19-3.王妃の恋



 午後になって、フランセットが訪れた。
頑なに自室のベッドにこもりきりで出てこない、クリスティーヌに手を焼いた女官のひとりが、事態の打開を求めて、フランセットを呼んだのだった。
「クリスティーヌ」
カーテン越しに、フランセットが声をかけたものの、クリスティーヌは返事をしなかった。
「開けますよ」
フランセットが、侍女に命じて、ベッド周りのカーテンを開けさせた。
クリスティーヌは寝巻のまま、ベッドに伏していた。
涙を含んだ、疲れた目でフランセットをじっと、みつめていた。
フランセットは、人払いをした。
女官や侍女、全てを下がらせ、フランセットと、クリスティーヌのふたりきりになった。
「クリスティーヌ・・・」
「お母様には、おわかりにならないわ。わたくしの気持ちなんて」
フランセットは、黙っていた。
フランセットは、いつもそうだった。
黙って、嵐のような、ラングラン公爵の怒りが静まるのを、じっと耐えていた。
クリスティーヌは、いつもそれを可哀想だと思っていた。
けれども、今は、フランセットが、臆病で、卑怯者だとしか思えなかった。
「お母様は、いつも何もおっしゃらない。わたくしにも、お父様にも、アンヌにも」
「わたくしは・・・、ただ、公爵の決められたことに、従うしかなかったの・・・。クリスティーヌ、どうか、機嫌を直してちょうだい」
フランセットは、クリスティーヌの厳しい言葉に、ただおろおろするばかりだった。
王宮に来てから、フランセットと、クリスティーヌの間には、何度もこのようなやりとりがあった。
けれども、いつもフランセットは、クリスティーヌの嘆きを聞き、時が過ぎ去るのを待つばかりだった。
クリスティーヌは、フランセットに訴えてみたところで、どうにもならないことはよく分かっていた。
けれども、どうしても言わずには、いられなかった。
いつも流されるだけで、抗おうとはしないフランセットが、無責任に思えた。
一方で、夫であるラングラン公爵に虐げられ、長い間、絶対服従を強いられたフランセットは、もう抗うということを、忘れてしまったのかもしれないとも思った。
ラングラン公爵に逆らっては、どのような仕打ちを受けるか知れなかった。
これまで、フランセットが、ラングラン公爵夫人として、無事でいられたのは、夫に逆らわず、いつも夫の機嫌を伺い、常にその言葉に従ってきたからだろう。
そう考えれば、フランセットと、クリスティーヌに、何の大差もないように思えた。
結局のところ、クリスティーヌも、フランセットと同じく、ラングラン公爵に逆らったことなどなかったのだから。
フランセットとクリスティーヌの違いは、その境遇をすっかり諦めてしまっているか、諦めきれずに嘆いているか、その違いに過ぎないのだと思えば、クリスティーヌは、母フランセットを責める資格など、自分にはないのだと、そう思った。
そして、時がたてば、自分もフランセットのように、この身の運命を諦めて、嘆くこともなく、じっと時を過ごすのかもしれないと思えば、早くそうなって、哀しみから解放されたいような気分と、虐げ続けられて生きることへの絶望とが入り混じって、心は乱れた。
そこへ、
「失礼します」
と、トルスタヤ女官長が、入って来た。
女官長は、気配り細やかな性質で、ふさぎ込みがちなクリスティーヌの心を、少しでも和ませようとしていた。
けれども、クリスティーヌには、それらはすべて、クリスティーヌのためなどでなく、アレクセイ国王の命を受けてのもので、クリスティーヌが機嫌を損ねれば、アレクセイ国王の怒りを買うのだろうと、高い代償を払って、わざわざユースティティアから連れて来た敵国の王妃は、有効な手段として使う時まで、美しい牢屋で、機嫌良く暮らしてもらわないと困るのだろう、と思った。
長く、人の愛情から離れ、抑圧、無視、といった感情を向けられ続けたクリスティーヌは、厚意をそのまま、受け入れられなくなっていた。
「クリスティーヌ様、国王陛下が、明日の夜、音楽会を催そうと仰せでございます」
「音楽会を?」
「さようでございます。ごく近しい者だけを集めて、催そうと。その方が、クリスティーヌ様も、楽しめるとお考えなのでしょう」
音楽会・・・。
それは、ほんのすこし、クリスティーヌの気持を上向かせた。
音楽は、いつも、クリスティーヌを慰めた。



 クリスティーヌは、ジャン王に嫁ぐことに、少なからず期待をしていた。
ジャン王と、クリスティーヌの結婚に、様々な政治的な思惑があることは知っていた。
王室の婚姻は、本来そのようなものであると諦めていた。
けれども、常にラングラン公爵の機嫌を伺い、抑圧され続けた実家での暮らしを離れ、王宮に入れば、もっと違う世界が広がっているような気がしていた。
つまり、クリスティーヌは、ジャン王の愛情を信じて疑わなかった。
けれども、それらは、全て幻だった。
心浮き立つ結婚生活など、ひと時もなかった。
ジャン王からは、たった一度も振り向いてもらえることはなかった。
一度も、愛情を向けられたことなどなかった。
ブロンピュール宮殿での、孤独な日々。
次第に、心は、冷たく固く凍りついていった。
自分を慰め、励ますために、ひとりの時、よくクリスティーヌは、歌を口ずさんだ。
クリスティーヌの歌声は、以前から、貴族たちの間で評判になるほど、素晴らしいものだった。
クリスティーヌは、眠れない夜、ベットを抜け出し、窓辺でそっと歌った。
それは、月明かりの下歌う、自分を慰めるためのアリアだった。
ひとり歌う時、固く凍りついた心が溶けだすかのように、いつも瞳からは涙があふれた。
「明日の夜は、国王陛下もいらっしゃるの?」
「きっと、いらっしゃいます」
トルスタヤ女官長は、励ますように、朗らかに答えた。
明日、アレクセイ国王にお会いする・・・。
クリスティーヌは、澄んだ青空を思わせる、その爽やかな瞳を思い出した。
そして、はっ、とした。
国王陛下は、四年前、わたくしと交わした会話を、覚えていたのだろうか。

「歌が、お好きなのですね」
「はい、そうでございます。陛下もお好きでございますか?」

まさか、あのような他愛もない会話を?
だから、明日、音楽会を開いてくださろうとしているのだろうか。
わたくしのために・・・?
まさか・・・、いえ、でも、ひょっとしてという期待が、こみ上げて来て、クリスティーヌは、胸の高鳴りを覚えた。