酒の神である。
宿屋に「バッカス」という名前をつけるくらいなのだから、どういう客を相手にしようとしているか、見当はすぐについた。
そういう意味では、まさしくこれ以上ないほど、ふさわしい名前と言えた。



  リックは、心地よいまどろみの中にいた。
階下の喧噪が、かすかに聞こえる。
大きく寝返りをうって、わずかに片目を開けた。
カーテン越しに入って来る、窓からの日差しがまぶしい。
もう、昼か。
日の高さを見て、そう思った。
ふうっ、と大きく背伸びをしてから、仰向けになって、手を頭の下で組んだ。
みしっ、とベットがきしんだ。
よく寝た。
リックは昨日、十六時間ぶっ通しで、馬車を走らせて、ブリストンへ帰って来た。
それには事情があった。



  リックは、ブリストンのマクファーレン商会が運営する、駅馬車会社の御者だった。
ブリストンのマクファーレン商会といえば、駅馬車業だけではなく、タヴァン、質屋、など、手広く運営し、成功を収めていた。
今、リックが休んでいるタヴァン、バッカスも、もちろんマクファーレン商会の経営だった。
御者の仕事は、客と荷物を乗せて、馬車を走らせることだが、目的地が遠方の場合は、馬には、何度も休息と餌が必要になる。
それを待っていたのでは、旅に時間がかかってしようがない。
だから、行程の間にいくつもの、ステーションを設け、そこに休養の十分にとれた馬を待機させて、馬をつなぎかえるだけで、旅を続けられるような方法になっていた。
馬車には、普通馬車、急行馬車とあるのだが、よほど急ぎでなければ、大抵の人は普通馬車の方を選んだ。
普通馬車は、乗客と荷物を乗せて、のんびり走ったが、急行馬車となると、わけが違った。
急行馬車は、普通馬車の倍ほどの速さで進み、明け方近くから、夜中近くまで走って、距離を稼いだ。
そのため、乗り心地は最悪で、悪路では、屋根に頭をぶつけたり、最悪転覆の危険もあったし、普通馬車と違って、ステーションでは、すぐに馬を取り替えて次のステーションへと出発するため、乗客はのんびり休憩したり食事する時間もなかった。
リックは、急行馬車の御者だった。
この急行馬車に関して言うならば、リックは、人間よりも、馬の方が扱いが上だと思っていた。
馬は、餌も水も与えてもらえた。
しかも、次のステーションまで走れば、お役御免だった。
それに引き換え、御者には休息などというものはなかった。
ステーションで馬をつなぎかえる際に、まあ水くらいは飲めた。
それ以外は、とにかく、走って、走って、距離を稼ぐ。
急行馬車に乗ろうする人間は、結婚式があるのか、急な葬式があるのか、とにかく急いでいた。
ゆえに、到着が少しでも定刻に遅れたなら、苦情が殺到する。
たちの悪い客なら、金を返せとわめく。
だから、時間厳守は、御者の使命とも言えた。



 昨日、リックはブリストンまで、戻って来る予定ではなかった。
昨日の早朝、フォルティスのとある港町を出発し、昼すぎには、四つ目のステーションに着いた。
本来なら、昨日、リックの仕事はそこまでだった。
昨夜は、そこで一晩泊って、今朝、別便の駅馬車に乗って、ブリストンに戻ってくるはずだった。
ところが、交代の御者が、腹痛を起こした。
便所に入ったきり、出てこない。
そのうち、乗客が文句を言い始めた。
もう少しすると、金を返せという者が、必ず出てくるだろう。
ステーションの係の者が、そうリックに耳打ちした。
それは、俺にこのままブリストンまで行けということか。
いまいましげに、リックは係員を睨みつけてやった。
リックは、便所のドアを思いっきり蹴り、そのままブリストンまで、十六時間を走破した。



 リックの駅馬車は、何があっても定刻に到着した。
天候がどれほど悪条件であったとしても、乗客が、何度、屋根に頭をぶつけたとしても、時間には決して遅れなかった。
けれども、それは、ただ単に馬を速く走らせるということではなく、何をしても手際が良く、状況判断に長けていたからだった。
リックには、逸話があった。
半年ほど前、とある街から、ブリストンに戻る途中、強盗にあった。
ちょうどその界隈は、駅馬車強盗が多発していたので、馬車に護衛が同乗していた。
四人組の強盗団は、駅馬車に向かって発砲してきた。
これに、護衛とリックで応戦した。
発砲音が響き、馬車の中は騒然となった。
中から悲鳴と泣き声が、漏れて来た。
「そこから、出てくるんじゃないぞ」
乗客に向かって、リックは怒鳴った。
リックは、馬車に飛びかかってきた強盗をひきはがすと、地面にたたきつけて、鳩尾(みぞおち)に蹴りを見舞った。
一般的な男より、ひとまわり上背のある、体格のいいリックの本気の蹴りは、少々効きすぎたようで、男はそのまま泡を吹いて動かなくなった。
リックは、素早く馬車の後ろに身を隠したが、強盗の放った銃弾が、腕をかすめた。
その自分の腕には見向きもせず、銃口に素早く弾を込めると、強盗に向かって撃ち、その弾は、馬上の敵の腕をぶち抜いた。
何とか、落馬は免れたものの、それで強盗団は全く戦意を失い、泡を吹いて倒れた強盗以外は、全員退却した。
リックは、乱暴に馬車のドアを開けると、
「全員無事だろうな」
拳銃を手にしたまま、乗客の無事を確認した。
乗客は、一様に蒼い顔をしていた。
その後、泡を吹いたままの強盗を縛り上げると、馬車に乗せ、護衛に見張らせた。
そして、次のステーションには、定刻に到着した。



 そういうリックの噂を聞きつけた客が、マクファーレン商会を通じて、リックを指名して仕事を依頼してくることがあった。
例えば、先日がそうだ。
見るからに、裕福そうな、そして傲慢そうな四十代の夫婦と、小生意気そうな男の子が二人の家族連れだった。
通常なら早朝に出て、夜中に着くような行程を、主の男が夕方には到着しろと、言ってきた。
何でも、予約した船の出港に、間に合わないらしい。
そのくせ、出発の時間には遅刻してきた。
リックは、何も言わずに、馬車を走らせた。
いつものように。
いや、いつも以上に速度を上げて。
目的地には、ちょうど指定された時刻に着いた。
「着いたぜ」
到着すると、リックは、丁寧にドアまで開けてやった。
予想はしていたが、馬車の中は、嘔吐物にまみれていた。
二人の子供のうち、小さい方は、口からよだれを垂らしたまま、泣き顔でリックを見つめていた。
「あんたら、船に乗るんだろ。もう船酔いはしないんじゃないか」
にこりともせず、そう告げた。
と、こういった具合で、時間には正確だったが、乗客が金持ちだろうが、女性だろうが子供だろうか無愛想なため、快適な旅を期待する旅人には、好ましくない御者であった。
もっとも、急行馬車は、快適とは無縁の乗り物だったので、御者の性格など、問題にはならなかった。